86. 大事な記憶(金貨1枚)
思えば、負けた記憶が多い。
思い通りにならなかった事も多い。
最近はそんな事とは無縁だったんだがなぁ。
いつから俺は、慢心していたんだろ。
俺は負けたんだ。
なんなんだよギャランク。
まるで中身が別人になったかのような強さだった。
パックは、俺よりずっとずっとずっと先を行っているような感覚がした。
ずっとずっとずっと下に見てきたのに。
やる事成す事稚拙で、話にならない野郎だと思っていたのに。
演技、だったんだろうか。
……情報力が足りない。
シルキーの力不足という意味ではない。
あいつはあいつで絶対に必要だし、唯一無二とも言えるほどの実力はある。
そうじゃない。
もっと根本的なところで、情報を集める力が不足しているんだ。
居たはずだ。思い出せ。それこそ過去のどこかに。
情報を集める力……ん、そうじゃない。違う、もっと高位な……。
全ての情報を知っている者が居たはずなんだ。
旅の最初期に、……いや、むしろずっと居た気がする。
だが、その根本に辿り着けない。
忘れているのだろうか。
記憶の一部が覚醒の為に再構築されていく。
勿論重要な部分はロックされたまま。
……はっ!
ここはどこだ!?
両手は顔の横に拘束され、鉄製のテーブルに体を固定されている。
足も動かない。それ以外は自由だ。
……残ってるの首しかねえけど。首が自由だからって何ができんだよ。
薄暗い牢屋のようだ。
キョロキョロあたりを見回すとすぐに、真横の椅子に佇む少女を発見する。
髪色は毒沼のような青紫で、それを隠すよう目深に黒フードを被っている。
首からは鎖で繋がれたエンブレムが胸元に繋がり、暗がりだというのに本を開き持っている。
顔はよく見えない。エンブレムのマークも……。
その下は……。
軽く浮き出たあばら骨。
肉付きのない腹。
おへそ。
……。
細いふともも。
棒のようなふくらはぎ。
すっとした足先。
足爪は清潔に切りそろえられている。視力は良好なままだな、うむ。
新手のファッションか? ここは治外法権か?
……まぁそうだろうな。
国内市町村内じゃないとまともに法律なんぞ適用されない。
国を一歩出たらどんな格好しようと捕まりゃしねえ。
「で、なんで俺も全裸なんだよ」
「もじゃないよ。私は一応着てるもん」
陰鬱な外見からは想像もできない快活な声が発せられた。
……絶対に聞いたことある。この声。
「やっと起きたマスターさん。前回からずっと寝てるから死んだんじゃないかと思ってたんだからね」
マスターさん。
その物言いに、激烈な不快感を覚えた。
そうじゃない、もっと違う呼び名があった、はずだ。
なんなんださっきから、記憶に混濁があるのか?
今の今に始まった事じゃない、気がする。
何故だ、誰が。って、決まってるんだが。
なんの記憶がないんだ。
それがわからない。
ただとにかく不快だ。
情報だ。一からでもいい、情報を集めるんだ。
「……お前は、誰だ?」
「フェイト=ニゴラスだよ。ギャランクのママ。パパはパック」
フェイト。
俺の記憶によると、ウラリス時代……つまり2年くらい前か?
に、同級生だった奴。
パックとフェイトとギャランクは仲が良かった……はずだ。
3バカって、家族だったのか。
……いや、おかしいだろ!
だって、パックは俺の3つ上、今24歳のはずだ!
ギャランクはどう見たって20歳を超えている。
……待て、親子だって!?
こいつ歪んでんだぞ!
じゃあギャランクの歪みは三職種のシルキーと同レベル……。
ん、待て待て待て待て、おかしいぞ。
全てがおかしい。
どこからだ。どこからおかしくなった。
バギンフォルスからか? ウラリスからか? フィルからか?
いやいやもっと前、ティナがトリアナと一つになった頃……。
違う。根本的に違う。
なんでだ、なんでたどり着けない。
「遡るのもいいけど、記憶のロックに触ったらまた最初からだからね」
「記憶のロック……鍵がすぐそこにあるはずなのに手が届かねえ」
「だって鍵は私だから。言うわけもないけど」
なんだって? フェイトが鍵?
敵の癖して何言ってんだ。
あとちょっとなんだよ。すぐそこまで来てんだ。
「もー、ロックかけるとみんなループしちゃうんだから。
私が何言っても、何も言わなくてもすぐ辿り着いちゃう」
「……ループ? 何言ってるんだ」
嫌な予感がする。
……記憶ロックは自覚している。
触れると周辺の記憶を吹っ飛ばされてまた考え直しになるのもわかってる。
でも『あと少し』という感覚のせいで、何回でも向かおうと思ってしまう。
結果、無駄な思考が延々ループしている?
「二週間くらいループし続けてるでしょマスターさん。お茶目ー」
「に、……二週間!?」
アリス達が心配だ。ちゃんとやれているだろうか。
……フィルは?
「フィルとカシューはどこだ」
「さぁ、捕まえてるかもしれないし殺しちゃったかもしれない」
「くっ……」
捕えられてるなら、俺が逃げ出したとなったら殺されるかもしれない。
殺されてるなら……いや、あいつの能力なら逃げ延びられるだろうが……。
「じゃ、今日もそろそろ始めようか?」
「……何をだ」
力無く返答した。
異次元倉庫が全く開かない。
俺の所持金は倉庫の中にほぼ100%入っている。
アリス達に預けてある分は除くが。
つまり、俺の能力はほとんど封印されてしまったようなものだ。
抵抗する気など起きるわけもない。
フェイトは一言で返してきた。
「子作り」
「……」
だからほぼ裸だったのか。
ひょっとして俺は二週間もの間……?
大体、読めてきた。
パックは金銭術師である俺と、コイツの間に生まれた子が目的なんだ。
あきれ返りながら情報集めを進める。
記憶ロックに触れないように集めりゃいいんだろ。
「お前の、職はなんだ」
「旅商人」
返答はすぐ返ってきた。
……旅人の血が入っている? 旅人は滅びたはず。
商人。商人の血が濃くなって、あと旅人と錬金術師。
どうなるんだ。どんな職が生まれる? どんな歪みが出るんだ。
「ママはね、偶然渡ってきたんだ。マスターさんも知ってる人だよ」
「渡ってきた? 俺が……知ってる?」
見当もつかない。
知っている奴で、旅人の……女性。
誰だ。
「パパはね……ふふふふふふ」
これは、重要だ。
だが、恐らく記憶ロックにかかってしまう。
ならば。
「教えてほしい?」
「……ああ」
「どーうしよっかなー」
別にどう来ようが関係ない。
今度こそ十全に、万全に、ピースを組んでチャンスを待つだけだ。
「マスターさん、お父さんは元気?」
「死んだよ」
「そっか」
その質問。
なんでこのタイミングで。
……!
あ。
「あ、あ、あぁぁあああああ!!!!」
フェイトが嫌らしい顔になる。
俺の上に跨る。
顎をなぞってくる。
体は勝手に反応している。
心とは別に、交わることが進行していく。
フェイトの手が首にかかった。
元々の旅の仲間。
アリスに出会う前から、ずっとずっと共に過ごした家族。
不自然な記憶の抜け落ち。
不自然な記憶の補完。
アリスに戦い方を教えたのは誰か。
深夜、外にシルキーが居るという事を教えたのは誰か。
精霊を人間化する事を教えたのは誰か。
トリアナが居るゴールデンゲートへ向かう事を進言したのは誰か。
ティナの居るリデレの街が是正者の本拠地だという事を。
倉庫の奥にダンジョンを作る事を。
ウラリスへ通う事を。
パックの危険性についてを。
説いたのは。
記憶の抜け落ちと強引な補完は全部、パックの記憶改竄によるもの。
ロックした対象はこの……。
俺の妹、フェイト=サージェントに関する全ての物事。
お蔭で、パックにフェイトを取られて、それを全て忘れウラリスを出てからは目先の勝利と金銭の増加と仲間の加入に釣られて、真の目的への道しるべを失ってしまったんだ。
フェイトは記憶を封印され、催眠で性格を改竄されて。
「今や完全に別人ってとこ。どう? 思い出した?
じゃあまた、飛んでらっしゃいね……」
フェイトは俺に跨ったまま首を絞めてくる。
人は死に直面すると、生きたい、子孫を残したいという思いから精を吐き出す事があるらしい。
それを信じているのか? 正しいやり方を知らねえのか。
……こいつ、その方面には疎いんだ。
いや、パックが首絞めでしか興奮できねえのか?
んな事……考えてる場合じゃねえ、記憶ロックに触れたから、意識を手放したらまた飛んじ……まう!
どう、どうする……。い、意識が……。
こ、この記憶を……いやまず俺の…………売って…………記憶……に…………。