すみれの花の栞
私は昔から学校が苦手だった。人の輪に同調出来ない者を除け者のようにする、あの感じが好きになれなかった。でも引きこもりになれるほど世の中に絶望は出来ず、親にも先生にも相談しなかった。私個人の性質の問題を他者に相談した所でどうにかなるとは思わなかったから。
そんな私は気休めにいつも本を読んで現実世界に感じている仄暗い感情から逃げた。小学校低学年の時はあまり分厚いものは読めなかったけど、少しずつ詩集や小説も読むようになった。私がいた小学校の図書室はいつも人があまりいなくて、人のたくさんいるところが苦手な私には好都合の場所だった。なので、専ら昼休みは図書室に直行したものだった。
だけどひとりだけ、私以外にいつも図書室にいる女の子がいた。
濡れたような綺麗な黒髪を二つの三つ編みにした、クリっとした丸い目の女の子。黒縁のメガネがどこかあどけない、可愛らしい女の子。
その子は私と同じようにほぼ毎日図書室にいた。たまに彼女がどんな本が好きなのか、気になった。けれど、基本図書室にいる子というのは1人で読書に集中するものだろうと思い、彼女と話すことは無かった。小学校6年生の時、その子と同じクラスになるまでは。
クラス替えとなると毎回周りはザワザワしていたのだが、私は毎回何も感じなかった。同年代と誰かと仲良くなれた経験のない人間が、今更誰かと仲良くなれる事は無いだろうと思っていたから。そう、教室の隅の机で誰とも話さずぼんやりしていた私にあの子が話しかけてくるまでは。
「あ、あの。」
私はこの時とてもびっくりした。体育等でペアを作る時以外に学校で誰かから話しかけられるのは久しぶりだったから。顔を上げると、そこにはいつも図書室にいたあのいつも図書室に子がいた。同じクラスになったことに、私はその時初めて気付いた。今思い出すと、我ながらどれだけ新しいクラスに興味がなかったんだと思う。
「えっ、あ、はい。な、なんですか。」
思わず声が上擦った。挙動不審な自分が恥ずかしくて、穴があったら今すぐ入りたい気分になって、顔が熱くなった。
「あの、貴方いつも図書室にいる子、ですよね。私、実はいつも話してみたいなって思ってたんです。」
そこから私と彼女…山田加夜子との関係は始まった。
共通の趣味というものがあるとこんなにすんなり他者と仲良くなれるのかと拍子抜けするほど私とロブロイはすぐに仲良くなれた。加夜子とは色んな話をした。私の好きな宮沢賢治の詩集の話、加夜子の好きな太宰治の本の話。
それに生まれて初めて友達の家に遊びに行ったりもした。彼女のお母さんはとても温厚で綺麗な方で、優しく私を出迎えて美味しいマドレーヌを出してくれたのを今でも覚えている。
そうやって彼女と過ごしていく中で、1年が過ぎて私は小学校を卒業した。彼女は隣の市の私立中高一貫校に合格し寮に入り、わたしは地元の中学校に行くことになった。卒業式の日、彼女は「もしよかったら、また遊びましょうね。」と言ってくれた。私は「もちろん。」と答え、彼女のお守り代わりにと作った私とお揃いのすみれの押し花の栞をプレゼントした。彼女がとても喜んでくれたのを今でも覚えている。
でも内心、もう彼女と同じ学校、同じ教室、同じ図書室に通えない事が寂しくて寂しくてしょうがなくて、胸元を掻きむしりたくなるような気持ちになった。
中学校での生活は、加夜子と親しくなる前の生活に逆戻りしたようなものだった。昼休みに図書室に行く度、私はあの小柄な少女を要るはずもないのに探した。
隣の市にある用事で行った際、一度だけ彼女らしき人物を見つけた。でも加夜子は、私と違う女の子と楽しげに喋っていた。そこに割って入る勇気は私にはなかった。
彼女は自分が楽しく生きられる新しい場所を手に入れた。それに対して私はどうだろう。未だに暗がりでうじうじと、教室の隅で惰性で生きている人間だ。きっと今彼女と話すことで私が少しでも心の劣等感を滲ませてしまったら、優しい彼女は傷つくだろうから。彼女と私のお話は、ここで終わりなんだ。
今となってはすみれの栞だけが、あの子と私のかつての繋がりの証だ。あの子はまだ、この栞を持っていてくれているのだろうか。