そして、冒険の始まり
◇
背中に鈍い痛みが走り、僕は床に叩きつけられた。
魔法による攻撃を受けたという事以外、それがどういったものか理解する間もなかった。
「う……あッ!」
「ドリィくんっ!?」
マリュシカさんの悲鳴が聞こえた。
横倒しになった視界の向こうで、黒衣の魔法使いがユラリと動くのが見えた。
「リブラスル……さん、どうし……て?」
ギルド公認鑑定師リブラスルさん。口数が少なくて愛想が無いけれど、仕事に厳しい人だと思っていた。それなのにどうしてこんな……。
「竜核ペレットは頂いていく」
「ダメ! やめて……」
マリュシカさんが咄嗟に、置いてあった陶器の壺を守ろうと、黒衣の魔法使いに立ちはだかった。
「魔女見習い風情が、大人しくしていろ」
リブラスルさんがマリュシカさんに杖を向ける。
途端に黒い煙のような魔法が放たれ、蛇のように絡み付いた。マリュシカさんが苦しそうに喘ぎ、がくりと膝を折る。
「きゃ……うっ……」
「やめろぉおっ!」
マリュシカさんに手を出すなッ!
僕は跳ねるように立ち上がった。
「ドリィ。お前は見込みがない、半人前以下だ。アイテムの真の価値をわかっていない」
邪な本性を現した先輩鑑定師が、表情を変えずに言い放った。冷たい視線が僕を射る。
「そんなこと関係ない!」
無我夢中で僕は飛びかかった。リブラスルに……ではなく、マリュシカさんめがけて。
「――あっ!?」
黒い魔法に触れただけで焼けつくような痛みが走った。そんなことには構わず、マリュシカさんを抱き、足を踏ん張ってその場から離れて距離を取る。
タックルした勢いで、マリュシカさんと二人で床へと転がった。けれど黒い蛇のような魔法からは逃れることができた。
「……賢明な判断だ。それは褒めてやろう」
リブラスルの左手には禍々しい赤い光が渦巻いていた。おそらく僕があのままリブラスルに近づいたら、吹き飛ばされるところだった。
「ドリィくん、壺が!」
「ま、まて!」
慌てる僕らを尻目に、リブラスルが棚へと手を伸ばし壺を持ち上げた。
「竜核ペレット……! 素晴らしい魔力だ。ゴミを集めて、こんなアイテムを作るとは想像もしなかったぞ」
「それは大事なものなんだ……! やっと手に入れた……ミリカのための……」
「お前たちでは持て余すだろう。ワシの野望のために、これは存分に使わせてもらおう」
そう言うとリブラスルは壺の中へ手を差し入れ、一枚の竜核ペレットを取り出した。
闇のなかで怪しく光る赤いコインを恍惚と眺め、そして呪文を口ずさみ始める。
「返せ!」
「だめよドリィくん! 既にあの人の戦闘結界が展開されている……! 近づくのは危険よ!」
マリュシカさんが僕の服をつかんだ。
戦闘結界、それに人払いの結界。ギルドの建物全体が、不可視の力で汚されている。それは僕にも感じられた。
禍々しい邪悪な魔法結界の効果か、夕暮れ時のギルドには人っ子ひとりいない。この騒ぎに反応し、助けにきてくれる人もいない。
僕とマリュシカさんは地下室で居残りの仕事をしていた。
そのせいでリブラスルが展開した戦闘結界の効果範囲から、偶然にも逃れられたのだろう。
リブラスルはあん……と口を開けて、竜核ペレットを舌に載せた。舌に木の根のような赤黒い血管が浮かび上がり、喉から首、顔全体へと広がって行く。
両目が爛々と輝き、燃えるような赤い光を放つ。
「おお……! 竜の力が流れ込んでくるッ! これほどまでとはおもわなんだぞ! 魔法の力が極大化し、新しき力が生まれるゥウウ……!」
「貴方は鑑定師じゃない……! 何者なの!?」
マリュシカさんが呻く。
「……鑑定師とは世を忍ぶ仮の姿、元来は王宮に仕える魔術師よ……!
しかしバカ者共はワシの崇高なる理想を理解せず、ワシを追放しよった……! ゆえに、ギルドの混沌に身を隠し、力のあるアイテムを探し、機会を窺っておったのよ……!」
「それなら、竜核そのものを狙えばいいだろ! 竜核ペレットは……僕らが苦労して作ったものなんだ!」
「竜核そのものは強すぎる。人には馴染まぬ。ゆえに……! これぐらいが丁度よいのだ!」
勝手なことを言うリブラスル。
「さて、久方ぶりに力が満ちた。……我が力、とくと見せてやるとするか」
口角を持ち上げるや、魔法円を空中に描く。複雑な術式を超高速で幾重にも重ね、見たこともない魔法円が立体構造の像を結んで行く。
マリュシカさんが慌てて杖を立て防御の魔法を展開した。
「ドリィくん下がって! あれは召喚術式! 可能な限り時間を稼ぎます……! 逃げて」
「ダメですよ! そんな!」
熱風と焦げたような臭いが押し寄せてきた。
ビチャア……! と蜥蜴人間のような怪物が積層型の魔法円から姿を現した。ドラゴンを思わせる大顎、人間をひどく歪めたような体。全身は黒い細かな鱗に覆われている。
『ギョシュルァアアアア……!』
「やれ。アイテム鑑定所の二人は、呪われたアイテムの事故で死亡……。よくある事だ」
リブラスルがゆっくりとこちらに指を向けた。それに呼応するように蜥蜴人間の黄色い目がギョロリを僕らをとらえた。
『ギシャァアアア!』
と、その時。ばんっ! と弾ける音がして、ギルドの扉が開いた。
のそっ……と大きな人影が入ってくる。
「なんでぇ? 辛気臭ぇ結界だな……。中で何して……おわっ!? 魔物ぉ!?」
「ガ、ガルドさん……?」
「ドリィ!」
続いてミリカも飛び込んできた。
僕とマリュシカさんに気がついて駆け寄ってくる。
「どうしてここに!?」
「遅いから迎えにきたの! 買い物ついでに寄ってみたらギルドの扉が閉じてて……。なんだか凄く嫌な予感がして。困っていたら、ガルドさんが通りかかって……」
「我が戦闘結果に土足で踏み込むとは……! 貴様ッ!」
「はーん? 事情はなんとなくわかったぜ。胡散臭ぇヤローだと思っていたが、正体を現しやがったな? その魔物はおおかた使い魔ってところか、テメー」
リブラスルを睨み付けると、ガルドさんはボキボキと拳を鳴らし警戒する素振りもなく近づいてゆく。
「外側から戦闘結界をこじ開けた……!? 魔法耐性云々じゃなくてパワーで? あれが……竜殺しの勇者の力……」
流石のマリュシカさんも突然の乱入に唖然としている。
でもこれで形成逆転だ。
「脳にクソの詰まった愚か者が」
リブラスルはそれでも余裕だった。左手を持ち上げて魔法を放つ。僕が吹き飛ばされた衝撃波の魔法だ。
「危ない!」
「しゃらくせぇ!」
ガルドさんはなんと、掌で魔法を叩き落とした。
えぇ!? 凄い!
「ばかな!? 衝撃波を寸前で霧散させただとぉ? えぇえい! やれ! 食い殺せ!」
「おらぁ、来いよてめぇ!」
『ギシャララララァ!』
蜥蜴人間とガルドさんは真正面からぶつかりあった。拳がうなり、互いの攻撃が炸裂する。
と、リブラスルがじりっ……と一歩下がった。
逃げ出すつもりなのだ。
「私もやっちゃっていい?」
「ミリカ……?」
ミリカはリブラスルを睨み付けると、腰に巻いていたベルトのバックルを展開。変身のポーズをとった。
「――竜核変身……! 竜鱗魔法装甲形態!」
カッ! とベルトのバックルの輝きに視界が揺らぐ。ミリカは瞬きよりもはやく戦闘モードへの変身を終えていた。
「竜鱗魔法装甲形態!」
マリュシカさんが叫ぶ。
「なっ……!? なにぃい!?」
それ以上に驚愕したのはリブラスルだった。
「その壺、返しなさいよ……!」
ミリカが跳ねた。床板が砕けるような勢いで。
「くっ!」
リブラスルが魔法の結界を盾のように展開。けれどミリカはそれを難なく拳で打ち砕いた。
そして、天井ギリギリまで上空へとジャンプ。
「――マジカル魔法少女……竜衝蹴ッ!」
「なっ、ぐぁっぎゃぁあああああああ!」
再び結界を張ったリブラスルに、ミリカの強烈な蹴りが炸裂した。壺が空中に取り残されるのを、ミリカが素早くキャッチ。
リブラスルはギルドの壁を突き破り、表へと転がりでた。
「ぐ……は……」
口から竜核ペレットが転がり落ちると失神。白目を剥いた。
ほぼ同時にガルドさんの拳が蜥蜴人間の首をへし折る。
「やった……! すごいミリカ!」
「どんなもんですか」
壺を抱え勝ち誇るミリカ。
ずんっ。
脇腹に鈍い痛みがはしった。
ミリカがなぜか僕にキックしていた。
「……え?」
あれ? 落ちる……。落ちる感覚に目をつぶる。視界が歪み、世界がぐるぐる回って、明るい光に包まれる。
はっとして僕は目を開けた。
いつもの天井。
冷たい床板。
寝台の脇からにゅっ、と突き出たミリカの脚。
「――って、夢?」
どうやら僕は、ミリカに蹴り落とされたらしい。
ちゅん、ちゅちゅん……と小鳥の鳴き声がして、窓からは朝日が差し込んでいる。
上半身を起こして頭をかき、辺りを見回す。
どこまでが夢で……どこまでが現実?
「うーん。マジカル……キック……」
ミリカはまだ眠っている。
壁にはベルトがぶら下げてあった。
ミリカの竜核ペレット入りベルトは夢じゃない。その事に思わずホッと胸を撫で下ろした。
「はぁ……」
ひどい夢だった。
でもちょっとだけ、あり得なくもない展開と言うか、妙にリアルな夢だった。
もしかして……予知夢?
だったら嫌だなぁ。リブラスルさんは鼻で笑っていたけれど、竜核ペレットは地下室に隠そう。
「朝だよミリカ」
「んー、ドリィ?」
相変わらずの寝相の悪さに苦笑する。
ベルトを着用し始めてから、ベルトをはずしても少しのあいだなら脚が動くようになってきた。
スキルによる不自由な脚は、徐々に治りつつあるのかもしれない。
そろそろこの狭い寝台に二人で寝るのは限界かも。
今度、お金が入ったら寝台をもうひとつ買う?
いやいや、屋根裏部屋からちゃんとしたアパートに引っ越すのも良いかもしれない。
南の森が見渡せる、眺めの良い部屋なんていいな。
おじさんとおばさんと別れるのは辛いけど、いつまでも甘えてばかりもいられない。
僕らは自分の足で歩いていくと決めたんだから。
「起きて、ミリカ」
「ドリィ?」
赤毛の幼馴染みの頬をつつく。
「今日は冒険にいく日でしょ?」
ミリカは今日、はじめての冒険にいく。
レディースパーティに誘われて。
ちょっと心配だけどマリュシカさんも一緒なので大丈夫。
僕はギルドの片隅で、ミリカの帰りを待ちながら、日がな一日、アイテムの鑑定をして過ごすのだ。
さて、ミリカとマリュシカさんは、どんなアイテムを持ち帰ってくるのやら……。




