これは戦略的撤退です
「しっかり掴まっててくだせぇ、お嬢様がた!」
御者さんが叫んだ。鞭打たれた馬が嘶き客車が大きく揺れる。
「あわわっ!?」
「きゃあっ!」
馬車は急発進して一気に加速。お屋敷から駆け下りる緩やかな坂道は轍や凸凹があり、客車が激しく跳ねた。
「痛っ!」
「ドリィも座って!」
客車の天井に頭をぶつけて座り込む。ギシギシと悲鳴を上げる客室の中で、ミリカはマシュリカお嬢様と互いに身体を支えあっている。
「ミリカこそ平気なの?」
「あの竜のせいだと思うけど、脚が動くの」
「棚からボタモチ」
「瓢箪からコマ?」
ことわざを言いあってクスリと笑う。僕の心配をよそに、ミリカの脚は大丈夫みたいだ。しっかりと床をふんばって揺れに耐えている。
イヴォルヴァドラゴンと遭遇したことによる思わぬ副作用。けれど喜んでもいられない。
ドォン! と、背後で鈍い爆発音が響いた。
慌てて小窓から後ろを見ると、イーウォン家の敷地から黒煙が立ち昇っていた。
イヴォルヴァドラゴンが破壊的なブレスを放ったに違いない。衝撃波を伴うブレスは地竜特有の攻撃だったはず。
「ジョシュア……!」
マシュリカお嬢様が心配そうにつぶやいた。
お嬢様や僕らを逃がすため、老執事さんは素手でドラゴンに立ち向かった。僕にはとても出来ない勇敢な行動は、命がけでお嬢様を守ろうとする決意の表れに他ならない。
無事で居てほしい。祈る事しか出来ない自分の無力さが歯がゆい。
しかし、煙の中から黒い巨体がヌッと現れた。
『――ウグァオアア! 逃がさぬゾォァ! アタシの……数百年の安寧を破り……愉悦を終わらせた罪……! その矮小な命で贖ってもらうぉああゴァアアッ!』
竜の咆哮は、距離が離れていたにもかかわらず、人語としての意味を成しながら耳に届いた。
お屋敷を囲む塀を崩し、こちらに向かって猛然と走り始めた。ズドドと地響きがする。
「来た!」
「追いかけてくるわ!」
身を低くして疾駆する姿は、巨大なトカゲのよう。見た目はそんな可愛いものじゃない。全身から生えたトゲ、ギラギラと鋼のように光るウロコ。馬でも一撃で噛み砕きそうな大顎。
悪夢のような怪物が、土埃をあげて猛追してくる。
「チッ追い付かれる……! 高速コーナリングいたしやすぜ!」
御者のおじさんが叫んだ。馬車の操作にかなりの自信と腕に覚えがあるのだろう。前だけを見つめ馬の手綱を巧みに操っている。
「ここだ……! ドリフトォ!」
御者のおじさんはガッ、と御者席にある独立式のサイドブレーキの左レバーを強く引いた。
途端に金属音が響き左の車輪から火花が散った。
「ひぇええッ!?」
「あわわわ!?」
馬車はほとんど減速もなしに、下り坂の先にあるコーナーをすごい勢いで曲がりながら駆け抜けた。
「すごいテクニック……!」
客室が大きく傾き、転がりそうになるのを必死で耐える。大きくバウンドし、車輪が一斉に火花を散らす。車輪が石畳を踏みしめた音を響かせた。
「操馬スキルは健在でさぁ……!」
御者さんが楽しげにガッツポーズ。馬車が、大通りへと通じる道へと出た。
「大通りだ……!」
左右に街路樹が植えられた幅広い通りには、何台もの馬車が行き交い、人々も大勢歩いている。
「どけどけぇ! どいてくだせぇえ!」
御者のおじさんが必死で叫びながら、カンカンカンと鐘を打ち鳴らした。
「なんだ!?」
「イーウォン家の馬車だ……!」
御者席の横に付いている火急を知らせる鐘の音に、道行く人たちが慌てて道路の左右へと転がるように逃れる。
悲鳴をあげて避ける人もいれば、猛スピードの馬車に抗議の声をあげる人もいる。
でも本当の驚きは真後ろから迫っていた。
『――ゴガァアアアアアア!』
勢いを付けて追いかけてきたイヴォルヴァドラゴンが、さっきのコーナーを曲がりきれず、通りの反対側へ突っ込んだ。
「なんだぁあ!?」
「モンスターが街中に!?」
「きゃぁッ!?」
爆発がおきたみたいに色々なものが砕け、飛び散った。
大人の脚ほどもある街路樹がへし折れ、営業していた屋台を破砕する。レストランの軒先に並んでいたテーブル席を次々と吹き飛ばしながら、イヴォルヴァドラゴンが横転した。
「ば、化け物だぁああ!」
「逃げろぁおおお!」
大通りは、突然の怪物の出現に大パニックだ。
「メチャクチャですわ……!」
「怒りで我を忘れてる! あのドラゴン、ドリィを狙ってるのよね?」
「えっ、僕?」
「正体を見破っちゃったのはドリィだし」
「そ、それはそうかも……」
よく考えたらミリカの言うとおりだ。
正体を暴かれたことで激昂。もはや怒りだけで暴走しているとしか思えない。
僕が馬車を降りて囮に! と言えばいい?
「馬車を降りて囮になっても、食べられるだけよ?」
「心を読むなよ!」
「ドリィには無理だから、そういうの」
「う、うるさいなもう」
ミリカが悪戯っぽく笑う。
「うふふ。お二人は本当に仲がおよろしいのですね」
こんなときだと言うのに、マシュリカお嬢様もマイペース。
でもこの感じ……ちょっとマリュシカさんに似ているかも?
「逃げるのはいいけど、なにか作戦はあるの?」
ミリカが窓から後ろを振り返る。
「逃げてるわけじゃないよ。これは戦略的撤退っていうやつ。ギルドのほうに誘い込んで冒険者たちに倒してもらう作戦だよ」
悔しいので言ってやる。僕にだって考えがある。
「すごい他力本願」
ミリカが呆れたと目を丸くする。
「仕方ないじゃん」
戦闘スキルがあるとか、魔法が使えるとかなら戦うけど。あんな怪物に成り果てた相手に、僕が出来ることは……あるかな? うーん。
「ちいっ! しつこいヤツですぜ!」
御者席のおじさんが叫んだ。
『――待てゴリュァアアア!』
背後からは黒い竜が追いかけてくる。
石畳を踏み砕き、長い尾を振り回し、街路樹や露店を破壊しながら猛追しており、それに伴って街の被害も拡大している。通りかかった馬車が次々に急停車し、人々がその姿を見て恐怖に叫びながら逃げ惑う。
「広場だわ!」
けれど追いかけっこは終わりを告げた。目的地に指定したギルドのある中央広場が見えてきた。
「噴水に沿って回り込んでください!」
「まかせときな!」
僕は客車ごしに御者さんに叫んだ。
馬車はいよいよ広場へと差し掛かる。広場は黒山の人だかりだった。
「すごいひとだかり!」
「大道芸を観に来ている人よ!」
ミリカの言うとおりだ。ガルドさんが飛び入り参加している大道芸の一座。その公演が行われている最中なんだ。
「いけねぇ、すごい人でさぁ!」
御者さんが慌てて鐘を打ち鳴らしながら馬の手綱を引き、全力でブレーキをかける。
客車を斜めに傾かせ車輪を軋ませながら減速。大勢の人たちが引き波のように避ける広場へと突っ込む。
「きゃああっ!」
「停まりやがれぇえっ!」
勢いのついた馬や馬車は簡単に止まらない。慌てて逃げ出す人たちの悲鳴の中、車輪が火花を散らし、車体が傾く。
ギルドの建物前に差し掛かった。誰も轢かれないことを祈りながら、ドアを蹴破るように開ける。
「てぇい!」
何事か!? と店内から飛び出してきた冒険者の人たちや、ギルマスさんたちの姿があった。
「ギルマスさんっ! あれの討伐、お願いしますっ!」
「ドリィ!?」
僕の声は群衆の声と悲鳴にかき消された。
けれど後ろに向けて大きく身振り手振りで「後ろ! 後ろ!」と合図を送る。
すると、ギルマスさんも冒険者さんたちも、周囲に居た群衆たちも。一斉に視線を向けて……唖然となる。
「ドドド、ドラゴン!?」
ドラゴンだぁああああああ! と言う悲鳴が一気に伝播する。広場は大騒ぎとなった。
「嘘ぉお!? 街中にドラゴンですってぇえ!?」
追いかけてくる黒い巨体。イヴォルヴァドラゴンを見るや、悲鳴じみた叫びをあげた。
「何しているの、討伐よ! クエスト代金は弾むわよぉおお!」
「うぉおおお! 竜狩りだ!」
「行くぞ野郎ども」
ギルマスさんが拳を振り上げて野太い雄叫びをあげた。
流石は海千山千のギルマスさんと冒険者たち。兎にも角にも、剣を持った戦士職の人たちがワラワラと隊列を組み、戦闘態勢を整える。魔法使いや魔女などの姿も見える。
「敵はドラゴンだが臆するな!」
「俺たちAランクパーティの名を馳せる時だ!」
「おうっ!」
さすがは戦い慣れた冒険者たち。唖然、呆然と立ち尽くす衛兵たちとは即応能力が違う。
僕らの馬車はその間に、車体を真横にスライドさせながら、広場の中央付近で停車した。
ドシャン! という衝撃が客室を揺さぶる。
「止まった!」
「大丈夫ですかお嬢様……!」
「えぇ、ミリカさんこそ」
「あわわ、これは……なんなんだぁ!?」
道化の化粧を施した人が頭を抱えてへたりこんだ。気がつくと周囲には、大道芸の団長さんや出演者さんたちが目を丸くして立ちすくんでいた。
どうやら僕らの馬車は大道芸人のステージに激突して停まったらしい。
「こっちへ!」
ミリカとマシュリカお嬢様の手を引いて、ステージへと逃れる。周囲を取り囲む群衆に紛れると危険だからだ。
『ゴガァアアアアア!』
イヴォルヴァドラゴンが広場へとついに侵入した。
僕らを見失ったのか、立ち止まり周囲を見回し苛立たしげに咆哮する。
突然のドラゴンの乱入に悲鳴があがり人々は蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。逃げ場を失った群衆たちは青ざめた顔で右往左往するばかり。
一台の馬車が砕かれたのを合図に、ギルド前に集結した十名ほどの即席パーティたちが戦闘を開始する。
「いくぜ! オレらAランクパーティ『三日目のカゲロウ』の力をみせてやる!」
「あたしたち『綺麗な墓標』こそドラゴンの首をいただくわ!」
「ソードスキル発動ッ! 三連撃!」
「貫け、魔法の矢!」
戦士職のリーダーが剣で挑むのと同時に、魔女さんパーティが魔法の攻撃を放つ。鋭い剣撃の音と眩い閃光。衝撃が広場全体を揺るがした。
「やったか!?」
僕は手に汗を握りしめていた。
けれど――
『……効かぬわ! 人間どもゴファアア!』
イヴォルヴァドラゴンは無傷。ノーダメージだった。
「なっ、なにぃ!?」
「剣撃が……通じねぇ!」
「魔法が弾かれた! なんて魔法防御力なの!」
シュゴァアアと、イヴォルヴァドラゴンがゆっくりと胸を膨らませ始めた。
「やばい! ブレス攻撃がきます!」
僕はイヴォルヴァドラゴンと対峙するパーティのメンバーたちに叫んでいた。
そして、イヴォルヴァドラゴンと目があってしまった。




