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嘘つきのつくりかた  作者: 青依ヒイナ
Main story
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01.A4サイズの小宇宙

 隣の席にいる同僚は嘘しか言わない。

 もしかしたら中には本当のことを言っているのかもしれない。私にはどれか見当もつかない。

 いつも会話の最後はいつもに口の右端を上げてしたり顔をするからだ。心の底から楽しそうに。


                   *


「あれ、成瀬(なるせ)サン。まだやってんの?」


 定時もとっくに過ぎた午後19時。

 隣の席の同僚は、自席のパソコンの電源は既に落として鞄を手にしている。

 私はまだ資料と格闘中。

 こうなっているのは誰のせいだ、誰の。

 席替えをしたいと思い始めてもう一年半。にも関わらず入社以来、席は固定のままだ。

 それを口にしたところで彼から倍以上の嫌味が返ってくるのはわかっている。

 喉まで上がった溜飲を下げようとキーボードを叩いたら、タン!と思った以上に音が鳴った。人が少ないオフィスによく響く。

 

「そんなに叩いてたらそろそろ壊れるんじゃない? 会社の備品壊さないでね、成瀬サン」


 タンッ!

 プリントアウトを決定するエンターキーを叩く音がオフィスに響く。


 時間は1時間前に遡る。


 ここのところずっと詰めていた企画書がやっと出来上がった。自然と顔も綻ぶ。

 私は胸の前に組んだ手をぐーっと上に押し上げ背伸びをする。固まった体の力を抜いた。

 ちらりと視線を移すと、隣はまだ仕事に取り掛かっているところだった。

 ――やった、今日はこいつより早く帰れる! 思わず小さなガッツポーズ。

 いつもいつも、仕事に追われている私を尻目に悠々と帰宅していた新倉(にいくら)。こいつより仕事ができないと言われているようで気分が悪い。

 実際に本人から言われたこともある。煽られてはこちらもますます意地になってしまう。

 透明ファイルに企画書を閉じて、最後に端にプラスチックの留め具をはめて、よし。


「俺がチェックしてやるよ」


 偉そうな新倉の声が背後から聞こえた。

 机の中に仕舞おうと思っていたファイルはあっという間に私の手を離れた。

 そして新倉は、ファイルを見ながら自席の椅子に勢い良く背中を預け、足を組んだ。

 スーツの裾にくしゃっとシワがよった。


 新倉は何でも器用にこなす。

 加えて整ったルックスを持っているものだから、彼を慕う女子社員は少なくない。

 何の因果か、私と彼は同期入社で隣の席。

 ずっと続いていた私への女子社員たちの羨望と嫉妬の視線は最近やっと落ち着いてきた。

 純粋に新倉の相棒だと思ってくれたのか、私が彼と付き合うわけがないと思っているのかわからないけれど。

 入社以来、ほぼ毎日子どものようなケンカをしていたからかもしれない。

私のそんな苦慮など知るよしもない。

「んー……ここはこういうよりも……いやこっちのがいっか」

 新倉がブツブツと呟いている。

 こうなるともう彼には何も聞こえない。企画書を取り返すのはもう諦めて、もう一度椅子に座り直した。

 自分の仕事そっちのけで付き合ってくれる彼に感謝はしている。ただ、それは彼の中の基準。本当にマイペース。

 このまま新倉を放って帰ると、明日の分の小言が増える。シンデレラの意地悪な義姉張りに。

 仕方なく、他の仕事を進めることにした。下調べのためのメモをまとめておけば、明日の仕事の段取りが1つ減るだろう。

 BGMは隣から時折漏れてくるその呟きと、紙をめくる音。


「はい。アナタのも悪くはないけどね」


 私のメモがまとまったタイミングと新倉が声を発したタイミングは同じだった。

 目の前に差し出されたファイルを受け取ると、少しだけズシっと重みがあった。きっと、たくさんつけられた付箋のせいだ。

 毎度ご丁寧にコメントつきで。

 振り向くと彼は既に自分の仕事に戻っている。

 私は軽く溜息をつき、もう一度企画書に意識を戻した。

 付箋がついているところは、私が何か足りないと思いながらもそのままでも問題ないと思っていた部分だった。

 ごまかしが見透かされていて悔しい。


 彼が私の仕事のチェックをするようになって、どれくらいだろう。思い出せないくらい、日常になってしまっている。

新倉が単に私の仕事にケチをつけるだけでなく、丁寧に読み込んでくれていることはわかる。付箋がその証拠だ。

 彼が付箋でダメ出しをするところには少し好感を持っていた。

 添削後、そのまま返せばすむのに、直接書き込まないのは彼が私の仕事へ敬意を払ってくれている。

 最近はそう思えるようになった。

 指摘とは言っても、“ここ、意味わかんない”とか“これだけ?”とか“この部分気になるんだけど”といったぼんやりしたもの。

 それをやられた当初は“自分のことを鼻にかけてバカにしてるの?”と思ったものだ。

 けれど指摘された箇所は確かに的を射ていたし、やり直すと必ず上司に即OKをもらっていた。

 悔しいけど、新倉のしてくれるおせっかいにあまり強く出られないし、正直助かっている。

 修正しながら付箋1つずつ外していき、残っているのは最後の付箋だけ。

 パソコンの画面とを交互ににらめっこをしていると横からひょい、と新倉が覗きこんでくる。


「なんだ、もうちょっとじゃん。頑張れ~」


 とても応援しているように聞こえない、やる気のない声援を私に投げる新倉。


「全然応援してないし」


 こそっとぼやいたつもりが彼には聞こえていたようで。


「なぁに?」


 すぐに反応が返ってきた。


「言いたいことはこの新倉さんに聞こえるように言ってもらえませんかねぇ?」


 間延びした語調とは反対の感情が含まれているのがわかる。

 慌てて口を押えたが、新倉の視線は私をしっかり捉えている。


「仕事できる新倉さんならなんでこんな遅くまで乗ってるんですか」


 苦し紛れのやり返し。


「俺は生まれつきの天才じゃなく、努力する天才なの」


 悔しいが、それは認める。元々技量の高い彼の仕事振りは、年々磨きがかかっていると思う。


「はい。できた。完璧な仕事ってのはこういうのをいうの」


 ポンと手渡された明日の会議のプレゼン資料は、非の打ち所がない。


「成瀬もイイ線いってるよ。俺の仕事をそばで見てたからかしらね?」

「新倉はミスしないの?」


 すると新倉はとぼけた顔を私に向けた。


「だって俺忘れちゃうもん、やなことは」


 私の手から自分のファイルをサッと奪い取ると、“俺ってプライド高いのよー?”と言いながら片手をひらひらさせて新倉はオフィスを後にした。

 ケンカのような会話を何年も続けていればお互いの空気感はなんとなく掴めていて。

 企画書のファイルをひっくり返すと、一際大きめの付箋が一枚。

“アナタならもうちょっと頑張れんでしょ?”

あいつらしい励ましの言葉が書いてあった。


                   *


 悩みに悩んで修正した企画書は二日後の朝に部長に提出できた。

 出来上がりの良さを褒められたのはシンプルに嬉しい。ただ、特にあの付箋がついていた部分だったのが悔しい。


「良かったね、俺のおかげで部長に褒められて」


 席に戻ると、ニヤニヤした新倉が組んだ足に肘をつきながら待ち構えていた。

 ”あの後頑張ったんだね”とか”やればできるじゃん”とか言ってくれたら少しはときめくのに。

 恋愛ドラマや少女マンガで一回勉強してこいとさえ思う。どうしてこうも腹の立つ言葉をチョイスするのだろう、こいつは。ここまで来ると天才の域に達している。

 予想通りの反応にムッとして新倉の言葉を無視して席についた。お陰でお礼を言うタイミングを逃したが、構うものか。

 新倉は私のリアクションがないことがわかると飽きたのか、その後しばらくは黙々と仕事をしていた。


                   *


「あー外でお昼食べられるなんて久しぶり~」

「そんな大声で話さないでよ、日向(ひなた)。そばにいるこっちが恥ずかしい」


 開放感いっぱいに叫びながら廊下を歩く私。同僚の(すず)は煙たがって私との距離を人2人分空けて歩く。

 そんなことを差し引いても今日の私は機嫌が良かった。

 ここ数週間は買ってきたお昼を片手に自分のデスクのパソコンに向かう日々だったのだ。嬉しくてウキウキして足取りも軽くなるのは仕方がないというものだ。


「あーいたいた、成瀬!」


 爽やかな笑みを浮かべて前を歩いてくる人物は、社内で営業部のエースと期待されている佐伯さんだ。

 あの笑顔と人当たりの良い性格は営業にとても向いていると思う。

 このタイミングで佐伯さんに会いたくなかった。


高梨(たかなし)さん、ちょっと成瀬借りたいんだけどいい?」


私が逃げることも佐伯さんは計算に入れていたのだろう。すかさず涼に根回しをする。


「どーぞ。のしつけて佐伯さんに進呈します」


佐伯さんの姿が見えたと同時に静かに回れ右。反対方向に逃げたつもりだった。

涼に上着の裾を掴まれ前に進めない。


「助かるよ、高梨さん。さすが成瀬の行動わかってるね」


こんなところで営業力を発揮しないで欲しい。

 

「すーずー」


 振り向きざま、涼に怨みを込めて視線を送った。

 気にも留めない彼女は頼まれたこと=掴まえた私を佐伯さんの前に押し出すの着々とこなしていく。

 佐伯さんの前に押し出された私の後ろでこそっと「頑張れ」と言い残すと、佐伯さんに一礼する。

 佐伯さんも凉にニッコリと微笑み返した。


「……私これからお昼なんですけど」


 一人でランチへ向かった冷たい友人の後ろ姿を見送りながら、隣の爽やか笑顔に意味のない反論を唱えてみた。


「これから出掛けるからその途中でね。あ、大丈夫。今日は時間ちゃんと取るから安心して」


 爽やか笑顔に反して言い放った。


「あれー? (せい)ちゃーん、これから出先?」


 間の抜けたキーの高い声でさらに疲労感が増す。

 毎日隣で聞いている声だ、振り向かなくてもわかる。


()()、いくら友達でも会社ではせめて先輩と呼びなさいね」


 名前を呼ばれた佐伯さんが少しだけ渋い顔をして新倉を軽く睨んだ。

 新倉は顔色も変えず、臆面もなく言う。


「おたくだってあだ名で呼んでるでしょ。何、成瀬さんも一緒?」

「まぁいいけどさ。そ、このまま直帰するからよろしく」


 佐伯さんはこれまでに何度も新倉に名前呼びの注意をしている。それでも新倉は自分の姿勢を変えない。

 佐伯さんも半ば諦めているようで、今では会えばついでに言う感じに近い。

 ふてぶてしい新倉の答えに、仕方ないなと言う風に笑う佐伯さんの顔はわがままな弟を甘やかす兄のように見える。

本気で嫌がってはいないらしい。


「こいつが使えるかは知らないけど。ま、面倒見てやってよ」


 それに比べてこいつは。

お前はどの立ち位置なんだよ。

 新倉を睨みつけるも、私の視線なんてそもそもこいつは気にしていない。


「大丈夫、成瀬は優秀だからこっちが面倒見てもらってるくらい」

「へーそなの? 意外」


 クククッと新倉が喉の奥で笑う。

 バカにしている笑いだ。

 二人の会話で知ったこいつの中の私の立ち位置に少し苛つく。

 

「新倉お昼行く途中だったんじゃないの?」


 彼を早くこの場から遠ざけたい。


「別に急いでないし大丈夫」


 脆くもあっさりと崩される目論見。

 新倉は「青ちゃん今日はどこいくの?」なんて女子よろしく、佐伯さんと井戸端会議を再開した。

 佐伯さんは話の最中もチラチラと私を気にしてくれていたが、新倉はそんなことはお構いなし。

 絶対わかってやっている。

 少しして話が一段落すると、佐伯さんは「成瀬も準備あるでしょ? 下で待ってるから鞄取っておいで」と言い置いて歩いて行ってしまった。


「大変ね、アナタも」


 佐伯さんの姿を呆然と見送る私を見ながら、新倉は口元に手を当て喉の奥で笑う。

 何か楽しいおもちゃを見つけたときのように、本当に楽しそうに笑う。


「佐伯さんと幼馴染だなんて、ほんと意外」

「どうして? 俺たちどっちもイケメンでデキる男で気が合ってるでしょ?」


 どうやらこいつには嫌味というものは通用しないらしい。


「じゃあそのあなたの幼馴染どうにかしてよ、いつも外出が急でこっちは困るの」

「俺も困ってんだよねー?」


 全然困っていない新倉の顔を見て、思わず作ってしまったへの字口。

 それを見た新倉がまたクククッと笑うので私の口は更に曲がった。

 「まぁ頑張って」と新倉はやる気のない言葉を投げるだけ投げて昼休憩に向かった。


 今日も昼食という名のカロリー摂取か。

 重い足を引きずりながら佐伯さんの後を追った。

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