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134. 救い

「さ、ティナ。おいで」

「ああ」


 ティナは背筋を伸ばして、まじめくさった様子できびきびとマスターの元へ歩いて行く。


 シルキーより少し大きく、アリスより少し小さい程度の背丈のティナは、10歳程度の見た目で止まっている。

 10年前リデレにて、フェルミルから受けた攻撃によって崩壊してしまった肉体を繋ぎ留めるために、トリアナの器を間借りした弊害だ。


 それからずっとトリアナの裏に隠れて戻る機会を待ち続け、トリアナが一時的に死ぬ度に少しだけ表に出て来られる、そんな状態で生きてきたのだ。


 ティナは、こう思っていた。

 それでもいい、と。


 死にたくはない。

 でも、生きていてもトリアナの人生の一部を奪ってしまうだけだ。


 ティナがトリアナと一つになった事による打算的な利点は多くある。

 ティナがいる事で、トリアナは即死しない。

 是正者の能力が役に立ったりもする。


 でもそれはただの結果であって、自分はあの時に死んだも同然だと考えていた。


 しかし、マスターはティナの存在を諦めない。

 表に出てきたなら、普段通り暖かく迎えて接する。


 その事がティナは嬉しかったが、同時に心苦しくもなった。

 生きていていいのか。

 ただトリアナの裏に存在するだけの自分に、意味があるのか。


 その答えにはずっとずっとトリアナの裏で眠り続けながら考えても、結局たどり着けなかった。


 ティナはマスターを見つめる。


「もう全部終わりか。あたしの主観的には、長い夢を見てまたちょっとだけ起きて、それを繰り返すようだった」

「そうか。……結果がこれじゃ、長く苦しませただけだったか?」


 マスターは言いづらいことをスッパリ切り出す。

 アリスがぱちくり目を見開いた。……それを言いますか、とでも言いたげだが、口を噤んだまま微動だにしない。

 考えがあってのこと、と言うのはこれまでの経験でいくらでも知っているからだ。


 ティナは僅かな時間、黙って物思いに耽っていたが、結局選んだ言葉をそのまま紡ぎ出す事にした。


「そんなこと、ないぜ。楽しかったし、……苦しい、死にたいなんて、思ったことなんかなかった」

「……結局ここに至るまで、お前とソロモンを助ける手立ては見つからなかった。特に……」


 マスターが言いかけたセリフを遮って、ティナが否定する。


「いーや、ソロモンもあたしと一緒に、ちょっとだけど世界を見れてよかったと思ってるぜ。あのままだったらソロモンは、ダンジョンから出られないからな」

「ソロモンのこと、わかるのか?」

「多分これかなって思うのはあたしの中に居るぜ。わざわざ期待持たせるほどの存在密度じゃないから言わなかったけどな。ラルウァはわかんねえ」

「そう、か」


 心残りの一つが晴れたような、肩の荷が下りたような。

 マスターは気の抜けたそんな表情をした。


「あれこれ抱えすぎなんだぜマスターは。今更遅すぎるけどよ、そんななんでも手に入ると思ったら大間違いだぜ」

「前世で経験済みだ。言うじゃねーかティナ」


 ニヤリ笑って腕を出す。

 ティナはそれに合わせて『ヘッ』と言いつつマスターの腕に自らの腕を合わせた。


 男同士の友情のような、黙っていても伝わる気持ち。そんな関係。

 真似から始まったティナの口調、それは完全に彼女自身に馴染んで自らのものとなった。

 それは精神にも呼応して、少し男勝りになってしまったようだが、マスターは上機嫌だ。


「もうちっと語らいたかったぜ。時間がねえのが惜しいな」

「後がつかえてるしあたしも行くぜ。ああそれと、蔭でクソマスターとか悪口言ってて悪かったな、謝っとく」

「ああ? マジで?」

「マジマジ」


 楽しげに話していたマスターの目尻と眉毛が、笑顔のまま釣り上がる。

 ティナには、漆黒の気配がマスターの背後に立ち昇ったように見えた。

 実の親にイタズラを仕掛けて、説教を食らう直前のような状況だ。多少、いや、途轍もなく理不尽だが。


「こういうところが、さいあくのゆえんです」

「……あれ? ちょっとその怒り方大人げないんじゃねーの? 面と向かって言ったこともあったような……あー、じゃあな!」


 ティナが扉に向けて走り出す。

 扉は突然勢いよく閉まって、押せども引けども開かなくなった。

 ティナは焦り顔でガンガンと扉を叩く。

 しかしうんともすんとも言わない。


「ちょいちょーい! いいじゃん別れ際くらい! ボロ泣きの別れなんてあたしにゃ合わねえよ! 行かせてくれよ!」


 マスターは無言で器具の準備を始めた。

 どこからともなく、樹脂でできた棒状の何か。ごつごつとした形のやわらかそうな何かが次々に現れてマスターの付近に山となって積まれる。


 シルキーが昔のトラウマを掘り出してぷるぷる震え始めた。


「それ、黒ほうしのところにあった……」

「何が始まるのかしら……」


 扉を叩き続けていたティナはなんとなく察しがついて観念したのか、両手を挙げて降参のポーズを取った。

 その場に足を崩して嫋やかに座り、親指の爪を食んでいたずらっぽく顔を赤らめ、


「痛く……しないでね?」


 冗談めかしてそう言ったが、そこはマスター。貼り付けたような微笑みを返した事で、ティナの顔も引き攣った笑顔に固まる。


「いや、みんな見てるしさ! こんなところでおっぱじめるのもどうかと思うよ! 大体あたし見た目は完全に子供だし! そういうのまだ早いよ! ねえ、やめようよ、マジで? ダメ? え? この流れで許された人居ないって? そっかー」


 饗宴(オルギア)は昼夜のない扉の世界の空を端から端まで雲が流れて消えるまで続いた。


 そんな中。


 マスターまだ取り立てされないのかよ。

 元気だなアイツ。

 早くどっか行けよ……。

 などと、ドン引きした概念たちの声が聞こえてくる。アリスたちは整列したまま座り、居心地悪そうに時が過ぎるのを待った。


 地平線の彼方までティナの声は響き渡って行った。




---




「ティナ、行ってしまいましたわね」

「最高の思い出をありがとうって表情してたな」

「……最悪の、の間違いではありませんか?」

「どっちでもいいさ」


 マスターのカラッとした物言いに、トリアナはなんとなく頬を緩ませた。昔から変わらないのねとでも言いたげに、郷愁に駆られている。


「色々あったな」

「……今でも、最初に出会った時の衝撃と安堵は鮮明に思い出せますわ。白馬に乗った王子様より素敵でした」

「そりゃ褒めすぎだ」


 自嘲気味の笑みを浮かべつつ、肩を竦めて身振りで否定する。


「そんなんじゃねえんだよ、俺はやりたいようにやっただけだ」


 トリアナは小風に揺れる花のように、そっと首を振る。優しく、優しく。


「マスターは、誰かに救われた事がおありですか?」

「……」


 ない。


 誰にも手を差し伸べられず死に。

 また生まれてからも劣悪な人生を送り。

 強くなって誰かを救えるようになればもう。

 そんな機会など訪れようものはない。


 小さな助けを救いと呼ぶなら、いくつかはあるだろうが、トリアナのそれと比べて仕舞えばないに等しいのだ。


 トリアナは寂しそうに笑った。


「例えどんな理由があろうとなかろうと、私は今あそこに居ない。そして、ここに居る。それは私の人生にとって最大の救いなのですわ」


 マスターは、少しだけ呆けたように押し黙った。

 思い出したように手を差し伸べて、ほんの一言。


「ありがとうな」

「? ……どういたしまして」


 トリアナは首をかしげる。マスターの手を取って、優雅にお辞儀をした。

 マスターも、普段の意地の悪そうな笑みを押し込めて頬を緩ませ、お辞儀を返した。


「自分が救われたから、何かできないかと思ってルードに行ったりしたのか?」

「ですわ。勝手な行動でしたし、骨折り損になる事が多かったですけど……」

「もう、いいんだ。お前の想いが、大事なんだよ」


 ティナを助けるために身を捧げ、最後まで共に生きて、目的を成し遂げられたかと言えばそうではない。

 しかし、やろうとしたこと。その気持ち。それがなければ一生辿り着く事はできない。躙り寄ることもない。

 そんな道を選んだその事が重要なのだ。


「……それでは私も、もう言い残すこともありませんので……いや、どうか……お元気で?」

「へっ、元気もなにもねーよな。言いたいことはわかるけどな」

「そうですね。では、お達者でと言い換えさせてもらいます」

「全く変わらねーよ」


 らしくない冗談を言うのは、それこそマスターを元気づけるためか。

 それに思い至ったマスターは、彼自身にも似合わない陽気な動きで腰に手を当てながらぶんぶんと逆の手を振る。


「ふ、ふふっ」


 笑顔が、涙が、溢れる。


 元気づける自分をわかってくれた。

 応対してくれた。

 もう二度と会うことはない。

 コミカルな動きをするマスターを見て。


 何が何だかわからなくなって、感情が溢れ出す。


「で、では、皆さん、ほ……本当に、お世話になりました」

「ああ、またな」


 くるっと背を向け、すぐに歩き出す。その足取りは震えていない。

 ぐっと拳を握って、まっすぐ歩く。


 こうしてトリアナも、扉の向こうに消える。

 別れ際は本当にあっさりだ。後引く名残もない。電車のように見えなくなるまで見送るということもない。


 それまでに過ごしてきたそれが全てだ。

 だから、それを知っているから、マスターをわかっているから、次へいけるのだ。


 後に残されたマスターは独りごちる。

 トリアナの言葉を反芻しながら、自らの人生に想いを馳せる。


「救い、か」


 漏れ出るように呟いたその言葉は、自らが目指してきた、自分自身が選んだ者たちに手向けたかった行為と同じ。

 救われなかった自分が人を救おうとした結果、自分自身のことを忘れてしまった。


 それでも、マスターはそれでよかったのだ。

 なぜか。


 続けて口から溢れ出たその言葉に、理由が詰め込まれている。




「お前らが居てくれた事が、俺の救いだよ」

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