イヴォルヴァドラゴン
マリュシカさんを苛めていた継母――イヴォルヴァさんの正体は竜、ドラゴンだった!
イヴォルヴァ(人間体):堕竜種として最後の生き残り。悠久の時を生きた、偉大なる賢竜の血をひきし存在。人語を操り、人間と同じ美味美食を好み、金銀財宝を愛する――
「……まるで欲深い人間みたいですね。それが竜としての貴女の、良いところなんですね」
スキルの効果は、人間でもゴブリンでも、そしてドラゴンだって変わらなかった。
「それがアタシの良いところだってぇのかい、小僧ッ!」
唇の端に赤い切れ目が入り、口が耳まで裂けた。
歯茎をむき出しにして、イヴォルヴァの顔が醜く歪む。
身体が徐々に肥大化し、ドレスが裂ける。露出した肌はみるみるうちに黒ずんで、蛇のようなウロコに覆われてゆく。
「そうです。僕のスキルは、相手の取り柄を見つけることです。アイテムなら良い使い方を、生き物なら相手の良いところを」
自分でも驚くくらい冷静だった。
泣き叫んで腰を抜かしてもいいくらいなのに。
この状況でも舌は回り、頭は冴え渡っている。
支えているのはミリカの存在だった。僕が守らなきゃいけない。なんとしてもこの場を切り抜ける。
「それで……見抜けただとォオオ!? バカな! このアタシの……竜血の魔法を!? 堕竜種たるアタシの真の魔法を……! お前のようなちっぽけで矮小な、取るに足らない存在が、破ったというのかぁ!?」
ちっぽけで悪かったね。
「すみません。でも、わかっちゃったんですから」
僕の横でミリカは声も出せずにいる。
庇ったままの体勢で、ぎゅっと手を握る。
マシュリカお嬢様は、イヴォルヴァが変貌してゆくすぐ横で、虚ろな目で座っている。空になったカップを口につけ、呆けたように。まだ心が支配されたままなのだ。
「ウグゥウ、迂闊だった……! あの娘の、魔法ばかりを警戒していた……! いや……あの娘の魔法の波動だ! 運命の糸を手繰りよせるように、お前を……ここへ招き入れたのか!」
「そんなの知りませんよ。マリュシカさんはいい人です。僕の先輩で、大事な友達なんです!」
僕は今、伝説級のドラゴンを目の前に対峙している。
会話を交わしている。
あまりにも現実離れしていた。
楽しいお茶会から一転、イーウォン家を牛耳る当主が、正体を現し、醜い怪物の本性をあらわしたのだ。
僕は左手首の御守り、ミサンガを引きちぎった。
――緊急事態です。マリュシカさん!
気づいて下さいと祈るような気持ちで。なんとか逃げ出してマリュシカさんと合流するしかない。
イヴォルヴァは顔を両手でかきむしり、身をよじった。
「アァ解ける……ッ!? アタシの……姿がァアア!」
僕が見破ってしまったことで、彼女の「擬態の魔法」が解けつつある。
本当は真の姿を晒すつもりなんてなかったのだろう。
人間の姿でイーウォン家に潜りこみ、美味しい物を食べ、金銀財宝を集め、良い思いをしながら暮らしていたのだから。
僕はミリカの腕をつかんで立たせた。
「立てる?」
「ドリィ……!」
「静かに」
今すぐにでも逃げ出したいけれど、無理だ。ミリカを抱き抱えて逃げ出しても、追いつかれてしまう。
それにイヴォルヴァのすぐ横にはマシュリカお嬢様もいる。マリュシカさんのお姉さんを放っておけない。
「数百年……どんな魔法使いにも、見破れなかった! 忌々しい魔女にさえ見抜けなかぅたアタシの完璧な魔法が、崩れるッ! 溶けてゆく……! アアア、おのれぇええ! この姿を……どうしてくれるゥウ!?」
怒りと憎しみのこもった声は、もはや人間のものではなかった。顔も竜と人間を無理矢理混ぜた、子供の落書きみたいな怪物に変わっている。
「うぅゴゴァアアアッ!」
椅子がくだけ散った。尻から長い尻尾が伸び、それを振り回しただけで粉々に砕けたのだ。あの怪物の戦闘力は計り知れない。僕らを殺そうと思えば簡単に殺せるだろう。
「…………? きゃ!? キャァアッ!?」
ようやくマシュリカお嬢様が悲鳴をあげた。手からカップが滑り落ち、足元で砕ける。
支配の術が解けたのだ。
イヴォルヴァがドラゴンに戻ることで魔法が不安定になったのかもしれない。
「マシュリカさん! こっちへ!」
「ななな、なんなのおぉおお!? か、怪物がぁああっ!」
マシュリカさんはパニックになりながらも、僕らの方へとやってきた。こんな時だというのに、ドレスのスカート部分の両端をつまみ上げて走るあたりは、流石にお嬢様だ。
「ミリカさんもご無事で!?」
「お嬢様……私は平気です!」
マシュリカさんはミリカの手をとった。
脚が悪いのを気にしてくれている。やっぱり本当はすごく優しい人なんだ。
「マシュリカさん。あの怪物は……お継母さんです! 怪物が化けていたんです!」
「そんな――――!?」
マシュリカさんの瞳が驚愕に見開かれる。
でも僕の言葉を信じるに足る証拠があった。
変化を続けている怪物の体のあちこちにドレスの切れ端がまとわりついている。首には首輪のようなネックレスが食い込んでいた。
あれらはついさっきまで、イヴォルヴァが身に付けていたものだから。それを見てマシュリカさんが状況を飲み込むのに一呼吸もかからなかった。
「お継母さまが……怪物だったなんて……」
「ドリィ……! 脚が」
「ミリカ?」
「動く…の…!」
その時、ミリカが信じられないことを口にした。
「まさか……ドラゴンが目の前にいるせいで……」
「かもしれない。あのおばさんの姿を見てから、脚がずっとムズムズしていたの。今は感覚もしっかりしてる。これなら……きっと走れるよ」
ミリカが強い意思を感じさせる瞳で僕の顔を見た。怖がって怯えている様子もない。いつもの元気なミリカの顔だった。
「うん、動ける」
バランスをとりミリカが立ち上がる。地面の感触を確かめるようにトントン、と靴底で芝生を蹴る。そして屈伸してみせる。
「いける?」
「もちろん」
「よし、それなら」
三人で逃げよう。
僕とミリカ、そしてマシュリカさんと視線を交わす。
考えは同じだった。ダッシュで逃げる。
走って建物の陰に逃げる。
庭から庭園を抜ければ、その先で馬車が待っているはずだ。もし、お屋敷のみんながイヴォルヴァの支配から解放されているのなら、逃げ出すチャンスだ。
「ウゴァアアア! 」
肩と両脚が筋肉質に盛り上がり表皮が硬い鱗を成してゆく。背中にはノコギリのようなトゲが次々と飛び出した。
黒々としたウロコに覆われた、完全なる竜。
翼のない地を這うタイプのドラゴンと化す。
『――――ヴォゥツ!』
イヴォルヴァは空を見上げて胸を膨らませた。
一拍の間があって、首を振り下ろす。
「逃げろっ!」
「きゃあっ!」
「ええいっ!」
三人で踵を返してダッシュする。
ミリカの手を握っていたけれど、僕が引っ張られた。
「速いッ!?」
「嘘みたい!」
ミリカが先頭でマシュリカお嬢様と僕の手を引いて逃げる、芝生の庭を駆け抜けたとき、背後で何かが弾けた。
バァンと音がしてテーブルや椅子、芝生の地面が爆発していた。
ブレス攻撃……!
イヴォルヴァドラゴンが破壊的なブレスを放ったのだ。
「やばいやばい、やばいって!」
「あああ!? 信じられない、何これ!?」
ミリカが悲鳴をあげる。でもどこか楽しそうな声色で。
『ブファ……! マァデェァアア、逃がさぬゾァアア……!』
ドス、ドスドスと鈍い振動が伝わってきた。
イヴォルヴァが追いかけてきている。
振り返ると、馬よりも大きなドラゴンがこちらを睨みながら追いかけてくるのが見えた。
「きたぁああ!?」
「ドリィいいから前見て!」
「まぁ!? まぁあっ!? あららっ!?」
マシュリカお嬢様も本気モードになったのか、服の裾をまくりあげて走り出した。
館の角を曲がり、花の咲き乱れる庭園を駆け抜ける。
「きゃぁああああ!?」
お屋敷から顔を覗かせたメイドさんや、庭の隅にいた庭師さんたちが驚き悲鳴をあげる。
「か、怪物が!」
「うわぁあああっ!?」
と、前方のお屋敷を取り囲む壁の出入り口、鉄門扉が開き馬車がスタンバイしているのが見えた。
御者さんがこちらを見て、客車のドアを開け
「――って!? なんじゃありゃぁあああ!?」
と悲鳴を上げた。
『マガァデェゲエエエエ!』
庭の草木をへし折りながら、花びらや木の葉を舞いあげながらドラゴンが迫ってくる。
「馬車を!」
マシュリカお嬢様が叫ぶと、御者さんが慌てて御者席へと飛び乗った。
追い付かれる!
と思った次の瞬間。
「たあっ!」
飛び出した人影があった。加速して庭園を駆け抜けると、太い庭木の幹を蹴りつけて飛翔。向かってくるドラゴンの首を靴底で蹴りつけた。
『――ヴァアアア!?』
ズゥム! と衝撃音と共にイヴォルヴァドラゴンが進行方向を変えられ、庭木の幹に激突。ズズズンと土ぼこりをあげながら横転する。
「ジョシュア……!」
それは老執事さんだった。
「お嬢様お怪我は? お客人も……!」
「か、かっこいい……!」
「素敵……!」
僕もミリカも思わず拍手。
「平気です! それより貴方は皆様の避難を!」
「承知。お嬢様とお客人は馬車で避難を」
老執事さんが丁寧にお辞儀をする。
その背後でイヴォルヴァドラゴンがのそりと起き上がるのが見えた。
僕はそこで息を飲んだ。
イヴォルヴァドラゴンの背中のウロコが、一枚だけ剥がれて無くなっていた。今の衝撃で取れたわけじゃなくかなり古い傷のように見えた。
「ご武運を!」
僕らはその隙に馬車の客室へと飛び込むことができた。マシュリカお嬢様を先に、次にミリカと僕が乗り込む。
『――ウゴァアア……! 貴様ァアアア! 主を……足蹴にして、許されると思うなヨガァアア……!』
イヴォルヴァドラゴンが吠えた。お屋敷や馬車の客室の窓がビリビリと震えるほどだった。
「さて、私は醜い怪物に仕えた覚えなど、ございませんが?」
ザッ……! と老執事さんが身構えた。
素手で戦う構えは、徒手空拳。相手を素手で圧倒する体術系のスキルだ……!
「馬車を!」
マシュリカさんが叫ぶと視界が変わった。一瞬で馬車はお屋敷を飛び出して市街地へと向かって走り出した。
「ギルドへ! あそこなら戦える人が大勢います!」




