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嘘つきのつくりかた  作者: 青依ヒイナ
Main story
5/20

05.型破りアライアンス

 今一番悩んでいること。

 それは隣からのプレッシャーである。


「俺、今日はこれだけ進んだけどアナタはそれだけ? どうせ何か無駄なことしてんじゃないの?」


 無駄なことをしてんのはお前だ。

 今話してるこの時間を自分の仕事の時間に当てればいいのに。

 そんなところで溜息でもつけば。


「溜息ばっかついてるから俺に出し抜かれるのよ。そのクセ、早く直しなさいね」


 嘲笑と共に悪態が飛んでくる。

 それでも余程のことがない限り、定時には仕事を切り上げて帰っていくのだ。

 干渉されるプレッシャーよりも、そっちの方がもどかしくてやりきれない。


 更に超える頭痛の種があった。

 佐伯さんから頼まれた資料でやってしまったミス。

 今日は佐伯さんと別行動。彼はもう既に外出してしまっている。小さなミスだとしても、このまま佐伯さんに黙っているのはどうしても気が引ける。

 ……気は進まないが、隣の彼ならどうするか聞いてみようか。


 キーボードに手を置いたまま、ゆっくり息を吐いて整える。

 憎まれ口ならいくらでも叩けるのに、新倉にまともなことを話すのは緊張する。

 よし。

 勢いをつけて右に振り向いた。


「あのさ、例えば小さなミスをしたことに気づいて、でもそれはその仕事には何の問題もないものなんだけど、それでも黙ってられないときはどうする?」


 どう切り出していいかわからず、思っていたことをまくし立てた。まとまりのない言葉ばかり溢れてしまう。

 きょとんとして新倉はしばらく黙っていたが、私が話し終わるとプハッと軽く息を吐いて笑いだした。


「あのね、それじゃ例え話になってないよ」

「ほんとだ」

「ほんとだ、ってアナタ……」


 アッハッハッハ、といつになく大声で笑う彼に面食らう。

 何が新倉のツボにハマったのかわからない。

 苦しそうに肩で息をしつつも笑いは止まらない。


「そんなに笑わないでよ、こっちは相談してるんだから」

「ああ、そう、ね、ごめん」


 目尻に滲んできた涙を拭い、新倉が私の正面に向き直る。

 その距離約30センチ。近い。新倉の視力は1.0。本人が厭味たらしく自慢していたから覚えている。

 近すぎる彼との距離といつもと違う彼から少しだけ右に視線を外した。


「謝ろう、はい。解決」


 ギッ。

 前のめりになっていた新倉は自席の椅子にもたれると、足を組んだ。


「え? それだけ?」


 あまりにも簡単な答えに呆気に取られる。

 

「え? だってどう? これ謝るべきだと思うよ?」


 何を驚いているのかわからないという顔の新倉。


「だって小さいミスだとしても、成瀬は気になって仕方がないんでしょ?」


 ここまで話した新倉がまたじっと私を見る。

 真っ直ぐこっちを見て言うものだから、照れくさくなって視界から彼を完全に外した。


「じゃあ、もう謝るしかないじゃん」


 トンと音がした。どうせ新倉が呆れて机に肩肘をついたんだろう。


「そうだけど。新倉ならもっとスマートな方法知ってると思って聞いたのに」

「そう思ってくれるのは光栄です」


 言葉で謙遜しつつも、まんざらでもないなさそうだ。


「けどね? これが一番スマートな方法だと俺は思うよ?」


 相変わらず尊大に話している新倉を見ても、不思議と嫌な気分にならなかった。

 小言を言う時はいつも視線が合わないのに、今日は私の方を向いたままだ。そのせいか、今日の言うことは信じられる。

 けれどもどうにも落ち着かない。

 誰だって整った顔の人間に見つめられれば、意識していなくとも落ち着かなくなるはずだ。そう、そのせい。


「で、その謝る対象は青ちゃんなんでしょ」


 どことなく棘の含んだ声。


「どうして?」

「なんとなく。当たってんでしょ」


 その後に新倉が小さく何か呟いた。


「え?」

「新倉さん何も言ってませんけど? 大丈夫? 考え過ぎて疲れてんじゃない?」


 新倉の言葉を聞き返したのにかわいくない返答が来た。


「青ちゃんなら怒らないで聞いてくれるよ」


 その言葉を最後に彼は椅子に座ったまま足で地面を蹴る。

 キャスター付きのそれはぶつかることもなく、まっすぐ彼の席に到着。クルッと机に向き直るとキーボードを叩く。

 横着すんな。

 彼の言い方はぞんざいだったけれど、嬉しかった。

 先ほどの小さな言葉は追求しないことにした。


「ありがとう」


 新倉はこっちを見ないまま抑揚のない声を私に放った。


「どういたしまして」


 何か機嫌を損ねたのかと気にはなったが、いつもの新倉に戻っただけかと思い直して自分も仕事に戻った。


*


「なんかいつもの成瀬と違うみたいだけど、どした?」


 そう、佐伯さんに言われた。

 新倉に相談した翌日。

 今日予定の最後の案件の打ち合わせが終了。取引先の会社からしばらく歩いた頃。

 一日、仕事は何事もなく順調に進んでいたはずだ。いつの間にか顔に不安が出ていたのかもしれない。

 相談したはいいが、いつ言おう、いつ謝ろうとずっとタイミングを図っていた。


「すみません」


 何だかもう、申し訳ない気持ちでいっぱいになり、その言葉しか出てこなかった。


「仕事に差し支えなければ俺は全然いいんだけどさ」


 ニッコリ笑う爽やか王子。

 毒気のない笑顔を向けられると、ますます罪悪感が募ってしまう。

 その笑顔が今はグサグサ突き刺さる。


「もしかして気分悪い?」

「あ、いえ違います、大丈夫です」

「ほんとに? 体調悪かったらすぐ言ってね? タクシー捕まえるから」


 ――近いとは言え、今日に限って営業車空いてないんだもんなぁ。

 佐伯さんの不満そうなぼやきを聞きながら、気持ちを決めた。


「佐伯さん」

「救急車呼ぶ? ちょっと待って」


 佐伯さんは極度の心配症らしい。私の呼び掛けにものすごい速さで反応し、鞄から取り出したスマートフォンで今まさに電話を掛けようとしている。

 ガシッ。


「あのっ! ご心配は有り難いんですが、救急車呼ばないで頂けるととっても嬉しいです……!」


 勢い余ってスマートフォンを持った彼の左腕に突進した。

 同時に佐伯さんから「うっ」と低い声が漏れた。

 慌てて彼の腕を離して体を上下に折ると、申し訳なさそうな声が降ってきた。


「ごめんね。俺、身内に体弱い人間がいるからこういうのだめでさ」


 目線を上げると、すまなそうに眉をひそめた彼が見えた。

 折った体をなかなか元に戻さない私に「成瀬?」と佐伯さんが声を掛ける。

 私の肩をポンと佐伯さんが叩く。


「すいませんでした!」

「ほんとにどうした? 何か悩み事?」

「……実はこの間佐伯さんに頼まれていた仕事でミスをしました……申し訳ありません」


 姿勢は変えないまま。

 顔を見て話す勇気はなかった。どんな反応が返ってくるか怖かった。

 まるで死刑宣告を待つような気持ちで、佐伯さんの次の言葉を待った。

 佐伯さんが深く息を吐く音が辺りを包んだ。

 その反応だけで顔を上げられない。

 佐伯さんの仕事の担当から外されても仕方ない。

 前に揃えた両手の指先でスカートをギュッと掴んだ。


「成瀬の言ってるのはこれ?」


 佐伯さんは鞄の中からファイルを取り出し、私の目の前に差し出した。


「そう、です……」

「小さなミスだから言わなくても大丈夫だと思った?」


 ゆっくりと落ち着いた声。

 その冷静さに足がすくんだ。


「気がついたのは既に佐伯さん出られた後で、間に合いませんでした。報告が遅くなって申し訳ありません」


 パラパラとファイルをめくる音がする。その冷静な態度に足がすくむ。


「幸い、先方に渡す資料じゃなくて俺が見る資料だったし、出る前に気づいて訂正できた。それ以外の内容に関わるところに大きなミスはなかったしね」


 「ほら、頭上げて」と促され、恐る恐る視線を上げた。

 佐伯さんが少し苦虫を噛み潰したような顔をしながら、右手で頭をかいている。

 一瞬視線が合ったしまった手前、そのまま背筋を伸ばした。


「今回は正直に申告したから許す。ミスをしたことはいいことではないけど、ミスをしたことに気づいて伝えないのが一番質たちが悪い。これからは気づいたらすぐに報告するように。俺は、これからも成瀬と仕事したいと思ってるからね。お世辞じゃなく、成瀬のこと認めてるから」


 当然のことながら、やっぱり佐伯さんは先輩で、上司で。

 ただの軽いミスだと考えていた自分に更に落ち込んだ。

 ふいに、何かが頭をふわりと優しく包み込んだ。ゆっくりと軽く2回。


「成瀬のその真っ正直なところ、俺は買ってるよ」


 その感触に驚いたが、触れる手は温かい。

 そっと視線を彼に戻すと笑顔が見えて緊張が少しだけ溶ける。


「ごめん。成瀬も大人なのに、つい妹にするみたいにしちゃった」


 そう言って彼は最後にいつもの笑顔に戻った。

 彼の面倒見の良さは妹がいるからなんだ。


「本当に申し訳ありませんでした」


 一歩後ろに下がり姿勢を正し、改めて頭を下げた。


「もっと早く言えばつらくなかったのに」


 佐伯さんはもう一度ポン、と私の頭に触れた。


「言うタイミングを一度逃すと、どんどん言い辛くなってしまって」

「あー、わかるわかる。俺も新人の時そうだった」

「ですよね」


 思わず同意すると「こら、反省してんの?」とお灸を据えられた。

 私はすぐに肩をすくめたが、嬉しいのも事実。

 自分と仕事がしたいと言ってくれたことが何より嬉しかった。

 佐伯さんに指摘されてからミスを認めていたら。この先仕事なんて一緒にできなかっただろう。

 私の場合、申し訳ない気持ちが先行して自分の意見もこの先きっと、言えなくなる。

 お互いのことを信用できなくなってしまう。


「このこと誰かに相談した? 例えばにいとか」


 安心と嬉しさでいっぱいになっているとまたもやこの人は。


「……不本意でしたが。他に相談できる人もいなかったので」

「あはは。で、にいはなんて?」


 佐伯さんが私の顔色を窺う。とても愉快そうに。


「自分が気になって仕方ないなら謝るのが一番。佐伯さんなら怒らずに聞いてくれるよと」

「にいらしいな。でも俺だって怒るけどなぁ」

「すみません」

「成瀬が謝らなくていいよ。なんだかんだ、にいと成瀬仲いいよなぁ。うらやましーわ」

「佐伯さんと新倉だって仲が良いですよ」

「そっちじゃないんだけど」


 和んでいた空気が止まって、間を置かずに佐伯さんの歩みも止まった。


「え?」


 声のした方へ振り向くと、少し後ろに佐伯さんがいた。

 微妙なその空気がふわふわと漂っている。


「いや、別に。本当に何かあったのかと思って心配してたから良かった」


 そう言って佐伯さんは私を追い越していく。追い越しざまにまた私の頭をクシャっと撫でた。

 どうやら、私の頭を撫でるのはナチュラルなものになったらしい。


「これからもよろしくね」


 目の前に差し出された佐伯さんの右手。

 私も右手を出して応えると、佐伯さんは力強く握り返した。

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