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第1話 『元勇者とラノベにハマった神』

 俺は――ユノを護れなかった。


「いや、そういうのいいから。悲しみに暮れてる真っ只中で悪いとは思うけどさ。こっちもラノベの積ん読を消化しないとだから」


 俺がユ――。


「ボクの話を聞けよ!」


 耳を引っぱられ、大音量が鼓膜を刺激する。鮮烈な刺激を受けて、自責と自傷か

ら、あの直視したくない現実に揺り戻され――?


「……ここは?」


 ――あたり一面に広がる白。


 陰影はなく、今立っている場所が地面なのかも分からず、奥行きの見えない、部屋と呼ぶにはあまりにも広すぎる場所で、人をダメにしそうな柔らかさを誇った座椅子。精緻せいちな絵が表紙を飾った上質な白い紙の本がうずたかく、そしてところ狭しと散らばっていた。


 この情報量の多い中、さらに加減なしに俺の耳を引っぱり、鼓膜を交換したくなるほどの怒声を上げたのは……。


 少年だ。見たところ身長が俺の腰ほどしかないのに、俺と同じ高さに顔がある。全身が淡い光に包まれた少年。色という色が抜け落ち、透き通っているのではないかと思うほどの色白。この白い空間ではとてもややこしい、ふとすれば見失ってしまいそうな色合いの風貌だ。


 その少年が浮いている……。


 いったい何度、目を見張れば――、


「ようやく口を利いてくれたね。何度も呼びかけたというのにユノユノユノユノ。キミが壊れてちゃこっちの仕事が片付かないからね。それとボクにはアリスっていう名前があるし、少年じゃないし、ピカピカの一年生でも、ショタでもない。れっきとした神様で、ここは勇者を召喚したり、死んだ勇者を転生させたりする場所だよ。で、次の生はどこで、どんな条件で歩んでいきたい?」


「ちょっ、ちょっと待ってくれ。俺はえっと、なんで、どうなって、ショタ……?」


 いきなり、次の生を歩むと言われて「はいそうですか」と納得できるわけがない。異様な空間、異様な少年、異様な物に出会って、俺の頭は完全に思考を放棄していた。


「やっぱ日本人と違って、勇者ってホントに物分りが悪い。日本人転生者の理解力を見習ってほしいよ。アイツら、死んだってのに1ページで過去を呑み込んで、5ページ目にはチートスキルで魔物の土手っ腹に風穴開けてるもんね」


 こちらを小馬鹿にした口調が引っ掛かるが……『ニホンジン』とは誰のことを言っているのだろうか?


「頼む。分からないことが多すぎるんだ。これ以上謎を増やさず、俺の疑問を解消するのを手伝ってくれないか?」


「んー……今クライマックスだし、あと少しで読み終わるからそれまでに考えててよ、理想の新天地ってやつをさ。それを聞いて、望みどぉーりに転生させてあげる。それがボクの神としての立派な勤めなわけ。説明終了! っていうかキミってホントにタイミング悪いよね。もう少し粘ってくれても良かったのに」


 コイツは……あの惨劇を知っている口ぶりだが、いったい人の死をなんだと思っているんだ?


「いやいや外界のゴタゴタなんてこっちには関係ないよ。少なくとも、ラノベの方がよっぽど大事だから、キミたちの死と等価値の物なんてボクにはないね」


 今の……もしかして、心を読まれた?


「さっきも言った通り、ボクは神様だからね。良い証明になったでしょ?」


 読心術に長けているから神様認定というのは早計過ぎると思うのだが。


「謎を増やすな、教えろって言うから丁寧に教えてるのに疑われちゃ、どうしようもないよ」


「それは……そうだな。悪かった」


 それにしても今さらだが、このやり取りを通してようやく自分が死んだのだという実感が湧いてきた。べつに死んだと分かる確証は何もないが、ユノのあの姿が目に入らない、入れなくていい場所にいるということはつまり、そういうことなのだろう。無理やり納得し、強制的に胸を撫で下ろす。


 沈黙に甘え、落ち着きを取り戻すための時間は終わりを告げ、パタンと本を閉じる音とともに、感傷的な態度を完全に捨て去る。死してなお後悔を引きずるつもりは、俺にはなかった。


 もう……終わったことなのだから。


 さて、もし本当に生まれ変わることができるというのなら、のどかな村で普通に、波風の立たない平和な暮らしをしたいものだ。


「村人か……悪くないな」


 それは、妻と子供がいて家庭を支えるために忙しく働く自分がいて、勇者として選ばれなければ送るはずだった普通の人生。その和やかさに焦がれ、思わずこぼれた言葉――。


「違うんだよなあ」


「……え?」


 少年の否定はいったい何に対するものなのだろうか……。


「うん、そうなんだよ。ボクが求めてるのはこれじゃないんだ」


 まじまじと先程読み終わった本の表紙を眺め、呟いたのはどうやらその本の感想だったようだ。


 俺の転生先のことかと思ってひやひやしたが、早合点でなによりだ。


 確かに、あれだけの量の本を読んでいれば目も肥えるだろうと、一人ごちる。


「もう飽きたんだよ。散々見たんだよ、読んだんだよ。皆、同じ。最終的に結婚して、エッチして、ハッピーエンド。それでも最初は面白かったんだ。とてもね。年増ロリにちっぱいエルフ、ツンデレダークエルフやデカパイドワーフ、ヤンデレリッチにどじっこスライム、チョロインバンパイア、人見知りサキュバス、たまにデレるジト目メイド系オートマタ、妹系ケモミミ娘、委員長気質な天使! 様々なイチャイチャちゅっちゅを読んで、興奮してきたさ! Fファンタジアの『異世界最強にて好き放題やってみた』とか、HERO文庫の『この世界の勇者をワンパンして代わりに勇者生活を満喫してやる』とか、Mスター文庫の『元勇者は引きニートになりたい』とか! チート勇者のハーレムも、ろくでなし勇者も、無気力系勇者も、転生先で無双するのも、勇者のスローライフも――勇者が村人に生まれ変わるのも色んなシチュエーションが生み出されていったさ。最近じゃ、ドラゴンやスライム、聖剣、挙句の果てには自動販売機に転生ときた。喋る聖剣や喋る自動販売機が作るハーレム生活はボクの求めるところじゃない。もうなんでもござれのこの状態には飽き飽きしていたんだ。そもそも、聖剣ってどうやってヤるの? アナルに刺したら、切れ痔は必至だろ!? 内蔵チャンポンだろ!? そんなヤツがハーレム? ヒロインとのイチャラブ生活? ちゃんちゃらおかしいね。鞘とよろしくヤっとけよ!? そもそもなんでボクはヤれないんだよ!?」


 口早に感情がオーバフロー。え、急にどうしたの、この子?


「――ボクが初めてラノベを読んだときの衝撃は、あの昂ぶりは、もう二度と訪れなかった。それでも異世界ラノベの市場しじょうから手を引かずに、別のジャンルに浮気もせずに読み続けてきたのはあの興奮の再燃を、来るかもしれないいつかを待ち続け、待ち焦がれてきたから」


 アリスには熱い何かがある。そのことだけは分かったが、その気持ちを言い終えると同時に、アリスはトーンダウンして仄ほの暗く揺らめく何かを垣間かいま見せる。


「それにほら、ボクは見ての通り、聞いての通り高名な神様なんだ」


 え、そんなこと一言も――。


「それなのに、上司、同僚、さらには部下からも威厳がないとか、キモオタとか、堕天予備軍とか言われて、なんで神様始めて数ヶ月のペーペーにまで鼻で笑われなきゃいけないわけ? もうボク、新神しんじん教育なんて二度と引き受けないから! 好きなアニメある? とか絶対質問しない! あ、そうなんだ、キミっていわゆるキモオタなんだとか二度と言わせない! なんでボクが童貞だって知ってんだ!? ああもう誰かもらってくんない!? この際おねショタでも、オバショタでも構わないからさあ! 誰か……」


 語られているのは俺に全く関係のない話。それなのに俺はアリスの口を塞ぐことも、制止することもできずに、ただ聞くことしかできなかった。ひとえに熱量、アリスの必死さ、そしてそれらを凌しのいで余りある、底知れぬ惨めさに気圧される。


「だから、トーマ、キミにはもう一度勇者の道を歩んでほしい。正確には再びあの人生、あの末路、その因果の中で生き直してもらいたい」


「……は?」


「――というか生き直せ」


「いや……は?」


 え? ちょっと待てくれ。どうしてそんな結論に至ったんだ。


「そうだね、説明くらいほしいよね。色々と考えたんだよ。でね、待つのは正直疲れた。一読者としてこの変わり映えしない世界に変化をもたらすには、最後の手段を取るしかなくなってしまったんだよ。そこで、SNSでかなり拡散されてた呟きから得た考えなんだけど、どうやら作品ってのは需要があるから生み出されるわけじゃないらしい。推しの供給がないから生み出されるんだって」


「え、知らない知らない。何言ってるかさっぱり分からないんだが!?」


「だから! ボクのためにボク自身がボクの求めるものを供給すればいいんだって! 勇者チートも、内政チートも異常なラック値も、初期からレベルカンストも、鑑定スキルも膨大な魔力量を持つことも許さない。他に勇者は現れないし、他人を勇者に仕立て上げることもできない。今回の顛末を知ったキミが同じイベントに巻き込まれ、キミが同じイベントを引き起こし、キミが万事を解決し、キミが世界を動転させる――お分かり?」


「とりあえず、話しの通じない馬鹿が目の前にいることは分かってるよ。……なあ、頼む。オマエは俺の意見を聞いてくれるんじゃなかったのかよ!?」


 俺の願いどおりでなくてもいい、せめて考え直してほしかった。


 あの人生をもう一度。――最凶最悪、不幸で、悪夢で、お先真っ暗で……。


「え、もしかして自分の立場に気付いてないの? 馬鹿だなあ。キミが望みを言ったところで、ボクの力なしじゃどうにもならないんだよ? ボクが、脳筋で恥じらい知らずのクッころ系女騎士に生まれ変わって、ゴブリンに揉みくちゃにされて花を散らせって命じたら、キミはその通りになるしかないわけ」


「何言ってるか分からないうえに、理不尽すぎやしないか!?」


「理不尽な神様――実にお約束の響きじゃないか! 実にテンプレで月並み、手垢の付きまくった物語の始まりにもってこいのシチュエーションだ! キミはラノベのなんたるかをすでに心得ているんだね!」


 少年の心は今まさに燦然と輝き、勝手にインスピレーションを燃やし、俺の何もかもを置いてけぼりにしてしまっている。


 アリスに火が点いてしまった。いや、もともと点いていたものに俺が薪をくべ、油をたっぷりと注いでしまった。


 つまりは墓穴を掘ったらしい。どう掘ったのか、どこで掘ったのかさっぱり分からないが、とりあえず掘ってしまったのだ。


「おい、勝手に盛り上がるな――」


 そうは言っても制止するには遅すぎた。会話の主導権も交渉の余地もなにもないのだから。


「話は聞かない! 言うことを聞け! アディオス!」


 ――打つ手なし。


 諦念を抱きつつも、二の句を継ごうと口を開きかけた瞬間――。


 ***


「――ああ! 生まれてきてくれてありがとう」


 耳にしたのは懐かしい、二度と聞けないはずの慈愛に満ちた安らぐ声で、体を包む温もりは、頭を撫でる手の感触は、とても――。


「死んでるのかと思ったら、おとなしい子だよ。父親があれだってのにねぇ」


 クツクツと笑う老婆の声が耳に入る。


 ……危ない危ない。もう少しで寝てしまうところだった。


 視界がぼやけているが、起こしてくれた声から察するに産婆さんだろうか。無事に取り上げてくれてありがとう、と当事者から礼を言わせてもらう。発声も満足にできないが。


 ――俺はどうやら精神を残して、その身だけが赤ん坊になってしまったらしい。……マジでか。

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