121. 連戦
「……シルキーを受け止めにいかないと、ですね」
「俺が行く!」
リタが駆け出しました。
地形が変り果て、歩くのも困難な大地を苦も無く踏みしめひた走る。
炎を収め、放っていた光も消えたシルキーは真っ逆さまに落ちてくる。
……あの速度、リタなら受け止められるでしょう。
ふと、トリアナがローブからナイフと杖とを取り出して、両手に持った。
私は窘めましたがトリアナは決意を持った瞳をしています。
止めようとするだけ無駄、でしたでしょうか。
「トリアナ、……貴女の役目は……」
「……私の役目は、恐らくここです。ティナの命を保ち続ける事だけが仕事というわけではないみたいですけれど」
それは、先日倉庫から発掘した杖ではありません。
ルードの魔王が残した杖と、自決用のナイフ。
「逆説的に、強い者に勝つのが私。マスターはまだ私の出番ではないと考えているかもしれませんが……あれ以上の存在など、私には到底想像もつきませんわ?」
苦労しているのがその証拠。と続けます。
しかし、ここでトリアナという切り札を切ってしまえばもう後はないのです。だからこそ温存しているのではないでしょうか。
「……そうかもしれません。ですが以前から独断でルードダンジョンへ潜っていて、皆に迷惑をかけた事はお忘れですか」
嫌味にならぬよう、あくまでも落ち着いた調子で声に出しました。
トリアナはそれを聞いても狼狽える様子はありません。
「あの件については、本当に申し訳ないと思っています。罰も受けました。しかし、言い訳がましくなりますけれど……あれは必要なことでしたの」
手元の杖に目をやります。
サタンの黒杖。
「……そうでしょうね。……貴女の決意が固いのであれば止めはしません。人にはそれぞれ『考え』があり『正解』があり『不正解』があり『幸せ』があります」
「そして、……奴隷には、オビーディエンスがありますわ」
マスターの事を思って……みんなの事を思って行動しているのです。
それが間違っていたとて、どうして責められましょうか。
「そもそもを言えば、私に貴女をどうこうする権利なんてありませんよ。ほんの少し、マスターの奴隷になったタイミングが早いだけです」
「アリス……。……行って参ります」
「行ってらっしゃいませ」
……ストリガを打ち倒す事がこれでできればよいのですけど……。
これで、役者は出揃いましたか?
空にはストリガとマスター。トリアナが向かっています。
庭園方面にはシルキーとリタ。ギャランクは打ち倒されました。
屋内にはフィルとゼノン。どこかにクロードとパックが居るでしょう。
城の屋根上にはフランが居ました。シラセもどこかに……無事でいればよいのですけど。
そして、漆黒の門付近で待機しているのは残りの全員。
私、ロズ、メノ、カシュー、カイン……。
『フェイトが居ないね? どこ行ったのかな?』
煮え立つ全ての概念。
湧きあがり、脈打ち、鳴動してうねり狂う。
その人型は……。
「トワ!? ありえない!」
『神託の泉から出られないなんて僕言ったっけ?』
言われた覚えはない。
けれど……なら何故今出てきたのか。
形はケタケタと笑う。
背中に怖気が走る。
一瞬でも早くここから離れたい。
『ちょっと話しやすいように裏へ行こうか』
「な、なにを」
続きの言葉は出てこなかった。
気づけばそこは、扉が並ぶ世界。
噂に聞いた、話に聞いたこの場所。
そこに自分が存在してしまっている事実を受け入れられず、勝手に口から泣き声のような嗚咽が漏れる。
ここは生と死が交叉する場所。マスターが以前に死んだ時来た場所。
そんな場所に、今私は居る。
『僕はね、概念たちに敵対心を持ってるんだ。なんとなく考えてはいただろう?』
「……は、初耳ですけれど」
声が出てこない。喉が痛い。横隔膜がひっくり返りそう。
ただ、最後の矜持とでも言うべき、マスターの奴隷たる自分はしゃんとした態度でいなければならないという思いが膝から崩れ落ちそうになる体を支えていた。
『原初、存在、歪み、無、情報、力、運命。色々居るね。……僕はね、あれらを統べる『全て』になりたいんだ。マスターがあれら概念のうち誰かを滅ぼした時、僕はあれらに成り代わって完全なる概念になる』
「そんな夢物語、なぜ私に」
『君はね、運命……じゃなくて、フェイトが何週もかけて置いた駒なんだよ』
私が、駒?
何周とは?
『そう。あの歪んだ世界でちゃんと生きていく為に、何回も死んで、何回も一からやり直して、やっとの思いで運命に固定した駒だ。最終的に何の手を加えなくとも、ウォルター=リドル伯爵とシニエル=リッチは子供を作り、守護魔法使いアリスが誕生するようになった』
「っ……出鱈目ですね」
そう思わねば、気が狂いそうな程に焦燥していた。
目頭が熱くなる。
私はここから、どうすれば。
『出鱈目かもね。まぁ君がどう思おうと現実は勝手に進行して、僕の思い描いた筋書き通りに進み、そして僕は概念になる』
「そうは、させません」
勝手に言葉が溢れ出した。
恐怖に煽られた肉体でも、思いは止められない。
こいつを、思うようにさせてはいけない。
千年華の槍を呼び出して上段に構えるが、その切っ先は震えていた。
なんで、どうして、肝心なところで、動いてくれない。
『そんな爪楊枝じゃ僕は殺せないよ』
表情は全くわからないけれど、笑っているのはなんとなくわかった。
そして自分の技術が、能力が、武器が、役に立たない事もわかってしまった。
「……なんで私をここに連れてきたのですか?」
当然の疑問だ。
戦っても勝ち目がないのなら、会話を試みるのみ。
相手に自分を殺す意思がないのなら、まだ出来ることはある。
『君は一種の鍵だ。こちらへ入るための扉の鍵。何本か種類はあるんだけど、その内の一本が内側にあったら面倒くさいだろう?』
「鍵……もしかして、拒絶追放というのは……」
『ここへ追放する能力だよ。神殿守護騎士と魔法使いの子にしか使えない。……世界が何巡しても守護魔法使いなんて、本来生まれ得ないはずだったのに』
その声からは、少しだけ負の色が出ています。
悔しさ? 怒り? それとも……。
……何か、大きい気配が近寄っているようです。
ここでは何があるか想像もつきません。ただで死なないように立ち回る必要があります。
「……私を殺さないのですか?」
『意味がない。マスターがそれで怒って新たな力に目覚めたりなんてした日にはそれこそ目も当てられないだろう』
その時、接近していた気配が音を放った。
私は、これが『力』なのだと無意識に悟りました。
「……トワくん、君も終わりの世界へ行くかい?」
力そのもの、エネルギーの全てがそこにあるかのような存在が現れてトワに向かい立ちました。
トワは慌てた様子もなく平然と言い放つ。
『あれ、見つかった? こんなに広いのになぁ』
「情報が教えてくれたよ。……世界の平静を保って理想の世界を作るのが僕らの仕事。君は世界に必要かい?」
力の存在が膨れ上がるのを感じます。
これは、巻き込まれそう……なので急いで離れます。
『必要だよ。なんてったって僕は全てだから』
扉の世界の片隅で、全世界の『力』と『全て』がぶつかった。
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硬え。
火も水も風も雷も効きゃしねえ。
斬撃も打撃も爆発もダメ。
RPGのラスボスの弱点調べてんじゃねーんだぞ。
ありゃなんだよ。
現象魔法も精霊魔法も天候魔法も錬金術も効かねえし複合魔法だって試した。
ストリガの奴、概念化しちまってるんじゃねえか?
無敵の概念とか。
そうなったら俺じゃどうにもならねえな……リタの様子見てオーバードライブを試すか……いや。
崖の縁に誰か……居るぞ。
あそこにいるのは……。
「火よ」
トリアナ?
「灯れ!」
突然視界が白く染まる。
マジかよ。
ここまでの威力は初めて見たな。
「ったく、いつも独断で動きやがる」
待機させてた意味がねーじゃねえか。
極光の中、塵と消えたように見えたストリガの方向へ視線を移す。
あんな簡単に死ぬとは思えないが、それをする為のトリアナだ。
仲間にしていてよかったと心から思える瞬間である。
目も眩むような光が明けた瞬間、俺は絶句した。
白いスーツに白いマント。
カチカチに固まった茶髪。
リザンテラだ。
「世界とは、自動実行だ。始まりがあり、周があり、終わりがあり、また始まりが自動で起きる」
「それがどうした」
リザンテラの隣にもう一つ人影が。
……嫌な予感がする。
『全ての耐性を持った未来の存在を召喚する。それが俺の能力』
「ここに来て新参の概念使いかよ!」
リザンテラはここぞとばかりに高笑いを始めた。
ストリガはトリアナによって死にはしたが、また新しい存在が呼び出されたらしい。
ストリガが死ぬまで専用空間に隠れて姿を消していたのか。あれだけ狂っていたのもやはりそういう存在を呼んだということか。
やはり、先にリザンテラを倒さねば。
「トリアナ! 攻撃はいい! リタとシルキー達に合流してフランを助けに行け!」
「り、了解です!」
無駄打ちじゃない、トリアナには感謝している。
攻略の取っ掛かりになった。
だから、彼女に報いるためにもここは戦って、絶対に勝つ!
「俺のどんなものでも買える能力。本当になんでも買えるんだ。物でも、力でも、存在でも、歪みでも」
「俺たちには効かん、試してみるがいい」
自信に満ちたリザンテラの顔。
俺はそんなものに興味はない。
一点にまで押し固められた歪みが、形となって顕現していく。
俺は金銭術の詠唱をしながら、その歪みに向けて腕を伸ばした。
俺が最悪と呼ばれる所以、その身に焼き付けてやる。
「……お前にとっての最悪って、なーんだ?」