90. 『うって』おいた記憶と布石(銀貨3枚分)
「あぁ~、助かりましたぁ」
のへっとした表情でお茶を飲み、貯蔵の缶入りパンを齧る少女、メノ。
白と黄の間くらいの髪色をした、腰まであるそれをふるふる震わせながら、パンの上からかけたメープルの味に舌鼓を打つ。
瞳の色素もかなり薄く、肌すらも我々の誰より透き通るようです。
手持ちの食料を食べさせるわけにはいきませんし、商店にはこれくらいしか蓄えがなかったのでとりあえず渡しましたが、もりもり胃の中へ消えますね。
さっきまであんな目に遭っていたと言うのに、よく食欲があったものです。
「どんな時でもお腹は減るものです」
「そんなものですか……」
呆れながら返事を返します。
湯気立つ緑色の液体をずずっと飲み干し、ぷはーと声を上げて湯呑を置く。
いちいち行動が大げさなこの少女、気に障るという事はないけれど……。
この先どうしたものでしょうか。
動きを覗っていると、メノが口を開きました。
食べる為ではなく喋る為にです。
「さてさて、ロゼッタがそちら側に平然と参加しているという事は……うーんと。どういう事でしょうか?」
「どうもこうも。『無理』という事だ」
メノは、なんとなくわかります、と頷きながらお茶のお代わりを要求する。
私は黙って急須から新しいお茶を注ぎました。
ずずず、と音を立てて啜っては、はぁーと余韻に浸る。
立場の選択次第では敵にも回ろうと言うのに、随分と余裕を感じます。
もしくはただの天然かですが。
「おおものかんがあるな」
「です」
天然コンビが腕組みをして唸っています。
真似してはいけませんよ、フランとシルキー。
「……私は、イージスを裏切ってこちらに付いた。身の安全も保障されているし衣食住だって安泰だ。稽古をつけてくれる師匠すら居る」
「ふむぅ。そう言うしかない状況にはありますけれど、本心ですか?」
もちろん、と目を瞑りながら頷くロズ。
メノは腕を組んで同じく目を閉じ、何事か考え始めました。
先を急ぐ旅です。メノには悪いですが早急に立場を決めてもらわねば。
「現状をお話します。とりあえずメノへの折檻はこれにて終了。
私たちへ二度と危害を加えないと誓うのならば御咎めはもうありません。
……マスターが危険です。ので、助けに向かいます。
……貴方にできる選択は三つ」
ペースを握られぬよう矢継ぎ早に捲し立てます。
指を立てつつ、言葉を続けました。
「一つ、私たちに加わって西大陸から北の果てを目指す。
二つ、ここに残る。その場合身の安全は保障されません。
三つ、イージスについて我々と戦う。この場合は死んでいただきます」
「一択じゃないですか!」
吹き出しながら声を上げるメノ。
ロズと同じ立場だからこそ、シビアに行かねばなりません。
またマスターの……その……切り落とされても困りますし。
「他の選択肢があるならば提案して頂いても構いませんよ」
「ええと、身寄りがほとんどいない私がイージスを裏切るのは一向に構わないのですが、二つ条件があります」
「その条件とは?」
条件提示と来ましたか。まぁ、当然でしょう。なんの利益もなしにリスクは取れないものです。
「唯一の身よりであるじい様が、ブルームという街に住んでいる。
特に何もない街だけど有事の際はじい様の安全を保障して欲しいです」
「それは、最もですね。裏切った事が知れれば危害が及ぶでしょう。
わかりました。何かあれば護りに向かいましょう。匿う事も含めて」
マスターが不在なので交渉等の全権限は私にあります。
私には契約者の能力がないので口約束になりますが、無論そのじい様を守ってあげるつもりはあります。
「それで、もう一つは?」
「何か抱いてないと眠れないから、動物が欲しーです。
こちらでは常に抱かれていたので男性が枕代わりだったんですけど」
全員の視線がリタに集まります。
それに合わせてメノの目が細まります。
御眼鏡には適うでしょうか。
「お……俺かよ!?」
「もふもふで寝心地良さそうです。あとえっちな匂いがしますね……」
「匂い!? マ、マジでか!? 勘弁してくれぇ……」
背中に取りつかれ、尻尾をぶんぶん振るリタがちょっと可哀想ですが。
「動物を連れて旅するのは不可能でしょう。……リタ、頑張ってください」
「マジで、マジでか。俺の身の安全は保障してくれないのか?」
「致しかねますね、ご自分で守ってください。……理由はわかりますよね?」
「……もしかして」
バレバレですよ。深夜にあれだけ声を上げていたら。
マスターが残して行ったシャツを勝手に持ち出したり、下着に色々したり。抜け駆けも不貞もだめですよ。
「ここにマスター手製のマジックアイテム、音声収集機と言うものがありま」
「ああああああ! わかった! メノの面倒は見る!」
「お願いしますね」
リタが尻尾を撫で上げられ、ぞわぞわと背中を泡立たせています。
「尻尾はやめろ! あ、や、やめてください」
「アリスさん、いいですよね?」
「どうぞ」
そんな後生な、と悲しみに暮れる視線を送ってきますが。
とりあえずで笑顔を返します。
リタはがっくりとうなだれました。
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意識が覚醒する。
誰かと繋がっている感覚がする。
精神ではなく肉体が。
薄目を開けた。
この青紫の髪とフードは、……フェイトか。
パックの隣に大体居るヤツ。
……だよな?
体を揺さぶられる。延々と前後に動き続ける。
嫌でも逃げる事ができない。手足が錠で繋がれているようだ。
敗北からどれだけの時間が経った?
くそ、集中できねえ。
全身を駆けまわる快感は誤魔化せない。
……売る事はできるか。
……できた。床に売れた。誰の所有物でもないという事だ。
つまりこの建物も所有者が居ないと言う事。
廃墟かもしれない。
快楽を売るという行為。気持ちよくなくなるという事だ。
男特有の感覚で『勿体ない』という感情が湧き上がるが一先ず無視。
俺自身の快感が薄れたせいか、それはいとも簡単に萎えた。
「ありゃ、どうしたのマスターさん突然」
この呼び名、違和感しかねえ。
とりあえず辺りを見回す。
部屋が明るいから辺りの様子がわかる。
そこらに散らばる体液の乾き具合、部屋の隅にある食器とゴミの様子から、かなりの日数が過ぎている事が推測される。
アリス達やフィルが心配だ。
「……いや、フィルとカシューが心配でな」
「二人は無事だから安心してよ。それより、早く続きしようよ!」
体重をかけて体を擦りつけてくる。新たな心地よさが芽生えてくる。
芽生える端から売っていく。テーブルの下には銅貨が少しずつ山になる。
「……? マスターさん、何やってるの……?」
俺はそっぽを向いた。
誤魔化せるもんじゃねえし。
「あー、いけないんだ。そういうことしちゃうんだ」
「ぐっ……あ」
首に手がかかって、そのまま締められる。
息ができねえ、どころじゃない。動脈が。意識が。
視界が白黒明滅する。
「ぶ、ぶはっ! ……ぜぇ、ぜぇ」
「次、銅貨一枚分でも何かしらを売ったら、また飛ばしてやるんだから」
また? またってなんだ。何回も落とされてきたのか。
……記憶を消されている? もしくは、ロックされているとか。
過去の俺が何も対策せず手を拱いてただ記憶を消されていたとは思えねえ。
何か残してないのか!?
壁や床、体などあちこちをくまなく探す。
ない、ない、ない。
どこにも、情報は残っていない。
そんな考えを吹き飛ばすように、彼女は俺に覆いかぶさって快感の海に沈めようとしてくる。
肌と肌、肉と肉を擦りあうようにして、お互いを貪りあう。
いや、ただ捕食されているだけに近い。
恐らくこれは、パックの命令だ。
俺が敗北した時の条件を聞いていなかったのが悪いが、恐らくは禁忌の子の子が目的なんだろう。
三職種でもかなりの歪みと力を持つからな。
専門職には負けるとは言うが、複数の職が合わさった時の相乗効果がでかい場合がある。フランなんかはその最たるものだ。
「熱くなってきたね、私も脱いじゃおうかな」
フードを取り払って、抱き着いてきた。
その暖かさは、ちゃんとした人間のものだ。
外見もちゃんと、可愛げはあるし女性らしさもある。
同性愛者でもなければ、心臓は高鳴るだろうし、興奮するだろう。
つまりこの反応は致し方ないものだ。
小麦色の肌をした顔の、真っ黒な入れ墨を見る。
……こんなもの、していただろうか。
「あんまりお顔見ないでほしいの。恥ずかしいから」
俺の肩に、フェイトの顔が乗る。
悪くない、が、無理矢理されているというのが癪に障る。
くそ、もう成す術がないのか。
と思った矢先に俺は気づいた。
……。フェイトの背中に、数字が刻まれている。
抱き着かれた時、俺だけが読めるような方向で。
それは、2文字がセットになった小さな小さな数字。
32 01 11 03 32 42
32 34 01 07 03 01 45 24 07
38 46 19 47 11 21
38 27 28 42 48 18 24 04 36 09
自分で考えた暗号だ。それに『この詩』はこちらの世界で見た事がない。
すぐに解けた。
なるほど。
……今、思い出す事で記憶ロックに触れてしまったようだ。
だから気絶してはいけないと。
そして4行目。
そこから買い戻せばいいのだな。
足元の銀貨銅貨を使って記憶の買戻しを行う。
思った通り、ちゃんと保存されていた。
記憶が大体戻ってきた。首を絞められては飛び、記憶を失くしてきた記憶を。
何度も何度も繰り返してきた、その記憶が。
情報が出そろったこの週で、決着をつけよう。
今の俺は、バカだった前世の俺でも、工夫のできなかった幼少時の俺でも、パックに慢心によって負けた俺でもない。
なんとかしてみせる。
ゆさゆさと、視界と体が揺れる中決意した。
俺は最悪の奴隷商人、マスター=サージェントだぞ。
俺に買えないものは、ねえ!