45. お別れのキス
『森!』
『陸亀!』
『目高!』
『鴉!』
『掏摸!』
『旅情!』
『瓜!』
『緑玉髄!』
『錨!』
『柳髪!』
るがほぼ尽きたのでり攻めに移行したのだが全く動じる気配がない。
また幅広い語彙を持っている。どう攻めても受け返される。
更に、わからない単語を使ってくることもない。
確実にルールを侵さない為にレベルを下げる余裕を見せているのだ。
遊ばれている。弱いとわかったあたしをできる限り嬲る為に。
だが、それももう終わるかもしれない。
「些か飽きて来たぞ。次で終わりにする」
「まだわからないだろ……『釣り!』
『栗鼠猿』
……ありえない。
いつでも使えただろ、それは。
「我は、るから始まる単語をあと4つは言える。だから使わなかった」
「なに、すぐ思い出す。ちょっと待ってくれ」
「1分だ。それで言えなければ負けとする」
……思い出すどころの話じゃねえ、俺はもう知らない。
だから、下手したらこの1分が俺の最後の時間かもしれねぇ。
遺書でも書くか? ……ガラじゃねぇな。
辞世の句でも詠むか? ……キャラじゃねぇ。
あー、なんだ。そんな悪い人生じゃなかったと思う。
体感時間は11年くれぇだけど、トリアナの中で眠ってたお蔭で普通の倍の速度で年取った気分がする。
はっ……それじゃマスターより年上じゃねーか。
あいつ今20丁度くらいだろ。
出会うのがもっと早きゃ、トリアナと一つになる事もなかっただろうし。
ひょっとしたら魔法大学で席を並べてたかもしれねぇ。
……こんな感傷に浸るのも、ガラじゃねぇかもしれねぇな。
「あと10秒」
あ? もう10秒? 待てよ、走馬灯もまだ見てねぇんだ。
もうちょっとだけ、もうちょっとだけ待てよ。頼むよ。
「5秒」
う、ホントかよ。ホントに死ぬのかよ。トリアナ、早く。
嫌だ、まだ死にたくない。もっと表に出ていればよかった。
まだ、やりたい事だって……!
「2、1」
ああああ、終わっちまう! これで、終わりなんて、嫌だ!
「塵も残さず焼き尽くせ。無尽の炎」
煉獄が目前に迫る。
……再生無効とは洒落が効いてるぜ。
これをレジストする魔力はない。能力もない。
ああ一回くらいマスターに抱いてもらえばよかったぜ。
くそ、みんなが羨ましかった。バイバイだ。
……待つ事は慣れてんだ。
先逝って待ってるぜ、クソマスター。
「次誰か来たら、地獄で待ってるって伝えてくれな」
「んなとこには行かせねえっすよ!
逸らせ、骨喰い! 強打後逸!」
おいおい、死神みてーのが二等級武器担いできやがったぜ。
んなもんで弾けると……。
バァン
飛来する炎の塊がほんの少し横にずれる。
マジでかよ。概念攻撃っつったらトップかスペシャルだぞ。
なんだこいつ。
炎は壁にぶち当たって拡散した。
「打ち返そう、受け止めようと思ったら確かに無理っすけど、こっちもちょっと概念攻撃を乗せて軽く逸らしてやる程度なら大した事ねえっす」
「助けてもらってなんだけど無茶苦茶じゃねーか? 名前なんて言うんだ」
「シラセっす。あと『ル』ービックキューブって知ってるっすか?」
そのシラセの後方から、見知った顔が走ってくる。
うっわ、シルキーとフィルじゃん。ずっと寝てたから久々な感覚するぜ。
ちょっと涙が出そうになる。
んだよルービックキューブって。んなもん見た事も聞いた事もねーよ。
「マスターは来るのか?」
「……先に着くと思ったんすけどねぇ、ま、ギリギリ間に合ってよかったっす」
マスターが来る。そう聞いた現金な俺は、俄然やる気が漲ってきた。
4人居れば耐えるだけなら楽勝だ。
「アイツ概念防御が高すぎて浄化も是正もできねえんだがどうなってんだ」
「アイツ? ……うっわ魔王じゃねっすか。まぁ150階のボスならそんなもんなんすかね?」
なんでコイツこんな軽いんだ。緊張感の欠片もねえ。
「トリアナなら倒せると思うんだがまだちょっとだけ時間が足りねえ」
「アンタがトリアナじゃないんすか? なんかよくわかんねーっすけど……
ようは時間稼ぎゃいいんすね?」
サタナキアは腕を組んで、つまらなそうに待っている。
ざまぁ見やがれ。狙い通りだぜ。
「先程までの舌戦はなんだったのだ? 茶番に付き合わされていたのか」
「そうだぜ、お前はあたしのお遊びの相手をしてただけだ」
殺し合い以外の戦いにはルールが必要だ。
その戦いに負けた場合、ルールに従って敗者の約束を守らねば戦いの意味がなくなる。
あたしの決めたルールをあたしが破ったんだ。そりゃ怒る。
でもこれは生き残る為に仕方なくやった事だぜ。汚いと言ってくれるな。
「魔王っつってもどっかから連れてきた奴じゃないっすよね?
ダンジョンメーカーが生み出した奴ならそこまで強くないと思うんすけど」
んな事言ったら流石にキレるぞあの魔王。
……ほら青筋立ててる。
「人間風情が今なんと言った」
「その人間風情から生まれたアンタは大したことないって言ったんすよ」
魔王がシラセと切り結んでいた。
……おう、過去形だ。
あたしの目に留まったのは魔王の手刀とシラセの骨喰いがギリギリと音を立てながら能力の押し付け合いをしているところからだった。
紫色の閃撃が煌めく。シラセはそれを余裕そうに逸らしていく。
切り結ぶより流す方が多く見える。何を何回、とかは数えきれねぇ。
「腕めっちゃ頑丈っすね、骨喰いじゃ相手してらんねえっすよ」
「貴様のその強さ、根幹が見えぬ」
「金じゃねっすか?」
歪んでいないのに、強すぎる。
……シラセの職はなんだ?
例えば、金を貰う程強くなる用心棒。
しかしただの用心棒にそんな能力があるなんて聞いたことはない。
強い能力がついたマイナー職レア職は龍殺しとか忍者とかが思い浮かぶ。
しかし、それらは歪みの力を得てから少しずつ世界と馴染ませた結果の強さであり、ただ珍しいだけでは強くもなければ対して歪みもしない。
魔法剣士が弱いように。
普通の金銭術師がほとんど何もできないように。
何らかの理由がなければ、少し禁忌に触れた程度で大きな歪みはできない。
大きな歪みがなければ、常識外れの力は持てない。
じゃあシラセのあの強さは何が由来なのか。
「ほいほいほい、はい、よいしょー!」
気の抜ける掛け声と共に魔王と切り結び、重たい剣戟を繰り広げていく。
常に押しているのはサタナキアだが、ひらひらと舞うように鋸剣を打ち振りその紫の二刀を受け流して時折打ち込んでいく。
「効かぬ!」
「たまに効くんすよそれが」
パキィン! と甲高い音が響く。サタナキアが一瞬険しい表情をした。
右腕を見る。骨喰いと切り結んだ部位に傷がついているように見える。
しかしそこは煙を吹きながら一瞬で治った。
「しつこいほどの概念防御に超回復まであるんすか……。
こーりゃ流石に殺し切れないっしょ。マスター待ちっすね」
「今……何をした」
「何ってそりゃ」
概念攻撃。
『傷を受けない』という概念の護りがあったとして、それを持つ者には普通の攻撃でダメージを与える事はできない。
これにダメージを与える方法は三つ。
『傷を受けない護りを無効にする』攻撃をする。
『より発揮度の高い概念で』攻撃をする。
『護りという概念そのものに』攻撃をする。
シラセがしたのは、多分一番上。
しかし、それをしてしまった事自体が間違いだった。
「……お前は、行け」
「はい? 何言っ」
シラセが居なくなった事に気づいた。
サタナキアの右腕があたしの体を穿った。
アリスが飛び込んできて物凄い量の剣を放った。
マスターがあたしを抱えてサタナキアから跳び離れた。
白い民族衣装の少女が、異常に長い長剣でサタナキアに攻撃をした。
5秒。
たった5秒の間に、戦況は一転した。
長剣は逸らされ、大量の剣は地面に散らばって光子として拡散していった。
シラセは、どこ行った……?
「おいティナ、死ぬな」
「死んでも死なねぇよ……。こんくらい自分でも抉る事……あるし……」
とか言いながら、これは『死ぬヤツだ』という確信があった。
腹の穴が塞がらない。
そういう概念攻撃だろ。
たまーに使ってくるヤツ、居るわ。
右手だって結局生えてねえ。
トリアナの準備はできただろう。多分、もう死んでも大丈夫。
「超回復はどうした。治らねーのか……?」
「しみったれた顔すんな。トリアナが居るから大丈夫だ」
マスターの心配そうな顔は、初めて見るかもしれねぇ。
それがあたしに向けられている事に、嬉しさと優越感を覚えた。
今だけは、マスターはあたしを見ている。
「そんな事より、聞いてくれよ。猫道とか言う奴。倒したぜ」
「……すげぇな。よくやったよ」
頭を撫でられた。
マスターは、やっぱ優しい。
クソクソ言って悪かった。
現金だなあたしは。
「あたしは多分もう死ぬから、あの二人の加勢をしてやんな」
「……また長くなるぞ」
長くなるっつーのは、あたしが寝てる期間の事かな。
ま、トリアナが表だから。あたしはしばらく出てこれないな。
「別にいいさ、待つのは慣れてる」
「……なんか、欲しいものはないか。俺は、なんでも買う事ができる」
買えるもので欲しいもんなんてねーよ。
ん、そうだな。
「……げほっ」
「ないのか」
強いて言うなら。
「さよならのキスとか、どうだ」
「……そんなんでいいなら」
ちゅっと、軽く唇を合わせられる。
上唇を啄まれ、舌が少しだけ触れた。
「…………これだけか?」
「おめーまだ11歳だろ。続きはまた今……」
マスターの唇を奪った。
首の後ろに手を回し、舌を口内に挿入する。
舐り、絡め、削ぎ合う。
マスターのも招き入れ、濃厚なキスを続けた。
別にいいだろ、許してくれよ。
もう死ぬんだから。
「ぷはっ、おいティナ……」
「……へっ。またいつか…………続きを」
「お、おい……っ」
マスターの驚く顔が見れたのは、よかったな。
ざまぁ見やがれ。
ホント、クソみたいな主人を持つと。
大変だ、ぜ。
*
すぐ意識が消えるもんだと思ってたが、暗闇の中でマスターの胸に抱かれる感覚が残った。
これなら悪くねえな。2年でも3年でも、待ってやれる。
待つのは得意なんだ。
ふと、なんとなく『居る』ような気がした。
『おいトリアナ、起きやがれ』
『……ティナ?』
『他に誰がいんだよ』
『心の中で会うなんて珍しいわね』
確かに、どれくらいぶりだ。
今はなんとなく、話せるような気がしたから話した。
マスターがすぐそばに居るせいかもな。
三人は一つに繋がっているから。
『魔王にやられた。十分休めたかよ。グールなんぞに殺されやがって』
『あ、あれは、しょうがなかったんですのよ』
『抵抗くらいしろや、服も全部脱いで準備万端だったじゃねぇか』
『……いいじゃない、代わった後着る服がないよりマシでしょう?」
代わった瞬間最悪の気分だったわ。
ただ、今はいい気持ちだ。この場所は譲ってやる。
しっかり仕事しろよ。
トリアナは表なんだから。
『はいはいわーりましたよ。ちゃんと仕事すんだぞ』
『言われなくとも。……また、肩を並べられる日がくれば、いいですわね』
『そうだな。がんばれよ』
『もちろん』
合わせる右手はもうない。
心の中で左手を上げて、すれ違うイメージをした。
トリアナはそれに応えてハイタッチをする。
そうして、暖かな暗闇へと沈んでいった。
この暖かさなら、いつまででも待てる。
マスター、またな。