マリュシカマシュリカ
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マリュシカは部屋に戻るなり服を脱ぎ捨て、寝台へとダイブした。
結い分けた銀色の長い髪が踊る。
「……ふぅおおおおお!?」
枕に顔を埋め叫ぶ。
両脚をジタバタして靴をすっ飛ばし、隣から「うるさい」と壁を叩かれないかと焦ったが、大丈夫だった。
――あわわ……! や、やっちゃいました。
ドリィくんを助けてしまった……!
それもかなりカッコよく。
ピンチに颯爽と登場し、悪漢を華麗に撃退……!
ドリィくんと友達さんの目には、そう映ったかしら?
「あぁああ……! 違うの、そういうつもりじゃなかったの……」
いかにも「実力を有する魔女」という風を装った。
去り際も「闇夜の魔女」という世間の風説通り、赤い月夜に紛れて去るあたりも、我ながら良かったと思う。
けれど、実は焦りのあまり頭の中が真っ白だった。
内心はビビリまくり。心臓バクバク、冷や汗タラタラ。
何か話さなきゃ、と思いつつ緊張で舌も動かなかった。兎に角、その場を離れたくて逃げ帰っただけ。
――や、やっちゃいました、あわわ……!
おまけに、事もあろうに街なかで戦闘用の魔法を使ってしまった。
目立たぬように静かに暮らしてきたマリュシカにとっては、想定外の失態となった。
焼き殺しかけたあの戦士も、他のギルドに所属する人だ。正体がバレて目をつけられ、仲間に報復でもされたらと思うと、外を出歩けない。
――でも顔は見られていないし、名前も知られていませんし……。
「……うー?」
魔法のスキル自体も珍しいものではない。
似たような炎系の魔法を使う人は多い。
街では他人を傷つける武器・魔法の使用は禁止されている。それはギルドの規則であり、別にヒースブリューンヘイム王国の法で定められたルールではない。
違反しても罰則規定があるわけでもない。
そのあたりは、あまり心配しなくてもいいかもしれない。
冷静に考えると、問題はある部分に絞られてきた。
いや、むしろそっちのほうが重要だ。
――何故、タイミング良くドリィくんのピンチに登場できたか。
それはずっと尾行していたからに他ならない。
ドリィくんの住む家はとっくに特定済み。
だけど、驚くべき事実を知ってしまった。
あろうことか「同居」している女がいるという!
女友達とやらの姿を、この目で確かめたかった。
純真で可愛い天使、ドリィきゅん。
彼を誑かす憎きライバル……!
ぐぬぬ……許すまじ。
けれどドリィ君は家に帰り着くなり、慌てて駆け出した。
大通りへ向けて誰かを探すようにキョロキョロしながら。
子鹿のように走る姿も素敵……! などと後を尾行していくと、大通りで変質者に絡まれている女の子を発見し、駆け寄るではないか。
正義感にあふれる姿は、まさに天使!
必死な顔もまたいいものね……素敵。
『ミリカ!』
ドリィくんはそう叫んだ。
つまり、あれが同居している女友達とみて間違いない。
人混みに紛れて見守っていると、なんと女友達が凶暴な本性を剥き出しにした。
持っていた杖で殴打。
絡んできた男たちを叩き伏せたではないか!
出来るなら最初からやりなさいよ。
あぁ恐ろしい。
きっと優しいドリィきゅんの同情を引くために、身体が不自由なフリを装っているに違いないわ。
あれがライバル……。
正体を暴かねば。
マリュシカはそう思い尾行を続けた。
暗い路地に誘い込まれるドリィきゅん。
危ない、その女は危険なの……!
と。
そこへあろうことか同好の士、いや変質者が声をかけた。
――ドリィきゅんに目をつけていたのはあたしなのに!
嫌らしい目つきで、猫なで声でドリィきゅんに近づき、誘っている。明らかに猥褻目的だ。
その男は女には目もくれず、ドリィきゅんに狙いを定めていた。
マリュシカはカッと頭に血が上った。
――お前ごとき雄のクソゴミ風情が……!
天使に気安く声をかけるんじゃないッ!
「――まったく、見ていられません」
言い放った言葉は、男に向けた「殺意」に他ならない。
女友達の登場、さらに変質者の登場と、それまで溜まっていた鬱憤を、晴らすべく。怒りの矛先を変態男へと向けた。
我慢ならず、姿を見せてしまった。
ドリィくんは一瞬でマリュシカの正体を看破したみたいだった。
フードをかぶってはいたけれど、声やスキルで見破られる事は必然だった。
――しまった……。
賢いドリィくんは、マリュシカの名前を呼ばなかった。
バレたらバレたで、猥褻男を跡形もなく骨まで消し炭にする手もあったが、流石にそれはやりすぎ。ドリィくんにも「引かれ」かねない。
だから魔法は手加減した。
あわよくば女友達も同時に始末……という考えが脳裏をよぎったが、理性と良心がストップをかけた。
「……ミリカ、か」
女友達はしょせんは、友達。
幼なじみとはいっていたけれど、家賃の関係でルームシェアをしているだけかもしれない。
マリュシカは寝台の上でしばし逡巡する。
まだ負けたと決まったわけじゃない。
昼間、過ごす時間はこっちだって長い。
ドリィくんの心を掴むチャンスはきっとある。
真正面から正々堂々と気持ちをぶつけ、ドリィくんの心を掴む。
仕事終わりには夕飯に誘い、あとは家に誘い……身体を奪う!
あとは帰さなければいい。
声が漏れるのが問題だが、新しいアパートを借りてもいい。声の漏れない二人だけの愛の巣を!
そうだわ、まずは引っ越し……!
広い寝台も揃え、可愛らしい部屋をつくろう。
お金は少々かかるが、実家から渡された資金もある。
貴族令嬢として嫁いだ姉にとって、自分は……邪魔な存在なのだ。
器量良しで頭の切れる双子の姉――マシュリカとは違って、マリュシカは魔女のスキルを持って生まれてきた。
不吉だと疎まれ、名家と呼ばれたあの家に、居場所なんてなかった。
暗くて、笑うことが苦手で。愛想もない。
輝かしいあの家では俯いてばかりいた。
暗闇に生きる魔女なのだから――。
自由を得たいま、後悔のないように生きたい。
善は急げ。
ドリィきゅん救出作戦。
明日から早速、物件を探すことにしよう。
「でも明日、どんな顔をして会えばいいの……?」
・・・
翌朝。
ギルドに出勤すると、ほどなくしてドリイ君が駆け込んできた。
朝日が差し込む建物の中を、栗色の髪を輝かせながら。
アイテム交換窓口に来るなり、周囲の目を確認し、
「マリュシカさん! 昨日は本当にありがとうございました!」
ドリィきゅんがキラッキラの瞳で見つめてきた。
綺麗な目。
まつげも長い。
尊敬の眼差しを向けられるなんて、初めて。
ていうか顔が近い、キス……したい。
マリュシカは戸惑い顔を赤らめた。
「……あっ!? あぁ、あれね……夜の散歩していたら、偶然みかけて」
頬を指先でかきながら、視線をそらす。
ごまかそう。
尾行していたなんて、ストーカーみたいだし。(※ストーカーです)
「そうなんですか! それより昨夜の魔法、カッコよかったです」
「ま、まぁ……無事で良かったわ」
「はいっ! 友達のミリカも感謝していました」
とにかくもうドリィくんのご尊顔には「尊敬と信頼」の文字が浮かんでいた。
「……そ、そう。それはよかったわ……」
「魔女さん凄い! すごくかっこいいって、興奮してちゃって……。あの、マリュシカさんを紹介したいんですけど、今度連れてきていいですか?」
「は、えっ!?」
な、なんですってぇ……!?
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