20. マスター(金貨2万9900枚)
『よく来たね。来るように仕向けたのは僕だけど』
そいつを見た時、俺の全身が発する警告に震えあがった。
神託の泉。俺たちはただそこを通り抜けるだけのつもりだった。
シルキー曰く、神の使いである神官や守護騎士などに神託を与える存在が、顕現できる場所の一部だという話だ。
そいつに、出会ってしまった。
形容するならば、沸騰する霧。または目玉。泡立つ白濁。混濁の人型。
流れる虹色。またはモノクロ。立ち昇り、舞い戻り、煮え立つ人間。
アリスは絹を引き裂くような叫び声を上げた。
シルキーは声も出せずに口元を押さえてへたりこんだ。
俺は二人の前に立ちはだかって、虚勢を張った。
「……なんだてめーは」
『干渉しないって言ったけどさ、あんまり君がヘタクソだから』
水中で、ノイズ混じりのマイクを使って喋るような不快な声が語りだす。
ぼこりぼこりと、全身の眼球を沸騰させながら蠢く。
あたりの木々がやかましいほどにざわめく。木漏れ日が揺れる。
なんの話だかわからない。
『怖がることはない。僕はここに、そこに、此方に、彼方に居るだけ』
怖い、それもある。わからないと言う事は恐怖だからだ。
そこに居るそいつは『わからなさ』でできていた。
泉が震えるように波立つ。平静を保てない俺の心のように。
「質問に答えろ、お前はなんだ?」
『名前で言うならトワ。概念で言うなら『全て』または『悠久』かな』
その全てがなんの用だよ。
『全ては全てだ。『僕』は『君』だ。破ってない方の約束は果たす。
約束を守るために、約束を破った』
わからない。
『君たちは神の敵だが、それは物事の一側面でしかない。
君たちにできる事をもう一度確認してみるんだ。
僕からの助言はそれだけだ。
もう二度と干渉しないけど……。
君たちは『歪ませる』からまた相見える事はあるかもね」
『悠久』が言った。
「あ」
やっと、わかったぞ、この感覚。
『そう、僕も それだ』
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トワが去った後も、数分間そのまま動けなかった。
「……今のは」
「こわかったです」
この世の中にあれほど怖いものはいない。
守護騎士や神官の精神が強い理由がわかった気がする。
あれは、生であり死であり、自分であり他人であり。
恐怖であり安寧であり、楽であり苦でもある。
そんな存在だった。
人気のない森の中で、涙が枯れるまで三人で泣いた。
どれくらい経っただろうか、ふと。
ぐー
という音が鳴った。顔を見合わせる三人。
「……腹減ったな、メシにするか?」
「……そうですね」
「やったぁ!」
さっきの衝撃はしばらく消える事はなさそうだが、とりあえず腹ごしらえ。
こんなんじゃ戦はできねえからな。
『遠隔購入』でサンドイッチを買う。銀貨一枚でお釣りがくる。
とりあえず三人分。
「この金銭術も、理屈がわからないんだよな」
トマトと燻製肉が挟まったパンを頬張る。
一番お世話になってる術が一番わかってない。
「等価値の物質を、距離を無視して交換する……という現象なんでしょうか」
たまごサンドをもぐもぐするアリス。一口が小さく噛む回数が多い。
うーむ、金銭は神より賜りしモノだから、神の力を扱えるのが金銭術……、なのか?禁忌の子なのに?
「さっきの人が言ってたです、
『君たちにできることをもう一どかくにんしてみるんだ』って」
揚げ魚が挟まったパンに貪りつくシルキー。一番体は小さいが一番食う。
俺のたまごサンドを差し出すと、瞳を輝かせて受け取った。
「足りますか?」
「ん、ああ。少ない食事には慣れてるし、うまそうに食うシルキーを見てたらあげたくなっちまって」
「ますたぁありがと!」
もりもりパンを無くしていくシルキーを眺めつつ、なんとなく思いついた事を実行する。
「俺たちにできる事、…………『開け!』」
そう、俺は今の今までステータスカードを見たことがなかった。
忙しさと慌ただしさのせいで忘れていたのかもしれない。
空間から無茶苦茶縦長のカードが現れた。
『マスター=サージェント』29900G 12歳 ♂
階級:奴隷 金銭術師
父 階級:商人 流通商 ジョニー(故)
母 階級:錬金術師 錬金術師 ロメリア
所持能力
【身分偽装】
【神名騙り】
【金銭術】
【遠隔売買】
【概念売買】
【異次元倉庫】
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ここから下はスキルの使用履歴と経歴なので省略する。
使ってきた精霊魔法や地図操作、魔術操作などがつらつらと表示される。
「なんだこりゃ……」
「……思ってたよりすごいですね」
「はわ……」
三者三様の反応を返す。
俺の肉体の価格がおかしい。誰が買えるんだ。
表示されているアビリティがほぼ全て他では見られないものだ。
ただ、情報を手に入れる専用の能力はなかった。
親父の名前からサージェントがなくなっている。死んだからか。
そして。
「神名騙り……神の名を騙ってその力を行使できるという事……か?」
「……ありえないです」
神名騙りは置いておくとしても、ここに表示されている能力を組み合わせるだけでも色々思いつくな。
スキルと組み合わせたらもっとパターンは増えるだろう。
例えば。
「……精霊使いの名に於いて命ず、火よ彼方に灯れ!」
【金銭術+身分偽装+遠隔売買】
ここから見える森の、奥の方に火が灯ったのが見える。
距離にして200メートルくらいだろうか。
先ほどお釣りでもらった銅貨が消えた。
「銅貨1枚か。じゃあ距離は金額に関係ないんだな」
「……え!?あんな遠くに!?」
「……すごいです、それしか言えないです!」
こんなのはどうか。
「金銭術師の名の元に、安らぎを買い与えん」
【金銭術+概念売買】
「なんか、さっきまで最悪だった気分が楽になった気がします」
「……こんなんでも銀貨が減るのか……」
眠気とかも行けそう……か?
魔法使いには睡眠という魔法があるが……。
概念ではなく現象の一部かもしれない。こういうのは催眠術師か。
ふと、いたずら心が芽生える。
「……催眠術師の名の元に、極上の快楽を買い与えん」
「あッ!え、いやっ!何これ!?はあぁぁ…………」
アリスが足を震わせて膝をつき、一瞬でうつ伏せに倒れた。
これは……。思わず笑みが浮かぶ。
シルキーも行っとく? 視線を回すと、木の後ろにすっと身を引いた。
「……えんりょしますです」
「そう言うなって」
この日俺は金銭術で何ができるかを本格的に知った。
木や土を相手に精霊魔法や一般魔法の練習をしたり。
アリスとシルキーで精神、肉体系統の実験をしたり。
二人はまだ俺の奴隷ってわけでもなかったのに、さっきのアリスみたいに、金銭術で弄り回して遊んだ。
抵抗はできるはずなんだけど成すがままだったな二人とも。
記憶の売買とかもできる事に気づいたんだが、これはフェアじゃねえなと思って使わなかった。
お蔭で、あとで初めてアリスにボコボコにされるんだけど。
あんまり痛くなかったなぁあの頃は。
「……最悪です」
「さいあくですけど、いやではないです」
「え、わたしは…………ん……気分じゃないと、嫌」
その日は、異次元倉庫にベッドを買って三人並んで寝た。
宿代わりにもなる、便利すぎる能力だこれは。
節約のために、必要ないなら宿はもう取らなくていいかな、と思った。
ピンクの看板の店なら、休憩で入るかもしれないがな。