43. 模造刀フランキスカ(非売品)
マスターのアジトへ潜入する事に成功した。
*
我々籠絡部隊斥候班6人は、街の随所にある不自然なオブジェに注目した。
凍らない噴水がある。枯れていない樹木がある。それが街のあちこちに存在しているのだ。絶対に『歪み』の手が入っている。
片っ端から調査の手を入れていくと、とある噴水の管理室に、有刺鉄線が張ってあるエリアを発見した。
その奥には、隠されてはいるが扉型のラインが入った壁がある。
私ことエイトはその鉄線を調べようと手を伸ばした。
「あ、痛っ……」
触れる前に手が切れた。
なによこれ……。
『有刺鉄線に見えるピアノ線』の手前に『見えない有刺鉄線』が張ってある。
「ファイブ! ナイン! ちょっと来て!」
「どうしたんですかエイト」
その有刺鉄線を見せる。
驚愕に顔を歪めるファイブ。
「……マスターって『概念系』? 強い金銭術でいろんな能力を使えるとしか聞いてないんだけど」
「ありえないわ、魔法的にも技術的にも、光学的にも存在的にも」
ナイン、斬ってこれ。
わかったわ。
視線で会話する。
彼女はその鉾槍で、まとめてその鉄線を斬った。
切れた鉄線の甲高い音に紛れて、風を切る音が聞こえてきた。
「と、飛んで!」
「え!?」
「ぅごっ……」
ファイブは立ち位置で何事もなかったが、ナインは左右から飛来した透明な丸太に胴体を押し潰された。
「まずい! みんな集まって! イレブンは急ぎ!」
周囲の探索をしていた全員を集めた。イレブンに治療を頼む。
彼女は一瞬口に手を当てたあとすぐ冷静になって詠唱を始めた。
「光よ、壊れし肉体と魂を繋ぎ留める支えとなれ! 魂体繋ぎ!」
常夜の街でも使えるのか不安だったが、街灯でも大丈夫なようだ。
あたりが一瞬暗くなり、彼女の肉体を最低限修復し、無理矢理神経系を復帰させる。心臓を再起動して脳に酸素を送る。
ぺしゃんこになって一度は呼吸が途絶えたその体が、びくりと痙攣した。
口からごぼっと血液の塊が吹き出て、荒すぎる呼吸を開始した。
「光よ、其の侵されし肉体に集い傷病を除く助けとなれ!
極光治療!」
視界が全て白で埋め尽くされるくらいの光が放たれる。
私はそれを予測して管理室の扉を閉め、窓も咄嗟に脱いだコートで覆った。
魂体繋ぎは光が要る。治療系は光が出る。
僧侶にもできる事が神聖魔術師を採用するとこんなにも不便になる。
ストリガ様は一体何を考えているのだろうか。
「……げふっ……、ぜー、ぜー、なんなのよもう」
イレブンはほっと一息ついた。
このメンバーに『概念系』はいない。蘇生術なんてのもない。
犠牲を出さないようにとは思っているが、この調子ではそうも言ってられないだろう。まぁその時はその時考える。
「ここまで罠だらけって事は、この先はきっとマスターのアジトだわ」
「いたずらのような罠が多い中で、殺す罠が来たのはここが初めてだもの」
うん、と顔を見合わせる。
ナインは壁の切り込みに、警戒しながら鉾槍をねじ込ませる。
向こう側が見えた。
「……ドアノブに何か仕掛けてあるわ。見えないけどこっち側にもノブがあるみたい。絶対触らないで」
ドアの向こう側に見えるワイヤーロープの一部に金具を打ち込んで固定。
その向こう側を切断する。
ドアノブに繋がっていたなんらかの機構を無力化できたようだ。
ドアを蹴破って突入すると、地下へ向かう階段があった。
「……ビンゴね」
---
侵入者の気配に全身が総毛立った。
だが完全な覚醒には至らない。何故か。
「頭がびりびりする……」
呼吸するたびに全身を駆け巡る多幸感。下腹部が熱くなる。
またおっ始めてしまうのはまずい。
とりあえずと、ひやっとするベッドからべちょっと床に降りる。
床すら湿っぽい。一体何をしていたんださっきまでの俺は。
部屋から出ないと。しかし足がガクガクしてまともに立てない。
覚束ない足取りで壁に向かって歩く。勢い余ってタンスにぶつかった。
「あいた……」
頭の上から何かが落ちてくる。これは……と目を向けると。
それはいぼのついた反り立つ棒。
35センチはあり、凶悪な形をしている。
持ち手(?)のあたりにベルトがついている。
「……っ……ぅえ」
なんとなく使い道がわかってしまった。
元の場所に戻そうと手に取ると、文字が書いてある事に気づいた。
『模造刀フランキスカ』
これが刀とはなんの冗談だろう。
しかし、これを『使った』ら、一体どうなってしまうのか。
ごくり、と唾が喉を流れる音がする。
腹の中がきゅうっと締め付けられる感覚がする。
獣の本能が刺激される。
試したい。
堕ちてみたい。
いや、落ち着くんだ。今何者かがアジトに乗り込んできたんだ。
まずは深呼吸をしないと……。
「すぅー……」
ぞくぞくぞくぞくっ
視界が明滅する。さっきまでの感覚がフラッシュバックする。
あ、終わった。
もうどうでもいいや。
なにか任されてたっけ?
義務感だけで体を動かす。枕元の回復薬を使う。
目頭と鼻の奥から暖かさが広がり、脳の裏にじーんとした痺れが溜まる。
「あー……あ、あ、あ、あ」
そして、模造刀フランキスカを装備した。
脳みそが焼け焦げるみたいな、内臓が捩じ切られるみたいな。
その痛みが、全て快楽に変わったような、そんな感覚がした。
俺は、最低だ。最悪の最低だ。
敵を目の前にして、俺は。
何をしているのか。
バタバタと階段を駆ける音がする。5人、いや6人か。
このまま扉を開けられてしまったら。
俺はどう見える?
誇り高い獣神の使いが、裸でよがり狂っているのだ。
獣のように、いや、獣同然の姿で。
『かわいいなお前は。子供のようで、純粋で』
『そんな事言うなよじっちゃ、俺はもう大人だ』
何が大人だ。結局俺がした事はずっと快楽に酔っていただけだ。
こんな体にもう未練はない、侵入者は俺を好きにしたらいい。
絶対マスターを呪いながら死んでやる。
ベッドに横たわる。もう動く気力もない。
獣のように喉の奥から唸りを上げる。
涙が流れる。
マスター、マスター。……マスター!
過ぎるのはあの野郎の顔だ。
許せない。
でも。
「マスター……」
あいつを思うと胸が焦がれるのは何故だ。
どうしようもないこの気持ち。
ダメなのに、どうして。
「やめたいのに、ダメなのに、止まらないの、たすけて」
たすけて、マスター。
胸が、痛い。
*
ホールから真っ先に目に入る大きな扉の部屋。
そこからのみ、人の気配がした。
私は盗賊。感覚だけなら誰より優れている。
他の部屋はトラップだらけだった。
みんな必死に探索したがもはや精神的にも肉体的にも限界近い。
あとはここだけだ。女の子の苦しそうな声が響くこの部屋。
正直、開けたくなかった。後回しにする意見は全員から賛成された。
だが、もうここと地下しか残っていない。
開けずに地下へ進む選択肢はない。
ならば、と率先して私が扉のノブを持った。
罠はない。
意を決して扉を引き開けた。
「う」
「げぇ……」
「おぇ……」
1人が臭気に中てられて口を押さえ、2人が胃の中のものを戻した。
その部屋を覆っている匂いは、1つ1つは悪いものではないように感じる。
フルーツだったり花だったり化粧品だったり、汗の香りだったり。
ただそれらを濃縮したようなものを一気に吸えばどうなるか。
まぁ半分くらいが『そうなる』だろう。
そして室内のベッドには、存在が薄弱になってはいるが確かに感じる。
全裸の半獣人が、何かをしている。
「やめたいのに、ダメなのに、止まらないの、たすけて」
あ、あ、あ、と声を上げながら、何かに興じる、何かに耽るその姿。
ライオン。魔物でないのに地上最強、孤高の存在とされる。
マスターはそれを人間にして、奴隷にしたのか?
可哀想だ。
私に助けを求めているのか。
……殺してやろう。こうなったらもう普通には生きられまい。
ナイフを持った。
「ナイン、何を」
「部屋の中に誰か居るの?」
居るさ。可哀想な獣が。
部屋に飛び込み、ナイフを振るう。
痛みは一瞬だ。
一瞬で終わる。
しっとりとした絨毯に。
ごろりと首が転がった。