醜いあたしと叶わぬ恋
今回はマリュシカさん視点です。
◆
竜が死んだ。
お継母さんに化けて父をたぶらかし、姉を支配下に置き、イーウォン家を食い物にしていた怪物が。
「ざまぁみろ……です」
全身から力が抜けた。
舞台の上に倒れそうになる。咄嗟に支えてくれたのは、姉のマシュリカだった。
「マリュシカ……!」
「……なによ、いまさら……」
いい人ぶらないで。継母と一緒に、あたしを苛めて愉しんでいたくせに! マリュシカはそう言いかけて唇を噛む。
口を突いて出たのは感謝ではなかった。
わかっている。あのイヴォルヴァに操られていたということぐらい。
でも苦しかった。どれほど辛く、心が痛かったか。
誰よりも深く信頼し、繋がっていたと思っていた姉妹の絆はいとも簡単に引き裂かれた。
思わず姉の手を払い除け、そのまま床に両手と両ひざをつく。痛みと後悔がじわりと心を苛む。
床についた手の横で、竜の鱗が白くなり粉々に砕けていた。
「マリュシカ……」
「……放っておいて」
――ドォオオオオオオ!
耳に届くのは、荒波のような地響き。
広場に沸き起こる大歓声。大勇者ガルドという大男が、竜の骨によじ登り、剣を掲げて叫んでいる。
広場では人々が両手をあげ叫び、銅鑼や太鼓が打ち鳴らされている。勇者の勝利にもギルドの人たちの歓喜にも興味はない。
溶けてゆく。
竜が黒い瘴気を発散させながら。
肉が崩れ落ち、赤黒い内臓がシューシューと蒸気を発しながら乾き、灰のように色褪せてゆく。
竜を倒したのだ。
ギルドメンバーのみんなの力で。
最後は勇者くずれの大男と、ミリカのトドメが効いた。
それは良かったと思う。ホッと胸を撫で下ろした。
勝利の転機、反撃の糸口となったのは他でもない。ドリィくんのお手柄だと知っている。
そこはかとない優越感。あたしだけが知っている。ドリィくんのがんばりを。
誉めてあげたい。抱きしめてあげたい。
ドリィくんがスキルで、イヴォルヴァドラゴンの正体を見破ったと知った時は驚いた。彼のスキルで竜の弱点さえも見つけ出せた。
竜核の存在になんて誰も気がつけない。
相手の良いところと見つける、ドリィくんだからこそのお手柄なのだ。
イヴォルヴァドラゴン。
不死に限りなく近い存在、竜種。
それも数百年を生き、人語と知恵と魔法を使う賢竜となり、人間界に紛れ込んで暮らしていた。
本当にあの怪物が、継母さまに化けていたの?
真相はわからない。違うのかもしれない。人間を喰らい、その知恵と人格を取り込んでいたのかもしれない。
人語を操り、知恵をもつ竜とは、本来そういったものだと魔導の本で読んだことがある。
あのとき――動けなくなったミリカさんを、頭から喰らおうとしたように、竜はかつてイヴォルヴァという女性をどこかで喰らい、その記憶と人格を取り込んだのかもしれない。
自分を苛め追放した、継母、イヴォルヴァ。
イーウォン家で唯一の肉親で大好きだった姉との確執、分断を招いた元凶こそがあの継母だ。
「マリュ……」
「……マシュ姉ぇ……」
背中に添えられた手は優しい。
姉は……昔に戻ったのだろうか?
でも、少なくとも追放されるまでの日々は、悲しみとともに深い爪痕を残していた。
継母の歪んだ人格による仕打ち、差し金か、内に潜んだ竜がそう仕向けたのか。今となってはわからない。
今にして思えば、イーウォン家でイヴォルヴァの正体に気づき、秘密を暴ける可能性があったのは、魔法に通じるあたしだけだった。継母や、操られていた姉の仕打ちにも合点がゆく。
でも、もういい。
終わったことを詮索してどうなるのか。
「ごめんね、ほんとうに」
「……姉ぇさん」
「弱くて……。どうしようもできなくて。私……あなたをいっぱい傷つけた」
「あ……」
姉に抱き締められた。
いつぶりだろう。子供のとき以来だろうか。
慈しむ想いは伝わってきた。
顔以外、似ているようで似ていない。双子の姉妹。
この世に残されたただ一人の家族。
「いいの、もう」
そっと手を握り返す。
微かな感傷が、胸の奥で燻っていた。
それもゆっくりと消えてゆく。
竜の血肉が溶け、地面で灰になってゆくのをぼんやりと見つめているうちに、溶けて消えていった。
大好きだったお父様を惑わした女。正体が魔女でも竜でも同じこと。骨を残して白い灰になり土へと還るのだ。
安らかに眠ってください。
だけど。
なんだろう……?
この虚しさと、少しの苛立ちは。
姉に抱かれたまま、ゆっくりと気持ちを整理する。
あぁ、そうか。
安堵は、心の奥底に隠していた、ほの暗い打算、おぞましい計画、悪意の企みがバレなかったことへの安堵なのだ。
あたしはなんて醜いんだろう。
イヴォルヴァドラゴンが大口を開け、ミリカさんを食べようとした、あのとき――。
何か出来たはずなのに一瞬、迷った。
魔力は底をつきかけていた。それでもミリカの脚を強制的に動かすぐらいの魔力は残っていた。あるいは、魔法円の魔力を転換し、竜に発火の魔法を集中することだってできたはず。
なのに――心の何処かで、ミリカが喰われてしまえばいい。という恐ろしい思考が頭をもたげていたのだ。
まるで自分の心に、竜が巣食っているみたいに。
「う、ううっ……」
涙が溢れた。
マシュリカ姉さんは自分が弱くて、ごめんねと言った。でも、もっと弱くて、醜いのはあたしだ。
一瞬でもそんなことを考えていた自分が嫌になる。
寒い。震える。
竜が死に、ドロドロと赤黒い肉が溶けていったとき、自分の醜い内面を見せつけられた思いがした。
苛立ちの原因もその先にあった。
ドリィくんは、ミリカを選んだ。
誰よりも何よりも、自分の危険さえ省みず。
真っ先にミリカのもとへと走っていった。
行っても彼女を支えることしか出来ないのに。下手をすると一緒にブレスに焼かれるかもしれないのに。
それでもドリィくんはがむしゃらにミリカのもとへと向かっていった。
考えてみれば当然だろう。ずっと一緒に、苦労して生きてきた幼馴染み。大切な、ドリィくんの彼女。
そこにあたしが入り込む余地なんて、初めからなかったのだ。
「――マリュシカさん!」
我が耳を疑う。
小鳥のような声に、はっとして目を開ける。
心臓が跳ねる。ドリィくんだった。
ドリィくんがミリカさんを背負って、ヨタヨタと走ってきた。
「ドリィさん!」
マリュシカの代わりに姉が、マシュリカが応じる。
「座ってて」
「私はいいから、マリュシカさんをはやく!」
ドリィくんはミリカを舞台の袖に座らせると、ドタバタと四つん這いになって近寄ってきた。
心配そうに、顔を覗き込んでくれる。
きれいな瞳……。
思わず目を背ける。
「……平気。すこし、疲れただけ」
「よかった……。マリュシカさん。ほんとうに……ありがとう」
ぎゅっと手を握られた。温かくて優しい。
「あ……」
「みんな感謝してます! ミリカもギルドのみんなも! やっぱり。マリュシカさんは凄い魔女さんです!」
キラキラの瞳に弾んだ声。
「あふぉっ!?」
ドリィくんに抱きつかれている。なんてご褒美!?
おかげで体温が急上昇。きっと顔も真っ赤なはず。
休息に意識が沈んでゆく。
「あれっ!? マリュシカさんっ!?」
でもそれは、とても安らかな安堵とともに。
きっとドリィくんがそばにいるからだ。
やっぱりあたしはドリィくんが好き。
叶わない想いで構わない。
このまま好きでいさせて。
それぐらい……許してくれるかな。




