04.厄介な引き金―sideN
特別、興味はなかった。ただ隣だというだけで。
×××
「こんなのコピーしろって言った覚えはない。こんな畑違いの大昔の資料使うわけないだろ。少しは考えろ」
朝から気分の悪い声がオフィス内に響く。
入社して2ヶ月してわかったこと。実力主義よろしく、予想通り上司は若い人間が多い。それをやっかんでか、一部の人間が新入社員に八つ当たりするのをちょくちょく見掛ける。
声のする方へ視線をやると、怒号を飛ばす部長の前に見慣れた女子社員の顔があった。
どうやら隣の席のヤツがミスしたらしい。
「ですから」
部長の話を遮るように成瀬が強気で切り込もうとする。部長の怒りは益々煮えたぎるばかり。
あーあ。素直に認めればいいのに。歯向かいたい気持ちはわかるけどね。
「何かの間違いかと思ってこちらの資料をコピーしておきました」
ずっと手に持っていたファイルを成瀬が差し出すと部長は黙ってファイルを見始める。「ああ、これだ。しかしなんで間違った資料が入ってたんだ」などと呟いている。
「怒鳴って悪かったな。成瀬」
「いえ」
へぇ、と思わず口に出ていた。
「自分のミスは自分で認めろって思うね。ただのコピー取りにそんなの気付くわけないじゃん。よくわかったね」
部長を黙らせてからくりを聞いてみたかった。
てっきり俺の話に同意すると思ったら、成瀬は「新倉くん」と一呼吸置いて話し始めた。
「コピー取りだって大事な仕事なの。自分の上司や同僚が、今どんな仕事してるとか、その一つの書類を作るのにどれほど手間暇かけたとか。その仕事の中身や大切さなんて一緒に仕事してる人にしかわからない。だからこうやって会社に入って大勢の仲間や先輩たちと一緒に仕事してるわけじゃない。違う?」
「そう、ね。すごいねアナタ」
――意外としっかりしてんのね。
元々好きなことがやりたくて入った会社だ。早速面白くなりそうなことがあると取り組んだ課題はかなりの難問。
やりがいがあってわくわくもするが、とっかかりが掴めない。
手を付けるものが目の前に並びすぎて、取捨選択に時間を取られそうだった。
「青ちゃーんヒント教えて」
「嫌だよ」
たまたま社内に籍をおく幼馴染に探りを入れた。
昔から曲がったことが大嫌いな青。
最初は断られたものの、しつこく食い下がるとヒントだけ教えてくれた。ケチだとは思ったが全部教えてもらっては俺だって面白くない。何より俺の実力じゃないことで認められても気に入らねぇ。
青に教わった参考書を探しに資料室に入ると先客がいた。
今にも泣き出しそうな、いや、もう泣いている声が聞こえる。
面倒くせぇなと思って見に行くと隣の席の成瀬だった。
女という武器を使わずに仕事をする。人に頼らない。その反面ドジ。そのギャップが面白かった。それだけだった。
そいつに恩でも着せれば他にも面白いことがあるだろうか。
「なに、何がわかんないの」
成瀬が手にしていた本は、なんとも面倒くさそうな英語の文献。
今からこれ訳すつもりか?
その本を成瀬から奪うと、青ちゃんから聞いた本が置かれている棚へ移動する。
せ、せ、せ……あった。
上手い具合に青のオススメの本は二冊あった。それを二冊とも棚から引き出し、呆然としている成瀬の手に一冊を置いた。
「はい。こっちの方がわかりやすいよ」
「……ありがとう」
成瀬はまだ鼻をすすっている。
「俺もね、やりたいことあってこの会社入ったんだけどね? さすがにこれはキツかったわ。でもここが戦いの始まりなわけでしょ? 何、戦いの始まりって」
ベラベラと喋るつもりはなかった。気付いたら乗せられていた。
成瀬の笑い声が聞こえて、苦し紛れに出した言葉が一層気恥ずかしくなる。
「とにかく最初からつまづいてたら、俺これからできそーにないもん」
それ以後成瀬は俺に気兼ねなく話し掛けてくるようになった。
自分とは正反対の信条を持っている成瀬とケンカはよくやった。
イラつくことも多かったが、上辺だけの中身のない会話しかしてこないヤツらよりよっぽど面白かった。