129. 終点
大勢は決しました。私はほっと胸を撫で下ろします。
視線が自分の体に移る。普段着の侍女服はもう傷だらけ、ですね。
「消えろ、消えろ!! ……くそ、なんで僕の権限が届かない……。『全て』にマスターは含まれないなんて事、あるのか!?」
「最高存在へ向ける裏金で、俺は全ての摂理から外れた。ちっと高かったけどな」
「くそっ……原始的な手段で攻撃を加えるしか……でも死なない……あの世界だけならまだしもここを再構築するわけにはいかない……『この世界の死の先』は視えない……ああ……」
マスター、ここに来てもう無茶苦茶するようになりましたね……この為にお金を貯め込んだのですから、当然でしょうが。
でも、もう勝負はついたようなものです。
他の概念たちも、動かないようですし。
こうなってしまえば何も起こりようがありませんからね。
「もういい、全部やり直そう。全て、全部、無から!」
これは、自棄ですね。
「フィル! 今だ!」
「はいはいさっきのね!」
トワが、全身から空間へ向けてヒビを生やし始めました。
フィルはその付近まで一気に跳んで近づき、そっと手を差し伸べてひび割れを埋め始めます。
黒くて暗い、何もかもを吸い込むかのような空間の隙間を、フィルは優しく癒すような光で塞いでいきます。
「次元修復って言うのかな、何に使うかと思えば……」
「ううううぅ……運命、歪み……手を貸してほしい……」
トワは見苦しくも概念たちに助けを求めます。
何を考えているのやら。
ずっと見てるだけだった概念が手を貸すはずありません。
操れるのなら、全ての概念に含まれているのなら、最初から操ればいいのですし。
「バカだね、僕ら概念は敵味方なんてない」
「なりゆくままを観察し、過ぎゆくままを観測する。時に手を出すけど……こんな大きな変化、手を出さなくても面白い」
そう言った『運命』の、首から上と言う概念が吹き飛んだ。
残った胴体はパラパラとした霧状になり、吹きすさぶ風に混ざって拡散していった。
それを見た『歪み』はへらへらとした笑いを返す。
死んだ……のかしら。
「いいね。どうなるのかな。僕も消してみるかい」
「……理解できない……」
トワは頭を抱えながらフィルへ向けて多数の光槍を放った。
フィルは上半身が吹き飛びかけたが、何事もなかったかのように、一瞬で元に戻った。
「ぶはっ! はぁはぁ…………え、これ全身が一気に消滅したら死んだりしない?」
「わかんね」
「ちょっとマスター!?」
ゲラゲラ笑いながらフィルの頭をぽんぽんと叩くマスター。
軽口を叩く余裕すらあるみたいです。
対してトワは、地面に膝をついています。
決着でしょうか。
ロズと、フランと、リタ。それにガイアがトワを取り囲みます。
「……なんで、僕は奴隷だったんだぞ。なんで君たちは奴隷なのに、僕の邪魔をする。わかってくれない」
「そりゃ、わかりませんよ」
「すくわれたから、むくいるだけだ」
「よくわかんねえけど、……嬉しかったからだ」
救われなかったトワと、救われたみんな。
立場一つ違うだけで、結末は全く別のものになります。
私もひょっとしたら、オウェンスの奴隷のままだったら、いつかおかしくなって、トワのようになっていたかもしれない。
マスター。あなたは、いろんな人を救ってきた。
自分で決めた小さな世界を守る為に、その他の全てを敵に回して戦ってきた。
それが正しいのかどうかはわからないけれど、少なくとも私たちは……感謝の言葉しかありません。
「なんで君たちは、そんな幸せそうに剣を取るんだ。なんで僕は、救われないんだ」
「それは、どうしようもない事です。私たちにも救われない未来は用意されていたでしょう」
「でも、マスターがあらわれた。マスターがわたしたちをすくうことをえらんだ。うんめいのかいにゅうで、みらいがかわった」
「お蔭でお前はこうなった。お前の救いは俺たち全員の死の上に成り立つものだろ? そんなのマスターが許さない」
目指したものが間違っていた。周が悪かった。タイミングがズレていた。
何か一つ噛み合っていなければ、この結末にはたどり着けなかった事でしょう。
「まだ、まだだ! 運命は滅びた。『運命の役者』という法則は概念と共に消え去った! もうお前たちはふとした事で死に、ふとした事で生き返らない!」
破裂音が響く。
私の方向へ飛んでくる槍は、私の光断ちで無効にできますが……。
……! フィルが離れたところで倒れています。
みんな、みんなは無事ですか?
トワの攻撃によって吹き飛ばされ、皆バラバラの場所で倒れています。
「『運命の指針』という概念も消え失せた! もう僕は何も視えないが、僕を視るものもいない! 運命などない。絶対などないんだ! 僕は全てが救われる世界を作る!」
マスターが起き上がる。
「……今までの世界を消して? つまんねえやつだな」
そのまま、トワへ歩み寄っていきます。
「僕は、世界を……救う……」
トワの全身から、再びヒビが空間へ向けて走り始めます。
それは、世界の終わりの予兆に他なりません。
私は、怖かった。
それでも、マスターを信じているから、みんなを信じていたから、……大丈夫だと思っていました。
マスターはトワへ向けて歩み寄るのをやめ、背中を向けました。
……マスターには、視えたのですね。
「絶対なんてない、か。俺はこうなるって、絶対信じてたけどな」
「……何を」
マスターが初めて運命の指針に沿わずに選んだ奴隷。
シルキーが見初めて。
無力を知って。
少しずつ成長して。
挫折を覚えて。
武器を得て。
師を得て。
技術を得て。
運命を覆した彼女が。
「……あなたはいつか『やる』と思っていました」
心からの声が漏れた。
「いけー!」
シルキーが言った。
「今ですわ!」
トリアナが言った。
「ぶっ殺せ!」
ティナが不穏に叫んだ。
「うぅ……あ、え、頑張れ」
フィルが呻いた。
「おしえどおりな!」
フランが言った。
「そこだぜ!」
リタが言った。
「人と謂えどもやるものだ」
ガイアが呟いた。
「……これが、見るべきもの、か」
カシューが感嘆した。
「来た甲斐があったと言うものですー」
メノが言った。
「……貴女をそうしたのは……私のせいかもしれない……。それでも……アリスは救われたから」
フェイトが祈るように両手を組んで、目を閉じた。
*
必中の細剣が、トワの胸元から生えていた。
その細剣には、ロズがフランから叩き込まれた技術の粋が全て乗っている。
「無慮十全、概念断ち」
「……何が起きた」
トワは、背中から胸へ向けて刺さった細剣を見下ろした。
鈍い煌めきが刀身をひた走り、ない筈の肉へと抜けていく。
「人間だと思えばお前は、私が戦ったどんな相手よりも弱い」
ロズは吐き捨てるように言った。
「概念断ち……そんな技術……いや、フランカレドの……完全発揮のせいか……誤算だったな」
「……『今のお前』が何か言い残す事はないか」
ロズは細剣を抜く前に、トワへ声をかけた。
トワは、震えながら言葉を絞り出した。
「……僕は死んだら、どこへ行くんだ」
「お前が殺した者たちに聞け」
ロズはそう言うと、細剣をゆっくり引き抜いた。
そして、トワは膝をつき目を開けたまま完全に、ぴくりとも動かなくなった。
「私の主観だが『意思』を断った。もう何もできないだろう」
「けっちゃく?」
「勝ちだ!」
歓声が上がる。
立ち並んでいた概念たちは、ない瞼でそっと目を瞑った。
喜びと解放感に飛び回る、マスターの奴隷たち。
そんな中、浮かない顔をしているのはマスターとフェイト。
声を上げていた皆が皆、少しずつそのおかしな様子に気づいて、段々、段々、静まっていく。
やがて、完全なる沈黙が訪れた。
最初に、我慢できずに声を出したのは、アリスだった。
「あ、あの……」
それを皮切りに。
「どうして喜びませんの?」
「ますたぁ……元きないです?」
「まだ敵が居るのか?」
「どうした、なやみごとか?」
やいのやいの、マスターは矢継ぎ早に質問を投げかけられた。
そっと首を振る、主人。
心なしか、指が、体が震えている。
フェイトも、思い悩むような顔で、地面を見つめている。
「……代償、ですか?」
ぴくりとマスターの肩が跳ねた。
察しのいいアリスが放った言葉は、一瞬で全員を納得させるに足る物でした。
皆が皆沈痛な面持ちになり、戦勝ムードはどこかへと消え去ってしまった。
しかし。
「……落ち込んでてもしょうがねえ。俺が決めた事だ。……おめえら、並べ。俺の前に、横一列に」
マスターは突飛な事を言い始めた。
怪訝に思いながらも指示通り並ぶ、マスターの奴隷たち。
「おめえらに、言わなきゃならねえ事が、いくつかある。……とりあえずこれを見ろ」
マスターは、壊れた扉のうち一つの看板を拾い上げて、皆に見えるように掲げた。
そこに書かれていた文字は、皆が読める元の世界の文字。
内容は……。
『奴隷と、能力と、魔法の世界』