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嘘つきのつくりかた  作者: 青依ヒイナ
Main story
12/20

12.噛み合わないピース

 「おはよう」と声を掛けた私に新倉からの返事はなかった。

 たぶん、聞こえなかっただけだろう。

 マイペースなのはいつものことだ。


「新倉と成瀬。ちょっと来てくれるかな」


 部長に呼ばれた。朝イチから呼び出されることは滅多にないので面食らってわたわたしてしまう。

 手帳を手にしてちょっと戸惑い気味に立ち上がると、新倉がサッと通り過ぎた。その後を小走りで私も追い掛けた。



「今度予定している新しいプロジェクトの社内コンペがあるんだが、新倉と成瀬、参加してみないか?」


 少し前から社内で噂されていた、大掛かりなプロジェクトの指名。

 コンペとはいえ、予算もかなり高く設定される。この規模のプロジェクトは誰もが参加できるわけではない。指名されたということだけでも嬉しくて胸がいっぱいになる。


「部長。それはこの二人でチームを組め、ということでしょうか?」


 口を開いたのは新倉だ。

 彼に比べれば力不足なのはわかってるけれど、気持ちがざらついた。


「何か不都合があるか?」

「いえ」


 新倉の否定で曇りかけた部長の顔が戻った。

 それに反して、新倉が立っている側の自分の半身が冷たい。


「二人とも入社してしばらく経つが、未だに入社当時のお前たちのプレゼンが印象に残っていてな。二人が協力したらどんなものが出来上がるか見てみたいとずっと思っていたんだ。期待してるからな」


 部長がそんな風に自分たちを見てくれているとは思っていなかった。

 もちろん私は二つ返事で受けた。新倉も「はい」とだけ答える。

 ただ気になるのは新倉の態度。



 話が終わり、ミーティングルームから出ても新倉とずっと視線が合わなかった。席に戻ってもそれは変わらない。

 お互い協力し合わなければ進まない仕事。二人で話し合うことはたくさんある。私から話を始めればいいだけ。

 ――そういや、いつも隣がお節介で話し掛けてきたんだっけ。

 私のパソコンの画面のカーソルは仮のタイトルを打ったところで点滅したまま、しばらく動いていない。

 このままでは埒が明かない。

 息抜きでもしよう。と立ち上がった弾みで椅子が勢いよく後ろに滑っていく。

 思わず肩をすくめて目をつぶった。

 けれど、どれだけ待っても後ろの壁にぶつかった音が聞こえてこない。代わりに椅子を受け止めた軽い音と共に誰かの気配がした。

 その主は掴んだ背もたれを押して元の位置に戻してくれたようだった。

 その間わずか5秒。

 すぐに後ろを振り向くと慣れた手つきで椅子を戻す新倉が見えた。

 ……もしかして見られてた?

「何やってんのよ」というお決まりの皮肉もなく、新倉は無言で仕事に戻る。

 新倉の人を寄せ付けない空気はこれまでにないくらい硬い。私はただ見ているしかなかった。


「成瀬!」


 重い空気に切り込みをいれたのは明るい声。佐伯さんだ。

 早く空気を破ってしまいたくて佐伯さんの元へ向かう足が小走りになる。

 近くに行くと佐伯さんは柔らかな笑みを向けてくれるので、私もつられて自然と口角が上がる。


「もう怪我は大丈夫? お尻の」


 佐伯さんは一応気を使ってくれたのか最後は小声だった。


「実はまだ痛いです」


 周りに聞こえないようにボソッと答えるとクスクス佐伯さんが笑う。


「病院は行ったの?」

「まだです。理由が理由なので恥ずかしくて……」

「いい病院知ってるから紹介しようか?」


 と言いながらもクスクス笑いをまだ止められない佐伯さん。

 心配してくれるのは有り難いし、この痛みが一刻も早くなくなるのならと病院を紹介してもらうことにした。


 自席に戻ると机の上にA4用紙が1枚、無造作に置かれていた。犯人はわかっている。

 そこには性格通りの常識にとらわれない破天荒な文字で、コンペについてのアイデアが書いてあった。

 思いっきりはねて、伸び伸びとはらった文字。文字が上下に飛んでて読みにくい。

 っていうか直接言え。

 隣は私からの視線をよそにパソコンの画面とにらめっこをしている。


「新倉」

「……」

「にーくらさん」

「…………なに」


 不機嫌そうな声に(ひる)みそうになる。


「これは何かしら?」


 自分を何とか鼓舞して、こちらを向こうとしない彼の目の前にさっきの紙を突きつけた。

 新倉は煩わしそうに目の前の紙を払おうとする。負けてたまるかと私も意地になる。

 椅子に座ったままの彼が払いのけられない位置まで紙を持っていくと、彼の手が止まる。


「今度の企画に関する資料」


 ふてくされたまま諦めた様子で新倉が答えた。


「資料じゃなくてあんたの思いつきの羅列でしょ。二人の仕事なんだから話し合おうよ」


 返ってきたのは重く深い息。


「……俺、今週末までに仕上げなきゃなんない仕事があんの。それまでそれ見て進めといて」


 吐き出された一辺倒の言葉。

 ふてぶてしい物言いが横柄な態度に輪をかけている。

 その日一度も目を合わせることも、合うこともなかった。

 新倉と交わした言葉も朝のそれだけ。


 *


「ケガ、早く治りそうで良かったね」

「はい! 正直言うと、ここ数日椅子に座ってるのも辛くて……あ、また笑う!」

「ごめんごめん」


 仕事後に佐伯さんに病院まで車で送ってもらい、その帰りの車の中。

 佐伯さんはニコニコとハンドルを握っている。

 彼の笑顔はそれだけで周囲の人を元気にさせる。だから彼にみんながついてくる。信用して頼りたくなる。


「病院教えて頂くだけで良かったのに、送ってもらって正直助かりました」

「そりゃ、好きな人の為ならね」


 好きな人。

 こないだの言葉の真意。改めて言葉にされるとどうしていいかわからなくなってしまう。この2年間、ただ仕事に必死でそういう意識をしたがなかった。

 居酒屋で言われたことは冗談なんかじゃなかったのだと、改めて確信する。


「……ストレートに言われると困るんですけど」


 そっと両手を自分の顔に当てると、ほんのり熱を持っているのがわかる。少なからず、憧れている人からそう言われて照れない人間はいない。


「俺は困らない」


 言い切ってしまう佐伯さんがちょっと幼い子どもみたいで、心が和んだ。


「やっと笑った」

「え?」

「今日、ずっと様子がおかしいし笑顔も引きつってたよ。もしかして、俺のせい?」

「いえ……」


 そうじゃないとも言い切れず、黙る。

 少し開けた窓の隙間から流れてくる秋の空気。湿気を含んでいない風はひんやり冷たい。

 サラサラと顔に掛かった髪を少しだけすくって耳に掛けた。


「社内コンペに参加するんだってね。にいと」

「耳が早いですね」

「俺、これでも営業部のエースって言われてるんだけど知ってた?」


 おどけてそう答えるのでふふっと笑いが溢れてくる。


「他にも実力ある社員ばかり声が掛かってるようなので、正直どうなるかわからないですが」


 新倉と話せない状況の今では、企画をまとめられるかさえわからない。昼間のやりとりを思い出して、上がった気持ちが落ち込んだ。


「成瀬もその一人でしょ。そんな気持ちじゃコンペ勝てないよ」


 少し、気持ちを見透かされたような気がした。


「はい、着いた。ほんとにここでいいの?」


 駅のロータリーの端に佐伯さんが車を寄せた。


「はい。駅近くの本屋に寄って行きたいのでここの方が助かります。ありがとうございます」


 車が完全に停止すると、私はシートベルトを外して助手席のドアを開けて車を降りた。


「佐伯さんはこれからもう1社ですか?」


 私の問いかけに佐伯さんが運転席から少し身を乗り出して、助手席側の窓を開けた。


「この時間でないと捕まらない人がいてね。じゃ、成瀬。また明日。お疲れ様」

「お疲れ様です。佐伯さんもお気をつけて」


 一礼して、もう一度佐伯さんの顔を見る。

 彼は何か言いたげな表情をしながら、顎を人差し指と親指で何度かなぞった。

 私は目線で「?」と送った。


「成瀬」

「はい」


 佐伯さんは私を見据えた少し視線を外して、また元に戻した。


「この後の予定、先方に資料渡すだけですぐ終わると思うからさ。どこかで待ってもらってもいい? 終わったら連絡入れる」

「あ、はい」


 突然の申し出に戸惑いながらも、佐伯さんの勢いに負けてしまった。

 本屋にいたのはほんの15分程だったと思う。探していた本をレジに渡したのと、佐伯さんからの連絡はほぼ同時だった。


 『お待たせ。営業車を近くの駐車場に置いて向かうから、このお店に先に向かってて』


 届いたメールには抜かりなく、地図のリンク付き。



 店に着いた佐伯さんは私を見つけて私の前に座ると、ホットコーヒーを頼んだ。


「さっき本屋で買った本?」

「はい。好きな作家さんの新刊発売が今日だったんで」


 袋から本を取り出して表紙を見せた。


「お、東野圭吾じゃん。これもう出てたんだ。気になってたやつだ」


「発売前から評判だったので、予約してたんです。読みますか?」

「成瀬が読み終わった後で貸して。へぇ、成瀬も東野圭吾好きだと思わなかった」


 ちょっと貸してね、と佐伯さんは本を手に取り本の裏のあらすじを見る。


「佐伯さん小説読むんですね。ハウツー本ばっかり読んでるイメージでした」

「俺のことなんだと思ってんの」

「営業の鬼」


 佐伯さんが私へ本を渡してくれる。


「あながち間違ってはない。やればやるほど結果につながるから段々楽しくなっちゃって。思わず力入っちゃうんだよね」


 運ばれたコーヒーを一口。


「成瀬が初めてだよ、こんなに続いてるの。俺につく後輩はもっと3か月で、なかなか続かなかった」

「私もついてくのがやっとです」

「あのファシスト気味のカタギリ製薬の西島さんも、リベラルな桜木病院の事務長の北川さんも成瀬のこと認めてくれてるよ」

「まぁ、根性だけは人に負けないですね」


 急に佐伯さんが真面目な顔になる。


「で、その成瀬がどうしたの。コンペのメンバー選ばれたなら気合いれないとでしょ。どしたの。いつものやる気は」

「新倉の様子がちょっと。私とチームを組みたくないみたいです。そりゃあ、あいつに比べたら仕事できないし、足手まといだと思われてるんでしょうね」

「めっちゃ後ろ向きじゃん。にいがまたなんか言った?」

「何も言われないのが問題なんです。紙だけ渡してこれやっとけって」

「ふぅん」


 例の紙を佐伯さんに差し出す。佐伯さんはしばらく眺めていた。


「成瀬、ちょっと俺のこと利用してみない?」

「え?」

「だから、俺が手伝おうかって言ってる」

「いやいやいや……! 先輩を利用だなんてそんな恐れ多いこと! それに佐伯さんのどこにそんな時間がどこにある、」

「あるじゃん、現に今こうしてる」

「まとめて時間を取るのはなかなか難しいかもしれないけど、そうだな……。成瀬と一緒に出る仕事の移動時間とか仕事終わった後。ちょっと待っててもらえるならこんな風に時間取れるよ。ど?」


 煮詰まってしまった自分と、目の前には尊敬する先輩からのとても魅力的な申し出。

 断る理由を探す方が難しかった。

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