ターニング・ポイント
【作者より】
今回は魔女マリュシカさん/幼なじみのミリカ
二人の視点でお話です。
◆
魔女のマリュシカはアパートに帰り着くなり、立ち尽くした。
「あぁもう……! いきなり誘っちゃダメでしょ、あたしのバカ……!」
今日知り合ったばかりの少年、ドリィ君を誘ってしまった。もちろん警戒した様子で断られたけれど……助かった。
ワンルームのアパートの部屋の中は、脱ぎ散らかした服や下着類、食べかけの屋台料理の残りなどのゴミが、足の踏み場もないほどに散らかっている。
女子力パラメータは……ゼロ。
それだけならまだしも、裏路地の怪しげな専門店で買った特殊性癖向けの猥褻本も寝台の脇に積みっぱなしだった。
こんなところに純粋で穢れなき少年を連れ込んで良いはずがない。一瞬で逃げられていただろう。
おまけに、血迷って揃えてしまったロープと猿ぐつわまである。
拉致して部屋に監禁、調教して自分だけのものに……って、アタシはバカか!?
「あぁあッ!? 何ここ、これじゃ魔窟じゃない!」
部屋を見回してしばし呆然。やがて我に返って真っ赤になった顔を両手で覆い、仰け反るように天井を仰ぐ。
妄想を実行に移さなくてよかった……。
自分の自制心と理性を褒めてあげたい。
だって、
――ドリィきゅんと話せた……!
今日の出来事は、白昼夢だったのだろうか?
否。
断じて、否。
鈴を転がすような声も、手の温もりも、自分に向けられる眼差しも、全てが本物だった。
可愛くて礼儀ただしい男の子。
ドリィ君がギルドに現れた日から、ずっと目をつけていた。
お気に入りの彼とついに今日、会話を交わすことができた。
それだけではない。遠くから観察するだけだった彼とお近づきになれた。
ぎこちないながらも話をして、色々なことを話した。
一緒にお仕事もした。
それも地下室で、二人きりで。
「……ふっ……ふぉおおおおお……ッ!?」
ヤバイ。
変な笑みがこみ上げてくる。
嬉しい……!
なにこれ超ヤバイ。死ぬの? もしかして、この後死んじゃう?
現実感が伴わない。
けれど、確かにドリィ君は「明日から一緒に仕事をしたい」と言ってくれた。
それってパーティの仲間として?
いや友達という意味で……?
もしかして結婚……?
「いやぁああッ……はぅうあっ!」
魔法の杖を床に放り投げ、マントを脱ぎ捨てて、寝台にダイブする。ギシギシとベッドの上で暴れていると、突然「ドンッ」と安普請な壁を向こうから叩かれた。
「ひぃ!? ……すみません」
女性専用のアパートは入り口のセキュリティは良くて安心できるのだが、なぜか壁が薄い。
声が生活音が漏れるので、隣の部屋に気を使う。特に右隣の中年女性は音に敏感で、いちいち壁を叩かれる。
それはもうどうでもいい。
兎にも角にも、これはチャンス。
人生を変える転換点、折角のチャンスを逃してなるものか。
ドリィきゅんと友だちになりたい。
お部屋に誘うのはその後だ。
まずは魔窟を掃除し、女の子らしい部屋に戻さねばならない。
昔は……こんな部屋ではなかった。
厳しい現実や、汚らしい欲望に滾った男たちに幻滅し、妄想へ逃げ込んでからおかしくなった。穢れのない愛らしい少年こそが理想。
自分だけのものにしたいと夢想し始めた。
しかし、妄想に逃げ込むほど現実とは乖離する。
どんどん現実の厳しく、そして輝ける世界と遠ざかった。
けれど――妄想と現実の間で、優しく手を差し伸べてくれた天使。
それがドリィ君だ。
手を差し伸べてくれた手を、マリュシカは掴んだ。
自分はここから抜け出せる。
ここから一歩を踏み出して、歩き出したい。
変わりたい……。
ううん――変わらなきゃ。
曇ったメガネを外し、ぼやけた視界の先。伸ばした手はまだ何もつかめなかった。
今から変わろう。
ドリィ君は真剣に、自分のスキルを磨きたいと考えている。
不思議な感じのする鑑定スキルだった。
未熟で不安定だけど、訓練次第できっと光り輝く。
そんな気がする成長の可能性を秘めたスキル……!
――ドリィくんの成長……。それを手助けできたら素敵よね。
先輩として、魔女として、出来ることをしてあげたい。
そうすれば本当の友達になれるだろうか?
決めた。
明日からは信頼される「魔女のマリュシカ」になろう。
「よし……! がんばれ、あたし」
◆
◆
◆
「――でね、その魔女さんが僕の鑑定スキルをね」
香油ランプの光が揺れる屋根裏部屋で、ドリィの話に耳を傾ける。
屈託のない笑顔で、とても楽しそうに話す彼。つられてミリカも笑顔になる。
「ふーん、すごいね!」
いつも屋根裏部屋に戻ってくると、ドリィは今日あった出来事を聞かせてくれる。
買ってきたご飯を一緒に食べながら。
髪や顔を熱いお湯で洗いながら。
寝台の隣に腰掛けながら。
寂しかった一人の時間は終わりを告げる。
夜が明けて朝が来るように、心に暖かな光が差す。
ドリィが無事に怪我もなく、元気に戻ってきてくれたことにホッとして、思わず泣きたくなるときもある。
本当は抱き締めたい衝動をこらえ、「おかえり!」と胸に軽くパンチを叩き込む。
それからドリィはいろいろなことを話してくれる。
ギルドで見かけた人の話。
初めてのクエストの話。
珍しいアイテムの話。
目を輝かせながら話し続けるドリィは、何も変わらない。
ずっと前から知っている、幼なじみのドリィ。
まるで冒険を夢見る子供みたい。
可笑しい。
でも、少しだけ変わってしまった。
変わってしまったのは、ミリカのほう。
一緒にいてくれるドリィという存在の大切さ、自分の想いの強さを知ってしまった。
聞き慣れた優しい声、指先の仕草も、向けられる眼差しも、全部、ぜんぶ、好きだということに、気がついてしまった。
辛くても笑い話にしようと取り繕う様子は不器用で、それさえも好き。
幼い頃からずっと友達で、喧嘩もした。
けれど結局は変わらずに友達だった。
病気で思うように脚が動かなくなって、まわりに迷惑をかけても、ドリィは変わらずに友達でいてくれた。
いつ死ぬかもわからないと村の医者からは脅された。
――大丈夫、一緒だよ
――ずっとミリカといるから
その言葉を信じてよかった。
だから今がある。
二人だけの自由。
掴みかけた未来が。
あの言葉に嘘はなかった。きっとドリィは変わらない。
けれど今、ドリィの口から紡がれるのは、知らない誰かの話。
――魔女のマリュシカ。
口下手だけど、子供好きの優しい人。
少し年上で、メガネがまるくて。
未熟なスキルについて真剣にアドバイスをくれた。
仲間として明日から仕事を一緒にしたいって頼んだら、快く引き受けてくれた。
……何よそれ。
どうして女の子なの?
知らない子の話なんて、聞きたくない。
「そ、よかったね」
「うん、頑張ったんだよ。鑑定士スキルも、ちょっとレベルがあがったしさ」
見えない何かを空中で描く。それはドリィにだけ見えているの?
スキル? 私には見えない力。
なんだか……悔しいな。
「クエストにはその人と行くの?」
「多分ね。でも僕は戦闘職じゃなくて支援職だから。何か丁度いいクエストがあればいいけど……」
「無理したらダメだよ。ドリィなんて弱いんだから」
「わかってるよ。もう」
ドリィは寝る支度をはじめた。
壁際にあるミリカの寝台の下に干し草のマットを敷いて、ゴロンと横になる。
南国の夜は薄い毛布一枚あれば快適に過ごせる。
それでも、人肌が恋しいときもある。
「あのね、ドリィ」
「あ、そうだ。マリュシカさんは魔女だから、いろんな魔法が使えると思うんだ。戦いになったら強いのかなぁ……明日、聞いてみよっと」
「……楽しみだね」
「いっ、痛って!?」
ぎゅっ、と脚でドリィの身体を踏んづけた。
寝台の下、床に寝ているドリィに向けてぐりぐりと。
感覚の鈍くなった右脚を押し付ける。
ドリィはくすぐったいのか、変なところを踏んづけられたのか、ダンゴムシみたいに丸くなったり伸びたりする。
えい、えい、くらえ、思い知れ。
「あー、脚がかってにー」
「きゃはは……! やめてよミリカ……もう!」
ふざけあっていると、脚を掴まれた。ドリィの手が足首をつかんでいる。
「痛い」
「あっ、ごめん」
慌てるドリィ。いい気味。
「すこし……撫でてよ。そうしたら治るかも」
「……わかった」
ドリィは床に正座をして、ミリカのふくらはぎや、足首を優しく撫でる。
「そうそう上手、いい眺め」
「ミリカは僕を何だとおもってるのさ……」
お姫様と騎士という柄じゃないけれど、女主人と下僕みたい。
とても気持ちがいい。
もっと触れていてほしい。
「さぁ、なにかしら」
ぽん、とドリィの頭に手を乗せ、髪をくしゃりと撫でた。
「もう……」
でも本当は、守られるだけのお姫様なんて嫌。
以前はドリィになんか負けなかった。
走るのも、木登りも。
木刀でのチャンバラごっこだって。
でも、今はドリィがいないと何も出来ない。
弱くなった自分。
知らない誰かの事を話すドリィに心が乱される。
こんなのは嫌。
悔しい。
変わりたい。
病気にも、知らない誰かにも負けたくない。
――強くなりたい……!
ミリカが深く願った、その時。
視界の奥でチリッと、小さな火花が弾けた気がした。
◆
<つづく>