5.生き別れの姉妹ってよくある話だよね
大和は史実通りに沈みましたが、信濃と紀伊は生き残りました。そして戦後は別々の道を歩むことになります。
肝心の挿絵が間に合いませんでした……ごめんなさい。
'19/12/11 やっとシブヤンシーとコルサコフのイラストをアップできました。
「さて、呉に帰ってはきたものの、信濃と紀伊の損傷は酷いものでした。もう空母としての活躍も見込めないことから2隻は修理もほとんどされないまま放置されていました」
うん、残念だけど仕方ないよね。搭載する航空機も無いから空母を修理する意味なんて無いもの。
「しかしこの呉も7月に米軍の大空襲を受けます。この攻撃で多数の艦艇が沈められましたが、信濃と紀伊はこの攻撃でも生き残りました」
呉の大空襲で信濃と紀伊はまた何発か爆弾を受けたけど沈まなかったんだ。だけど信濃の方が損害が大きかった。これが姉妹の運命を分ける事になる。
「そこで海軍は航行可能で比較的損傷の少ない艦を北へ逃がすことにしました。残念ながら信濃は損傷が酷いため呉に残され、紀伊のみが日本海経由で脱出し樺太の大泊に身を潜めました。両艦はそこでそのまま終戦を迎えることになります。ここから先は2隻の辿った戦後の歴史を紹介しましょう」
そう言って瀬川さんは隣のブースへ俺たちを案内した。
■戦後の信濃
「終戦後、信濃は米軍に接収されました。その巨大な船体と沖縄で示した強靭な防御力に興味を持った米軍は、簡易的な修理をして米国本土へ移送するよう命じました」
瀬川さんは壁の写真を指さした。そこには艦種と艦尾に「SHINANO」とペンキで乱暴に書かれたカラー写真があった。爆弾の痕も生々しい。
「米国での調査の後、信濃は本格的に修理改装され、艦名もシブヤンシーと改められて米海軍に所属する事になりました。米海軍では『マイティS』という愛称で親しまれたそうです。そしてその巨体を生かして各種試験に用いられました。様々な改装を受けたので形も大きく変わり、最後にはこちらの模型の様になりました」
そこにはWW2時代の空母で標準だった長方形の甲板ではなく、近代的なアングルドデッキを備えた空母の姿があった。
信濃はCVX-58のハルナンバーを与えられてシブヤンシーになったんだ。Xは試験艦の意味だそうだ。シブヤンシーはアングルドデッキ、スチームカタパルト、サイドエレベーター、レーダーなどなど、最新装備のテストベッドにされた。そして米軍はそのデータをミッドウェイ級とかの改装やフォレスタル級の建造に生かしたって訳だ。
「シブヤンシーは1956年に退役しましたが、残念ながら1958年7月にビキニ環礁で行われた核実験の標的艦となり、その生涯を閉じました」
ハードタックI作戦のことだ。実験目的は艦船と航空機へのフォールアウト影響の調査だったらしい。その一つ、ジュニパーと呼ばれる核実験に信濃は使われてしまった。7万トンの最新鋭装備をまとった空母を実験に使うなんてアメリカももったいない事をするよな。
「この実験の規模は65キロトン。広島に落とされた原爆のおよそ4倍の威力です。信濃はこの爆心からおよそ1キロ離れた位置に置かれました」
横のモニターには核実験のビデオが映っている。巨大な火球とともに信濃を衝撃波が、次いで高波が襲う。そして大きなきのこ雲が立ち上がる。
本当に残念な事だよ。フォールアウト調べるのになんで空母を沈める必要があるんだと小一時間問い詰めたい。もしかしたら信濃&紀伊姉妹がそろってここに居た未来が有ったかもしれないのに。
「こんなに恐ろしい爆発にも信濃は耐えました。信濃はこの実験では沈まなかったのです」
どうせ奴らは信濃を沈める力を持っているんだぞって誇示したかっただけなんだろう。信濃の主砲前盾用の装甲板をアイオワ級の主砲でゼロ距離から打ち抜いて、すごいだろって展示して悦に入ってるクズ共だからな。
しかし皮肉にもこの実験は信濃型の強靭さを却って証明する事になってしまった。ざまぁ。
米軍機の猛攻に耐え、更に核実験にすらも耐えたってことで、ゲームに出てくる信濃型の防御力も大和型同様に壊れ性能に設定されてる事が多いよな。
そういや大和が宇宙戦艦になるアニメがヒットした後、信濃が宇宙にいくアニメも作られてたな。たしかブルーなんとかって言ったっけ?
「結局、信濃は実験から2週間後に自沈処分されました。日本では第五福竜丸事件の記憶も新しかったので返還運動は起きなかったようです。そして信濃は今でもビキニ環礁の海底に眠っています」
そこには水中カメラで最近撮影された信濃の写真があった。ガラスケース内には海底の信濃の様子を再現したジオラマもある。上部に重量物が無いおかげで、信濃は正立状態で海底に着座していた。爆破処分ではあったが大きな破損は見えない。菊の御紋もなく装備も米式になっているが、タライと言われた特徴的な船体形状は、間違いなく大和型の1隻であることを示していた。
「現在開催中の特別展では、この信濃の現在の様子を展示しています。水中カメラで撮影された最新映像や実物大模型など見所一杯です。本ツアー後にぜひご覧になってください」
さすが瀬川さん、宣伝も忘れないのね。俺も後で忘れずに見てこよう。
■戦後の紀伊
「信濃がアメリカに渡った一方で、紀伊はソ連に行くことになりました。原因は突然のソ連の対日参戦です」
ソ連の馬鹿野郎め。でも紀伊はソ連に行ったおかげで生き残ったってこともあるからなぁ。アメリカに行ってたら、信濃と同じ運命だったかもしれないし。
「樺太に避難していた紀伊は、操艦要員が居なかったため動くことも自沈も出来ず、そのままソ連に拿捕されてしまいました。それまで空母を持たなかったソ連は紀伊を確保できた事に大喜びしたそうです」
そりゃそうだろうね。ドイツのグラーフ・ツェッペリンはガラクタで使い物にならなかったし。英米は色々と文句を言ったらしいけど、ソ連はさっさとウラジオストクへ曳航してったらしい。
「ウラジオストクで調査と修理をされた紀伊は、コルサコフと命名されてソ連太平洋艦隊に所属しました。こうしてソ連は喉から手が出るほど欲しかった空母の技術を手に入れたのです」
でもハードウェアは手に入れたけどソ連には運用ノウハウが無かった。だからソ連は捕虜から海軍関係者を手あたり次第引っ張り出して学んだそうだ。
有名どころは元赤城の艦長でコルサコフの初代副艦長になった青木大佐とか、流星改でソ連の駆逐艦を撃沈した藤堂少尉とかだな。二人とも帰国せずに現地で結婚して最終的に将官にまでなったらしい。すごいね。
「コルサコフこと紀伊は、その後何度も改装を重ねて、1967年にモスクワ級が就役するまでソ連海軍で唯一の空母として活躍しました。モントルー条約により黒海のボスポラス海峡を通過できないので、コルサコフは常に太平洋艦隊に所属していました」
壁には赤い星をはためかせた紀伊の写真が何枚もあった。そう言えばソ連の羽振りが良かった頃はカムラン湾に進出して示威活動もしてたな。ガラスケースにはその頃のコルサコフの模型があった。アメリカに渡った信濃とはまた違った形に進化してる。
しかし、俺の目から見ても、信濃に比べて紀伊は近代的な空母として熟成が足りてないのが一目瞭然だった。アングルドデッキは中途半端だし、舷側エレベータが少ない癖に中央エレベーターは残ったまま。その上、空母の癖になぜか対艦ミサイルまで積んでたりする。
それでも、もし紀伊を手に入れていなかったら、ソ連はまともな空母なんて造れなかっただろうな。米軍の空母ミッドウェイ最終形態(SCB-101/66)に瓜二つのモスクワ級なんかも、もしかしたら中途半端な軍艦になっていたに違いない。
この世界のソ連は、紀伊を手に入れた事とクズネツォフの失脚が無かった事で、まっとうなCTOL空母を持つようになってます。
それでも、ボスポラス海峡を通過できるように変な航空巡洋艦はやっぱり有るかもしれませんね。