126. 合流
「……掌握された。終わりの始まりだ」
「なんの……話でしょう」
「トワが、完全に概念になった」
『運命』が言った。
「また、最初から始まるのだ」
『原初』が言った。
「一度、虚無に還って」
『無』が言った。
「汚れのない、真っ新な状態から」
『歪み』が言った。
「全てのものは消える」
『存在』が言った。
「記憶も記録も全て」
『情報』が言った。
「そう、全て」
『全て』が言った。
やれやれ、どうしようかな。
ここから出てマスターに助けを求めるのは……死んじゃうし。
そもそもどうやって出るんだろう。
出る入るなんて概念じゃないかも。
詰んだ、かな。
表情はないが嬉しそうな様子のトワが、口らしきものを開いた。
「さぁ、世界をやり直そう。僕はその為にずっと待ってたんだ」
このままテンポよく進んでしまうと、まずいと思う。
少しでも話を挟んで邪魔しないと。
「……トワくん、無駄かもしれないけど話を聞いてくれないかい」
「話を聞くのは君の方だよフィルくん。昔々ね――」
……時間は稼げそうかな。
別にボクから話す事なんてないし結果オーライだ。
「――僕は奴隷だった。ただ虐げられて、扱き使われて、消耗品のように捨てられる存在」
ありがちだね。そんなのどこにでもある話だ。
ここはそういう世界で、そういう成り立ちなんだから。
ボクだって奴隷だし。
2000年も生きてるのにね。
「とある雨の日、僕は生きる事を諦めた。全てを捨てた。職業の力も全て」
それは、概念使いの前提。ほとんどの概念使いはルードが作ってたみたいだけど……自力で辿り着いてしまったんだね。
でも、それだけじゃこうはならないはず。
「歪みの力。これは、あの世界特有のものみたいだ。空っぽだった僕を歪んだ生き物が襲った」
「……」
口を挟んで機嫌を損ねてはいけない。黙って聞こうか。
「世界のマイナス座標にある歪み。それに空の器を破壊されればプラスマイナスゼロになる。自我と意識を保ったまま、存在がなくなる。『そこに居た誰かしら』それだけの概念となる」
よくわからない。
「概念になる為には特殊な条件を揃えないといけないんだね」
「一つ前の週で運命が、そしてこの週では僕が概念になった。他の世界からでも概念は生まれるが、二週連続で同じ世界から誕生するというのは前例がないだろう」
概念達が手塩にかけて育て、注目しているだろうこの世界に特殊な条件が揃ってしまうのは仕方ないと思う。旅人をつけたり、転生者を送ったりしているんだもの。
「概念にはなった。だが、制約が多かった。できる事も少なかった。ただ、この概念たちがコンタクトを取ってきたんだ。クソ喰らえとも思ったが、利用できるもんは利用してやろうと思った」
「歪みはあの世界特有って言ったけど、そこに居る『歪み』は……」
「考えてわからないなら一生わからない」
む、そういう事言うのか。
……話を邪魔されるのが嫌なのかな。
「マスター。マスター=サージェント。誰より自由に生きて、僕より先に全てを手に入れそうになった。悠久を生きられるようになった僕より先に。だから、だからだから、先回りして道を潰したんだ。ストリガを、パックを、イージスを、アトラタを、シラセを操って」
「……なんだって?」
「マスターの邪魔をしてきたのは、全部僕の手先だ。全て、全部、全員」
全員……だって?
驚いた表情をしただろうボクを見て、人間でいう顔の部分が醜悪な笑みの形に歪む。
そう、そういえばこの人、概念化したと言うのに……意思がある。
他の概念たちは、機械的というか、……元々フェイトだった『運命』もそうだけど、人としての意思をなくしてしまうはずなのに。
「なんで、人としての意識を保ってるの……君は、概念なんじゃないの?」
「人の存在を保つのは、体でも魂でも力でも、器ですらない。……君も見た事あるんじゃないか。形は違うだろうが」
見た事……?
人の存在を保つ……概念?
保つ……。
……っ。
ああ、そうか。
「ソロモン」
人の存在を保つのが『概念』で。
概念は『人の存在を保てる』……んだ。
ティナの存在を保つために、ソロモンは全てを捨てて概念になった、のかも。
そして、トワの場合は自分を保っている。
個の由来は個としての概念だから、自我を、自意識を保てるのは当然なんだ。
ということは、もしかして……全ての概念にはちゃんと自我がある?
そして、全員、人間だった過去がある?
想像に頭を巡らせていると、トワが厭な顔で補足を捲し立てた。
「ソロモンという魔王はソロモンという概念になって、ティナくんをトリアナくんに固着させたんだ。自分の器と、力と、魂を全てティナくんにあげる事で概念になる。その時、ソロモンという概念をトリアナくんという肉体の中で存在を保つのに使った……意味わかる? お蔭でソロモンは自我を失って、ただティナくんの体を保つだけの概念になってしまったんだ」
「……詳しいしおしゃべりなんだね」
精一杯の皮肉。
『全て』なんだから知らないわけがない。
……概念になる時の副産物を自分に使うか他人に使うかで、自意識のあるなしが変わるんだ。
って事は……『運命』はもしかして……。
「こんなところだ。あとは、マスターの前で君たちを殺して、マスターをいたぶって殺して、次の、僕だけの、理想の世界を作ろう。僕の満足は概ねそこにある」
……。
マスターは、奴隷商人。
それも『最悪』の。
両手で数えられる程度のお気に入りたちにだけ救いを施し、そうでない者は全く頓着しない。
時に容赦しない。
トワが憂さを、恨みを晴らすにはうってつけの相手だ。
マスターがここに来るのはもう、時間の問題だ。
来てしまったら、きっと全てが……全てがおしまいだ。
絶望に打ちひしがれる。
ボクらは、このままみんなまとめてトワに殺されてしまうのか。
「フィル……? どうしてここに?」
聞き覚えのある声が、後ろから聞こえる。
「アリス……っ……マスターは!?」
アリスが来てるならマスターも居るはず……。
と思ったが、アリスは首を振る。別行動のようだ。
アリスはトワを見て、眉根を寄せた。
しかし、すぐに平然とした表情に戻る。
「マスターが来れば、全てが終わります。全てが。私たちは、彼を信じて戦うだけです」
……そうだよね。マスターはなんでもできるもんね。
「マスターなら、もう着くだろう。運命の指針通りなら、あと10数える頃には……」
「頃には、どうしたです?」
ゆっくりと振り向くトワ。
予想を裏切られたお蔭か、不機嫌な仕草だ。
そこに居たのは。
「……ふぃる、この人をたおせばいいですね?」
……シルキーだけ?
辺りを見回してみても、他に誰かが居るような気配はない。
「心ぱいしないで、すぐみんな来ます」
「うん」
「ありす、……行くです。……いや」
シルキーの瞳の色が、顔つきが、声が、口調が変わっていく。
破れた左羽の根本から炎が噴き出し、左目が朱色に染まりゆく。
「往こう。トワなど所詮我々にとっては過程に過ぎない」
「そうですね、シルキー」
シルキーの魔力はもうかつかつだ、加速も足りていないしあれではもう、幾許もしないうちに戻ってしまう。
それでも、自信に溢れる瞳の力。
アリスは槍を、シルキーは両手を広げて構え、跳躍した。
刹那、トワの方向から超高速で飛来する多数の槍。
「あぶない!」
「任せて」
シルキーはそれを予測してか、巨大な炎を発生させてそれを盾にし、攻撃を僅かに上空へと逸らした。
炎は物理的質量を持つかのようにうねり動き、槍を受け流すその様は濁流に流される巨木群を見ているようだ。
しかし、は、速すぎるっ!
あれを避けるのは絶対に不可能だ!
シルキーはどうにか受け流す術を持っているようだけど……。
アリスは武器を投げて攻撃を試みている、が。
「当たるわけがない。人が『概念そのもの』へ攻撃するという意味がわからないのか」
「試してみなければ……わからないでしょう!」
アリスは次々と無銘の槍や剣を喚びだし、投擲を続ける。
トワへの恐怖は消えていないようだが、シルキーが共に居ることで若干は緩和されているように思う。
ボクにも何かできることは……。
「……鬱陶しい!」
トワは中空へと逃れ、虹色に発光を始めた。
強烈な違和感に襲われる。
これは、まずい。
「う……」
「止めなきゃ……」
トワはいつでもボクらを殺せたんだ。
ただ、マスターの前で玩具のように壊すために生かしていただけで、……あの光の槍なんて児戯にも等しかった。
「……シルキー、防御を!」
「……かなり厳しい」
炎の盾を展開するが、トワから湧き上がる圧倒的エネルギー量、存在感と比べるとその差は歴然だ。
「消え去れ!」
虹色の輝きが一気に収縮。
一点にまで押し固められた。
あれが爆発して拡散したら、器どころか存在、概念ごと消滅してしまうだろう。
ああ。
……ボクは今嫌な夢を見ているんだ。
ビックリして目が覚めると背中が汗でびしょびしょになっていて、ああよかった。って思うような。
でも、トワは現実に目の前に居て、虹の輝きを放っている。
……夢なわけないよね。
なんか、思い残す事あったかな。
マスター。
長い事生きてきたけど、最後は呆気ないもんだね。
マスターならボクらの死を悼んでくれるはず。
トワなんか滅ぼしちゃえ。
広がる虹の輪が、拡大して……。
「フィル、下がってください!」
「へ?」
真っ黒な杖を持った女の人が、ボクを引っ張って下がらせた。
あてっ! もう、尻もちついちゃった。
逆光で誰かわからない。
でも、このローブ姿は……。
「サタナキア、今力を借ります。『風よ、吹きすさべ!』」
「! ……アリス、離れるよ!」
「わかりました!」
黒杖から放たれた風。
それは、ボクらを離れるほどに強さを増し、炎の盾を後ろから掻き消し、トワの放った虹の輪すらも巻き込んで。
一瞬無音、その後体全部持っていかれそうなくらいの余波の風が吹きすさんだ。
トワは涼しい顔をしているが、纏っていた虹の輝きは風に吹かれて雲散霧消した。
うわ、わわわ……、巻き添えでこの強さ……直撃したらバラバラじゃ済まないよ。
「……小癪な奴だ。どこから運命の指針がズレた」
何か喋ってるけど風でよく聞こえない。
「マスターが来て、トワに滅ぼされる。大まかな運命の指針は動いていない……が、何かがおかしい。揺れている」
フェイトと同じ顔をした概念が、トワへ声をかけている。
少しずつ状況が有利へと傾いてきているみたいだ。トリアナが来てくれてよかった……。
難を逃れたアリスとシルキーが合流してくる。
アリスはトリアナが放った攻撃の正体に興味の色を示した。
「今のは一体……?」
「存在への干渉を可能にするサタンの黒杖、これをサタナキアから貰っていたのですわ。概念への直接攻撃はできないですし、私はあの時『要らない』と言ったのですけど……」
「必要になるって事、わかってたのかな。だからあんなにあっさりやられてくれた……のかな」
ルードダンジョンの魔王サタナキアは、主たるダンジョンメーカーの、工業神ルードの為に存在する。
ルードがこの世界で生きる為にはトワを止めなきゃいけない。
トワはルードにも接触していただろう。
だから、ダンジョンを出られないサタナキアは……自身を打ち負かしたトリアナに全てを委ねて……、少しでもトワへの対策になるようにした?
命を賭す意味はあっただろうか。
概念への直接干渉を可能にするわけでもない程度の、そんな武器を託すために。
一度は要らないとまで言われて、倉庫の肥やしになりそうだったものを……。
いや、それでも賭けたかったんだよ。
1%でもいい方に転がる可能性があるのなら、自分の命など天秤にすら乗らない。
容易にベットできるんだ。
それが忠誠忠義を誓い、従順であるという事。
ボクたちは……身をもって知ってる。
マスターの為なら。
そういうこと。
……なんだけど。
「マスターが来るまで、私が繋ぎます。三人とも休んでいてください」
「私もやれます!」
「わたし、も……」
「ちょっと、二人ともフラフラじゃん!」
「フィルだって、胸のところ穴空いてますよ!」
喧嘩なんてしてる場合じゃない。
トリアナはトワに向き直るがボクは二人を抑えて必死に下がる。
「従順であるという事もいいけどみんなが死んだらマスター悲しむよ!?」
「ですが、トリアナを一人で戦わせるわけには……」
「ん…………え、えぇっ!?」
驚いたのはシルキー。
何に驚いたのか。ボクの後ろを見て、目をくりくりさせながら驚嘆の声を上げている。
一体何が……。
「……私の手が必要かよ?」
「ティ……」
「ティナ!?」