ゆるさなーいw
クロユリ アニメ化に向けて
本当はアニメ化も嫌だった。
これ、実は2014年12月に、当時選考をしていた編集者の発言です。そのころちょうどNHK大河が直虎の作成を決定していて、これドラマ化させてくれと、いろいろな脚本家から「告白」されました。今だに、世界中の監督から熱愛されています。
全部断ってのアニメ化です。責任をもって、著者みずから監修いたします。
創作は興業の都合を一切、考えません。私は、嫌なものは嫌だとはっきり言ってしまう人なので。やめてくれ、作品を壊さないでくれていうのは、本音です。
本音を先に言ったうえで、建前を申し上げると、セナはヒトラー美少女化をかかげるだけあって、そういう要素があります。
ヒトラーにも愛する女性がいました。そして、地下防空壕で挙式もしました。
愛人エバについては、いまだ歴史が闇に葬っていますが、4月30日、ヒトラーとともに自決し、遺体は部下の手で火葬された、と、とりあえず教科書にはそうあります。
歴史的にはそれが正しい。
ヒトラーにも肉体的に深く結びついた女性がいて、人生の最後に、地下防空壕で軍服のまま結婚したと思うと、私はとてもいたたまれない気持ちになる。
きっと、ヒトラーが生きるはずだったつきなみの男性の人生を、誰もが生きている。
きっと、立場のために失ったものがある人もいる。なにかを犠牲にしたことに酔っている人もいる。セナになりたい女の子や、自分の理想の実体をもとめて女性にセナの姿を求める男性たち。私は本来生きるはずだった人生の埋め合わせをしてるのを、あまり強く叱れない。世が世なら……っていうのは、ヒトラーがたかが才能のない画学生だったことを振り返ると、ときどき、ひやっとします。
居酒屋はいいのにクラブはダメなの?って、そういうことじゃないでしょって思ってるけど、黙ってる。そういう議論しかできないのも、クロユリの読者の特徴ですからね。
ヒトラー美少女化ってのは、嘘じゃなくて本質です。ということは、セナやシズマを事故演出として「着こなす」彼らの人間的な欠損も、本質なんだと思います。ヒトラーとエバの令和の姿だと思うとな……。著者として言えるのは、そういう使い方は、ヒトラーとエバの転写。わかっててやってる人も、まったく自覚がなかった人も、それは、そういう意味を持っていると指摘します。
なぜ総統閣下に愛人が必要だったか。しかも、愛人なだけではなく、ちゃんと挙式している。そして、歴史の失敗の責任をとって自殺したのが、4月30日。
たかがコスプレ程度でよかったと思ってる。私自身は、そういう場所は好まないし、踏み入れたことはありません。ホント、水が合わない。どうせ著者も担当者もそういう場所にはこないんだから、こっそり人目をしのんでやってればいい。それこそ、勝手にしがれ。
ないものはないと同じイントネーションで、あるものはある。
クロユリは、平成日本が黙殺した何かを、照射している。まるで「鏡」のように。
それこそ、その道のプロの目には、そういう要素のある人が好んでそういうプレイをしてるのが見えるのだと思います。私たちにはない『目』です。私は、それは防犯点灯だと思っています。蛇の道は蛇っていうでしょ。英語で言っても、悪魔のことは悪魔に訊けっていうらしいですよ。
止めやしないよ。ただ、ちょっと心の隅にとめおいてほしいのは、セナはヒトラー美少女化というテーマで、ヒトラーにはエバがいて、地下防空壕で人知れず挙式したんだ、という事実。これだけは忘れてくれるなと言いたい。
うちはラノベなので、直接作品の中にはそういうことは書いてはいない。でも、ドイツ史からのお手紙によると、セナはヒトラー美少女化である、と。日本史からの回答は、しかし二次大戦時の日本の本音だ、と。国際テーブルのメニュー表じゃねぇぞ、クロユリは。
ま、7巻にはそんなものも含まれているので、アニメ化するときは、セナとシズマが結婚して世界は平和になり、末永く幸せにくらしましたとさ、というお姫様と王子様の普通のお話しにします。二次創作でもっとも多くみられたハッピーエンドです。
ラノベというのはそもそもまだ海外の書店には場所さえない。日本限定でいいんですよ、私は。ラノベの棚もないところにラノベを置いてもらうことはできないでしょ。
しかし、アニメは放送枠ある。なので、アニメは海外展開しますし、内容もアニメ演出用に調整した状態でお届けします。
争いのはてに、というよりかは、そんなに読者はセナとシズマが結婚して子供を産み育て、そういう二人とともに過ごしたかったのか、と。ジエンはそんなにセナの戴冠を待ち望んでいたのか、と。
そんなにか。そんなに、セナに戻ってきてほしくて、そんなにシズマと結ばれて幸せになってほしかったか。たとえ歴史の苦しみを無視したとしても。戦勝の責任と敗戦の辛苦に目をつむってでも、それでも、セナとシズマに結婚して、それが幸せだよねって世界を望んだか。そうか。それが、令和というイマドキか。
クロユリはそうはならなかったけど、クロユリの読者はそうあってほしいと願っています。
著者としては、だったら、それも、形にしたい。でも、それは読者の願い。だから、読者が考えたクロユリとして、アニメはそういう形にしようと思います。セナとシズマが結婚して末ながく幸せに暮らすことを、どちらの国民も願ってやまない。それが、読者の考えたクロユリの姿なら、私は大いに感謝しますよ。アニメは、そんな読者への返礼。
これで満足か、私よりもなお、勝手のすぎる自意識過剰な読者たちよ。(笑)
2020年 清水 さゆる