まちかどクロスロード
★今回はミリカ視点となります
◆
ドリィはわかってると思うけど。
「私って……」
本当はじっとしていられない性分なのよね。
ほいっ! と、ミリカは寝台から勢いをつけて起きあがった。そのまま腹筋に力を入れて向きを変え、床に足をつけて立ち上がる。
「っとと……」
立てはしたものの、やっぱり両脚はフワフワして力が入らない。地に足がついていない感覚は、夢の中で雲の上を歩く感覚に似ている。思うように動かない、あのもどかしい感覚に。
麻痺してから二年近く。杖がなくては歩けないのは変わらない。
うまくバランスをとりながら身支度を整える。
でもコツはつかめてきた。
というより「わかって」きた。
両足との感覚にズレがあるのだ。脳が無意識に出す指令と、動くべき脚との間がうまく連携していない。そのズレを意識して、補正するようにするといい。
「ほっ!」
例えるなら、脚に竹馬を縛り付けて動かすイメージ。
強く意識してまず右足を動かす。太もも、ひざ、すね、足首まで、力と意思と、血液を送り込むように。すると遅れて足が動く。一歩前へと進む。
「歩けた……!」
よしよし、いい感じ。
昨日よりも調子がいい。
これはきっと、ドリィが紹介してくれたギルドの先輩、魔女のマリュシカさんのおかげ。
彼女が意識を変えるきっかけをくれた。
これは病気じゃない。
スキルの前兆かもしれません、って。
その言葉に救われた。
信じてみようと思った。
村ではこれは不治の病で、治療法もなく、全身に広がれば命さえ危ういと言われて絶望した。
お世話になっていた叔父夫婦にまで迷惑をかけ、邪魔者扱いされてしまった。もちろん、ドリィだけは違ったけど。
マリュシカさんの言う通りこれがスキルだというのなら、寝てばかりもいられない。
鍛えればいいのだ。どんどん強くなればいい。
これは絶望から希望への大転換。思考のパラダイムシフト。
スキルを自分で操れば、また歩けるようになるどころか、ずっと俊敏に飛び跳ねたりも出来るかもしれない……!
とはいえ、道のりは険しい。発動には面倒な条件があって――ドラゴンに関係するアイテムが必要だとか――、非常に高価で入手すら難しい。
スキルも使えば身体への負担が大きくて、下手をすると命さえ危ないことになるらしい。
うーん、極端だなぁ。普通に歩けるようになるだけでいいのに。運命の女神様は加減を知らないのか、意地悪なのかしら。
それでもいい。
今までよりは全然いい!
命に関わる病気じゃないってわかった途端、なんだか元気が出てきた。
このまま死んじゃうの嫌だな……って。ずっと悲しくて辛かった。屋根裏部屋でぼんやりしていると、本当の病人みたいに気持ちが沈んだ。
ドリィだけがいつも支えてくれて、それは嬉しかった。けど病気がこれ以上悪くなったら……、死んだら……、お別れが来ちゃう。そう思うと涙が止まらなかった。
いろいろ悩んでばかりいた。
なのに魔女のマリュシカさんに救われた。
これが奇跡、っていうのかな?
今までみたいに怖がる必要なんてない。そう思うだけで希望と力が湧いてくる。
ドラゴンのアイテムがないとスキルを発動できない。それを買うために、がんばってお金を貯めなきゃ! なんてドリィは真剣に言ってくれた。気持ちが嬉しくて、思わずぎゅっと抱き締めた。
ずっと傍にいてくれた、大切で大好きなひと。
でも、甘えてばかりもいられない。
これからは自分でも頑張ってみようと思う。
肝心なのは変わろうとする気持ち。
努力するべきはする!
「っと、ほっ……!」
ミリカは杖を持つと、おぼつかないまでも昨日よりは軽やかな足取りで、屋根裏部屋の階段を慎重に下りはじめた。
「ミリカさん、一人で平気かい? 買い物なら家内に頼めば……」
銀細工職人のおじさんが心配して声をかけてくれた。
寡黙で真面目な職人さんはすこぶる腕がいいらしい。時々、貴族の従者やお金持ちそうなお客様が、店先にいらっしゃったりもする。
それとおじさん夫婦には昔、森へと冒険に出てそれきり戻らない息子さんがいたらしい。
「平気です! なんだか調子いいので」
「そうかい……気を付けてな」
「はいっ」
とてもいい天気。
空はとても青くてまぶしくて。
風も無くて爽やかな陽気が嬉しい。
街路樹の葉を通し、光がキラキラと踊っている。
下町の広場にはいろんなひとたちが行き交っていた。
若いお母さんと子供、井戸端会議をするおばさんたち。屋台はどこも賑やかで活気がある。夜の怖い雰囲気が嘘みたいに、安心して歩ける。
「あっ、ミリカさんおっはよー!」
「サーニャさん、おはよ!」
広場の向こうから青い髪の女の子が小走りで近づいてきた。水色のワンピースに白いエプロン姿が可愛い。手には大きなパン籠を抱えている。肩で切り揃えた髪にはカチューシャ。
「あれれ? 今日はドリィくんは?」
「一応、ギルドで働いてるから」
「そっかー。彼氏くん偉い」
「いやいや、そんなんじゃないし」
「えー?」
彼女は銀細工屋さんのお向かいにあるパン屋の娘さん。華やかな感じの子。実は同い年で、彼女目当てにパンを買いに来る人もいる看板娘さんだ。
夕方に来て売れ残りの特売パンを買うドリィの身を、密かに案じていたらしい。その後、何度かドリィと一緒に店に行くうちに顔見知りになった。
今からパンの配達だというサーニャさんと並んで歩く。
というか、亀の歩みの自分に合わせていたら進まないので、適当なところで別の方向へ進むことにする。
「わたしも彼氏ほしいなぁ」
「サーニャさんはモテモテだし楽勝じゃ?」
「全然っダメ、彼氏はお金持ちがいいのー」
「なるほど理想が高い」
「えへへ」
彼氏。
それもお金持ちの。
うーん……。
ドリィはアウトオブ眼中って感じでちょっとホッとする。
町のおしゃれな女の子は、彼氏彼女という「くくり」が好きだ。
けれどドリィとミリカはそんな言葉ではくくれない気がする。もっと深くて、ずっと強い。
それはなんと言うのだろう……?
「良いパンとっておくからね。彼氏くんによろしくー!」
「うん! ありがと、じゃぁね」
サーニャさんと別れて大通りへと進む。
さて。
大通りにある大きな古着店へ向かうことにする。
少しお金に余裕もできたので、新しい服と下着を買わないといけないのだ。
五分ほど歩いて大通りへと至る。
なかでも広場がすごく賑やかだった。
黒山の人だかりが出来ていて、軽快な音楽が聞こえてくる。
大きな声が響くのに合わせ、笑い声と拍手が波のように押し寄せてくる。
「わぁ、なんだろう……? 大道芸かな?」
ミリカは人混みを避け壁沿いに進みながら、一段高くなった店先の階段を上る。
「すごい人だかり……!」
背伸びして見えてきたのは、大勢の町の人が視線を向ける輪の中心、大道芸の一団だった。奏でられる音楽の中で、大袈裟な身振り手振りで語り続ける一人の男がいた。
『――今日は特別ゲスト! ギルドきっての大英勇! ドラゴン討伐の立役者! ガルド・ノアローグさんによる演目にござーい!!』
ピエロのような格好をした芸人が、立て札をもって輪の周囲を駆け回っていた。それにつられて人垣はますます大きくなる。
「――襲いかかる凶悪なドラゴンの尻尾! だぁが! 俺は傷などお構いなしに、渾身の力で走った! 傷ついた仲間たちを守るため……! そこへ丸太のようなドラゴンテイルの一撃が、すさまじい衝撃ッ!」
ドォン! と銅鑼が鳴り響いた。
観客から「きゃぁ!?」「あぁ……!?」とため息のような悲鳴があがる。即興劇だ。
「俺はガッ……と盾で受け止めた……!」
大柄な男が身振りで戦う真似をすると、それに合わせて大道芸人が打楽器を打ちならし盛り上げる。
「うぉおおお! 腕が痺れ、脚が折れそうになる! しかし俺は叫んだ『ここは俺にまかせて下がれ!』と……! 仲間たちが無事に逃げ出すのを確認するや否や、渾身の力で尾を押し返し……!」
ドロドロドロとドラムが気分を盛り上げる。
「ずりゃぁあっ! と返す刀で一刀両断! 硬いウロコに覆われた尻尾を切り裂いたぁああ……! 響き渡るヤツの絶叫ッ!」
ドォオ……! と効果音が響き、観客から「わぁあ……!」「すげぇえ!」っと、歓声と口笛が嵐のように押し寄せた。
「あれ……? あの人どこかで見たような?」
そうだ、ドリィのギルドで見かけた完全武装の大男にそっくり……! というか本人ではないかしら?
たしかギルド最強のSランクなんちゃらの人だ。今日は冒険はお休みなのかな。
どうやら大道芸人に交じり自分の体験談を、役者顔負けの即興劇にして聞かせているらしかった。
やがて演目が終わりを迎えると、大歓声と拍手の嵐とともに、銀貨銅貨が無数に投げ入れらた。
広場の石畳が硬貨で埋め尽くされてゆく。
「いいぞおお! 大勇者ガノンー!」
「ドラゴン退治の英雄ー!」
「素敵ぃいい!」
「はーっはっはっ! また会おう諸君!」
すると大道芸人の主催者だろうか。ビア樽みたいな人が、大勇者ガノンに抱きついて「このままウチの専属になって!」と泣きついていた。
「すごいなぁ、ドラゴンを倒したんだ」
あとでドリィに聞いてみよう。
きっと知ってるはず。
もしかしてドラゴンのアイテムが手に入るかな? まさかね。そんな都合よくいくはずもないか。
「っといけない」
買い物の途中だった。
杖をつきながら階段を下りて、古着店へと向かう。
そのためには大通りを渡らねばならない。
時おりガラガラと音を立てて馬車が行き交う。
「うー……渡れない」
壁際に沿って歩くミリカにとって、向こう側へ渡るのは一苦労だ。タイミングをみて渡らないとけないのが少々辛い。
「お嬢ちゃん、向こう側に行きたいんじゃな?」
「なら、ワシらといこうかのぅ」
気がつくと、シワだらけの顔が両側にあった。腰の曲がった老婆二人が、ミリカの両脇にいた。
「え、えぇ……?」
「ほらいくぞな!」
「お通りじゃ!」
亀の歩みに老婆二人が加わって、ノロノロと大通りを渡りはじめる。
「どぅどぅっ! あぶないぞ……!」
右から来た馬車を操る御者が気がつき、速度を緩めてくれた。貴族の馬車らしく二頭立てで客車は黒塗りだ。老婆と小娘とはいえ、流石に怪我をさせたり轢き殺したりするわけにもいかない。
「ひええ!? す、すみません!」
「たわけが、レデェーファストを知らんのか!」
「ヒヒヒ、乙女三人なら怖いもんなしじゃい!」
「あぁもぅ、急いでくださいっ」
杖をついていてもミリカのほうがまだマシだ。
ヨタヨタとした老婆二人の小脇に手をいれ、ミリカが引っ張るかたちで渡る羽目になる。
と、その時だった。
左から来た別の黒塗りの馬車が、路地から飛び出した子供を避けた。
「子供っ!?」
御者が慌てて馬の手綱を引く。子供はうまく避けたが、道を横切るミリカたち三人に気づくのが遅れてしまう。
「……危ないッ! 避けてください!」
御者の老人が慌てて叫んだ。しかし減速が間に合わない。このままでは確実に衝突する。
「やばいっ!」
「おおぅ!?」
「あわわ!?」
ミリカは青ざめた。流石の老婆二人も完全に脚が止まっている。
馬の嘶きが迫る。
世界が音を失くし、何もかもが動きを緩めた。
スローモーションへと変わった視界と重なるように、走馬灯のようにドリィの顔が脳裏に浮かび――。
冗談じゃ……ないっ!
こんなところで、死ねない!
「うぉ……おおぉ!」
――動け!
動いてよ……私の脚ッ!
――う、ご、けぇえええっ!
ドクンッ……!
ミリカが心のなかで叫んだ刹那、心臓が強く脈打った。
脚さえ動けば……!
熱い血潮が脚の骨を伝わった気がした。そして次の瞬間、不意に景色が流れた。視界全体の風景が後ろへと過ぎ去ってゆく。
「えっ!?」
跳ねた。と理解する前に、向かい側にあったはずの建物が迫っていた。バランスを崩し前のめりになり視界いっぱいに石畳が迫る。
「きゃっ……!」
「のぉお!?」「むぉお!?」
ズザザ……と着地の衝撃で倒れこんだ。
瞬きほどの一瞬で、ミリカは老婆二人を小脇に抱え、数歩の距離を跳ねていた。
動いた……!?
それどころか跳べた。
信じられない瞬発力だった。
火事場のバカ力のような、これがスキルの力?
通りすぎた馬車の車輪が、バキバキとミリカの取り落とした杖を踏み砕いた。
振り返り、その光景に血の気が引く。
あそこにいたら三人とも骨ごと砕かれていた。
「うぉお、ゆるさんぞなごりゃぁあ!」
「大丈夫かぇ? お嬢さんや……!」
老婆二人はすぐさま立ち上がり、一人は御者に食って掛かり、もう一人はミリカの身を案じてくれた。
「……はぁ」
老婆たちに怪我がなくてホッとする。
けれど、ミリカは腰が抜けたように脚に力が入らず、立てないことに気がついた。
「大変じゃ、怪我でもしたのかのぅ……!?」
「大丈夫かい!? お嬢さん」
「しかし君、よく二人を抱えて……」
通りかかりの人たちがミリカに手をさしのべてくれた。
「あ、ありがとう……」
と、黒塗り馬車の客車が開くと、赤いドレスを着た女性が飛び出してきた。慌てた様子で駆け寄り、服が汚れるのも気にせずにミリカを抱き起こす。
「お怪我はございませんか!?」
「え、えぇ……」
流れるような銀の髪、そして見たこともないような豪華なドレスにミリカは目を奪われる。
よほどのお金持ちか大貴族か、あるいはお姫様か。いずれにしても別世界の住人だ。
けれど、瞳に映ったお姫様の顔に見覚えがあった。
「マリュシカ……さん?」
それはあの魔女と同じ顔だった。運命を変えてくれた魔女のマリュシカと。
「――!? なぜ、妹の名を……?」




