ミリカお茶会への誘い
「妹……って? マリュシカさんが?」
「えぇ。私の妹。あなたはギルドの関係者さん?」
驚くミリカの顔をお姫様は覗き込んだ。
きれいな人。この人が本当にマリュシカさんのお姉さん?
姉妹と言われれば似ている気がする。瞳の色は青くて髪の色はシルバー。メガネはかけていないけれど二重まぶたの美人さん。ということはマリュシカさんも美人なの!?
でも雰囲気はずいぶん違う。
「いえ。友達がギルドに登録していて。あ、わたしはミリカっていいます」
「ミリカさんね。私はマシュリカ。ところで、どこか痛みますか?」
「多分、平気です」
骨には異常はない。着地のときにすこし打撲はしたけれど。
「っと、あれれ?」
ミリカは立ち上がろうとしたが力が入らなかった。
両脚の感覚が失われている。咄嗟に発動したスキルの反動だろうか。これもマリュシカさんが言ったとおりだ。
「怪我がなくても、立てないみたいね」
「す……すみません」
お姫様が支えてくれていなければ、倒れ込むところだった。
「ジョシュア!」
赤いドレスのお姫様が一声かけると、老紳士が素早い足取りでやってきた。背筋がすっと伸びた紳士の身につけている服はシンプルでシワひとつ無い。
「あちらのご婦人たちと、話をつけてまいりました」
柔らかい物腰でお姫様に耳打ちする。
老婆二人に視線を向けると、意気揚々と去ってゆく。手には銀色に光る硬貨が見えた。怪我がないことを確認し、銀貨を渡し話をつけた……ということらしかった。
「こちらのお嬢様は杖を無くされたわ。ご自宅までお連れして」
「はっ、かしこまりました。では……失礼いたします」
折り目正しく一礼するとミリカを軽々と抱き上げた。
「きゃっ、ちょっ……!?」
「ご自宅までお送りいたします」
馬車へ歩み寄り、静かに客室の座席へミリカを座らせる。
「いっ、いえいえいえそんな!」
「その脚では歩くことさえままならないでしょう。ご自宅の場所を教えていただければ」
「……すみません」
ミリカは縮こまりながらも、お言葉に甘えることにした。
なんだかとんでもないことになっちゃった……。
赤いドレスのお嬢様に続いて、老紳士が客室へ続いて乗り込む。
老紳士が合図を送ると御者が馬の手綱を操り、馬車はゆっくりと進みだした。
「改めまして。私はマシュリカ・イーウォン。イーウォン家の当主代理をしております」
「イーウォン……」
聞いたことがある。下宿している銀細工の工房で、おじさんとおばさんが「イーウォン商会から仕入れを」と、会話していた。どうやらリューグティルの市場や物流を支える大きな業者がイーウォン商会と呼ばれているらしい。
つまりこのかたは偉い人の娘さん?
代理ってことは当主はお父様なのかな……?
「ミリカさんの杖は弁償いたしますわ」
「あれは……ただの棒ですから」
洗濯を干す時に使う棒で、弁償してもらうほどのものではない。すると老紳士が銀貨五枚をそっとミリカの手に握らせた。
「お受取りください」
「こんなに……!?」
「驚かせてしまったお詫びです。それと……ご自宅に着くまで、妹の様子を教えていただけませんか?」
マシュリカお姫様の意外な申し出に、ミリカは戸惑う。
妹さん、マリュシカさんの様子を? どうして?
つまりご一緒に暮らしていない、ということかしら。
まるでお姫様のようなお姉さんと、魔女の妹さん。どんな事情があるか知らないけれど、それそれ違う人生を歩んでいる。
きっと他人が踏み込んではいけない秘密があるのかもしれない。
ミリカは自分が感じた限りの印象を話すことにした。馬車が下宿に着くまでは十分もかからないだろうから。
「マリュシカさんとは知り合って間もないんです。ギルドでわたしの友達がお世話になっていて……。そのつながりで脚を診てもらったんです。魔法の目で病気かどうかを診断してくれて嬉しかったです」
「そう……」
ミリカの言葉に真剣に耳を傾け、目を細めるマシュリカ。
「あ、私の友達はドリィっていうんですけど、マリュシカさんとずっと一緒に働いてて……。ドリィはすごくいい先輩で素敵な魔女さんだって言っていました」
「素敵な魔女さん……」
マシュリカさんは少し驚いたように目を瞬かせた。ほっと安心したように口元に柔らかい笑みをうかべる。
「元気で上手くやっているのね。お母様に聞かせて差し上げたいわ」
「妹さん……マリュシカさんとはお会いになっていないのですか?」
立ち入ったこととはわかりながら、話の流れで聞かずにはいられなかった。
「会えても話はできないの。妹は……全てを背負わされたから」
「え……?」
どういう事だろうか。意味がわからなかった。お母様と姉妹の関係など、話しているだけでは計り知れない事情がありそうだ。けれどミリカも尋ねるわけにもいかない。
「お嬢様」
「わかっています。ジョシュア」
老執事がマシュリカお姫様に対し「いけません」と無言で制した気がした。
お姫様はそれきり口をつぐんだ。
やっぱり何か事情があるっぽい。会話はそこで一度途切れ、ミリカもそれ以上話すことはしなかった。
やがて馬車は下町の路地裏へと進み、水場のある広場の端で停車した。
「あそこです」
下宿している工房はもう目と鼻の先だ。
「なんと、フリューダ師の工房の娘さんでしたか!?」
「いえ、わたしは娘じゃなくて、下宿しているだけでして」
執事のジョシュアが驚きミリカの顔を見つめる。
「そうでしたか。これは重ねて失礼をいたしました……。実はわたくし、ご当主様の御使いで、こちらにドレス用の銀細工を受け取りに来たことがあるのです」
ご当主様のドレス。
つまりお母様がご当主さまということだ。
「そうなんですか……!」
考えてみれば当然かも知れない。高級な金や銀の細工など、お金持ちしか買えない。どうやらイーウォン家も、工房のお客さんの一人だったらしい。
「ではご挨拶がてら、ミリカさんをお連れいたします。お嬢様はここでお待ち下さい」
老紳士ジョシュアが礼をしながらミリカの手をとった。静かに腰を浮かせると、立てた。
脚も少し回復し動くようになっていた。
「任せるわジョシュア」
「はっ」
「それと……ミリカさん」
「はいっ?」
「こんど家にいらしてくださいな。お友達もご一緒に」
「いっ、いえいえいえそんな……!」
ぶんぶんと首を振り、恐縮至極のポーズを取る。
社交辞令やお金持ち特有の遠回しな「嫌味」だろうかと警戒する。
一体どんなお屋敷か想像もつかない。着ていく服もない。というか、服を買いに行く途中だったことをすっかり忘れていた。
「お願い。お話をもっと聞きたいの。こっそりと……ね」
小声で、いたずらっぽい表情に変わる。
「でも、無理です……私なんて」
ぎゅっと服の裾を掴む。街で一番のお金持ちのお屋敷なんて、貧乏人がいける場所ではないことぐらいわかっている。
ボロ着でのこのこ出かけていっては、きっといい笑いのものだ。
「……コホン。使用人たちが午後の休息、お茶会をしている時間でしたら庭先の出入りも自由にございます。気軽にいらっしゃれると思いますが」
ジョシュアが背筋を伸ばしたまま、お嬢様にそっと提案する。
「なるほど。そこなら気軽に話もできそうね、ミリカさん。そうだわ……! 銀細工を持ってきてくれるついでなら、来る理由もあるのではございませんこと?」
ぽん、と手を軽く合わせ微笑むお姫様。
どうやらマシュリカお嬢様は本気らしかった。
「ご妙案かと」
「ちょうど例の新しいドレスに飾る細工が欲しかったところなの。青いから銀細工が映えるだろうし」
「ではお店に依頼をしてまいります」
「お願いするわ」
全て承知とんばかりにジョシュアが頷く。
「というわけで、お家に届けてくださいね。使いの馬車はこれをよこすから」
「は……はい」
ミリカは引きつった笑顔で頷くしかなかった。
◇
僕は文字通りびっくり仰天した。
夕方になって家に戻り、ミリカから一日にあった出来事を聞いたからだ。
驚きポイントがありすぎて「えぇ!?」だの「はぁ!?」「嘘でしょ!?」だの、感嘆符を豊富に交えた悲鳴を上げること数えきれないほどだった。
まずはミリカが馬車に轢かれそうになったこと。
話を聞いた時、心臓が止まりそうになった。
場面を想像したらもう身が引き裂かれる気分になった。
怪我がなかったとはいえ心配で心配で……。
無理ちゃダメだよといっているうちに泣きそうになった。というか、ポロポロ泣いていたらしく、ミリカにケラケラ笑われた。
もう、心配したのになんなのさ!
第二の驚きポイントはミリカのスキルだ。
ギリギリ限界のピンチで発動できた。
お婆さん二人を抱えて跳べるほどのパワーと瞬発力。
これがマリュシカさんが言っていたスキル『竜血呪種』なのだろう。
そして予想されていたとおり反動は大きくて、一秒ぐらいの発動だったのに、十分以上脚に全く力がはいらなかった。感覚が戻ったのは半日ほど経ってからだという。
「やっぱり安全に、安定的にスキルを使うにはドラゴンに関係するアイテムと……」
「魔石でしょ。ドリィが昨日書きだしたとおりね」
ミリカが壁に視線を向ける。
そこには紙に「僕らの目標」が張り付けられている。
節約! 一致団結!
・ドラゴンのアイテムを手に入れる
・魔石もついでに手に入れよう
第三の驚きポイントはマリュシカさんのお姉さんのことだ。
マシュリカさん。
言い間違えそうだけど、姉妹でおそらく双子じゃなかろうか?
しかも実家が大金持ちだったなんて。
マリュシカさんはあまり自分の身の上話をしない。
言いたくないのかもしれない。
でも、流石に今日の出来事と出会いについて、黙っているわけにもいかない。
明日ギルドに行ったらマリュシカさんにお姉さんのことだけでも聞いてみよう。
最後の驚き……というか問題はお茶会へのご招待だ。
銀細工を運ぶついでに、使用人のお茶会へ。
とんでもないお金持ちの家……。
僕らにとっては別世界。雲の上へいくみたいな話だ。
なんだかもう想像もできない。
「私もね、なんだかもう夢みたいな話で……はぁ」
「うーん。おじさんとおばさんはなんて?」
「喜んじゃって。わたしに服をくれるって。おばさんの若い頃の古着を仕立て直して……」
「よかったね!」
ミリカのおかげで、銀細工のフリューダ工房に新しい仕事が舞い込んだらしい。怖い顔のおじさんは弟子の細工職人さんとさっそく仕事に取り掛かっている。
カンコンカンと軽やかな音が、夕飯の香りに交じって聞こえてくる。
下宿させてもらっている恩をすこしは返せただろうか。
「よくないわよ。お茶会とか無理……! 怖いんだけど!? ぜったい貧乏人だからってイジメられるし……うぅ」
ミリカにしては珍しく後ろ向きだ。膝を抱え寝台のうえで転がっている。
「考えすぎだよミリカ。銀細工を運んだついでにお茶をご馳走になるだけでしょ? 別に嫌ならすぐに帰ればいいし……大丈夫でしょ?」
「ドリィは前向きで気楽でいいわね……」
「大丈夫でしょ。別に……。っていうか大丈夫だいじょうぶってミリカがいつもいうセリフじゃん」
「それとこれとは話が違うの、ドリィのばか!」
「いつも屋台で焼き菓子を食べてるのに……」
「それとは全然ちがうわよ」
髪をどうしようとか、靴が無いとか、頭を抱えてブツブツいっている。
女の子はめんどくさいなぁ。
下宿のおばさんは、ミリカに「あたしの若い頃、細い時のだけどね!」と、とても上機嫌で服を仕立て直してくれている。
僕も何故かそのお金持ちのお茶会に行くことになっていた。
イーウォン家は聞いたことがある。武器から食料までなんでもござれ。街の物流を担う大きな商会だ。町の北側にイーウォン商会の大きな敷地と建物があって、馬車や商人がひっきりなしに出入りしている。
経営自体は雇われた人たちが行っているはず。
ってことはイーウォン家はスポンサーなのかな?
よくわからないけれど、マリュシカさんなら色々知っているだろう。
明日聞いてみようっと。




