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6.そして妹は故郷に還ってきた

ソ連崩壊とともに紀伊が還ってきます。


中国がヴァリャーグを買えたんだから、日本もバブルの勢いがあればコルサコフを買えるでしょう。たぶん。

「1975年にキエフ級が就役してしばらくすると、コルサコフは予備艦扱いとなりました。そしてウラジオストクで整備もされず係留されたままとなります」


 瀬川さんが当時の写真を指さす。


 うわぁ、ボロボロ……。


 飛行甲板はゴミ捨て場みたいになってるし、船体もサビサビで少し傾いてる。控えめに表現しても廃船だ。廃墟マニアが見たら涎を垂らしそう。


「このまま朽ち果てる運命だったコルサコフですがソ連崩壊で再び運命が変わりました。崩壊直後のロシアに日本の財団がコルサコフの購入を打診したのです」


 バブル末期とはいえ、まだまだ日本には金が唸るほどあった。ロシアは結構な金額を吹っかけてきたらしいが、財団はあっさりキャッシュで払ったそうだ。今じゃ信じられん。あの時は結構大きなニュースになったな。


 一部のマスコミとか市民団体とか政党とか特定国とかが文句をつけてきたそうだけど、「時代遅れの骨董品だし、武装を外して博物館にするから」と説明して強硬突破したそうだ。



 ■復元工事


「そしてついに紀伊はこの呉に戻ってきました。約束通り機関を含めすべての機器や武装は取り外されていましたし、形も日本海軍に居たころと随分変わっていました。それを1年かけて当時の姿に戻したのです」


 もっとも形だけの張りぼてですけどね。復元工事途中の写真を説明しながら瀬川さんは苦笑した。


「あっ、でも、すごく良く出来てるなと思います。すごいです」


 俺は感想を口にした。


「残念ながら国内の資料は終戦時にほとんど燃やされてしまっていました。ですがソ連やアメリカに当時の資料が結構残っていたんです。おかげで図面や写真には不自由しませんでした。備品や調度品まで保管されていたんです。菊の御紋や錨なんかも倉庫で埃を被っていたのを発見して購入しました」


 なるほどね。そんだけ資料があれば形だけ再現するのは造作もなかったろう。


「おかげで本艦は終戦直前の、沖縄戦当時の姿をほぼ忠実に再現する事ができました。残念ながら重要文化財の指定は受けられませんでしたが、努力の甲斐もあって2018年に軍港四市が日本遺産に指定された際に構成文化財の一つと認められました」


 まぁ船体だけは本物でも、他は映画のセットみたいなもんだしね。鉄板に見える壁や天井も実は新建材だって。うーん鉄板にしか見えん。良い仕事してますねー。


 ちなみに法律的には紀伊は横浜の日本丸と違って船籍が無い、つまり船でなく海上の建造物(浮体構造物)扱いって事になってるそうだ。だから船舶安全法・港湾法・建築基準法・消防法とか諸々の関連法規をクリアするのが大変だったんだって。


「こちらにはソ連や米国から返還されたり購入することで集められた、紀伊と信濃の様々な備品が展示してあります」


 次に案内されたブースには、様々な品々や資料が展示されていた。


 やっぱり一番目立つのは大きな菊の御紋だ。もう金色の輝きはほとんど失われているけど信濃の艦首を飾っていた実物だそうだ。今、艦首についているのはFRP製のレプリカなんだって。



 ■紀伊神社


 展示ブースの並びを抜けると、そこに突然、赤い鳥居が出現した。背後にはご丁寧に立派な御社おやしろまである。場違い感が半端ねー。


「こちらは紀伊の艦内神社です。艦名にちなんで紀伊和歌山の一之宮、日前國懸神宮ひのくまくにかかすじんぐうから勧請かんじょうしています。艦内神社は、普通は艦橋に小さな神棚を設けるだけなのですが……なにしろ最近は参拝客が増えたもので、今はこういう形になってます」


 苦笑しながら瀬川さんが説明してくれた。紀伊の艦内神社は合格祈願や旅行・転勤の安全祈願に訪れる人が元々多かったらしい。沈まない、必ず戻ってくるという紀伊の経歴にあやかりたかったのだろう。


 それが近年のアニメやゲームの影響で参拝客が大幅に増えたので、仕方なく本格的な神社を据える事にしたんだそうだ。女の子の描かれた大きな看板とかカラフルな絵馬とか……事情が察せられるわ~。なんと艦内神社なのに神主さんや巫女さんまで居るんだって。


 まぁ、参拝客=入場者が増えれば、それだけ博物館も潤うから良いことなんだろう。祭神さいじんの日前大神・國懸大神は天照大神あまてらすおおかみの別名だそうだ。ありがたいから俺も後でお参りしとこう。



 ■上部格納庫


「ではこれから、エレベーターに乗って上部格納庫に移動します。エレベーターと言っても航空機用です。こちらの四角い線の内側に入ってください。危険なので皆さん出来るだけ真ん中に集まってくださいね」


 10分ほどのトイレ休憩を挟んで、俺たちは中央エレベーターで上部格納庫に移動した。エレベータが動く時に赤い回転灯が光って、カンカンカンという甲高いベルが鳴る。ベルがまじ煩い。まぁ本当じゃエンジン音が轟々としているだろうから、このくらいの音量じゃなきゃ聞こえないんだろうね。


 そうやって到着した上部格納庫は、下と違ってただっ広い空間だった。まさにザ・格納庫という感じ。


「このフロアは部屋を作らずに格納庫のままとして航空機を展示しています」


 確かにそこには何機かの航空機が展示されていた。零戦、紫電改、97艦攻、99艦爆、彗星、天山、流星、そして場違いなジェット機が1機。


「まずは零戦です。これは琵琶湖から引き揚げられた機体です。元は別の施設に展示されていたんですが、回りまわって今は本艦に展示されています」


 この零戦62型は琵琶湖から引き揚げられた機体だ。最初は京都の嵐山美術館にあったんだけど、そこが閉館になったんで和歌山のゼロパークに移って、そこもまた閉館になったんで紀伊ミュージアムが引き取ったという。ちょっと可哀そうな由来の機体だ。


「実は、この中で実際に紀伊に搭載されたのは紫電改だけです」


 一通り各々のプロペラ機を説明した後、瀬川さんが付け加えた。そう。紀伊が沖縄に向かった時、積んでいたのはごく少数の紫電改だけだった。ちなみに紫電改には着艦装備は無かったのだが、信濃型への搭載用に艦載型が少数だけ生産されていたらしい。


「また、零戦以外の機体は全て図面や資料を基に忠実に再現したレプリカです」


 たしかに、波打った古びた外板から歴史を感じさせる零戦に対して、他の機体はピカピカの新品に見えた。


「残念ながら、これらの機体は本物がほとんど残されていないのが現状なのです」


 だがレプリカと侮るなかれ。ここの機体は最新の考証をもとに常にアップデートが行われている。本物じゃないレプリカだからこそ可能な事だね。隣の大和ミュージアムにある10分の1模型と同じだ。


 だから「本物より本物らしい」と言われている。マニアは、ここの機体を調べてから模型を作る程だ。今もツアー参加者の何人がか機体に取り付いて細かい部分の写真を撮っている。きっと彼らは模型マニアなんだろうな。



 ■ソ連時代の搭載機


 さて、俺たちは最後に一機だけ置かれている場違いなジェット機の前に移動した。青と緑に塗り分けられたその機体には赤い星が描かれている。はい、あの国の機体ですね。


「このジェット機はソ連時代にコルサコフが搭載していた機体です。もちろんこれも実物に似せたレプリカです。当時このジェット機をおよそ80機搭載していたと言われています」


 これは東側のベストセラー機、Mig-21を艦載化した機体だ。型式はMig-21FK。「K」はロシア語のкорабельный、艦上用って意味ね。


 Mig-21FKは艦載機だけあって元のMiG-21と色々違ってる。着艦フックが付くのは当然として、一番目立つのは機首にあるカナード翼だ。現代と違ってSTOL性能の改善が目的なんで離陸と着陸の時しか使われないらしい。


挿絵(By みてみん)


 瀬川さんはレプリカと言ってるけど、実はこれ、本物と言えなくもないんだよね。なにせ一部の材料に本物を使ってるから。


 外板や翼の一部、キャノピー、それに脚回りには、インド空軍が使用していた機体のスクラップが使われてるんだ。もちろん中身は空っぽでエンジンも無いし、コックピットはゼロからそれっぽく作ったらしいけど。


 この後に配備されたMig-23の方が形はカッコイイけど、俺はこの武骨なMig-21FKも好きだね。



 ■飛行甲板


 その後俺たちはまたトイレ休憩を挟んで、再び中央エレベーターで飛行甲板に上がった。今度は外に出るから、まるで秘密基地から発進するみたい。ワクワクした俺はサン〇ーバードの音楽を口ずさみたくなった。


 飛行甲板はめちゃくちゃ広かった。潮風がきつい。冬の見学は厳しいだろうな。実際、天候が悪いと飛行甲板の見学はできないんだって。今日は天気が良いからよかったよ。


 足元を見ると昔の船って感じがしない。木甲板じゃないし継ぎ目も無くてグレーに塗装されてる。まるで現代の軍艦みたいだ。


「この飛行甲板は75mm厚の装甲板の上に更に45mm厚のコンクリート舗装が施されていました。そのため500kg爆弾の急降下爆撃にも耐えたと言われています」


 信濃型は大鳳からはじまった日本の装甲空母の完成形だ。飛龍や翔鶴みたいな木甲板じゃないんだよね。大鳳は残念ながら沈んじゃったけど、信濃と紀伊は沖縄と呉で何発も爆弾を食らったのに沈まなかった。とんでもない防御力だ。


「なんで表面が灰色なんですか?」


 例の中学生が質問した。


「表面にラテックスが塗布されているからです。コンクリートのままだと航空機と乗員の足に負担がかかりますからね」


 信濃と紀伊の甲板構造はソ連と米国の調査記録から明確に分かっている。でも大鳳の甲板がどうだったかは今でも分からないそうだ。この紀伊と同じだったという証言もあれば、木甲板だったという記録もある。真実はマリアナの海底に眠っている彼女を調べないと分からないだろうね。


 その後、俺たちは舷側の高角砲と機銃座を見学した。当然これらも全て形だけのレプリカだ。横須賀の三笠と同じだね。それでも三笠の備砲なんかよりしっかり作られているから見た目は完全に本物。映画撮影に何度も使われたのも頷ける。


 機銃座では実際に操作もさせてもらえた。更に瀬川さんが沖縄戦の時の様子を身振り手振りで説明してくれた。敵の攻撃はよく覚えていないそうだ。運べ!とか退避!とかの命令に無我夢中で従っているうちに戦闘は終わってしまったらしい。


 紀伊が呉に戻った後に瀬川さんらは艦を降ろされたそうだ。そして呉鎮守府の施設部に配属されて、対空陣地や防空壕を作ったり、合間に農作業したりしてて終戦を迎えたとのこと。本当にお疲れ様でした。



 ■艦橋


 最後に俺たちは艦橋に案内された。


「艦橋は残念ながら全て作り物となっております。なにしろソ連時代に艦橋は全部作り直されていましたので……」


 瀬川さんが残念そうに説明する。紀伊の大きな艦橋は全体が軽量鉄骨と新建材で出来た張りぼてだそうだ。ちなみにコルサコフの艦橋は解体されずに紀伊の近くの岸壁に展示されてる。もっともドンガラだけなので内部の見学はできないけど。


「それでも、忠実に再現されていますから、当時の雰囲気は十分伝わると思います」


 たしかに艦橋内の通路や艦長室、士官室、飛行士待機所、航海艦橋とか、見れる場所だけはかなり頑張って再現されていた。アメリカやソ連に資料や艤装品がたくさん残されていたからね。確かに当時の写真と見比べても寸分違わない。本当にいい仕事してますね。


 航海艦橋では舵輪を握って記念撮影したり、某ネズミーランドの外輪船みたいに汽笛を鳴らしたり楽しめた。あ、ちゃんと艦橋にも紀伊神社の神棚がありました。


 電探室では実物のレーダーを操作することができた。


「この線が江田島です。そこから右に回すと見えてくる、この線が「かが」、その手前の低い線が「いなづま」で……」


 俺も電探を操作をしてみたけど、21号も13号もAスコープだから全然見方が分からん。瀬川さんがパネルで丁寧に説明してくれたけど、全然分からん。


 最新技術と素子で再現してあるから昔より精度も画面もいいって言われたけど、この縦線の並びをどう見ろと……。よく昔の人はこれで船とか飛行機とか見つけたもんだ。(あ、ちゃんと現在の電波法に準拠した周波数と出力で再現されてるそうです)


 艦橋の見学を終えると、俺たちは長い階段を下って下部格納庫に戻ってきた。そして艦首側出入り口の手前にあるお土産ショップ前で解散となった。


「以上でツアーは終了です。皆さんお疲れ様でした」


「「「ありがとうございましたー」」」


 皆で瀬川さんにお礼を言った。本当に充実した楽しいツアーだった。


「このまま艦内の見学を続けられても結構ですし、一度本艦を出ても当日中ならチケットを見せれば再入場可能です。それでは皆さん、ゆっくり楽しんでいってください」


「あ、瀬川さん、待ってください」


 一仕事終えて出口に向かおうとした瀬川さんを俺は呼び止めた。


「瀬川さん、今日は本当にありがとうございました。あ、あの……も、もし良ければ一緒に記念写真良いですか?」


 俺はダメ元で瀬川さんにお願いした。瀬川さんは恥ずかしながらも一緒に写真に写ってくれた。それを見ていた他の人も次々と瀬川さんに記念撮影をお願いしている。瀬川さんはちょっと困ってたけど嬉しそうだった。うん、良い仕事をした。



 ■お土産ショップ


 瀬川さんと別れて特別展もしっかり堪能した後、俺はお土産ショップを物色していた。どこでも買える品に用は無い。ここでしか買えないグッズを探す。もちろん俺はネットでちゃんと事前調査しておいたから目標は決まっている。


「お、あったあった」


 まず絶対に確保すべきなのは紀伊の彩色完成模型だ。スケールは1/2000。値段も1980円でお手頃です。戦艦計画時、沖縄戦時、ソ連時代最終時の3形態がある。3形態って言うと東京を襲った某巨大怪獣みたい。


「あ、あの、在庫見比べさせてもらって良いですか?」


 店員さんにお願いして、出来の良い奴を厳選して買い物かごに放り込む。フィギュアは顔が命。後で塗装とか組立のアラに気づくとめちゃくちゃ後悔するからね。大和ミュージアムの方にも同じシリーズの大和の模型が有るから忘れずに買わないと。


 後はクリアファイルとかピンバッチとかか。大した値段じゃないし、次また来れるか分からないから、とにかく買う。


 買い物後は、もう一度艦内にもどって気になった所を見て回った。ちゃんと艦内神社にも参拝しましたよ。


 たっぷり見学した後に艦を降りたらもう日が傾いてた。夕日をバックに紀伊のシルエットをパチリ。うん、大満足の一日だった。


 今日は疲れたから、夕食に「いせ屋」の肉じゃがと海軍カレー食べて体力を回復して、あとはホテルでゆっくりしよう。明日は大和ミュージアムと、てつのくじら館と港内クルーズが待ってるからね。

以上で妄想の旅は終了です。楽しんで頂けたでしょうか。


実は私、スーパージェット乗船はおろか呉にも四国にも行ったこと有りません。広島なんて修学旅行で原爆ドームに行ったきりです。


大和ミュージアムには一度行ってみたいなぁ。

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面白かったです。妄想堪能しました! 幾つか分かるネタがあってニヤリとしました。
[気になる点] 紫電改なら実機が愛媛の南レク公園にありますよ?
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