63. シルキー人形(非売品)
箪笥などの荷物を運びこむさ中、私は気づいた。
マスターが近くに居ない。
そして、ここはアトラタ国。
少し歩けば、ブルームの街につく。
そこから、プレインワールド家までは目と鼻の先だ。
マスターの情報もそこそこ集まってはいる。
……奴隷を抜け出る、千載一遇のチャンス。
ここのところ静かにしていた甲斐があったと言うものだろうか。
武器を持たされるほど信用されたのも大きい。
とは言え、問題点がいくつかある。
それは、私がマスターと隷属契約ですでに繋がっている事と、今共に行動しているフランカレド、万能戦士の存在。
地獄の果てまで追って来やしないだろうか。
そして、フランの目から逃れられるだろうか。
何の修行もなしに身体を100%自分の意思で動かせ武器も全て完全習熟状態。
その上に、無限に伸びる剣を持っている。
彼女と手合せする事はできるだけ避けたいが……。
『いざとなれば』
「……きでもちがったか、ろず。やめておいたほうがいいぞ」
幼い声で、諭すような声をかけられた。
両手に抱える大量の荷を置く。
それは、彼女自身の体重の4倍か5倍はあろう。
私も、持っていた荷を置いた。
壁にかかるランタンの火が、通り抜ける風に揺れる。
……態度に出ていたんでしょうか、彼女は何故こんなセリフを……。
「さっきがでている、しかでもきづくぞ。やせいではいきていけまいな。
……きをおさえられぬもうじゅうなど『すずつき』とかわらない」
すっと腰から月高架橋を手に取って、私と向かい合った。
ここで戦うのは……どちらの利にもならないのでは。
「……なんの事でしょう。私にはあなたに危害を加える気など毛頭」
そこまで言ったところで、月高架橋の刃が私の首の横を掠めて伸びた。
これは……まずい事になった。
「さっきというけんをくびすじにつきつけながらそんなセリフはとおらない。
いまのおまえはどうおもう?」
……戦うしかないと、思うだろう。
いや、でも、戦いたくはない。
「……まよいのあるけんでは、なにものもきれはしない。
わたしもおとなげないことをしたとおもっている。
かんがえなおしてくれれば、それでいい、が」
ひゅっ、と音を立てて彼女は、その短くなった長剣を静かに構える。
「どうだろう、ひとつ。そのまよいをたつためにもわたしにいどんでみては。
『きんきのこ』は、そのとくせいから『せい』や『し』があらわれるととびこんでしまう。
まようのも、おまえが『ふつうである』というしょうこだ」
貴族に戻ってイージスの駒として生きるのが本当にいい事なのか。
最悪の奴隷になって、そのまま死ぬ事が本当に恥ずべき事なのか。
今の私にはわからない。
……全く気にもしていなかったが、私の腰に下がっている必中の細剣。
フランが持っている月高架橋。
これらはマスターがルード攻略の為に持たせたもので、今持つ必要はない。
何故私たちは持ったままになっていたのか。
何故あのメンバー分けだったのか。
何故、何故……。
「フフフ……、ずっと掌の上だったって事でしょうか?」
「いちどほんとうにてのひらでころがされてみたらいい。きもちいいぞ」
それは、できればごめんですねと言いながら細剣を構えた。
回転で剣撃を逸らしカウンターを狙うのがプレインワールド家の剣術だ。
「せめはわたしのほんぶんでは、ないのだけど」
この台詞は、縮地が来る!
何も見ず2度剣を振るうと、高い音を立てて数本のナイフが地面に落ちた。
「よくみてる。わたしたちとすごしたひびは、むだじゃなかったな」
フランの首元のブラックダイヤがキラリと輝いた。
……いつの間に、貰ったんだろう。
「ほしいといえばくれる。それがマスターだ」
私も貰えるだろうか。忠誠を誓えば。体と心を捧げれば。
マスターに完全に隷属して、いいのだろうか。
私の人生は私が決めたい。自由に生きたい。
「いまのおまえは、じゆうなのか? わたしがふじゆうにみえるか?」
「……気持ちの問題です!」
攻めは私の本分ではないのだけど。
こちらから打ち込んでいく。
フランは月高架橋の刃を最低に縮めて私の剣撃を逸らす。
どう突いても、どう薙いでも、いとも簡単に流される。
汗が飛び散る。それでも夢中で剣を振るった。
*
「ロズも鬱憤が溜まってたんですね」
「どうでしょう。
……あんなに私たちの事を案じてくれる主人の何が不満なんでしょうか」
「人に使われる立場というのが、嫌なのですわ」
名ばかりで、奴隷のように扱き使われるイージス傘下の貴族か。
立場は悪くともいいように取り計らってくれる最強最悪ご主人の奴隷か。
「難儀ですわね、私たちより余程」
「……ですね」
選ぶ余地がないというのは、諦めもあって気楽なものです。
逆に自由だという事は、多々ある選択肢から自分で選ばなければならないという不自由があります。
どちらがいい事なのかは果たして誰にもわからないけれど
『選べる立場か』『選べない立場か』を選ぶ事はできないです。
トリアナが続けて話しました。
「アリスはもしロズの立場でしたら……なんて、愚問ですわね」
それはもちろん。
「私はマスターについていくと心に決めてしまいましたから。『もし』なんて前提をつけても、マスターがマスターである限りずっとついていきます」
「あらあら、妬けますわね。私も負けてられませんわ」
そんな会話をしながら掃除を続ける。
マスターは今頃目的地に着いているだろうか。
薄暗い廊下から眩しい太陽を見上げ、風を受けながら金の髪を掻き上げた。
*
「共鳴まであと半刻となりました。移動の際は忘れものにご注意ください」
拡声器から声が響く。
カラクについて早々の出来事だった。
……共鳴? 共鳴ってなんだ?
「フィル、この放送……」
「何かがあるみたいだね。そこらの情報屋で聞いてみたらダメかな?」
「……情報屋、こっちで一軒でも見かけたか?」
「んーーーー、見てないね。無いのかな」
西大陸には情報屋という文化がないようだ。
店で何かしら買って、そのついでに聞く感じで行こうか。
しかし、店を廻ろうと思っても、人っ子一人居なくなってしまった。
さっきから大分閑散としてきてたよなーとは思ってたんだが。
全店閉じている。出店すら片づけ終わり、誰もいない。
おいおいまだ昼だろ。なんでこんなガラッガラになっちまってんだ。
「ちょっと嫌な予感がする、倉庫で半刻……ってどれくらいかわかんないけど避難してた方がいいんじゃないかな?」
「それもそうだな」
で。
シルクの布でできた人形が、暖炉の上に座る。
水色基調のそれは、妖精のように見えた。
桜色のカーテンが揺れる。そこに映るのは、重なり合う男女の姿。
カーテンはかかっているが、それで何が隠れているわけではない。
ここは異次元倉庫内の寝室。
誰も見るものはいない、と声をかけ動きを速める黒髪の男。
汗に塗れ、乱れきった赤のショートカットがふわふわと上下に揺れた。
弾むベッドとは対称に、その胸は微動だにしない。
赤髪少女の甘えるような声には、少しだけ非難の響きが混じる。
「…………はぁ……はぁ……ボクらの……本来の、目的はなんだっけ?」
「カロン族の解放及び城の奪還、パックの撃破です」
「で、ボクたちは……今どれだけ時間を潰したの」
「6時間ほど」
ばか、ばかでしょ、今じゃなくても。
いや、それこそ急ぎじゃないし。
そんな小さな言い合いを、真っ白いシーツの中でする。
フィルも口では小言を言うが、表情にはいつも以上のにへら顔が張り付いていた。
はぁ、と一息ついたあとに、俯き加減でねだる様な声を出した。
「急ぎじゃないならさ……ね?」
自身の膝から頬のあたりまで白く染めるそれを、親指に取り舐め上げる。
妖艶でいて無邪気なその表情は、マスターを再びその気にさせるのに事足りすぎた。
夜の無い異空間の夜は、ゆっくりと更けていった。
*
「むーーーー」
右目にしゅう中、右手でぴーすを作って、その間から『むこう』を見ます。
んんんん……うー……。
うなっていると、仕ごとをおえたありすに話しかけられました。
「どうしました、シルキー?」
「……べっつに、なんでもないですよ」
ほんとになんでもないです。
全しんにけーきでもぬりたくってたべてたとでも思います。
……ただ、ますたぁはあとで問いつめてやるです。