133. 本当の運命
「私……先に行くね……」
アリスの隣に居たフェイトが、のそりと歩み寄ってきてそう言った。
「最後まで残るもんだと思ってたよ。……記憶はまた持ってくのか?」
「残滓の残滓が……記憶を引き継げるとは思わないね……。形は予想と違ったけど……この終わりも悪くはない……かな」
マスターはゆっくりゆっくりと言葉を紡ぐフェイトを急かすこともなく、静かに話し終わるのを待つ。
それがさも当然であるように、慣れたことであるように……焦れもせずただ待った。
「……前週でお兄さまが擦り切れてしまった時私は……本当に絶望した……。全てを捨ててしまおうと思って、……実際にそうした」
「結果『運命』が生まれたんだな」
「そう……。この週のお母さまが旅人だったせいもあって、……かろうじて記憶と能力の残滓を引き継ぐことはできたけど……。……新しいお兄さまは、たった一周で全てを解決させてしまった」
フェイトの顔が、笑みに綻ぶ。
この場にいる他の者たちとは違って、これから深淵に沈むマスターを案ずるのではなく……、やり遂げたマスターを祝福し、そして、感謝する気持ち。
そんな感情で満たされた、讃美の表情だった。
「前のお兄さまも、……頑張ってくれた。……みんなで戦ったから今があって……また次がある」
「そうだな、俺もそう思うよ。……お前も何周かわかんねーけど、ずっと頑張ったんだろ?」
「……ん、……うん」
言いたいことはたくさんある。
辛かった思いを吐き出したい気持ちもある。
それを抑えて、フェイトは単に返事をした。
マスターは暗い調子で言葉を放つフェイトをからかうように会話を続ける。
「パックの元に居た時の記憶はあるのか?」
「……え、……な……無いよ……っ!」
顔を真っ赤にして、ぶんぶんと首を振る。
「無いか、そーかそーか。何があったか教えてほしいか?」
「いい……っ!」
潤んだ瞳で必死に否定をする。
記憶がないならばそんな行動取りようもないものを。
マスターはそれをわかった上で言ったのだ。
「お兄さまのいじわる……」
からからと高笑いをするマスター。
頬を膨らませていじけるフェイト。
慣れ親しんだというような、昔々の、普段の調子に戻ったというような。
そんな二人を羨む視線が集まる。
どうしても越えられない、奴隷ではない家族の絆を感じてしまうからか、アリスたちは嫉妬のようでそうでない感情を向けた。
それは本人らにもよくわからない、ただ胸を締め付けられるような気持ち。
取られてしまう、自分たちのマスターを持っていかれてしまう。
でも現実にはそうはならない。
マスターはマスターだから、そんな人ではないことわかってるはずなのに。
誰よりも気が多くて、適当で、最悪な。
だからこそ胸中は複雑で、止めようにも言葉にならなくて、アリスは両の手を祈るように組み自らの胸に押し付けた。
そんなことは露知らず、マスターは一頻りお腹を抱えて笑ったのちに、ふうと一息ついて優しくフェイトの頭に手を乗せた。
「ま、そんなとこか。何か言い残した事はあるか?」
「……ない。けどお兄さまが心配で」
言い掛けている最中、遮るようにしてヘッと鼻で笑うマスター。
「お前の自慢の兄だぞ。前の周の奴とは違うだろーけどよ、ちったあ信用してくれ」
「別に自慢じゃないよ……わかったよ」
「あー、最後にちょっと聞いていいか?」
マスターは背を向けようとしたフェイトに声をかけた。
フェイトはくるりと向き直り、首を傾げつつ眠たげな目を見開いた。
「なに……?」
「『運命』になったのは前のフェイトで、お前とは関係ないんだろ?」
「……うん……私は運命になった『フェイト』の穴埋めの為に生まれただけの残滓……。ただそれだけの……」
「なら」
突然、フェイトの視界は暗転した。
前触れもなく暖かい暗闇に包まれる。
何が起こったのかとわたわたしていると、幾ばくもしないうちに自らの顔に伝わる鼓動を感じ取った。
心音。
「お兄さま」
「お前だけが、俺の妹だ」
記憶を引き継いだとて、中身は別物。
器も、魂も、体も『運命』とは完全に違人だ。
「今までありがとう。俺はお前の事を忘れ……」
「むきぃー! フェイトばっかりずるい!」
フィルが飛びついて来た。
うずうずしていたシルキーが先を越され、あっ、と声が漏れ出た。
「順番も守れねーのかおめーは!?」
「だって! 自信ないもん! みんなより三十回りくらい年上だし、私の話あんまりしてくれないし!」
「なら大人げねえ事するな!」
チョップ。
そんなに強く叩いたつもりはなかったようだが、フィルは頭を抱えてうずくまる。
フェイトはくすっと笑って、踵を返した。
「……こんな別れだけど、私は行くよ。私の事、覚えててね……」
「……そうか。忘れるもんかよ。じゃあな」
それっきり。
振り向かずに扉の向こうへのそのそと歩いていった。
大勢居たような奴隷たちも、気づけばあと五人。
フェイトを見送るマスターの、寂しげな後ろ姿に気づいたのは誰が先か。
「マスター」
「ますたぁ……」
「……シルキーは戻って、次はフィルだ」
「いひゃいいひゃい! ほっぺひっぱるのやめて!」
かけられた声は気にもせず、頰を抓りながらフィルを扉傍まで連れて行く。
「おばあちゃんもいいとこなんだからね! ちょっとだけでも敬ってよ」
「そんな扱いを望んでたのか?」
「そんなわけないじゃん、みんなと対等に扱ってくれたのは……嬉しかったよ」
頰の手を離して、両手で顎を包むようにしてそっと撫でてやる。
フィルは抓られていたのも忘れて、えへへ、と笑顔を見せた。
「色々と世話になった。ファリスも……あの世で見守ってくれてたろうよ」
「そうだね。お母さんの魂は元の世界に戻ったのかな?」
「さあて? ここがあの世ってわけでもねーしわからねえけど……少なくともこれで安らかに眠れるだろうさ」
唇を結んで、軽く頭を下げるように肯定の意を返すフィル。
抱きつくような距離だからか、少し恥ずかしそうな様子だ。
「これで終わりなんだね、なんだか切ないや」
「終わりなもんかよ。こっから始まんだよ、俺たちの世界が」
親指を立てて見せる。
フィルはそれを見て、改めて瞳を潤ませた。
「ここから、始まるんだ」
「そう、だからさ、元気よく……」
「あ、やっぱりこっちのパターンなんだ?」
マスターはフィルの背中に手を回したまま扉の中に向け、勢いよく押し込んだ。
「行ってらっしゃい!」
「行ってきまーーーー…………」