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132. 救われた人

「リタ、お前には色々世話になった。結局あのまま連れて帰っちまったし、申し分ない戦力として戦ってくれたし……あとは時々勝手に力借りたりしたな。本当に助かった」

「……俺の力がなかなか出なかったり突然暴走したのはマスターのせいかよ」

「わりいって」


 メノとカシューを見送ったマスターが、次に話しかけたのはリタ。

 金の頭髪をわしわしと撫でる。リタは不満げな顔をしているが、気持ちはよさそうだ。


「ま、……楽しかったよ。色々教えてもらったしよ」


 リタはマスターの手を除けて、背中を向けて扉へと歩き始めた。

 一歩、また一歩と歩いていく。

 振り返ったりなどしない。


「またな」


 軽く右手を挙げて、扉へ入って行く。


「ああ」


 マスターも、ひらひらと手を振る。

 実にあっさりとした別れだ。


 しかし。


 扉の中。

 分解されていく、後姿。

 消え去る寸前に『ぐしゅ』と鼻をすする音が聞こえたのは、気のせいではないはずだ。


「リタ?」


 声をかけても、もう、遅い。

 マスターはもう二度と、リタと会話をすることはできなくなってしまったのだ。

 扉の中には、混沌のスープ。

 終わった世界と始まる世界の、その中間の存在が流れ蠢き渦巻いているだけだ。


「……なんだよ」


 言いたいことがありゃ、言ってきゃよかったじゃねーか。

 そう呟こうとして、意味の無さに気づいた。


 思いを伝えられたところで、困るのは自分だ。

 マスターを想って、黙って去ったのだ。


「リタ……」

「つよがってはいたが、わかれぎわはやはりさびしいものだろう」

「師匠、涙が」


 フランとロズが、整列から離れマスターに歩み寄る。

 水着に似た、上下繋がった肌着の上から布を羽織る独特のスタイルの衣装はもうボロボロだ。

 老成した普段の態度とは正反対に、朝露のような涙を目いっぱいに浮かべたフランは、年相応に見えた。


「むろん、わたし……も……」


 声が声にならない。

 今にも決壊しそうな瞳の堤防を、必死に拭って堪えている。


 マスターは屈んで、そんなフランを肩で抱いた。

 顔を合わせないで済む。

 頭と頭が擦り寄る。


「う、う……」

「頑張ったな、よく戦った」


 顔を埋めるフランが密着している首筋あたりがじわりと濡れる。

 マスターはフランの雪のように白く柔らかい髪を、くしゃくしゃ撫でながらあやすように言葉を続けた。

 手を乗せたその頭は、幼児のように熱かった。


「俺が見てないところでずっと戦っていたんだろ。みんなを護ってくれたんだろう。ありがとうな」

「マ、マズダーのために……おもって……」

「何も言うな、わかってら」


 その後は泣き声と、背中をとんとん叩く音だけが支配する世界。

 しんと静まり返った、扉の並ぶ空間でしばらくの間その父と子のような二人は無言で抱きしめあった。


 ややあって。

 なんとかかんとか泣きやめたフランは、ロズと並んでマスターと向き合った。


「……わたしは、いやだ。なっとくいかない」

「師匠、……行きましょう。マスターを困らせてはいけない」


 師弟で意見が分かれる。

 振り回されるだけだったロズが、自分の考えを持って行動を選択した結果、師匠と意を違えるほどになったのだ。


 ロズは強くなった。心身ともに。

 マスターの元にやってきたばかりの頃と比べたら、一目瞭然だろう。

 もはやどちらが師かわからない程だ。

 ……元々フランは師に見えないのだが。


「ロズはそれでいいのだろう。もともとオビーディエンスもない、イージスからはけんされてきたどれいだ」

「そんな事はない。マスターには……今では感謝の気持ちすらある」

「ではなぜ」


 むすっとした顔で我が弟子を見上げる。

 ロズは、対照的に柔和な表情で師を見た。


「マスターは私たちのためを思って初志貫徹……最初からこのつもりだったんだ。自らを犠牲にしてまでもやり遂げてくれた。あの向こうには、マスターの作った私たちのための世界が広がっているはず」

「そんなこともとめていない!」


 甘えてむずかる赤子のように、必死に否定をするフラン。老練された普段の身の振りはどこへやら、これではただの子供だ。

 ロズはほんの少し残念そうな面持ちでゆっくりと口を開いた。


「あなたのオビーディエンスは、そんなものですか」

「……」


 ぴしゃりと言い放ったその言葉は、フランを黙らせた。

 忠誠を誓い、主人に対して各々なりの従順であるという事(オビーディエンス)を持った奴隷には、効く言葉だ。


 フランはそれでも、また泣き出しそうになりながらも、なんとか声を紡ぎ出す。


「わたしはあのとき、マスターにすくわれた。だから、わたしのすべてをささげようとおもった。しかし、マスターがすくわれずわたしにつぎへいけなどというのは……おやくごめん、おまえはもういらぬといわれているようなものなのだ」

「……ここに来てまだわからねーのか」


 呆れ果てたと言わんばかりの所作で頭を掻くマスター。


「俺を想ってくれるなら、新しい世界で幸せを掴んでくれないか。いつからか、お前らを救うことだけを目的にして生きてきたんだから。お願いだ、俺のために、俺のために幸せになってくれ」

「わがっては……いるんだ……でも……っ!!」


 その言葉の続きは、出てこなかった。

 マスターの唇が、フランが喋ろうとする舌の動きを阻害したのだ。


 それを見た残りの全員は、息と生唾を飲みこんだ。

 フランは抵抗せずにそれを受け入れる。


 互いを貪り、唾液を交換する淫靡な音が響く。

 別れ際にするにしては激しすぎるキスは、30数えても終わらなかった。


「は、は……ひ……へぅ……」


 フランはくたりと膝から崩れ落ちる。

 それを軽々と片手で支えると、マスターはロズにフランを預け渡した。


「こんだけしたら、何十億年でも頑張れるさ。俺の救いはこれで十分だ。あとは、お前が幸せになれるかだけだぜ」


 蕩けた顔で視線を揺らすフラン。

 ぶれる視界の先に捉えたのは、シルキーの……。


 右の太腿に巻きついた、炎のように赤い紋様。

 ロズとマスターからふらりと離れ、シルキーの方へ縋るように寄る。


「シルキー、それ」

「返します、もうますたぁをこまらせないなら、です」


 フランはこくりとうなづいた。

 その紋様は、シルキーの言葉に合わせて脚から解けてフランの体へ戻っていく。


 熱が、帰ってきた。

 能力が器に戻り『マスターに能力を与えられたフラン』という、元の形に戻った。


「……ふあんだったのは、マスターからもらったこのちからがてもとになかったからかもしれない。これはもっていっても、いいのか?」

「もちろん。向こうで生まれても持ったままだ」

「…………なら、……なら」


 マスターから、貰った。能力や、思い出。記憶と、経験。

 これでまだ愚図るようなら、マスターを困らせるようなら、奴隷(かぞく)失格だろう。

 マスターならそんなこと言わないし、思いすらしないだろうってわかっているけれど。


「たくさん、もらってしまったな。おもいでを、ちからを、たたかいを、ありがとう」

「私も、世話になった。お別れだ」

「そうだな、向こうでも元気でやれよ」


 扉の前で師弟は手を繋ぎ、共に行こうとしている。

 あと一歩。そんな場所で振り返り、フランは最後にこう言った。




「じんせいと、あいを、ありがとう」

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