73. 敗勢
「精霊神エメントと治療神セレスの名に於いて遂行す!」
迷いはなかった。
パックの勝利宣言と同時に俺はカシューに駆け寄り神名騙りの詠唱をする。
「奇跡の一側面!」
カシューはよくやった。
戦士でもないのに果敢に剣を取って戦い。
二つ名持ち催眠術師の術を受けながらも魔法武器の性能を使いこなし。
ボロボロになっても剣を取って立ち上がり続けた。
生き残る為に? カロン族の為に?
それはわからない。
「うぅ……げほっ」
傷は治ったようだが気管支に血が残っているようだ。
ここら辺、巻き戻してるわけじゃないから不便だが勘弁してほしい。
ちょっと内臓がぐしゃぐしゃになったくらいなら治る。
神ってそんなもんだ。
力があるなら手伝ってくれるしそうじゃないなら見ねえフリする。
……とりあえず、看病はフィルに任せて俺は舞台へ上がった。
我慢した。
俺があそこで手を出したら、どんなペナルティがあるかわからねえから。
俺とパックは今、契約によって繋がっている。
職としての『契約者』は隷属などの存在契約と破れば罰則がある行為契約の二つを扱える。
契約者と被契約者は、どちらかが禁忌の子であった場合、ペナルティは歪みとして現れる。
1対1で戦闘を行う、というアバウトなルールのみしかない行為契約だが、ルールがシンプルなほどペナルティは大きくなる。
ただ死ぬだけならいいが、5分間契約が無効になった状態でフィルとカシューをほっとくのは怖い。
『歪んだ何か』とパック達を2人で見るのは不可能だろう。
それに、持っていかれる命が1個だけとも限らない。
よって、奥歯が擦り切れそうなくらい耐えに耐えて、戦闘の結果を待った。
神名騙りは回復する対象が一人だったから、発生する歪みも小さいはず。
まだ『出ない』だろう。
こうして、勝利数1を献上しつつパック側は3人、こちら側は俺だけの都合のいい状況を作り出せた。
あとは俺が2勝すれば終わりだ。
……このタイミングだが、俺はどうしても気になっていた事があった。
舞台を降りようとするパックに声をかける。
「おいパック、さっきメビウスが成功とかなんとか言ってたけど、あれどういう事だ」
「……なに、メサイアのカードはおめぇが持ってるから、適当ぶっこいてプレッシャーかけに行ってくれって頼んだだけだぜ。
内心ブルってただろうよォ。長年追い求めた兄がそこに居るっつーのに……相手がかの有名な『最悪』だからな?」
パックは背中を向けたまま話す。
メサイアは、その名の通り救世主の如き優しい心と強さを持った、魔獣災害対処のスペシャリストだ。
ドラゴンに対する特効を持つ竜殺しが彼の職だったので、ドラゴンが起こす災害には特に強く、どんなに離れた場所までも赴いては解決し英雄扱いされる。
そんな奴だった。コイツをカードにするのはかなり手こずった。
んでまぁ世間的には行方不明だ。
戦力として欲しかったから買ってカードにした。対価は払った。
だから、別に悪い事をしてるという意識はない。
あ、弟には悪かったな。あと世界中で起こるドラゴン災害被災者?
そんな俺より、兄が居ると騙くらかしてメビウスを連れてきて、フィルへの当て馬として命を消費させたパックは許される事じゃない。
いや、俺も世間的には実際許されないだろう。
でも、守るべきルールは守ってる。この最悪で最低な世界の常識は。
「パック」
「んだよォ」
「話を聞け」
「あぁ?」
ようやくパックはこちらを向いた。
伝えるべきことを伝えておこう。
「俺がここに来た理由は、お前を完全に無力化する為だ。
俺が勝ったら、おめーの能力全部買い取らせてもらう。
この世界に無職なんて1人たりともいねえから、どうなるか楽しみだぜ」
「そーはさせねーよォ? じゃあ俺が勝った時の条件だが」
「おめえが勝てるわけねえだろ。言わなくていい」
あっそ、とパックはつまんなさそうに離れていく。
しかしすぐ、そうだ、と振り向いて勝手に話し始めた。別に聞かないぞ。
「おめーが次負けたらそっち全員退場だからこっちの勝ちでいいな?」
「いや、俺が負けると思ってんのか? 頭ん中お花畑か?」
「誤魔化してんじゃねーぞォ、契約の話だ。イエスかノーかで言え」
んだよこの自信は。俺がどんだけ金貯め込んでると思ってんだ?
枚数にして金貨970万枚くらい残ってんだぞ。
俺が死んだ当時の日本円にしたら1000億円くらいだ。
金が物言う世界で、金を扱う職で、世界一金持ってんだ。
驕りでもなんでもなく負けるわけがねえだろ。
「あーあー、イエスだよイエス。次誰だ?」
パックは、笑った。
これまでに見た事のない醜悪な笑みで。
俺は、魂の根幹まで揺るがすくらいの恐怖を感じた。
余裕が吹き飛んだ。
なんで、相手の手の内も知らないうちに、勝ったつもりでいたんだ?
ウラリスを出てから、負け知らずで来たから?
そんなの油断していい理由にならない。
どんな相手でも大体一瞬で勝利を収めてきたから?
これからもそうであるとは限らない。
偶然割れなかっただけである薄氷の上の存在。
俺の自信がそうでないと何故言える?
「ギャランク、おめーの出番だ」
「御意」
頭の中に渦巻く負の思考を払拭できないまま、戦闘の時を迎えた。
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「トリアナ嬢~、何処に~」
上機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
ここは城の二階。廊下を歩く正装の男が、こちらに向かって歩いてくる。
私は細剣を構えながら待機していた一室から姿を現した。
「トリアナは今居ない。私でよければお相手しようか」
「……おぉ、ロズウェル……じゃなくて、ロズワルド……じゃなくて」
「ロゼッタだ」
「そう、貴族の落ちこぼれ。プレインワールドの者だな」
私はその物言いにカチンと来たが、こういう事を言いそうな輩はいくらでも居る。全員に腹を立てていても仕方ない。
マルキルト。貴族位の何かしらを持っていた気がする。
世話になった事はないから、こいつをどうこうしようと我が一家には関係ない事だが……。
とりあえず注意を引きつける為に会話をする。
「それで、マスターの城に何か用か?
さっきトリアナがどうこう言っていたが、お前が追っていたのはティナだ」
「ティナ? 他人の空似か? いや、そういう感じではないな……」
ぶつぶつと顎に手を当てて考え始めてしまった。
時間稼ぎが私の仕事ではない。その行動を隙と見て、細剣と勇気をふるって攻撃を仕掛ける。
攻めは私の本分ではない、わけではない。
プレインワールド家の技術がカウンター重視なだけであって、私がそれだけしか使えないわけじゃないのだ。
体に疲労は残っているが、あの戦いは意味のないものではなかった。
「……魔法武器か。躱したと思っても最低皮一枚取られる」
意識を私に向ける事には成功した。あとは……。
……今ッ!
爆発音に合わせて細剣を振る。
金属のパイプ同士を叩いたかのような音が響いた。
上手く行ったか。なんとか弾ける。
「やはり。技術不足を補うものか。少し厄介だな」
癇に障る物言いはただの挑発だ。
こちらが釣られてはいけない。
そして、目的を忘れてはいけない。
扉を開き、蝶番を切断。蹴りつけてマルキルトの方へ飛ばす。
「猪口才だね。……む」
部屋へ飛び込む。
そして、窓を割り砕いて退路を確保。
こちらの様子を覗いてくるタイミングで外に飛び出す。
二階くらいなら。地面にドズッと音を立てて着地した。
細剣を構えて向き直る。
「そんなところへ逃げても、こちらからなら撃ちたい放題だが?」
真下に居れば、身を乗り出さざるを得ない。
そこへ。
「よ、オッサン」
その部屋の真上から、飛び出しながら声をかけたのはティナ。
声をかけたのと、振り向いたのと、左手がマルキルトにかかったのは、ほぼ同時であった。
何かを言おうと思ったらしいマルキルトは、しかし結局なんの発声もできずに姿を消した。
「うぉおおおおぉぉぉおおお!! 優しく! 優しく受け止めて!」
私は落ちてくるティナを受け止めて、軽いなりの衝撃を受け止めきれずに、腰にダメージを負った。
ティナも足裏をちょっと打った。サイズが違うからと脱いでいたのだ。
「こ、これでなんとか一人は撃……ぐっ!」
「そうだ……なッ!?」
建物の方向から生える黒色の槍が、私とティナを同時に貫いた。
ティナは右の腹、私は腿。
建物の中からこちらを見据えるのはグローリス王。
……という事は、アリスは……。
「急所には当たらんか。仕方ない」
そう言ったグローリスは窓を開けて飛び出してきた。
おびただしい血のこびり付いた、斑模様の槍を構えながら。
「これは復讐だ。どうせ父は生きてはいないだろう。
俺の悲しみを知って散って行け」
私とティナは、寄り添って震えあった。
助けに来るはずのマスターは、まだ、その気配もない。
痛みと恐怖に震える足を抑えながら、細剣を構えて立った。
私の細剣と相手の獲物を比べると、大きさも長さも段違いで負けている。
体格も含めると、勝るものはない。
足をやられたので、得意の素早さもない。
万事休す。せめて、ティナだけはと彼女の前に立ちはだかり、カウンターの用意をする。
『両者両心穿ちの構え』
まさかそう来るとは、という虚をつくと共に、最速で心の臓を取りに行く。
自分の命をも犠牲にして。
体を低く、無事な足を後ろにして、全防御を捨て最速最短距離を狙う。
成功しても失敗しても多分死ぬだろう。
でも、それでもいいと思った。
イフリータの話を聞いて、他のみんなの姿を見て、フランの考えを知って、私は変わったんだ。
自分の人生と命に意味を見出せれば、その位なんて、職業なんて、何の意味もないと。
意味のある人生だったならば、いつ終わっても関係ないと。
人を守って死ぬ為の技術。私はこの為にここに居るんだ。
「いや、そうじゃない。やめろ」
「……決意が揺らぐじゃない。両手も足も動かない子は黙って見てなさい」
ティナが後ろに居る。守らないといけない子供が。
それだけで、勇気が湧いてきた。
マスターはいつか言っていた。禁忌の子たちを救いたいと。
私のこの行為も、救う事に繋がるんだろう。
「唸れ、憎悪の地蛇!」
「行きます」
走り込んだ私は、地面に斜めに吸い込まれるその斑色の槍を見て驚愕した。
魔法武器。効果はわからない。
効果は、わからないがしかし。
このまま進んでも、私の細剣がグローリスに届かない事は、明らかにわかってしまったのだった。