125. わからない
「……異空間の世界の端を取り込むとここに出ちゃうのかぁ」
「また来訪者か……ホントにあの世界は困りもんだね。退屈凌ぎにはなるんだけど」
「とりあえず……止めないと扉がどんどん飲まれちゃう。なんとか殺さないように」
「その能力を止めてくれないか、ちょっと君の世界とは事情が違う」
あーらら、概念さんたちのお出ましだ。
『情報』と『原初』と『無』と『力』と……。
なんというか、劇場のカーテンを捲った気分。
気の抜けた役者たちが勢揃いだ。
一つの空間を全部食い切っちゃったからこの『どこでもない場所』が観測できるようになったって事なんだね。
「能力を止めたらボクは死ぬと思う、心臓が潰れちゃっててね」
「ここで生きるのに心臓は要らない。信じるなら解除してくれ。そうじゃないなら無力化する」
「……ま、嘘言う意味ないよね」
『存在』に言われるがまま、世界混濁を解除した。
おぉ。
……不思議だな。
自分の心臓は鼓動をやめている。
それなのに、生きている。
手は動くし足も動くし……なんか変な気分だね。
っと、シラセの事を忘れてた。
「……何がなんだか、……何が起こったんすか」
「旅人くんだね、2037年間お疲れ様。君は失敗だった。帰っていいよ」
「は、え? 帰れるんすか!? あの世界に!?」
「ただ、記憶は持ちこせない。全部リセット。それでよければ全部元通りにする」
……本当かなぁ。
これは嘘をつく理由がある。
シラセはあの世界にとって、結局のところ害になってしまいそうだった。
だから、排除する。
元に戻してやる利点なんて一つもない。
「……戻りたいっす。あの世界で、自分が何をするのか。普通に生きて普通に死にたいっす」
「それは、移動した先の世界に飽いたから抱いた感情、でしょ。君はあの世界に思い出や未練はないのかい。愛した人の事も忘れてしまうよ」
それは、つらいなぁ。
でも、忘れてしまえばつらいなんて感情も抱くことはなくなる、かな。
「マスターを見知って、『救い』ってなんだろうなって思ったんす。かれこれ2000年以上生きてきて、自分がもし救われるとするなら、愛したあの人が生き返るか、元の世界に帰れるかのどっちかだと思ったんす」
……救い、かぁ。
ボクの救いは、なんだろうな。
あんまり思い浮かばない、けど、幸せになりたいな。
「じゃ、扉はこれだ」
遠くから、途中の空間を無視してぐしゃぐしゃになった扉が飛んでくる。
それは近くに落下すると、背筋を張ってドアの形になった。
無機質な、銀色の扉。
銘は『つまらない世界』
「君は、ここに戻れば記憶はなくなる。幸せな記憶も、能力も、経験も、全部消えて元通り。不老不死でもなくなる。……それでいいのかい」
「いいっすよ。どんなに弱くても、寿命が短くても、戻る先がつまらない世界でも。自分なりに生きて、何も知らずに、時に死に怯えながら、時に失敗しながら、それでも普通に生きて普通に死にたいっす。……記憶が消えたあとの自分は、そんな事言わないかもしれないっすけどね」
さっきまで命の取り合いをしていたというのに、現金な人だ。
もう顔には笑顔が張り付いている。
救われるのか、この人は。
ちょっとだけ、羨ましい。
「フィル、殺そうとしてごめんっす。マスターにはよろしく言っておいてほしいっしょ」
「あはははは、そんなセリフは無いでしょ。伝えておくね」
扉が開く。
石か何かでできた高い建物がずらりと並ぶ、なるほどこれがつまらない世界か。
人工的な道、人工的な明かり、人工的な家々の並び、不自然な木々の並び。
確かにつまらないかもしれないけど、魅力がないわけじゃないように思える。
この世界でシラセは生きていくのか。
ふと。
ぽろっと、水滴が流れ落ちた。
……ちぇ、さっき躊躇なく飲み込んでたならこんな涙、流さなかったろうに。
2000年間、同じ世界に生きた最後の同類。
ずっとひとりぼっちだったって言ったシラセの気持ちは、わかるんだ。
そのシラセは、もう未来永劫会う事ができなくなる。
例え、何年生きても。
「フィル、それはちょっとずるいっすよ。……うちは君らの事忘れるっすけど、フィルやマスターは覚えててくれると嬉しいっすね」
「ずるいのはどっち……ん、覚えとくよ……」
一歩一歩進んでいく。
帰れるという実感を噛みしめるように。
一つ一つ確認する。
あたりの景色が自分の知る世界と同じかどうかを。
そして、ついに、足を踏み入れた。
「今更マスターに会わせる顔はないし、ま。出会いと別れなんてこんなもんっすよ」
「……うん、ばいばい」
「バイビー」
それが、最後に交わした言葉だった。
ガーン! と大きな音を立てて扉は閉じる。
……シラセ、救われればいいな。
「とまぁ、邪魔者のシラセを無力化する事に成功したわけだ」
『力』が言った。
な、何?
突然態度を変えて、どうしたと言うのか。
……いや、この概念は……。
『力』じゃない。
それは包括的に含まれては居るが、もっと広義で存在階級が高い。
まさか。
そんな。
「……トワ……? 何故、さっきまでの概念の雰囲気と違う」
扉のノブを握っていた概念がこちらを向く。
『力』だと思っていたそいつは、トワ……でもない。煮え立ち湧き上がる、なり損ないのような存在ではなくなっていた。
「トワじゃない。『全』だ。全知全能全身全霊全力投球全面戦争の全。覚えてくれ」
自信満々に捲し立てた。
「『力』を『全て』に変えたの?」
「そう、力が全てだ。そして、全てが僕だ。だから、世界も概念も全部、僕の思うがままなんだよ」
なんてこと。
トワは完全な概念になって、他の概念を掌握してしまった。
もう、手遅れかもしれない。
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ここは、どこ……。
ずっと、ずっと……。
ずっとずっとずっとずっと長い永い……夢を見ていた気がする……。
辺りを見回す。
ぐっすり寝ている……老人が一人。
そして一つの……首の無い死体。
私はその死体に、寄り添うように。
またはすがるように。
折り重なって倒れていた。
その死体の無くなった首から上は、近くに転がっている。
自分の腕から転がっていったような跡がある。
そして、無念に打ちひしがれた表情の顔には……見覚えがある。
かつての友人だったか……。
確か……名前は……。
「パック……?」
記憶の……混濁が激しい……。
今は一体聖歴何年で、私は今……何をしていたのか……。
誰かを探して、必死に探して、……ここに……辿り着いたような……。
『俺ァよォ、最低の人間だ。ごめんな』
「え……?」
今聞こえてきた……んじゃなくて、……記憶の奥底から浮かんできた声……。
でも、それが……何かわからない……。
確か、そう言われて、何かを……された気がする。
……転がっている……首に視線を移した。
……かわいそうだ。
そう思った。
そっと、その首を拾って、慙愧に歪む顔を胸に抱き、瞼を閉じさせた。
なんでそんな事をしたのか……わからなかった。
それでも、目を閉じたその表情は安らかに変わったような、……ような気がした。
なんとなく……背後に気配を感じた。
振り返る。
「フェイト……?」
「……お兄さま」
兄の姿。後ろには、お兄さまの奴隷たち。
みんな戦いに傷つき、服はぼろ布のよう。
髪はぼさぼさで、……ってそれは元々……かな。
顔は……泣き出しそうだね……。
胸元の、パックの首を見る。
部屋の中央付近にある、光り輝く透明な柱。
その付近に倒れる、首の無い死体にゆっくりと……戻してあげた。
手も服も血に塗れて真っ赤。
でも、不快な気持ちはない……。
解放されたという気分と、愛おしい気分と、悲しみと、嬉しさと……。
いろんな気持ちが混濁した意識と記憶に混ざって、どうしていいのかわからない。
「……大丈夫か?」
「どこも……痛くはない……けど……どんな気持ちでいればいいか」
「……休んでればいいさ。決戦まであとちょっとだ」
「パック……パックは、……何が悪かったの? 私はどうすればよかった?」
体が、勝手に喋った。
勝手に哭いた。
どうしてか、自分でもわからないまま。
マスターは困惑していた。
「お前、まだ記憶が戻ってないのか? パックは死んだんだろ?」
「戻ってる、けど、……わからない」
「……俺は、パックには恨みつらみしかない……わけじゃねえ。一応ウラリスへ通い始めた頃は……仲悪くはなかったしな」
ただ、と腕を組んで言葉を続けた。
「許せるわけもねえ。俺の大事なものをいくらでも取って行ったし、大事なお前も洗脳するし、殺せるチャンスがあれば殺そうとすら思ってた」
「……うん、おにいさまならそれくらいすると……」
「今のお前はどうだ?」
今の、私……?
「許せるか。許せないか。葬ってやりたいのか。踏みつけてやりたいのか」
「……許せるかとかは……わからないけど……」
でも、確かに、パックは……。
記憶が少しずつ、鮮明になっていく。思い出せる事が増えていく。
確かにパックは、自分の為じゃなくて『正しさ』の為に行動していた。
最後に一人になってもいい。
嫉妬心や妬みが元でもいい。
友人の妹を洗脳するような最低な人間でもいい。
こんな世界を変えられるなら。
変えるためなら。
そう。そんな人だった。
「……葬ってあげたい」
「じゃ、埋めてやろう」
お兄さまの行動は……早かった。
迅速に精霊魔法で穴を掘って、お墓を買って、……あっという間に土葬の準備が整った。
見る間に、って言うのが正しいかもしれないくらい。
10数えるくらい、かな。
パックは、お兄さまの敵だった。
お兄さまの奴隷たちも、後ろで静かにしていたけれど、すぐにでも殴りかかりたい人だっていたかもしれない。
けど、誰一人嫌な顔をしている人はいなかった。
「……シルキー、起きたか。パックは死んだぞ」
「……やすらかそうです」
「無念だった、のでしょうか」
嬉しい、とか、やった、とか。
そういう事を言う人もいなかった。
私に……気を使ってるわけでも……なさそうで。
「……フェイト、今のお前からしたら、パックは敵か? 味方か? 恋人か?」
「……敵、だと思うけど……わからない。どうしたらいいか」
「そう、か」
マスターは、マスターなりにパックの死体を丁重に扱っ……たように見える。
買ったばかりの棺に入れて、あとは埋める……だけ。
「フェイト。一個だけ、ひょっとしたら最悪かもしれない事をする」
「…………なんとなく、わかる。それは必要な事だし……」
お兄さまは、こくりとうなづくと両手をパックの死体にかざした……。
この体から、消えていった今までのフェイト。
ひょっとしたら、パックと一緒に死ぬことができて幸運だったかもしれない。
それが、お兄さまのよく言う、救いになったかも、しれない……。
「ところで」
「……?」
「そこの隅で寝ているジイさんは何者だ?」