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岩城は車窓を流れる街の灯を追いながら、自責の念に苛まれた。
……梓に現を抜かし、冷静な判断ができなかった。それに比べて梓は、たぶん最初から自分が書いた台本があったのだろうが、一度として馬脚を露すことはなかった。つまり、梓の方が役者が一枚上だったと言うことか。まんまと騙されるなんて、俺の“刑事の勘”も錆び付いたな。……そろそろ潮時かな。岩城は辞職を考えた。ーー
別府温泉は秋色に染まっていた。紅葉を眺めながらの露天風呂はまた格別だ。他にも、別府温泉内に点在する自然湧出の源泉を巡る“地獄めぐり”。地獄の名にふさわしい奇観を呈する七つの源泉は、コバルトブルーの泉色の“海地獄”や真っ赤な“血の池地獄”、温泉熱を利用してワニを飼育する“鬼山地獄”、日帰り入浴が楽しめる“鬼石の湯”などさまざまな特徴がある。休憩スポットでは、地獄ゆで卵や地獄蒸しプリンが名物。
その一軒の旅館に梓の姿があった。
「内藤さん、左から順番にね」
仲居頭が指導していた。
「はいっ!」
梓は元気よく返事をすると、お膳を並べた。
「内藤さんな覚えが早えわ。初めちたあ思えん」
仲居頭が感心した。
「ありがとうございます」
「わしん右腕ん有力候補やけん、頑張っちくりい」
「はい、頑張ります」
梓は満面の笑みで返事をした。
仕事が終わるのは夜九時。梓はジーパンに着替えると、旅館の近くにあるウィークリーマンションまで歩いて帰る。
「ただいま」
部屋に入ると、ナポリタンの匂いがした。梓の好物だった。
「お帰り」
ピンクのエプロンをした若い男が、フライパンを動かしながら顔を向けた。
「美味しそう。お腹空いた」
洗面台で手を洗って椅子に座ると、ソフトウェーブのミディアムをシュシュで結んだ。
「はい、どうぞ」
若い男は皿とフォークをテーブルに置くと、テレビを点けた。
「いただきます」
パスタをフォークで巻き取ると、ソーセージを刺して口に含んだ。
「うん、美味しい。いつもながら上手ね」
梓は満足げな顔を若い男に向けた。
ーーシャワーを浴びるとベッドに潜った。若い男は背を向けて寝息を立てていた。
「……こんな遠くに連れてきてごめんね。でも、熱海から離れて少しでも遠くに行きたかった。出直すつもりで」
梓は天井を仰いだ。
「……あの日、あなたは友達に会いにあのアパートに行ったのよね。そしたら開いたドアから明かりが漏れてる部屋があって、覗いたら若い女が下着姿で仰向けに倒れてた。死んでるのかと思い、『大丈夫ですか?』って声をかけたら、首を触りながら『ゴボッゴボッ』と変な咳をした後に驚いた顔であなたを見た。女は『誰っ?警察呼ぶわよ』と言って起き上がろうとした。あなたは強姦目的の不法侵入者だと勘違いされたと思い、発作的に首を絞めたのよね。前歴があるから訴えられたら勝ち目がないと思い。電車に乗ってからドアノブに指紋が付いてるかもしれないと思ったけど、指紋を拭きに戻るのは危険だと判断した。誰に見られるか分からない。
あなたから電話をもらってそのことを知った私は、あなたに指示した。今のアパートを解約し、家具も処分してウィークリーマンションを借りるようにと。ウィークリーマンションならベッドも冷蔵庫もコンロも付いてるから旅行鞄一つで暮らせる。あなたはバイトしながら自活していた。電話は公衆電話からするように言った。私もあなたに電話する時は公衆電話から。そうすればあなたの電話番号も住所も警察に知られることはない。
旅館の仲居になったのも仲居なら着物のユニフォームがあるから衣装にお金がかからない。その分荷物も軽くなるし、いざと言う時に逃げやすい。ウィークリーマンションは一括前払いだから、短期間の契約にすれば家賃を無駄にすることはない。何かあったらいつでも解約できる」
梓は独り言のように喋っていた。
「あの刑事さん、どうしたかしら。私が失踪したことで何らかの不審を抱いたでしょうけど、今更、捜査のやり直しはしないわよね。だって、逮捕された男が殺害を認めたのだから。……もう寝た?私が守ってあげる。だから、心配しないで。このことは二人だけの秘密よ。ねぇ、……忠嗣」
完