92. 悠久
カントカンドを出発して、若干の時間が経ちました。
まだ石畳で舗装されている道だからいいものの、ここが土、或いは砂利の道だったらおしりが痛くなってしまうところです。
揺られながらの会話は正直心地よいものではありません。
最前の馬車には、運転手の私とシルキー、フィル、シラセが乗っています。
真ん中にはリタ。後ろの席にはフラン、ロズ、メノ。
最後尾にトリアナ。後部にはイレブン、カシューが乗っています。
……マスターが奪われた記憶と、そのロックは複雑だそうです。
ロックがかかっているのは、マスターの妹であるフェイトに関しての全て。
フェイトとは『本来どういう人物であったか』を認識してしまうと、マスターが意識を手放した時点で隷属契約によってマスターと繋がっている全員が、同じようにフェイトの記憶を失う。
失った記憶は、全員同じように強引に補填、補完される。
もう一つは、マスターの家族についての事。
シラセは口を重々しく開きます。
言わねばならぬが言うは辛いと言った印象を受けます。
手綱を取りながら、視線だけ後ろに向けて会話をします。
「……マスターの親父、ジョニーはどうやって死んだって聞いてるっすか?」
「確か、マスターが炎の精霊で焼き殺したって……」
口から空気を絞り出すようにして唸るシラセ。
この怒りようは、彼女らしくない。一体なぜ……。
その疑問は、新たな疑問で上書きされました。
「炎の中級精霊程度で、あっさり人が殺せると思うっすか?」
……耳鳴りがします。
つまり、なんでしょう。
サラマンダーが特別強かったとか、そういう事ではなくて。
そもそもマスターの記憶が、全てとは言わないまでも間違っていると言う事でしょうか。
「マスターだけじゃないっすよ。同様に君らの認識も、歪められてるっす」
どこが、何が、指摘はできないけれど、確かに存在する違和感。
それらが全て、偽りの記憶だったとしたら。
私たちの語ってきた過去が、いいえ、今以前の全ての記憶が疑わしくなる。
「……記憶の話は後回しにするっす。この先の話をするにはとりあえずパックの目指すものを言っておかないといけないんすよ」
目標と言っても、ウラリスで見た彼はただの欲に塗れた豚。
マスターをただライバル視していただけの……。
……この記憶ももしかしたら、改変されているのでしょうか。
「パックの最終目標は、ほぼマスターの目標と同じっす」
「……私たち奴隷を幸せにする、という話ですか?」
「その為に何をするかって話っすよ」
世界を買う、という奴ですね。
マスターは口癖のように言っていましたっけ。
「具体的に何をしようと言う事は聞いていませんが……」
「……ちょっと長くなるかもしれないっすよ」
恐らく今から始まるのは荒唐無稽な話。
しかし、私たちはそれを受け入れるのに十分すぎるほどの理不尽な体験をしています。
「2030年前、神って言われてる人達が生きてた頃の話っす」
「…………。マスターが神名騙りで、ジョザイアやエメントと言う神に成りすましていたのを思い出しますが」
「戦の神と精霊の神っすね。二人とももう死んで久しいっすけど」
そんな、元友達みたいに言うのですね。
「神の話はボクもわかるよ。旅人の血が入ってるから」
「……よくわかんないです」
私にもよくわかりません。
そもそも旅人とはなんなのでしょう。
「うーん、わかりやすい方がいいっすかね……んじゃあ」
と言って、ゆっくりと語り始めました。
*
……まず、世界ってのは、作られるもんなんすよ。
パンケーキを作る時小麦粉や卵、水を混ぜるみたいに、物質、法則、原理、禁忌が混ぜられて、この世界を形作ってるんす。
この空の上、宇宙が作られたのは140億年前って『設定』されてるみたいっすけど、実際にこの世界ができたのは2000年ちょい前っす。
世界を観察、観測、計測して、真実に迫る能力を持っているのがうちら……旅人っす。うちはその最後の一人。
なんで最後の一人かって、旅人が絶滅したあとにうちがこの世界に来たから……っすね。
今後も多分増える事はないっしょ。
神たちが認識したのは、存在や情報、力と言った概念体たち。
これは、世界の法則や原理であり、同時に個でもあるっす。
『原初』の力を持った人々である神たちは、人間を作りはしたがその能力に制限がかかっている事に気づいてしまったんす。
人間に職という力を与えたはいいものの、それが混ざると本来の力を発揮できなかったり過剰な力が出て世界に影響が出てしまったりしたんすよ。
それは、概念体は自らに影響が出ないよう、世界に影響が出ないよう、保険として、禁忌という存在を利用したんす。
他の世界では、神を作らず直接人間を作ったり、神に力を与えなかったりして対策してるとこもあるみたいっすね。
うちが前に居た世界では、正義や罪、罰は人間が勝手に定義して勝手に振るっていて。そりゃもうひどいもんだったっす。
警察だの弁護士だの、懲役だの冤罪だの。
この世界にゃそんなのがなくてよかったっすよね。
力がありゃなんとかなるこの世界はうちにとっちゃ生きやすくってありがたいっす。
話を戻すっすよ。
神は、力を持っているからこそそれが存分に振るえない、また自由でない事に腹を立てて、概念体たちを相手取って戦いを仕掛けたっす。
結果は全滅。まぁ無謀だったっすね。虫が人と戦うようなもんっすから。
でも、小さな希望は残ったっしょ。毒虫が混じってたんすね。
正義や罪と言った概念がこの戦いで滅びたお蔭で、人間は動きやすくなったっす。
概念を相手取る、って意味がわかんないかもしれないっすけど、こいつらは個として存在する空間があるんすよ。
そこでなら、相手が概念だったとしても上手く行けば殺せうるんす。
んで、実質向こうにつく事になっちまったけど、それでも概念になる事に成功した人間が居るんす。
それが……。
*
「待ってください、シルキーから火が出てます」
首を傾げながら、顔を真っ赤にして考え込んでいます。
知恵熱でも出ていそうですね……。
「おわ! む、難しすぎたっすか?」
「えーと、えーと、……ちょっとわかんないです」
シルキーが理解できなければ共有するのは難しいですね。
「んー、んっとね。簡単に言うよ?」
フィルが助け舟を出しました。
「マスターが居ます。マスターは君たちを幸せにしたいです。
でも、もっと偉い人が邪魔をするのでそれを倒したい」
「……そんな感じっすね」
「なるほどー、わかりましたです」
マスターと我々奴隷の関係は、神と人の関係に似てるんですね。
私たちを幸せにする為に、概念を相手取って戦っているのです。
でも、神々が概念体を相手に起こした戦争の結末は……。
……私たちは、今のままでも十分幸せです。
だから本当に危ない時は、諦めさせるつもりはあります。
それでも戦うと言うのなら、私はついて行きます。
それが私の従順であるという事なのですから。
「マスターとパックの目的がほぼ同じって言うのは、概念体の『禁忌』を殺すという事でしょうか?」
「概念体に『禁忌』は居ないっす。『存在』や『力』が定義したもんなんで禁忌だけを失くすって事はできないんすよ」
「じゃあ、どうしたらいいです?」
なんとなく、アタリはついていますが……。
仮にそうだとしたらマスターは。
「概念になればいいんす。これがパックと、マスターの目的っしょ」
概念になって、新たな法則を定義する。
それで、私たちが救われたところで、普通に生きられるようになったところで……。
マスターと私たちはその先、共に生きられるのでしょうか。
……彼は、それを成し遂げていいんでしょうか。
私は、それを止めなくていいんでしょうか……。
黙って頭を悩ませていると、フィルがシラセに質問を投げました。
「ところで、ボクちょっと気になるんだけどさっき言い掛けてたのって何?」
「概念になる事に成功した人間の事っすか?」
「そうそう」
「オラクルファウンテンへ行ったら会えるっすよ」
え……それって。
……もしかして。
シルキーも目をくりくりさせて驚いています。
記憶が歪められたりしていなければ、私たちは会った事があります。
その名前は確か。
「悠久ってやつなんすけど」




