78. ティナ(金貨2万枚)
そうしてマスターは当時10歳のあたしを拐かし、あまつさえ一緒にお風呂に入ってしまった。
今考えると、ちょっとないよなー……。
でも、嬉しかったって気持ちしかないし後悔もなんもねぇ。
恥ずかしさはちったああったか?
……あれ、問題ないじゃん。
リタもそんな感じだって? アリスもだろ、シルキーも?
やっぱマスターの常識は他の何にも当てはまらないんだな。
そういうの未経験なのは、ロズだけ?
……大事にされてんのか、そーじゃないのかわかんねぇな。
気持ちをはっきりした方がいいぞ、後々苦しまなくて済む。
んん、今考えてるとこ? 今は修行で頭がいっぱい?
ま、それもいいだろ。
普通が一番だって、色々思い知った部分もあるしな。
ロズが今んとこ一番普通だ。
だから、これから悩む事も多いだろうし、辛い思いもいっぱいする。
悩めるってのはいい事だ。って、誰かの受け売りなんだけどな。
いっぱい悩んで、選んで、間違って、道を決めていくといい。
最終的に選んだ道がマスターに仇成す道だったとしても、ロズがいいならそれでいいんだ。
ま、もちろんそんな事したらあたしらと戦う事にはなるだろうけどな。
それは嫌だ? その辺も含めて、悩んで考えんだよ。頑張れよ。
……続きが聞きてぇ? おう。じゃあさっきの翌日から行くか。
*
「すいませーん。娘さんをください」
「はぁ?」
マスターはまさかの行動に出た。
あたしのうちに来て、母を呼んだんだ。
アリスとシルキーとトリアナにはすぐ後ろで待機しているように言って、一人で呼び鈴を鳴らして。
本当にびっくりした。
あと何故か、マスターの肩には白い鳥が一匹とまっていた。
この付近ではあまり見ない、それこそ東のフェイハットとか……あっちの方に居るような鳥だった。
「黒髪の娘さん。疎んでんだろ。是正者なのに歪んだ子で」
「……あんたも禁忌の子みたいだけど。今すぐここで粛清してもいいのよ」
これはただの脅し。
貴族階級の純是正者はそうそう術を振りかざしたりしない。
一枚の銅貨にもなりはしないからだ。
仕事として頼まれれば別だけど。
「まぁまぁ、俺は喧嘩がしたいんじゃなくて取引がしたいだけだ。
いくらなら売ってくれる?」
「疎ましいと言ってもうちの子供だよ。金貨100枚でも売らないね」
「200枚なら?」
「売るわけないでしょ。帰ってちょうだい」
押し問答のような会話が続く。
しかし、次の一言で母親の様子が変わる。
「1000枚なら?」
貴族と言っても、イコール金持ちじゃない。
あたしの家の場合、貸している土地や建物から発生する収入は家の維持費だけで吹き飛ぶからお金の蓄えは少なかったんだ。
是正者としての仕事は、貴族の義務があるからお金は受け取れない。
貴族が労働の対価にお金を受け取るのは、卑しい事だと思われている。
だから、あたしの家は貧乏ではあった。
「……そんなに出す意味がわからないし信じられないね」
「契約者の名の元に、真実のみ発声する事を誓わん」
マスターは母と契約をした。
禁忌の子が契約を破れば歪みが出る。
是正者の前で歪みを出すという事は、どういう事か。
まぁ、破るわけにはいかない。
……自分に、値段がつけられている。
そこに判を押すのは母自身だ。
「で、いくら出せるんだい」
「いくらでも、言い値で買う。ただし金額の提示は一度きりだ。
あの子は絶対に欲しいが無駄に釣り上げられるのは癪だからな」
絶対に欲しいとまで言われて、少しだけ恥ずかしくなった。
それに、真実しか言ってない。御世辞でもなんでもないのだ。
「金貨3000……」
「はした金だね」
「4000、いや5000」
「一度きりって言わなかったか?」
「言い掛けてただけだよ! 10000だ! それでダメなら帰りな!」
人一人に金貨一万。
絶対にありえない額だ。
「ちょっと、母さん」
「アンタは黙ってな! お前は私のもんだよ! 値段は私が決める!」
「下卑た顔しやがって。10000だな」
そうマスターが言った瞬間に床が金色に染まった。
母親は目を見開いて、床に這い蹲りお金を掻き抱いた。
「これ、に、偽物じゃないでしょうね!」
「契約者の能力に誓って本物だ。ただアンタ……」
「もう10000置いてけ!」
マスターの肩にとまっていた鳥が飛んでいく。
「欲に目が眩むとこうなるんだって事、おめーらもよく見とけよ」
「はーい!」
「わかりました」
「呆れてものも言えませんわ」
額に青筋を立てて何かを言いたそうにしていた母は、新たに現れた10000枚の金貨に押し潰されるようにして姿を消した。
「さ、帰るか。商店の準備をしよう。……これからよろしくな、ティナ」
「お、……お願いします」
シルキーが、やったー! 新しい仲間だー! と喜びの声を上げた。
それを見てアリスとトリアナは、優しそうな笑顔を浮かべる。
あたしは、これからようやく自分の人生が始まっていく予感に打ち振るえた。喜びが全身を駆け巡った。
嬉しさで涙が零れた。
マスターは、だからズルいって。とか言いながら冒険者服を濡らさせた。
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玄関に散らばった金貨の上を転がる女性が一人。
貴族とは思えぬ、卑しい顔をした妙齢の女性。
彼女には三人の娘と一人の息子が居た。
娘のうち一人と交換した、二万枚の金貨の上を転がっているのだ。
「色々扱いに困った子だけど、厄介払いになったと思えばいい。
それに金貨二万枚。これで上の子達の学校の心配も要らなくなったね」
ひひひ、と抑えられぬ愉悦に顔を歪ませる。
その声に合わせて、誰かが笑っている気がする。
「だ、誰!?」
「誰だも何も。契約違反は駄目だろう」
「はした金なんて言うのが悪いの! 何か文句ある!?」
文句じゃなくて、と言いながら『白い鳩』が影から姿を現す。
それはむくむくと、歪みによって姿を変えていく。
大きく、大きく、醜悪に。
最終形は、猿のような姿。
「何……歪み? 私が生んだの? なんなのアンタ!」
「禁忌の子との契約を破ったら歪みが出る……是正者でも知らんもんかい?」
女性の顔が驚愕の色を表す。
金貨は本当にはした金で、こっちの方が目的だったとしたら。
足を震えさせて、猿から離れようとした。
最初っから、私だけを歪みで殺すのが目的だったとしたら。
女性はそう考えた。
「また顕現したばかりで死ぬのも癪だが、お前みたいなのを殺す時は愉快よ」
ひひひひひひひひひと、目の前の大猿は声を上げて笑う。
手を向け、是正者の能力を解放する女性。
猿の胸元の毛並が僅かに乱れた。
「何かしたかい?」
絶望が顔に滲む。
すぐに、笑い声と叫び声が貴族街にこだました。
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――でさ、ダイヤモンドカッターを初めて見たんだよ。綺麗でさ。
キラッキラしてるんだけど、切られた方はグロいのなんのって。
まぁそれじゃ死ななかったんだけどさ、それでも勝ったんだよ。
マスターが戦う姿はカッコよかった。惚れ直した。
そんでな、商店の手伝いをした時は、働くってこんな感じなんだって思った。
大人になった気分がした。
みんなで近くの街まで買い物に行ったりして。
組合の人とか守護騎士団に見つかりそうになったらみんなで隠れて。
楽しかった。
あの頃の思い出があるから今生きてられるんだなぁって思うと、感慨深いよ。
毎日毎日仕入れして、店開いて、戦って、逃げて、お風呂入って、寝て。
たまーにさ、マスターと同じベッドで寝るんだけど……。
……え? その話はいいって?
シルキーすごい食いつきだな、まぁ話させてくれよ。