97. 書置きの紙(銅貨2枚)
俺は、歯を食いしばっていた。
マジでヤベぇ。一瞬でも気を抜いたらすぐにでも寝そうだ。
首輪をつけて廊下を引きずってきたフェイトは既にぐっすり寝ている。
俺は体内のありとあらゆる神経物質を売買して、必死に意識を保っている。
だがこの眠気は、そういうレベルの話ではない。
……強制的な意識の遮断を起こさせるもののようだ。
そうだよなぁパック、おめーホントに強いんだよ。コレとかさ。
俺は今絶対に気絶しちゃいけない。眠ってもいけない。
記憶ロックを解除するまで、意識を保たねば全て水の泡だ。
「頑張るなぁマスターよォ」
「……やっと出てきたか、二週間ぶりくらいか?」
よくわかってんなぁ、なんて舐めた口ぶりで返答される。
なんでこいつ出てきたんだ? 余裕綽々なのか?
俺がそうあっさり無力化されるような人間じゃねえって事わかってるだろうによ。
とりあえず話してみて探りを入れよう。
……眠気も散るかもしれねえしな。
「おめーさ、何が目的なんだよ。俺と喧嘩したいわけじゃねえんだろ。調子ぶっこいて俺の真似してたのはなんでだよ」
「真似だぁ? 確かに金集めの手腕はテメェの方が上手いようだが、効率的に『あそこ』に行くんなら手段はかぶるだろうよ」
知名度、名声集め。全国に兎に角名を売る。
名が通ってるほど『あっち』に行った時有利になる。
手段も方法も問わねえから、俺は悪名でも構わずに名前を売ったんだ。
あんなもん目指してたのが俺だけじゃなかったとはな。
「なるほどな、元々最悪として名前が通ってた俺を利用したらそりゃ、名声を横取りできるからな。最低だよやっぱおめー」
「褒めてんのか? ゼノンとかソリテス、シュレーディンガーみてぇには俺はならねぇ。てめーみたいにもならねぇ。目指すなら『トワ』だ」
……かなり『進んで』やがる。どこまでたどり着いてんだこいつは。
気絶しかけの脳で考えをぐるぐる回していると、意外な持ちかけをされた。
「なぁマスターよォ。てめー俺の軍門に下らねぇか?
俺に従順であるという事を誓えばてめーの手下共々面倒見てやるぜ?」
「バカか? 記憶の書き換えするわ人の妹取ってくわ俺の名声の利用するわ。そんなおめーの奴隷になれってか。ちゃんちゃらおかしいぜ」
イカれた奴はイカれた発想しかしねえな。
「てめーも軽々しく人殺したり詐欺まがいの方法で金集めてんじゃねーか」
「おめーも人殺したり人騙したりくらいするだろ」
「一緒にすんじゃねえ!!」
その怒声に、一瞬怯んだ。
コイツ、本気で怒ってやがる。
……俺とパックは、倫理がちっとばかしズレてんだな。
片や、殺人隷属人身売買なんでもござれ。身内を大事に。
ただし人の気持ちを裏切る事や人を操る事はしたくない。
片や、窃盗強盗記憶の改ざん。人の気持ちなんぞ知ったこっちゃない。
ただ人殺しや詐欺はしない。……しないんだよな。
どっちが正しいかなんてわかんねえ。けど両者が相容れない事はわかる。
「大声出すなよ。おめーと俺が全く相容れない事なんざウラリスで嫌ってほどわかってんだろ」
「人間の命をなんとも思わねぇてめーにはよォ、ほとほと呆れるぜ」
いつまで突っかかってくんだよ。
「死んだらそこまでの人間だってこったろ。おめーこそメビウスを当て馬みたいに使いやがったじゃねーか!」
「殺したのはてめーらだろ!」
大粒の涙が、パックの目から流れ落ちていく。
な、泣き始めたぞ。
マジでこいつ頭おかしいんじゃねーか?
……俺の方がおかしいのか? わかんねえ、わかんねえよ。
だが、言いたいことは言わせてもらう。
「なんで記憶の改ざんなんかすんだよ。大事な事だって忘れちまう。本当に大切な人の事も忘れちまう。そいつの本当の気持ちをなんだと思ってんだ」
「……大事な事でも、辛い事でも、全部忘れちまって新しい幸せを見つけたらよォ、それはそいつにとっては幸せなんだよ」
……救いの一つではあるだろうが、そりゃ間違ってる。
植えつけられた偽の幸福なんて。
んなもんに縋るくらいなら死んだ方がマシだ。
「埒があかねえ。ここで白黒つけようぜ」
「やめとけ、勝負になんねぇしおめーはまだ生かしとかなきゃならねぇ」
涙でぐしょぐしょになった顔を袖で拭きながらまだ吹かしやがる。
大分目も覚めてきた。異次元倉庫の開け方もわかった。
地裂大斬を引っ張り出してオーバードライブして、辺りの大地ごと真っ二つにしてやる。
「テセウス、居るんだろォ。マスターから俺の嫁さん取り戻してくれ」
「マスター? ダレだソレは」
駆動音を掻き鳴らしながら現れたのは、青い肌と金属の体が半々……いや、4:6くらいの機械人間。
白衣を着つつ、湾曲した刀身を持つ武器である舶刀を腰に下げている。
刀を持ちつつもかなり多い魔力と歪みを感じる。
……この歪み。シルキーに似ている。
そしてこいつの武器と魔力は……恐らく剣舞魔導師。
在りし日の、共有の記憶が蘇る。
『共感通信士である母を持ち、剣舞魔導師の父との間に生まれた』
『魂泥棒を作ろうとした父親に失敗作の烙印を押されて捨てられた』
『技術盗みの禁忌の子シルキー』
ウッソだろ。
剣舞魔導師なんて、初めて見た。
「アンタ、シルキーの、父親か?」
「シルキー? 失敗作のうちのダレかかね? ドレイ商に売る時適当にナマエ付けてるから覚えてないねぇ」
カッとなるな。こいつは拷問してから殺さねばならない。
敵意を剥き出しにしてテセウスを見ていると、そいつの正面から何やら青色の発光物質が現れた。
フィルのと似た異空間だ。
「……そっちのは使うな。殺しちゃあよォ、ちょーっとめんどくさいぜ」
「わかった」
人間と機械音声の混ざったような声で返事をするテセウス。
……テセウスという名前。概念使い。魂泥棒。
無機物に置換された肉体。
……。
ちょっと挑発でもしてやろうか。
失敗しても情報は手に入るだろうしな。
「テセウスよお、魂泥棒は作れたのかい」
「……なるほど、コイツはなり損ないじゃない。情報を集めてる最中と見た」
情報の一つも吐いてくれやしねぇ。ケチめ。
流石に二対一でフェイトを抱えたまま戦うのは無理だ。
挙句にテセウスは概念使いでもありそうだな。
更に、絶対まだ居るはずだ。
パックに忠誠を誓ったアホどもが。
「魂泥棒を作ってさ、生き返らせたい奴でも居るんじゃないか?」
「おいテセウス、マスターに耳を貸すな」
「関係ない事よ。フェイトを返してもらう」
こいつ、やっぱ情報くれやしねぇな。
……流石に潮時か。
「パック、俺はおめーの事ナメてた。だが考えを改めたぜ。だが、おめーはまだ俺の事ナメてるみてーだな」
「なんの事だぁ? こっから逃げられると思ってんのかよォ。結界内だぜ?」
結界内だろうとなんだろうと、空間に所有権がつくわけじゃねえ。
だから、自分の居る空間と移動したい先の空間を買って。
位置売買移動法を使って飛べば、視界内ならガラスの向こうだろうが遠くの国だろうが、跳んで逃げられるのさ。
「なっ……どこへ行った!?」
「……逃げられたな。フェイトだけでも取り返さねば」
音声も、所有権のある空間から買って聞こえる。
全く、油断しまくりだぜ。
「マスターは……時間はかかるが替えは効く。フェイトは『ナカミ』だけでも取り戻すんだ」
「そうはいかねえよォ、あれは俺の嫁だ」
中身ってなんだよ。魂じゃねえな。
……まさかな。
「ところで、親愛恋慕の回収はどうなってる? サワフボが死んでしまったからな。アイツは成功作の一人だったんだが」
「ああ、センティーレをもう向かわせてあるぜ。あの連中はもうこっちに向かってるだろうからもぬけの殻だしな」
……何の話だ?
「……ん? おいそこの地面、なんか凍り付い」
そこで音声を切った。
俺の背後にあるガルア地方、その山は白色の閃光を上空に吐き出した。
大量に作り置いてあった水酸化ナトリウム。
そこから、酸素と水素を抽出して液状化、地面に撒いた。
気づくまで情報を集めて、ギリギリで着火したのだ。
「……あんくらいで死ぬようなタマじゃねえとは思ってるけどな」
死んでてくれたら、楽だな。
さ、とりあえず城に戻ろう。
山の上に居たから視界は遠くまで良好だ。
ゲランサどころか、港まで一気だ。
ここからは、海を越えていく必要がある。
……フィルが居ないから海は割れない。
あの建物を探索した結果、どこにも居なかったから一旦体勢を整える意味でもマスターキャッスル一号に戻らねばならない。
背中にはくーくー寝息を立てながら静かに眠るフェイト。
あーあー、俺はもう眠れねえっつーのにぐっすり寝やがって。
言っても仕方ない愚痴を口には出さないでいると。
「んん……お兄ちゃん……」
フェイトが、寝言を言った。
その声は、さっきまでの快活な声とは打って変わって。
陰鬱で寂しそうな声だった。
本当のフェイト。
静かで、暗くて、寂しそうな。
あんまり笑わない、そんな本当の妹。
……まだ、中に居るんだな。
塗りつぶされたわけでも、脳みそ弄られたわけでもねえんだ。
きっと、元に戻せる。
忘れていた記憶の一つを取り戻したんだ。
大事にしなきゃ。
みんなも思い出してるかな、フェイトの事。
待たせて悪かったな、みんな。今戻るぜ。
---
「……あー馬だと遠いぜ。なんだってこんなところに置いて来ちまったんだ」
親愛恋慕、アトラタ城にあるとか言う話だが、大体の場所しか聞いてねえ。
宝物庫とかか? 飾ってあんのか?
「んっとマジでもっと詳しく教えてくれりゃよかったのによ」
モノ探しには向いてねーんだぞアタシは。
もっと繊細なヤツでも送ってくりゃよかったんだ。
くっそ、こんな事してる場合じゃねーのによ。
っ……おい誰か居やがるぞ、メイドが数人か?
もぬけの殻なんじゃねーのかよ。しかもこいつら、そこそこ『やる』ぞ。
「……?」
やべえ見つかる!
咄嗟に飛び込んだのは、広めの客間。
入口に一番近い、応接室のような雰囲気の部屋だ。
体を屈めながら、目立たぬように移動をする。
テーブルの上から、何か紙のようなものが落ちた。
「……なんだこれ」
『マスターへ。待ちきれないのでカントカンドからプルウィへ抜けて西大陸へ向かいます。戻ってきてしまったらなんとかして連絡をください』
書置きだな。
……必要な情報じゃあねえな。
「ゴミ」
アタシはそれを破って捨てた。