20. 言い訳は簡単な理由
出勤すると部内が少し騒がしかった。
騒ぎの中心に青と成瀬がいる。
「なに。なにかあったの」
胸がざわつく。せっかく絞めたネクタイを少しゆるめた。
「佐伯さんと成瀬さんが大口の契約とったんだって」
「青ちゃんなら珍しくないじゃん」
そう言いながらわからないように息を吐いた。
「成瀬さんだって。ちょっと難しいところの契約取ったらしいよ」
「へぇ。すごいね」
視線を輪の中心に移すと、笑顔の二人がいる。
「伊達に佐伯さんと仕事してないよな」
「すごいね、成瀬さん」
話題の中心にいる青に話しかける気はさらさらなかった。
青がみんなの輪から離れ、企画部を出ていこうとしたところで呼び止めた。
「難しい契約取ったんだって? すごいね」
「成瀬頑張ったもんな」
「正直なところ、キツかったです。佐伯さんのフォローなかったら挫けてますよ」
青が満面の笑みを浮かべて成瀬を見る。成瀬も弾んだ声で青に答える。
二人の反応が見たくて声を掛けたが、本当に予想通りの反応が返ってきた。
信頼し合ってる二人だから成功したんだろう。
「頑張ってる後輩見てたら助けたくなるでしょ」
「もう2年だっけ、佐伯さんと成瀬さんがペアになってから。今まで佐伯さんについた人、続かなかったじゃん。二人の相性良かったんだろうね」
浮かれた輪から外れたところを狙って青に話し掛けたのに、まだ話したりない奴がいたらしい。
「意味深なアイコンタクトしょっちゅう見かけるし?」
「それな。仕事ができるところを見てると好きになっちゃうでしょ。仕事中の佐伯さんマジでかっこいいよな。ね、成瀬さん」
聞いてもいないことを得意そうに話す同僚たち。
「そですね、憧れの先輩ですね」
成瀬は顔に掛かった髪を耳に掛ける。照れたように青から少し視線を外して。
こいつが頑張ってたのは俺も知ってる。
けど成瀬のそばで成瀬を成長させたのは青。
青は成瀬のいいところを見つけて、もっと良くなるように伸ばしたから目に見えて良い結果が出た。
俺はそれを本人に指摘してるだけ。成瀬は自分で解決したがっていたし、簡単に答えを教えても成長しないから。
「よし、今日はご飯奢るよ成瀬」
「いいなあ。佐伯さん、俺たちも行って良いすか?」
「バカ、2人の邪魔しちゃ悪いでしょ」
どうでもいいやり取りが始まり、俺はクルっと背を向け自席へ向かう。
「にい、今日一緒にご飯行かない?」
時々こいつはほんとに営業トップか?と思うほど、空気が読めない。
今度はわかりやすく、大きくため息をついた。
「なに言ってんの。二人の邪魔しちゃ悪いって今言ってたじゃない」
「にいのくせに遠慮してんなよ。最近、にいと飲みに行けてないじゃん」
「あのね。二人にしかわかんない仕事の話を聞かされても全然酒が旨くないの。わかる?」
「俺はにいと行きたいの」
邪気のない笑顔を俺に向ける青。
しばらく俺と青のにらめっこが続く。睨んでるのは俺だけで青は俺に屈託のない笑顔を向けたままだ。……アホらし。
「……青ちゃん。気持ち悪いよ。アホなこと言ってないで成瀬さんと二人で打ち上げてくれば」
まっすぐ青を見ていられなくなり、視線を外した。
それでやっと青は諦めてくれたようだった。
「しょうがない。二人で行こっか成瀬」
「今の流れを見てからだと、素直に喜べないです」
「アナタが珍しく頑張ったんでしょ。それにケチの青ちゃんが奢ってくれるなんてなかなかないよ。甘えちゃいなさいな」
頑張ったご褒美としてお膳立てくらいはしてやるよ。
「俺はケチじゃない」
「はいはい。そろそろ二人出る時間でしょ? はい、いってらっしゃい」
不満そうな青を半ば強引に追い出し、自席に戻った。
パソコンを起動。ホーム画面が表示されたところでメールソフトをクリック。
成瀬からのメールを開いた。引継ぎ中の取引先以外の進捗は、成瀬からメールが来ている。
今日まで来たメールをすべて選択して印刷。タンとスペースキーを押すと少し離れたところでコピー機の動く音がした。
プリントアウトしてきたメールを机の上に並べる。
メールを見返しながらクククッと笑う。
成瀬と話せない期間に送られてきたメールは、とんでもねぇ皮肉たっぷりの口調で綴られている。
文字だけでも成瀬が怒ってる顔が簡単に想像がつく。ほんとわかりやすいよなぁ……
机の引き出しから付箋の束をいくつか取り出す。一枚、また一枚とメモ書きして貼っていった。
すべてのメールに付箋を貼り終えたところで、透明ファイルにはさみ、ファイルの左下からスッととじ具を差し込み閉じた。
「おつかれ」
外出から戻った成瀬に声を掛けると成瀬は驚いた顔をする。
「なに」
「どしたの、今日雪降るんじゃないの。やめてよ」
「俺だってね、労いの言葉くらい掛けますよ」
外出から戻った成瀬にファイルを渡した。
「だから、はい」
「これ、いままで新倉に送ったメール……?」
「俺なりに考えるところがあったんで」
成瀬はパラパラとファイルをめくった。
「俺、青ちゃんにはなれないのよ」
「当たり前じゃん」
「青ちゃんはいつもまっすぐ真っ向勝負するから、ひねくれてる俺はいっつも負けんのよね」
「なんのこと?」
成瀬がファイルから視線を上げる。
「なにって、仕事。俺も真っ向勝負かけんのよ。俺は青ちゃんのようにはできない。同じやり方で張り合ってても勝てるわけないのよ。やっと気づいた。俺は俺のやり方でやってくわ」
「……新倉?」
「1か月半分もアナタのお小言メール読むのは骨が折れましたけどね」
「そうなったのは、一体誰のせいだと」
「わかってるよ、俺のせい。ごめん」
成瀬の苛立った声にかぶせるように体を折った。
「……新倉が素直で気持ち悪い。何か企んでる?」
青と違って信用がない。
苦笑しながらも、成瀬に手を差し出す。
「俺はこのコンペを成功させたいの。だから、改めてよろしくね」
癖で左手を出していることに気づいた。引っ込めようとした手を力強く引き留められた。
「こちらこそ」
握り慣れない利き手と反対の左手の握手で。
×××
「にいが、これをね」
新倉から渡されたファイルを佐伯さんにも見せる。
佐伯さんはしばらく黙って丁寧に見ていた。
「成瀬も仕事に対する気持ちが良い方向に変わってきたみたいだね。俺、ほんとに成瀬のことパートナーとして欲しい。ほんとにいいの?」
「こないだ誘ってくれたやつですよね? もちろんです」
佐伯さんからファイルを受け取る。
「成瀬、ちょっと後ろの紙袋取って」
「あ、はい」
少し暗い車の後部座席に、紙袋は2つ。どちらかわからない。
「佐伯さんこれですか?」
「どれ?」
「ポスター入ってる方です」
「それそれ」
紙袋を掴んで体を起こした。
「成瀬」
「はい」
呼ばれた拍子に振り向くと、至近距離で目をつぶった佐伯さんがいた。
唇に柔らかい感触が押し当てられる。
ゆっくりと体を話した佐伯さんと目が合った。
「仕事だけじゃなくて、」
彼から伸びた右手がそのまま私の頬に添えられる。
「…………こういう意味」
今度はすごく優しい感触が唇に降ってきた。




