14.交差する嘘つきな感情ーsideN
16.交差する嘘つきな感情―sideN
「別に避けてませんよ」
「嘘」
俺の返答にまだ食い下がる成瀬。
あーもう、めんどくせぇ。
10月でまだ冷房が必要なじんわりとした暑さだ。閉じたこの空間だと尚更暑く感じる。
台風が近づいている影響だとかなんとか、ニュースでは言ってた。
目の前には俺に睨みをきかせる成瀬。この状況と合わせて気分が悪い。
第一ボタンだけ外していたシャツのボタンをもう一つ外した。
壁に背をつけていると触れたところから体温が下がった。ほんの少しだけ。
「俺、再来週頭までに仕上げなきゃなんない仕事あんの」
「それこの間聞いた」
すぐに反応する成瀬に巧い返しも見つからない。
適当にはぐらかして戻ろうと思ったのに、今日の成瀬はしぶとい。
尖った視線は相変わらず俺に向けられたまま。
「それとは別のやつ。俺優秀だから忙しいのよねー」
確かに新人研修の時のプレゼンを見たとき、こいつと一緒に仕事をやったら面白いと思った。面倒くさいと思ってたこともこいつとなら楽しめるんじゃないかって。 興味を持ち始めたのはそこからだ。
――なんでこのタイミングでコンペなんだよ。
小さくこぼした。
「何を怒ってるのか知らないけど、若いからとか経験ないからって期待の少ない中で、部長にコンペの指名もらって。私がどんなに嬉しかったかわかる?」
聞こえていないと思って落とした言葉は、成瀬に聞こえていたようだった。
実力主義の会社だという分、競争意識の高いここでは女が人一倍努力しなきゃならないだろう。それは隣でずっと見てたから知ってる。
「こんなチャンス滅多にない。足引っ張るなら下りて。新倉となんて仕事やりたくない」
強い意志と拒絶の目。
部長命令を勝手に変えられるかよ、と思ったが成瀬は勢いで言ったわけではないのは一目瞭然。
俺に否があるのは認める。それでも言われ放題の状況にイラつき噛み付いた。
「じゃあ、噂の通りお気に入りの青ちゃんと組めばいいじゃない。あの人ならアナタに合わせてくれんじゃない」
てっきり「そうする」と宣言してくると思った。
「……だから部長に私と組むのか確認したんだ」
成瀬の瞳が拒絶から違う色に変わった。
それが俺にはなんなのかわからない。
「……青ちゃんとの仲に水を差したくないだけよ」
それなのに、言うつもりのない嘘が顔を出した。
「私は新倉と組めると思ってわくわくしてたのに」
成瀬から聞いたことのない怒気をはらんだ、でも悲しそうな声が漏れた。
悲しそうに聞こえたのは、俺の身勝手な気持ちからかもしれないけれど。
「じゃあ、あんなことしたのはなんで」
成瀬は静かにそこに言葉を置いた。
言えばわかんのかよ、と。心の中で毒づいたところでそれを言葉にする気はなかった。
沈黙が辺りをすっかり覆った頃。
成瀬は背中を向け、勢い良く廊下への扉を開けて出ていった。
追い掛けようとした足がキュッと床と摩擦して止まる。足が床に張り付いたまま動けない。
暑かったはずの空気が一気に冷えていく。
タンタンタン。
シンと静まり返った頃。
階段を鳴らす靴音が上からゆっくりと近づいてきた。
「お前ほんとに何やってんの」
続いて聞こえてきたのは目障りな諸悪の根源からの抑揚のない声。
「よくもまぁ、次から次へと。いつから覗き見するようになったの青ちゃん」
ダルそうに階段を降りる青。
「ここ、声よく響くから気を付け方がいいよ」
「ご忠告どーも。最近よく会うけど青ちゃん暇なのね」
「暇じゃねーよ。エレベーターが故障してんだよ」
青は俺がいる踊り場まであと一段残したところで止まり、壁にもたれた。
「仕事に私情挟むの嫌いだったくせに。しっかりしろよ、にい」
ハッと鼻から息を吐くと青と目が合った。
憐れむようなその目。
青が現れてから痛み始めた頭が鼓動と同じリズムでズキズキと痛む。
「まさか青ちゃんにそう言われる日が来るなんて思ってもみなかったわ。青ちゃんに心配されなくてもこの俺ですよ? 上手くやりますよ」
ニコニコ愛想振りまいてれば、世の中上手くいくと思っているようなヤツに。
「上手くやる、ね。そんなこと言ってるようじゃ今度のコンペはだめだな。成瀬の言う通りさっさと下りれば? お前らしくない」
青はどこから聞いていたのか。
ただ、今わかるのはどう見ても俺の方が分が悪いということ。青が強気になるわけだ。
「俺らしいって何? 青ちゃんの知ってるのが本当の俺だとしたら、今の俺はニセモノってこと? 」
自嘲的に笑うと、頭の痛みがさらに増した。
「青ちゃんさ、俺の何を知ってんの?」
限界だ。
余裕かましてるこいつの顔を見てると吐き気がする。
「ほら。俺に構ってないで追い掛ければ、あいつ」
未だ黙ったままの青。左の手のひらを下にしてシッシッとジェスチャーする。
青は深い深い息を吐いた。
「いい加減呆れるよ、その態度。そんなにお望みなら俺がお前の足元掬ってやるよ」
そして、俺が追い掛けられなかった成瀬の後を迷いなく歩いて行った。
青が消えたと同時に壁沿いにズルズルと座り込むと、片手で顔を覆った。
「勝手にどうぞ」
辛うじて口に出したと俺の声だけが青を追い掛けた。
なにより一番嫌気が差すのはこんなときでさえ嘘しか言えない自分だ。