悪役令嬢と追放の魔女
◆
「マリュシカお嬢様、こちらでお待ち下さい」
「ありがとう、ジョシュア」
「お変わりなくて何よりです」
「ジョシュアも……」
「はは、私は老いぼれまして。腰が痛くてかないません」
背筋を伸ばした老執事は屈託なく微笑んだ。
マリュシカは少しだけ緊張がほぐれるのを感じていた。
この家の敷居をまたぐのは一年ぶり。
もう二度と来ることはないと思っていたのに。
ここに来るまでに数人のメイドや下働きの男たちとすれ違った。
ひと目で魔女と分かる紫色のマントを羽織り魔法の杖を持ったマリュシカを見るなり、戦々恐々とした様子で頭を垂れ道を開けた。
老執事に案内された応接間は、豪華な調度品がこれ見よがしに並んでいた。
金と銀で加飾されたシャンデリアが頭上で輝きを放っている。
イーウォン家の応接間は招かれた者を圧倒する。絵に描いたような成金趣味……という意味で。
応接間の壁には亡き父、イーウォン・ペーンの肖像画が飾られていた。
「……お父様」
マリュシカの父は腕利きの貿易商として名を馳せた。
南端の拠点都市リューグテイルと王都リューグハーツの間で、安定的な通商を担うことで莫大な利益を手にした立志伝中の人物だ。
仕事には厳しい人だったが、家族には優しかった。
しかし、持病が悪化し二年前に他界――。
傾くと噂された成り上がりの豪商は、今だ上昇機運に恵まれているように見えた。
それはひとえに姉、マシュリカの手腕のおかげだろう。
イーウォン・ペーンが他界する前、アントノキ王国五大貴族の一つアリアンローザ家のご子息との婚姻話が進んでいたからだ。
姉のマシュリカは器量がよく、明るい笑顔は男性を魅了した。
人を見る目のあったイーウォン・ペーンは、姉の才覚を見抜き、貴族との社交界で通じる情操教育を施した。
社交ダンスや礼儀作法など、家庭教師を雇って身に付けさせた。
一方で妹のマリュシカは真逆の性格だった。
人見知りで、ろくに挨拶もできず、他人と話すことが苦痛で。人目を避けるように一人で過ごすことが多かった。
しかし父はそんなマリュシカには学問と魔法の才能が眠っていることを見抜いた。
趣味で集めていた魔導書をマリュシカに与え、魔法への扉を開いてくれた。
書斎で過ごしていたマリュシカにとって、様々な本は世界を知る窓となった。世界は果てしなく広く、知識の海が広がっていたからだ。
「どうして通したの!?」
両開きのドアが開くなり金切り声が飛び込んできた。
「イーウォン様より、宜しく頼むと仰せつかっております故」
「用があるなら使用人の通用口で十分でしょう!」
怒りの矛先は入り口に立つ老執事ジョシュアに向けられていた。
「……お姉さま」
マリュシカはソファーから立ち上がり声をかけた。
「気安く呼ばないで、穢らわしい!」
嫌悪も露わに、険しい表情を向ける姉――マシュリカ。
裾の広がった赤いロングドレス。身につけた宝飾品が鋭く光る。ふわふわとウェーブした銀髪と青い瞳だけがマリュシカと同じ色だった。
「……あ、あの……」
「なぜ戻ってきたのマリュシカ。あなたは追放したはず。その格好でよくも……災いの魔女! もうこの家には近づくなと言ったはず」
「……すみません」
「お金が欲しいなら手紙で十分のはずでしょう」
冷たく言い放つ姉の言葉にマリュシカはうなだれ、ぎゅっと魔法の杖を抱きしめた。
違うの。
そうじゃない。
お願いがあってきたのです。
言い出したいのに口が動かない。
姉のマシュリカの前に立つといつもそう。
途端に鼓動が乱れ、身体が石になったみたいになる。
まるで蛇に睨まれたカエルのよう。
「いい? 私はもうすぐアリアンローザ家に輿入れするの。なのに、妹が悪魔と交わった穢らわしい魔女だなんて知られたら、婚姻に影響するじゃないの!」
「それは……わかってます」
「だったらここから出ていきなさい! この家に関わらないで」
「マ……マシュリカお姉さま、話を聞いて……。お父さまの……」
「気安くお父様の名を口にしないで! お父様が死んだのはお前のせい! 魔法なんかに関わったから……!」
「そんな……」
「呪われた子……! この家に来た友達はね、アンタを見てそう言って怖がっていたわ。魔法の本なんて読み漁って気持ち悪いって! あぁ恥ずかしい! 嫌だ、最悪よ」
息せき切ったように罵詈雑言が溢れ出す。マシュリカは眉を吊り上げ、憎しみのこもった言葉を叩きつける。
勢いに気圧されマリュシカはギュッと唇を噛み、目をつぶる。
――マリュシカさんは素敵な魔女さんです。
ドリィ君……。
脳裏に優しい言葉が甦る。
そうだ。
勇気を振り絞ってここへ来たのは友達のため。
初めて出来た友達を助けたいと思ったから。
ミリカさん。
大好きなドリィ君の……彼女。
天使のようなドリィ君の彼女は、呪われた自分を否定しなかった。嫌悪も、拒絶もせず、普通に話して、笑いかけてくれた。
自分と似てますね。とも言ってくれた。
あの言葉にどれほど救われたか……!
だから救いたい。助けたい。
その一心で、二度と来るまいと思っていたここに来た。
思い出したから。
昔、父の書斎で見せられた竜に関するアイテムの事を。
それはある魔導書に挟まっていた。
父は「これは珍しい竜の鱗だよ」と言っていた。
あれがあればミリカさんを救えるかもしれない。
病気のような症状を引き起こす、スキルの苦しみから開放できる。
「……父の書斎の……ま、魔導書が欲しいのです」
「はぁ!? 魔導……書ですって?」
嫌悪も露わに歯茎をむき出しにする。
「おねがいです」
マリュシカが深々と頭を下げる。
すると姉はニタァと勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「私にお願い? アハハ……! お願いするなら床に這いつくばって、ブゥブゥお鳴きなさい! 豚のマネが得意でしょう?」
キャハハと甲高い声で嗤う。
気がつくと開け放したままの扉の向こうには、メイドたちや使用人が何事かと覗き込んでいた。
「……それをすれば聞いてくれますか?」
「えぇ。魔女なら豚ぐらいなれるでしょう……?」
「マシュリカ様!」
「お前はお黙りなさいジョシュア!」
マリュシカは膝を折り、床に手をついた。
銀色の髪が床板に流れ落ちる。
冷たい床を見つめ、唇を噛みしめる。
豚ぐらい……なってやる。
「……ぶぅ……」
「アハハ!? 聞いた? 魔女が豚に……! キャハハ、傑作よ! ほら、もっとお鳴きなさい!」
マシュリカは使用人やメイドたちにも「笑え」と視線を送る。
すると戸惑いがちな、乾いた笑いが響いた。
「ぶぅ……ぶぅ」
嗤われるのも、馬鹿にされるのも慣れっこ。
いまさら悔しくも、痛くも無い。
ミリカさんが元気になれば、きっとドリィ君は喜ぶに違いない。
喜んでくれて、きっと、もっと自分を見てくれる。
もっと笑ってくれるはず……。
床にひとつふたつと染みが出来てゆく。
あれ?
……涙?
なんで、涙が……溢れるの?
あたし……。
ミリカさんが元気になれば、ドリィ君が喜ぶ?
私を好きになってくれる?
本当にそう……?
ミリカさんは元気になっても、友達でいてくれる?
必要がなくなれば、友達ではなくなる?
自由になった脚でどこか遠くへ行ってしまう?
ドリィくんと冒険の旅に出るかもしれない。
そうしたら、自分はもういらない……?
わからない。
わからないよ……。
だったらどうして……助けたいなんて思ったの?
頭の中がぐちゃぐちゃで、不安と葛藤が渦巻く。
でも。
それでも。
救えるのなら救いたい。
純粋にそう思ったのだ。
初めての気持ち、湧き上がる想いに突き動かされて、ここへ来た。
たとえ、結果的に友達を無くすことになったとしても。
「あはは、もういいわ」
「……お願いです」
立ち上がり、声を絞り出す。
瞳に光を灯し、顔を上げる。
涙で歪むメガネのレンズを通して、姉を見据える。
「……う」
姉のマシュリカは怯えたように見えた。不快そうに顔を歪める。
「書斎を見せてほしいの」
「マシュリカ様、イーウォン・ペーン様は生前、書斎の本はマリュシカ様へ……とおっしゃっておいででした」
老執事ジョシュアがたまらず口を挟んだ。
「……く!?」
姉は殺気立った表情で執事を睨みつけ、苛立たしげに視線を逸らした。
「わかったわ。さっさと本を持って出ていきなさい」
「あ、ありがとうございます!」
礼を言うや頭を下げ、姉の横を足早に通り過ぎる。
廊下に出ると、メイドや小間使いの少年、調理スタッフたちが慌てて逃げ出した。
老執事が「あちらへ」と白手袋で指し示す方に足を進める。
マリュシカは応接間を飛び出し、一階奥の書斎を目指す。
扉を押し開けて室内へと入る。
懐かしい匂いがした。煙草と古びた書物と亡き父の匂い。
老執事のジョシュアは入り口で立ち止まりじっとしている。
「ありがとう、ジョシュア」
「……お早く」
今はもう使われていない書斎は、仕事の執務室でもあった。
大きな黒塗りの机が正面にあり、南側の壁一面が書棚になっている。
マリュシカは書棚に近づき、背表紙に素早く視線を走らせる。繰り返し読んだ魔導の本。その中に緑色のひときわ古い本があった。
あった……!
『世界の真実と竜』
取り出して、そっと開く。
自然とあるページが開かれた。
栞が挟んであったからだ。それは手のひらサイズの半透明の薄い板状のものだった。
よく見ると年輪のような文様が浮かんでいる。
――竜の鱗……!
「これを頂いてまいります」
「はい。マリュシカお嬢様」




