22. シルキー(金貨1400枚)
その時のマスターは、完全に何者かに飲まれていたように見えました。
目の焦点は合わず、全身を震えさせ、何かに抗うようにもがいていました。
私は、何もできませんでした。頭を抱えて呻くマスターをただ見て祈る事しかできなかったのです。
シルキーはその現象を見て、何かを察したようでした。
彼女に全てを託して、私はただ茫然としていました。
さっきまで、あんなに楽しく、幸せを感じて話をしていたと言うのに。
「ありすさん、あなたのしょくしゅはなんですか?」
「……守護魔法使いです」
「……わたしは、技術盗み。魂泥棒を作ろうとした父おやに、失ぱい作のらくいんを押されてすてられました」
その話を聞いて、私は居た堪れない気持ちになりました。
生まれつき親の愛を知らずに、いきなり檻の中で育った存在が、私以外にも居ただなんて。
自分の子供を実験動物扱いして、失敗作だと捨てる親が居るだなんて。
でもそんなシルキーは、平気な顔をして続けます。
強い子だと、思いました。
ええ、今でもずっとそう思ってますよ?
「……でもわたしは、今しあわせです。ますたぁに会うためにすてられて、今ここでますたぁを助けられる。きっとそのためにわたしはここに居るんです」
そう言ったシルキーは、詠唱を始めました。
どことなく、優しい顔つきで。
それは、我が子を見る母親のような、慈愛の表情でした。
「われとかんかくを共にするものよ、その力はわがものなり。
手づなをにぎりあやつるのはわれなり。その力、わが右目にもらいうけん!
技術盗み!」
その詠唱は、特殊な前提と条件をクリアした上で発動されるもの。
職業の力が3職種で薄まっているというのに、そこまで高度で特殊な能力を持てたのは運命や因果のお蔭だろうか。
あるいはマスターの……。
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情報の奔流の中に飲まれ、その波に押し流されていた俺は、不意に手を掴まれた。
どうしたんだこんな洪水の日に。おめーが来るような場所じゃねーぞ。
―――今どはわたしがたすける番だから
服はどうしたんだい、あぁ俺も何も着てないみたいだ。
―――じょうほうの海では服なんていらないです
それもそうかな、むしろ邪魔かもな。
―――そうです いっしょにとけ合うです
それはダメだな、おめーもこの力に飲まれちまう。
―――わたしがこの力をもらいます だからいっしょに
怒るぞ? お前まで飲まれたら。
―――大じょうぶ 今どはわたしがますたぁを……
情報の奔流が、折り畳まれていく。
シルキーは、俺の胸の中に居る。
そこで少しずつ、奔流を畳んでいく。
ぱた、ぱた、ぱたと音を立てながら、小さく小さく。
視界全てを埋め尽くしていたそれは、ほんの小さな赤目の眼球になった。
もう苦しくない。真っ白な思考の世界が広がる。
腕の中には、一糸纏わぬ水色髪の少女。水色の首輪つき。
ビー玉のような水色の瞳で見つめられると、何か気まずい気持ちになる。
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ見た目がかわります。でも、見すてないでください、ね」
「……どういう」
シルキーは、その赤い眼球を、右目に刺し入れた。
「ぐ、うううううぅぅ……ああっ……あ……」
「シ、シルキー!?」
ぐちゃぐちゃと音を立てながら、彼女の右目は新しい右目に浸食されていく。見るも痛々しい。
「バカ! 何やってるんだ! そんな事で俺が喜ぶとでも……」
「ま、ますたぁ」
それこそ死ぬほど痛そうなのに、こちらを見て笑顔を浮かべるシルキー。
脂汗が滲む。目じりから赤い液体が流れていく。涙のように。
「ますたぁの苦しみは、わたしたちの苦しみです。わけてください。
一しょに、生きてゆくのですから」
「バカ野郎、おめー……、おめーがこれを一人で背負う必要なんて」
「その気もちだけで、十分です」
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そこからますたぁは、ざんげするように、ずっとずっと、泣いていました。
わたしはそれを、だきしめてうけ止めました。
ますたぁはおこりました。泣きながらおこりました。
わたしのためを思って。
あのほんりゅうにのまれるつらさを知っているから、おこったのです。
うれしかった。
だから、わたしもだきしめつづけました。
大じょうぶだから。わたしはうけ止められるから。
もう血のなみだはながれません。えがおをますたぁに向けられます。
わたしが一人でせおうひつようなんてないと言われました。
でも、ますたぁが、一人でせおうひつようもありません。
三人で、いつかもっといっぱいで、たすけ合ったらいいんです。
『これ』はわたしにください。わたしなら、大じょうぶ。
すきとおった右目は、赤くにごったけど、見た目だけです。
半妖精のじょうほうしょ理のう力は高いのです。
ますたぁにできなくても、わたしにならできます。
かぞくのあいは知らないけれど、これからはぐくんでいきましょう。
わたしたちで。
それがわたしの、『従順であるという事』