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嘘つきのつくりかた  作者: 青依ヒイナ
Main story
7/20

07.行方不明の動点P

  バンッ。


「高校生かあたしは」


 感情のままに壁に叩きつけた手のひら。思ったより廊下に響いた音に、周囲を見渡すが誰もいない。

 ホッとすると手のひらが急にジンジンと痛みだした。


 驚いた拍子に逃げてきてしまった。

 何もかも予想外で、こうなった理由がわからない。

 ……新倉、席に戻ってるのかな。あんな捨て台詞を投げた後だ。彼の隣で仕事ができる自信がない。

 仕事の雰囲気から逃げて歩いていたら、いつの間にか会社のエントランスまで来ていた。


 エントランスのガラスの向こうは空は一面のグレー。

 ――今朝、ニュースで天気予報士が傘を持って行けって言ってた。あ、ベランダにタオル干したままだ。また洗濯し直しか。面倒くさいな。

 目の前に広がっている空の色に感情の勢いを取られ、どうでもいいことが次々と頭を過る。

 鞄は会社に置いたままだ。

 もういいや。今は混乱している頭を落ち着けよう。

 着ているジャケットのポケットに手を突っ込むと、不規則に折りたたまれたカフェのレシートが出てきた。それをもう一度ポケットに入れて、中で握りつぶした。

 小銭だけを持って出たから財布もない。


「成瀬?」


 聞き覚えのある声に体がビクッと反応した。

 ゆっくり声のした方を向くとそこに立っていたのは。


「さえき、さん」


 いつの間にか小雨が降っていた。

 彼の差している傘は慌てて購入したものなのだろう。傘の大きさが彼の肩幅には合っていなくて、スーツの肩の色が少し濃くなっている。


「その傘、サイズ合ってないですよ佐伯さん。肩濡れちゃってるじゃないですか」

「一番大きいサイズがこれしかなかったから。それより成瀬、傘は? 今帰り?」


 つうっと何かが左頬をつたった。

 もう10代の小娘じゃないんだから泣くほどのことが起きたわけじゃない。

 でも、最初に起こった反応は涙。

 ちょうどよく、しっとりと顔を濡らすくらいの雨が降リ続けている。

 上手くごまかせるならこのままでいいや。この中なら佐伯さんにバレずに済む。


「濡れてんのは成瀬じゃん。今更かも知れないけどほら、入って」


 飾り気のない優しさに一層涙腺が緩んでしまう。

 ごまかせない程溢れてくる涙を見られないよう、慌てて下を向いた。


「いいです、佐伯さんが濡れちゃいます。私家近いんで大丈夫です」


 下を向いたまま、傘を持っている方の彼の腕を軽く押し出した。


「先輩の言うことは黙って聞きなさい」


 静かに優しく諭されてそれ以上抵抗できなくなってしまった。黙って傘の中に入った。ただでさえ足りていない濡れない領域はさらに減って、佐伯さんのスーツの肩の色は更に濃くなった。


「とりあえず、会社戻ろう。こっから一番近いし」


 そう言って私の腕を引く佐伯さんに、私は思い切り左右に首を振る。濡れた顔や髪の水気が辺りに飛び散った。

 あれからどれくらい時間が経っているのかわからなかった。もしかしたらまだ新倉がいるかもしれない。

 雨に濡れて風邪を引くことになろうが、戻りたくなかった。


「この時間なら誰もいないよ。就業時間とっくに過ぎてる」


 佐伯さんはそう言って私の腕を掴んで歩き始めた。



 会社の中にはまだいくらか残っている人間がいた。

 自分のオフィスにも誰か残っているだろうかと恐る恐る企画部を覗く。佐伯さんに大丈夫だと言われても、自分で確認するまでは安心できなかった。

 人影は見えないことがわかると、私は胸を撫で下ろした。

 オフィスに着くと、そのまま手を引かれて奥のソファに連れて行かれた。

 両肩をグッと沈められ、私はボスンとソファに座らされる。


「はい。一時凌ぎだけどこれで体拭いて。で、これ飲んで」


 今、私の頭にはまっさらの白いハンドタオル。手にはホカホカと湯気の立ち上るコーヒー。

 全部佐伯さんがソファでボーッとしてる私に用意してくれたものだ。

 マグカップから伝わるコーヒーの温かさを感じると、ようやく人心地がつけた。


「すみません……でもタオルの場所よく知ってましたね?」

「前に女子社員に教えてもらった」


 彼の普段の当然過ぎる情景。もう言葉にするのも変な感じがして、口を「へー」の形にしたまま佐伯さんを見つめる。

 私の真意がわかったらしい、佐伯さんは片手をぶんぶんと顔の前で振る。


「今日みたいに雨に振られた時にすぐにタオル出してくれてさ。それでなんでかなって聞いただけだから」

「そんなに思い切り言い訳しなくてもいいじゃないですか」


 すぐに反論する佐伯さんがおかしくて笑ってしまう。


「いや、成瀬、今絶対、俺のこと軽いヤツだと思ったでしょ」

「さすがだなぁと感心してました」

「顔が肯定してるじゃん!」


 二人でひとしきり笑って落ち着くと再び静寂が訪れる。

 企画部には私達以外、気配がない。

 普段は滅多に座ることのない来客用のふんわりしたソファーに佐伯さんと向かい合せで座っているのが不思議で、なんだか現実のように思えなかった。

 急にふわふわと軽い目眩が起きた。

 まだ温もりの残るマグカップで手を温めながら、目眩が治まるまで目をつぶると暗闇の中に声が響く。


「……言いたくないならいいんだけどさ、成瀬。さっき泣いてたよね? 何かあった?」


 佐伯さんの口調は問い詰めるものではなく、優しく確かめるものだった。

 彼に隠し事ができないことを今更思い出し、こんな状況で嘘をつけるわけもなく。ただ一度こくんと首を下へ向ける。


「にい?」


 囁くような声で彼がもう一度念押しをした。

 下へ向けたままの首の位置をさらに落とした。


「そっかぁ……」


 佐伯さんがそのまま天井を仰いだ。

 矢継ぎ早に質問が飛んで来ることもなく、ただ静かに時間が過ぎる。

 カチカチカチカチ……

 時計の針が動く音が、しんとした空間に響く。

 それと共にたまに佐伯さんの唸り声が聞こえてくる。


「あの……」


 やがて佐伯さんの唸り声は消え、秒針の音だけが響く。

 さっきから何度か話し掛けてみているのだが、佐伯さんの反応がない。


「佐伯さん?」


 何度目かの呼び掛けで佐伯さんが反応した。


「ぅおっ」

「わぁっ」


 予想外の反応に不意をつかれて、私も声を上げた。


「え、あ、ごめん」


 やっと私に気づいた佐伯さんが申し訳なさそうにした。


「あの」

「うん?」

「佐伯さんと新倉っていつからの付き合いなんですか?」


 佐伯さんは少し不思議そうな顔をしたけれど、何かを察したように話し始めた。

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