51. 豆腐(ひと欠け金貨1枚)
濡れた肉同士を打ち付けあう音が響く。
必死な呼吸音は二人分。
気だるげに体を曲げて、余韻に浸りながら寝床に横たわるのは三人。
アリスはどこも隠そうとせず、ただ両腕で瞼に降りる闇に蓋をしている。
シルキーとルビィは寄り添いあって、消え入りそうな呼吸を続けている。
俺たちは、不安だったんだ。
唯一絶対安全なこの異次元空間で、狂騒に走らないワケがなかった。
フレイの口に指を入れ、苦しそうな呼吸を阻害しても、嫌がる素振りなど、全く見せなかった。
指に吸い付き、もっと激しくと求める。
唇からそっと、小さな音を立てながら指を離すと、そこには透明な架け橋がかかった。
何かしら歪みに関わる者たちは、少しずつ『駄目』になる。
性の快楽、死の間際。
生物としての本能が露わになる。
また、生と死への欲求が同時に高まる。
飛び出してはいけない縁から深淵に、簡単に飛び込んじまう。
歪んだ主人と歪んだ奴隷が集まれば。
……まぁ言葉にするまでもないだろ。
シルキーの共感能力に中てられた時からか。
歪みの子らを救いたいと言う感情を持つようになったんだ。
俺も同じだから、せめて手が届く範囲の。
俺が選んだ、俺を選んでくれた。
その数人だけは救ってやりたいと。
共依存し、共感する、共同空間。
それを作りたいと思うようになった。
『概念達』に人生は一度きりしかないとはっきり告げられたのだ。
だから、俺はこの人生でやれる事を全てやる。
救いたい者を全員救う。一緒になる。共に生きる。
そう決意したんだ。
そんな小難しい事を考えながらも躰は止めない。
今俺の目の前に横たわっているのはシルキーだ。
儚げな瞳でこちらを見上げる。
その求めるような、恥じらうような上目遣いに、心臓が高鳴る。
もっと動けと全身に血液を送る。
ボロボロの老馬に喝を入れる為、鞭を叩く音のような。
迷い犬が道往く人に助けを求めてすり寄る声のような。
最愛の者を亡くした時の嗚咽のような。
人間楽器のオーケストラが、日がな一日演奏を続けた。
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体中に乳酸が溜まっている感覚がする。
しかし、この体はまだ若い。
疲れなど物ともせず4時間半で飛び起きた。
部屋の匂いが汗と体液に染まってしまっている。
なので吸気と排気を同時に行った。
異次元倉庫内の物質はどこからでも出し入れ自由だし、空気くらいなら入口を悟られないまま取り入れる事が可能だ。
契約したイフリータ達が近くに居るので炎の精霊魔法が無詠唱で使える。
以前買ったマッチには目もくれず。
右手を構えて小さな炎を風呂釜と暖炉に置いた小枝に放ち、それぞれが安定したのを見計らって薪を重ねていく。
釜に水を買うのも忘れずに。
気分転換が必要だな……何か料理でもするか。
当然ながらこの世界に電力などない。
冷蔵庫の開発もしたいな、などと考えつつ食べたいものに思いを巡らす。
折角作るんだからこの世界にないもんがいい。
……麻婆豆腐でも作るか。こっちでは見た事も聞いた事もないし。
とりあえず豆腐に必要なもんから順番に買っていくぜ。
大豆っぽい豆と海水。
海水からは不純物を取り除き、塩分のみを抽出。
取り出した塩は壺に保管。
残ったのがにがりだ。空中に浮かせておく。
豆は熱した水と混ぜすり潰して液状に。
そこからある程度の大きさ以上の粒子と、苦味とエグ味のみを取り出す。
豆腐を食う文化はあるにはある。一般流通はしていない。
和の国や中つ国の上流階級が食べているようだ。
よって恐ろしく高い。
別に買ってもいいが、手間が値段に見合わなさすぎる。
だから、一から自作すんだ。
面倒くさいが、だからこそいい。
気分転換は、手間がかかるほどいいんだ。
……豆腐を食う文化が一般的じゃないという事は、おからを食う文化もない。
空中に浮かぶ茶色の不定形を見ながら思う。
一口食ってみてダメそうなら肥料だな。
と思いながら、空中に揺蕩う固形物を少し取って口に運ぶ。
……エグくて食えたものではなかった。
ここに手を加えて『おからっぽいもの』を作る事もできるが、メインは豆腐だ。
忘れちゃいけないぜ。この固形物はいつか使うとして一旦壺に除ける。
絞り汁が豆乳。
キッチンで作ってるわけじゃねえから適当だが、大体予想通りの味になっている。
こいつを沸騰しない程度に熱してにがりを加え、優しく混ぜながら数十分。
空中で火入れから絞りまでやるその姿はとても料理人には見えないだろう。
例えば何に見えんだろ。錬金術師か?
少しずつ凝固してきたら火入れをやめ、水分をちょっとずつ抜いていく。
寄せ豆腐状態のそれを一口食べてみる。
あっつ!
……あぁ……まろい。まろやかだ。
この感覚はこの体では味わった事がない。
口の中でとろけて喉と鼻に抜ける豆の香りと熱さが心地よい。
淡白だが無味というわけではない。正にこれが豆腐だ。
圧力もかける。この辺の調整はダイヤ造りで慣れた。
白衣を着たら実験科の研究員だな、と思ったのでそこで着替えてみた。
時間もかかるしな。
……ふむ、それっぽい。
帽子も被ってみよう。
あとはひき肉と唐辛子と……醤ってあるのか? この世界に?
麻味っぽい味のスパイスを探すしかないか……。
あんまり辛くしてもシルキーが食えなくなるから調節も繊細さが必要だな。
……空中調理は味気も素っ気もないからキッチンを買おうか。
あとでかい鉄鍋。
蒸し器も買うか。
サラダはもやしと春雨と細瓜(胡瓜)と……春雨ってデンプンだよな、作れるか……?
必要品を頭の中で整理してから片っ端から買っていく。
空中には白色の月が完成して、料理されるのを待っていた。
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食欲をそそる、香ばしい匂いと音に釣られて目を覚ましました。
全身を心地よい重たさが包みます。
身体からは体液と洗剤が入り混じった、不快ではない香りが漂います。
見ると、薄手の白衣に袖を通しただけの格好です。
石鹸と太陽の匂いがします。
マスターが着せてくれたのでしょうね。
見れば、他の3人もそんな恰好です。
4人に着せるのは大変だったでしょうに。
室温も低くありません。暖炉に火が入っています。
最後に寝たのは恐らくマスターなのに、彼はもう動いているのですね。
気力に溢れる人です。……尊敬します。
着替えを探しましたが見つからなかったのでとりあえず前だけ留めました。
下がちょっと短いですが……仕方ありません。
痛いところも特にはないです。疲労でふらふらするくらいですか。
そんな状態で匂いのする方へ歩いていくと、見覚えのない部屋があります。
また何か買ったのでしょうか。
覗き込んでみると、白衣に背の高い帽子を被って鍋を振るっているマスターの姿がありました。
いくら発掘と旅で筋肉がついているとは言っても十代です。
すごく大変そうに見えましたが、私は物陰から見守っていました。
鉄鍋を操り、炎を舞わせ。飛び散る汗すら輝いて見えました。
「よし、できた」
マスターは大皿をどこからともなく取り出し、そこに盛り付けていきます。
まだ顔を合わせても居ないのに、料理長は私に声をかけました。
「アリスー、みんな起こしてきてくれよー」
「ふぇ!? は、はい」
ちょっとだけ、びっくりしました。
*
「いただきまーす!」
朝食の時間です。
日は登りきっているらしいので昼食と言っても過言ではない時間ですね。
マスター曰く、今日の料理は中華というようです。
私は細く切った野菜と、透明な麺をしょっぱい酢で味付けしたサラダが気に入りました。
力作の麻婆豆腐という料理は、フレイとルビィに大受けでした。
「受肉してよかった……こんな美味いものを感じられる」
「おいひい。……それだけ」
シルキーは、ひき肉や甘く煮た豆を皮で包んで蒸した点心というジャンルの食べ物が好きなようです。そればかり食べていましたね。
点心というのは『サラダ』とか『肉料理』とか、そういった『分類』の事を指すらしく、料理名ではないようです。
でもシルキーは『てんしん!』と言ってその言葉で定着させてしまったので、我々は小龍包だとか饅頭だとかそういうものを点心と言うようになりました。
「間違っちゃないからいいよ」
と、マスターは笑って言いました。
知識と技術と、その優しさ、笑顔、茶目っ気。
彼の魅力は語るに尽きません。
褒めても謙遜されます。たまにお茶目に増長します。
それも、マスターの魅力なんです。
今回リザンテラ達に追われて、みんなが不安に思っているところを、全部まとめて吹き飛ばしてくれました。
その上で、これから対処の為の会議をすると言います。
「食事中で悪いが、そのまま聞いてくれ。対是正者の戦闘シミュレーションを話していく。まぁ話半分に聞いてくれ」
気負わないように、軽い調子で話し始めるマスター。
私がマスターだったら、こんな風に振る舞えただろうか。
……できないでしょうね。マスターはマスターにしかできない。
だからこそ、私は彼の助けになるように動こうと思っていましたし、その『割り当て』も当然であると理解しました。
信頼と、自信と。その二つが芽生えたから、私はマスターの為戦える。
信じ合えて、繋がりあえる。共に戦って、主人と自分の為の未来を掴む。
それが私の『従順であるという事』