第五十八話「ジン、再び東方に行く」
大陸暦1092年1月。
俺がこの世界に来て20年という時が流れた。
仕事は順調で、本店も問屋街店も連日お客さんで溢れている。
一番弟子のジェイクは相変わらず、問屋街店でこぢんまりとやっている。自分の店を持てと言っても「俺にはここが性に合っているんで」と言って、俺にとっても思い入れのある店を守ってくれている。
10年ほど前に結婚しており、今では3人の子持ちだ。強面だが子煩悩で、休みの日に遊んでいる姿を何度も見ている。
二番弟子であるフランクは1085年にオープンした居酒屋ポットエイトが順調で、オープンの2年後に2号店を出し、昨年3号店もオープンしている。
ポットエイトは安くて美味い居酒屋として、ブルートン市民に完全に受け入れられており、今後も拡大させるつもりなのか、うちの店で修業した若者が数人、店長候補として採用されている。
三番弟子のサイモンだが、5年前に料理のスキルレベルが8になった。
彼にも独立を勧めたが、「ここで働かせてください」といい、独立していない。今では俺の代わりに板場に立っていることが多い。
四番弟子のジョーも4年前に28歳で料理スキルのレベルが7になった。フランクやサイモンに比べると遅いように思うが、元宮廷料理長サッカレー氏に言わせると、十分に早いそうだ。普通は35歳でレベル7になれば天才と呼ばれるらしい。
ジョーのスキルレベルの上りが2人の先輩より遅いのは一つの料理に嵌っているためだと思っている。彼は寿司に魅せられ、時間があれば、寿司を握る練習をしていた。
サイモンのようにトーレス料理の店で修業しないかと言ってみたが、
「レベルの方はあまり気にしていませんし、今は寿司を研究するのが楽しいので」と断ってきた。
サイモンとは違った意味でストイックなところがあり、本人が焦っていないので、あまり強くは言っていない。
家族についてだが、妻のマリーは子供に手が掛からなくなったことから、以前のように店で働き始めている。
タブレットにあった写真を基に和服もどきを作り、“女将さん”として店に出ている。
長女のケイトだが、今年の3月に20歳になる。
今はマリーと一緒に本店で働いており、料理の説明も板についてきた。
父親の贔屓目を考慮しても母親に似て美人で、店に来る客からの交際の申し込みが絶えない。中には貴族もおり、どうしたものかと頭を悩ませている。
本人はあまり気にしておらず、「お父さんやお母さんと一緒に働けるのが楽しいから、今はあまり考えていないわ」と言っている。
父親としてはうれしいが、それでいいのかと思わないでもない。
長男のケンは先月15歳になった。
以前のように兵士やシーカーになりたいということはなくなったが、学校に行っているものの、何をやりたいのかいまいち分からない。
ただ、何となく料理人になりたくないのは分かっている。
その理由だが、息子には料理の才能があり、それを期待する声が多く、プレッシャーを感じているらしい。
2年くらい前から妻の手伝いで料理を作っており、教えていないのに出汁の取り方や味の調え方が絶妙だったのだ。
そのため、家に来る俺の友人たちに料理を振舞ったことがあり、ダスティンやチャーリーが「ジンさんの跡を継げるよ」と彼の背中を押していた。また、弟子のジェイクも褒めるため、プレッシャーを感じたようだ。
内向的な性格ではないが、彼自身も悩んでいるのか、今までより笑顔を見せなくなったことが気になっている。
次男のリュウは13歳で、兄とは違い元気が余っている感じだ。
料理人になりたいと言っており、外に食べに行くと、一つ一つ味を確認しながら食べるほどだ。
ケンほどではないが、味覚は鋭く、最近では何を使っているのか言い当てられるようになった。和食の職人になりたいが、俺のところで修業したくないらしく、悩んでいる感じだ。
息子たちはいずれも俺の影響を受けているが、「好きな仕事を選べばいい」と言っている。
サイモンとジョーが店を切り盛りしてくれているので、最近少し時間に余裕ができるようになった。そのため、これから先のことをよく考えるようになった。
俺も54歳だ。まだ老け込む歳でもないが、やりたいことができる時間は限られてきている。
特に日本酒を普及させるという事業では、一つのことをやるのに年単位の時間が掛かるので、少し焦っている。
俺が焦っているのは日本酒が美味くならないからじゃない。逆に酒造り自体はここブルートンでも、本場マシア共和国でも上手くいっている。
特にマシアでは以前のようなきれいなだけの純米吟醸が信仰されることもなく、若い蔵人たちが自由に酒を造り始めていた。
これはブルートンで個性的な酒を造り始めたことで、本場の連中が危機感を持ったことが大きい。
王立ブルートン醸造所は拡張を続け、今ではブルートンだけでなく、各地に酒を供給している。特に迷宮都市グリーフは高収入の探索者が多く、比較的高額なサケが大量に売れている。そのため、グリーフに醸造所を造る計画もあり、これに俺も一枚噛んでいた。
料理に合う酒を造るという仕事はとても面白いが、最近気になっているのは新たな酒米を探したいということだ。
ノウチニシキは山田錦に似た香り高く、甘みが強い良い酒米だが、芳醇な雄町や淡麗な五百万石に近い酒米があった方がいい。
酒米については、バイデン地区に農業試験場のようなものを作り、研究はしている。しかし、米の本場は温暖で湿潤なマシアやマーリアだ。ここトーレス王国は寒冷ではないが、降水量は比較的少なく、米の生育に適した場所とは言い難い。そのため、トーレスで育てられる米の研究はしているが、新たな酒米の開発まで行えていない。
米は南方にあるマーリア連邦の一部の地域以外、年に一回しか収穫できない。そのため、品種改良や普及には長い時間が掛かる。だからできるだけ早く着手したいと思い、焦っているのだ。
その悩みをマリーに打ち明けると、あっさりと答えを出した。
「あなたの好きなようにされたらよいと思います」
「行くとなったら、1年近く帰って来られないんだ。そんなに長く店を空けるのは無理じゃないか」
「私は大丈夫だと思います。サイモン君もジョー君もしっかりしていますし、ジェイク君も近くにいるんですから」
確かにジェイクとサイモンの2人はここブルートンでも指折りの料理人だ。ジョーも寿司に拘っているが、腕は2人に大きく劣るわけじゃない。
3人とも自分の店を持てば、フランクの店のようにたちまち人気店になるだろう。
「ダスティンさんに相談してみるか」
ということで、ダスティン・ノードリーに相談することにした。
ちなみに、彼は5年前に国王ジェームズの肝いりで、産業振興局長から産業政策部長になっている。内政を預かる内務省の実質的なナンバー3で、平民としては異例の出世だそうだ。産業政策部長になった際、准男爵の爵位を得ており、今では立派な貴族だ。
「確かにサイモン君たちに任せても大丈夫でしょう。ただ、今度は私が同行することができませんので、それだけが心残りです」
さすがに長期出張は難しいらしい。
「まあ、今回は酒米を探しに行くだけですから、以前のようにいろんなところに行くわけじゃないですし」
前回は食材探しがメインで、マシア共和国とマーリア連邦を巡っている。しかし、今回はマシア共和国の米どころで、酒造りに合いそうな米を探すだけだ。マシアの米どころは港町ヴェンノヴィアがあるハディン河流域と首都アーサロウゼン近くを流れるノローボウ河流域だ。
マシアは治安もいいし、河川を使った水運も盛んなので、国内の移動だけなら以前のように気を使うことは少ないはずだ。
「護衛や随行員は産業振興局で準備します。あとは魔導飛空船がいつ来るかですね。前回は11月でしたから、来月くらいには来ると思うのですが」
魔導飛空船はスールジア魔導王国のものが多く、3ヶ月に1度くらいのペースでトーレス王国を訪れている。但し、王都ブルートンにはあまり寄らず、彼らが欲する魔力結晶が産出する迷宮都市グリーフが目的地だからだ。
魔導飛空船を待ちながら、マシア共和国行きの準備を行っていく。
今回の責任者はダスティンの息子のルイスになった。彼は27歳になるが、父親と同じ官僚になる道を選び、今では外交官として働いている。
ダスティンとは家族ぐるみで付き合っていることもあり、7歳の頃から知っている。俺が気兼ねしない相手を選んでくれたようだが、彼自身、スールジア魔導王国、マシア共和国、マーリア連邦の東方3ヶ国を担当しており、知識は充分だ。
今回は“特命大使”という役職が与えられ、マシア共和国との交渉の責任者でもあるそうだ。
この他にチャーリーの息子のマークも同行する。
マークは今年29歳になり、王都の店舗を任されている。チャーリーに聞くと、そろそろ商会長を引き継ぐつもりらしく、俺と一緒にマシア共和国に行き、箔を付けさせたいと言っていた。
マークも子供の頃から知っているので俺としてもやりやすい。
他には妻のマリーと長男のケン、次男のリュウも同行する。
俺としては公私混同になるので断ったのだが、ダスティンが強引に勧めてきたのだ。
「家族と旅行に行ったことがないじゃないですか。店をオープンしてから2日続けて休むこともほとんどなかったですし、この機会に家族と旅行を楽しんでください」
彼の言う通り、店をオープンしてから19年になるが、2日続けて休んだことはほとんどない。店自体は年末年始を休みにしているのだが、俺自身は毎年、国王から晩餐会の料理を頼まれているため休みがなく、泊りがけの旅行に行ったことがない。
長女のケイトも誘ったのだが、「空を飛ぶのでしょ。私には無理」と言って断られた。
ケンとリュウも難しい年頃であり嫌がるかと思ったが、思いの外乗り気だった。ここの学校には遠足という行事はなく、2人ともブルートンと近郊の村しか知らない。また、魔導飛空船という乗り物にも興味があるようで、二つ返事で了承している。
俺とマリーが長期間、店を離れることから、経営全般についてはフィルに、店についてはサイモンに任せることにし、引継ぎを行っていく。
2人とも最初は驚いたが、家族旅行も兼ねていると聞くと、諸手を上げて喜び、店は任せてくれと言ってくれた。
2人とも15年以上の付き合いで気心や能力は分かっているし、ダスティンとチャーリーも気に掛けてくれることから問題ないだろう。
唯一の不安は一人残るケイトのことだが、フィルが妻のスザンナと一緒に屋敷に住んでくれることになり、その問題も解決した。
前回の反省を踏まえ、現地でのトラブル防止のため、俺に臨時の役職が与えられた。
前は大使館付きの特別調査官だったが、今度は“王室特任調査官”というものだ。一見しただけでは何をする役職なのか分からないが、国王の側近である宮廷書記官長の下で新たな料理や酒を“調査”する“特別”に“任命”された役職らしい。
俺の上司は宮廷書記官長のウィリス・リヴィングストン伯爵だ。
伯爵は国王の懐刀と呼ばれ、柔和な笑みの中にも鋭さが垣間見える人物だ。今回の任命に際して、この役職を考えた人らしい。
「この肩書でしたら陛下の側近扱いとなりますので、目的地のマシア共和国はもちろん、飛空船が通過するアレミア帝国、ヴィーニア王国のいずれの政府も無下にはできないでしょう」
月島風太たちが逃れてきたアレミア帝国だが、相変わらず燻っているものの、一応の平和は保たれている。また、現在の皇帝が以前よりまともな人物らしく、国内が不安な状況で他国と諍いを起こすような馬鹿なマネはしない人らしい。
出発の準備は1月中に終わり、2月に入ったところで、王都に魔導飛空船がやってきた。
今回もグリーフから王都に回ってもらうよう連絡が入っているためだ。その連絡も国王の名で行われており、スールジア魔導王国の商人としても最大限の配慮をしてくれるだろうとのことだ。
出発時には店の者やダスティンら友人たちが見送りに来てくれた。
「いい結果を期待していますが、無事に帰ってくることを一番に考えてください」とダスティンは俺に言い、更に息子のルイスには少し厳しい表情になる。
「分かっていると思うが、ジンさんは王国の宝だ。お前の命に替えても守るんだぞ」
「分かっているよ。僕だってトーレス王国の官僚なのだから」とルイスも真剣な表情で答えている。
俺としても家族と友人の息子が一緒だから安全第一を考えてくれるのはうれしいが、悲壮感が漂っているのが気になる。
「そこまで気を使わなくても大丈夫だ。気を楽にしてくれ」と思わず言ってしまったほどだ。
実際、今回は護衛としてレイ・ルガードという凄腕の剣術士が同行する。
彼は元ミスリルランクのシーカーで、現在はオーデッツ商会と専属契約を結んでいる傭兵だ。傭兵といってもチャーリーが太鼓判を押すほど信用でき、その仲間4名が護衛として同行する。
最初は騎士団から護衛を派遣するという話があったが、融通が利く傭兵の方がいいという話になったそうだ。
魔導飛空船は冬の空にゆっくりと舞い上がっていった。




