09.些細なことをきっかけに―sideS
女子社員とは一定距離を置いていた。不自然に思われない程度に。理由は、面倒だから。
外見やステータスだけで評価されても、そんなの単なる記号にしかならないし嬉しいと思わない。
見かけで勝手に判断して「そんな人だとは思わなかった」と言われるのがオチ。
そんなことを口に出すと仕事がままならなくなるから、笑顔で受け流す方法は最善の方法だった。
「佐伯さん、今日この後皆で飲みに行こうって話してるんですけど、行きませんか?」
「ごめん。俺、これから取引先と約束あるんだ」
間違っても“また今度の機会にね”なんてことも口にしない。
会社にいなくても済むようにと外に出ていたら、いつの間にか営業成績は上位に食い込んでいた。そのおかげで使い古された陳腐な言葉でもバリケード代わりになった。
*
すぐに音を上げると思っていたのに、彼女は違った。
「若いのに実力ある君だから付き合いを続けてるけど、佐伯君より若いしかも女の子なんて使えるの?」
成瀬を取引先に同行するようになって半年。
そろそろ連れて行ってもいいかなと同行させた取引先。成瀬に向けて最初に言われた言葉がそれだ。
カタギリ製薬取引担当者の西島さんは効率の良い仕事をしてくれるのでとても助かる。
ただ、言ってしまうととにかく性格が悪い。
人を見た目で判断して中身を見ようとしない典型的な人間。俺も最初は同じようなことを言われた。
彼からすれば、挨拶のようなもので激励のつもりなのかもしれないけれど。
「至らない点はこれから頑張ります。よろしくお願いします」
顔色一つ変えずに答えた成瀬。
少しだけ見る目が変わった。彼女はちゃんと自分の力で上に登ろうとしている。
「俺の担当、キツイとこばっかりでしょ。ごめんね」
帰りの営業車の中で成瀬に声を掛けた。
彼女はあれから西島さんに対して強気の姿勢を保ち続けていた。終わって車に乗ってからしばらく口を開いていない。
「関係ありません。佐伯さんについていくだけですから」
「お、頼もしい」
「なんて強がりですけどね」
いくらか弱気な発言が返ってきたことに安心する。
俺にまで虚勢を張っていたんじゃ、きっとこの先持たないだろうから。
信号待ちで止まった際にちらりと成瀬の横顔を見る。成瀬は一生懸命口を結んで前を見据えている。
――彼女の固まったスタイルを崩すのはこれからだな。
俺は頭の中の店のリストを検索すると、車を走らせた。
*
「申し訳ありません」
「やる気あるの? やっぱり女の子なんて使えないね」
商品の発注ミス。
日頃ミスのないように気をつけていたことに慢心し過ぎて招いたミスだ。西島さんはこういったミスが大嫌いな人だった。
「あります。一生懸命させて頂いています」
「それがこれ?」
被せるように西島さんが成瀬に詰め寄る。
「それは……私の」
「GOサインを出したのは私です。私の責任です」
成瀬の前に一歩進み出て彼女の言葉を遮った。
彼女はまだ何か言いたげに俺の腕を押したが、すぐに諦めたらしい。俺の腕を掴んでいた指から力が抜ける。
西島さんのさっきまで成瀬を睨みつけていた視線を変えて、怒りの矛先は俺に向いた。
「本当に大丈夫? 女性の仕事はイマイチ信用出来ないんだよね」
「大丈夫です」
成瀬は俺を凝視し続けている西島さんの目を真っ直ぐ見据える。
西島さんは静かに目を伏せてふーっと深く息を吐いた。
「今回は佐伯君の顔を立てるけどこの次はないよ」
*
「すみませんでした」
カタギリ製薬のビルが見えなくなったところで成瀬が立ち止まって頭を下げた。
「あの場で潔くミスを認めたことは褒めるけど、簡単に責任を取りますなんて言わないように。成瀬、言おうとしてたでしょ」
「はい」
成瀬が俯いたまま消え入りそうな声で答えた。
「逆に無責任だと思われるよ。成瀬が責任とったところでどうにもならないから」
言い過ぎたかな。
沈黙した空気に居たたまれなくなった。カーナビのスイッチをつけようと手を伸ばしたところだった。
「佐伯さん」
名前を呼ばれただけなのに、刺すような彼女の空気に思わず圧倒された。
ちょうど赤信号が見えて、ゆっくりとブレーキを踏んだ。
「私一人でやるとまた同じことを繰り返すと思うのでもう一度指導と、チェックお願いします!」
彼女の目には涙どころか何か決意が見える。
あぁ、逆境があればあるほど負けたくないタイプか。
「了解」
――後輩を応援してやりたいってこういうことかな。
自然と笑みが零れた。
*
「前より良くなったよ、成瀬さん。やればできるじゃないか」
初めて西島さんが成瀬の名前を呼んだ。
彼女の仕事を認めてくれたということだろう。自分のことのように嬉しくなり、つい声も張ってしまう。
「ありがとうございます! これからもよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくお願いしますね」
いつもは厳格な西島さんが顔を崩した。
帰りの車の中。助手席の成瀬は黙ったまま外を眺めている。挽回しようとここ一ヶ月頑張ってた分、疲れも相当だろう。
「成瀬、今日はお疲れ様。西島さん、たぶん成瀬のこと認めてくれたよ」
「本当ですか!?」
まるで飛びついて来そうな勢いで嬉しそうな悲鳴を上げる成瀬。
抱えていた不安も俺の想像と比べ物にならないくらいだったのだとそれでわかる。
「楽しいですよね」
「ん?」
信号が赤になったところで成瀬に視線を移す。
「佐伯さんがこの仕事を好きな気持ち分かります。私も楽しいです!」
そう言った彼女の笑顔が忘れられなくなった。