17.ひねくれクロスワード
最近、新倉の背中しか見ていない。
目が合うと先に逸らすのは新倉。バッチリ視線が合っているのに、すぐに。
確かに、入社からずっとお節介な同僚にはうんざりしていた。それでも彼のお節介を受け入れていたのは、彼の仕事を尊敬していたからだ。真摯だったからだ。
今は背中を向けているだけ。
関係を変えたのは、先にボーダーラインを越えたのは向こうだ。
あのことがあってから、新倉とまともに話していない。
でもヘコむのはやめた。
佐伯さんは宣言通り、あれから率先して私との時間を作ってくれる。私も佐伯さんの仕事は行けるだけ同行している。
佐伯さんとの仕事を通して見るもの経験すること、全てが自分の力の一部になった。少しだけど自信もついた。
仕事の後は、すっかり行きつけになった喫茶店の奥の席に陣取ってアドバイスをもらうのが今の日常だ。
楽しげに企む佐伯さんのその目は、嬉しくてたまらないという子どものようにキラキラしている。
「もちろん、これはにいを嵌めるための計画で俺はあくまで手伝うだけ。にいがどう出てくるかカケだな」
「賭け……」
「にいが乗ってくるかは成瀬に掛かってるからね」
「箇条書きに並べたアイデアとはいえ、鋭いとこ突いてくんだよな、にい。あーなんかムカつく」
佐伯さんが例の箇条書きの新倉sメモを手に椅子の背にもたれた。そのまま後ろに脱力。私から顔はすっかり見えなくなった。テーブルの端から佐伯さんのネクタイがだらりと体から滑り落ちた。
Paul Smithの薄いグレー地に斜めに入った赤白青トリコロールストライプ。営業だけあって目立ち過ぎないように、でも顔が暗くなってしまわないチョイス。シャツも薄いグレーだ。
目立ちたがりのあいつとは大違い。
「これ、どうやって実現させるんですか……」
新倉なしに進めるのはやっぱり無謀だったかもしれない。
彼のアイデアは目を引くと同時に突飛過ぎて、そこに至るプロセスが本人以外にわかり辛い。よくこんなので一人で進めておけだなんて言ったな、新倉。
「ここまで進めたんなら、ここできるんじゃない?」
佐伯さんが指差した先は新倉が持っている得意先への訪問。
「新倉なしで会ってくれるでしょうか?」
「ある程度連携は取ってると思うよ。にいのことだからそこは抜け目ないはず。……あいつがこのコンペ投げてなきゃ」
強気な言葉とは対照的に、新倉を嵌めようと言っていた人とは思えないやる気のない声が返ってくる。
「無責任なこと言わないでくださいよ」
ここまで手伝ってくれていることも忘れ、思わず佐伯さんをなじる。
「無責任なのは放ったらかしにしてるにいでしょ」
佐伯さんはメモを掲げ、新倉への不満を漏らす。
いつも自信満々な佐伯さんを知ってるだけに、こんな彼を見ていると付き合わせてしまったことが今更申し訳なくなってくる。
「すみま……」
「あ」
謝ろうとした私と同じタイミングで、何かを思い出したらしい佐伯さん。
大きな声と一緒に起き上がった佐伯さんと私の顔の距離が一気に縮まる。
何秒経っただろうか。
佐伯さんは視線が合ったまま動かない。
私も動けなくなってしまった。
佐伯さんの右手が私の頬に伸びる。
「いた」
私の左頬がむにっと伸ばされる。
「成瀬、面白い顔」
「……佐伯さんのせいでしょ」
2、3回私の頬をむにむにとしてから佐伯さんは小さくため息をついた。
人の顔をいいようにした挙句の行動に悪態をつこうとしたら、成瀬と声をかけられた。
「迷ってても仕方ない。成瀬、このファイズインダストリアルにアポ取っといて」
「わかりました」
ニヤリと佐伯さん。
笑った意味がわからず、佐伯さんに向かって小首を傾げる。
「徹底抗戦するって言ったでしょ。あいつに文句言わせないくらいやってやろう。それに最初に進めとけっていったのはにいだよ。言質は取ってる。その通りにして成瀬が文句言われる筋合いない」
そう言ってまた私の顔を覗き込む。
「ごめん、痛かった?」
また急に顔の距離が縮まった。佐伯さんはもう一度私の左頬に優しく触れる。
「だいじょぶ、です」
そして、少し困ったような顔をして私の頭をポンポンとする。
下手にキスを迫られるより照れてしまう。
私の顔を見て佐伯さんはサッと視線を外した。
「パートナーが変わったと思ってる今は、ただ俺と一緒にいるところを見せつけたところで効果がないと思う。仕事の内容で刺激する方が負けず嫌いのにいには最適だろうね。にいには必ず進捗状況をメールで報告すること。日付と同時に証拠も残るからね」
佐伯さんの腹黒い部分がまた見えた。
それでこそ営業部エース佐伯青だ。私の尊敬する先輩。
「惚れ直した?」
いたずらっこのような顔をして佐伯さんが言う。
「……佐伯さんがモテるわけがわかりました」
「俺が気を引きたいのは成瀬なんだけどなー」
佐伯さんの上着と鞄を渡しながらごまかした。
「もう! ほんとは時間詰まってるんでしょ、早く行ってください! 今日はここまでにしましょ」
「うん、じゃあそうしよっか」
佐伯さんが本当に残念そうにテーブルの上に広げた資料をしまい始める。
片付けを進めながら佐伯さんは既に冷めてしまったコーヒーを飲み干す。そしてまとめた資料を私に手渡してくれた。
「じゃ、成瀬、お疲れ様」
「お疲れ様でした」
彼は抜かりなく伝票を手にレジへ向かった。
こういうとこ、勝てないな。
*
『
「コンペティション進捗報告」
From:成瀬 日向 <hinata_naruse@xx.jp>
To: 新倉 一海 <kazuumi_niikura@xx.jp>
Date: 20年10月31日 9:32
新倉一海 様
お疲れ様です。
現在進行中の社内コンペティションの進捗状況をお伝えします。
新倉様に提案頂いたアイデア、非常に手の込んだもので頭が下がります。
きっと頭の中ですぐに組み立てあげられたのでしょうね。私にはすぐに理解のできないものばかりで、少々難航しております。発案された方の指揮があると、もう少し時間の短縮が測れるかと思うのですが……それは虫の良すぎる話でしょうか。
さて、本題ですが――』
タン!
メール送信完了。ストレスが溜まっているとはいえ、我ながらかなりクセのある内容だ。
これくらい許されるだろう。と思いつつも、早々に私は席を離れた。
「あはははははっ……!」
眩しい西日の射す廊下に佐伯さんの声が響き渡り、私はまたしても注目の視線を彼と一緒に浴びる羽目になった。
「佐伯さん、せめてもう少し声のボリュームを下げましょ」
壁に手をついてお腹を抱える彼。笑いを止めることを諦めて、彼に最大限の譲歩をした。
笑い過ぎたらしい佐伯さんの目元には小さな雫が溜まっている。私のちょっとした八つ当たりメールが佐伯さんのツボを押したらしい。
「そのメール俺も見てみてぇー……あ、だめ腹痛い……クッ……あはは」
溢れてくる涙を拭いながら、お腹の痛みを気にしながら、忙しい人だ。
女性社員に人気の彼をここまで笑いで屈服させられたのは私が初めてかもしれない。あまり自慢できない名誉だけど。
一息ついた佐伯さんが口を開いた。
「……はぁ。そんな調子でメール送っとくといいよ。あいつだっていつまでも仕事放棄するやつじゃないから、気になってるはずだよ」
「そうだと良いんですけどね」
そう会話する私達の横を新倉が通り過ぎた。
私達に目もくれず、遠ざかる彼に胸がキュッと痛む。
「にい、先輩に挨拶くらいしろ」
佐伯さんの呼び掛けに、廊下の向こう側から新倉の気のない声がこだました。
「おーつかーれさーまでーす」
私たちに目もくれず、新倉はオフィスを出て行った。
「あいつの悪いクセ、まだ治ってねーな」
佐伯さんの言った言葉の意味がよくわからなかった。