120. 無限地獄
庭園を駆けるは四色の輝き。
澄んだ水流を思わせるアクアブルーの流れが、猛烈に瞬くファイアーレッドと優しく煌めくワインレッドの輝きを纏って超高速で飛び回る。
それを追い回すはヘリオトロープカラーの澱んだ流れ。
じくりじくりと空間を刺し割り、押しのけるようにして緩慢に追う。
宛ら、兎を狙う蛇のよう。
右手に握りしめた金貨は、毒を孕んだ牙のよう。
ゆらりゆらりと飛び回りながら、虎視眈々と機会を狙っている。
しかし襲われているのはただの兎ではない。
猛火を放つ、角の生えた猛獣。
地獄のアルミラージだ。
その炎に燃える真紅の両目は、諦めや苦悩など微塵も感じさせない力に満ちていた。
持続速度では、シルキーが勝る。
しかし、瞬間速度では断然ギャランクの方が上だ。
沼のようなゆったりとした時間。
それでいて、張りつめた糸のような緊張感。
シルキーは計っていた。
タイミングと、残存魔力。
そして……。
「黒縄地獄!」
「小癪也」
何本も束ねられた黒色の鋸が、シルキーの左手を中心にして飛散する。
その鋸は、燃え盛りながら空気すら焦がし引き裂きつつギャランクへと迫る。
ギャランクは、その鋸には全く触れようともせず速度を上げて回避する。
乱方向に散らばる、炎を纏った棘つき刃。
掠りもせずに避け続けるのは神業とも言えた。
「大焼処!」
「当たらぬ!」
シルキーの右手より発せられる赤色の炎。
それは、体内に潜り込み内側より焼き尽くす威力があるが、こちらもついでのように回避されてしまった。
シルキーが放つ両手のどちらの攻撃も、当たれば存在ごと焼き尽くす概念の炎を纏っている。
しかし、ギャランクの移動速度には敵わない。
『なんで当たらないの……』
『きしゃくされたたびびとのちから』
『……劣化した瞬間移動、いや、使いやすいようアレンジされたもの?』
三職持ちを打ち倒す。
それが、シルキーの負った役目。
しかし、それを見越して用意されたのがギャランクだ。
トワから全ての情報を得たパックが、マスターを概念にさせない為に用意した駒。
催眠術師と旅商人の子。
汎用的に用意されたシルキー専用に対策したギャランクが、どうしてシルキーに負けようか。
「……負けられない」
「負けずともよい、ただ死ね!」
伸びる鋸と炎を掻い潜って、金貨が飛ぶ。
移動速度の速さ、攻撃手段である金貨の小ささ、その威力。
全てがシルキーと噛み合わない。
オーバードライブしたシルキーに敵う者など、彼女と同じ三職混交の者でも数少ないだろうものを。
「……っ!」
ギリギリで回避した金貨が頬を裂く。
そしてそのまま。
大爆発。
「くうぅっ……」
至近距離で金貨の爆発を食らったシルキーは、それでも高速で離れようとしていたのだ。
しかし、破片と熱の煽りが直撃した彼女は、飛ぶこともままならないほどのダメージを受けてしまった。
両手から大魔法を発動していなければ、回避に集中していれば、ここまでの痛手は負わなかったかもしれない。
力を失ったように落下していく。
『シルキー! 大丈夫か!?』
マスターから共有の通信が入る。
でもマスターはストリガと戦っているのだ。
心配をかけさせてはいけない。
ますたぁはあんなむちゃくちゃなはかいをふりまく相手をおさえてる……。
だから、めいわくをかけるわけには、手をかりるわけにはいかない。
そう考えたシルキーは、戦闘を続行する意思を伝えた。
『大丈夫……。なんとかする』
『こっちがなんとかなりゃ助けに行くのに……よっ!』
遠くの空から金属音と爆発音が響いてくる。
シルキーとギャランクの戦いが地味に見えるほどの、閃光と閃熱。
切り結ぶ剣撃ですら光を呼び、地上で見入るカシューたちの目を眩ませる。
シルキーは落下しながらそちらをほんの少し見やった。
シルキーは思った。
……ますたぁはすごいです。
自分でなんでもやろうとします。
わたしたちをすくうと決めて、ずっとずっとそれに向けてたたかってきてくれた。
わたしは、ますたぁにむくいたい。
わたしは、すくわれなきゃいけない。
だから……。
そう。
シルキーには、隠してる新技があるわけじゃない。
ひらひらの衣装に武器を潜ませているわけでもない。
それでも、勝算がないわけではなかった。
『情報攪乱を当てれば勝てる』
フレイの声が聞こえてくる。
『シルキー、きみならできる』
ルビィの思いが、言葉になって伝わる。
『わたしなら』
フレイもルビィも、もうこの世にいない。
聞こえてくる声は全部残留思念で、ただシルキーの妄想に過ぎないかもしれない。
それでも、シルキーの覚悟は決まった。
体勢を整えて片方だけの自前の羽と、炎の羽を広げて再び飛翔を始める。
オーバードライブが切れれば、飛ぶことはできなくなる。
けれど……力尽き落下して地面に叩きつけられることになっても、ギリギリまで戦う事を選んだのだ。
ボロボロになった衣装の裾を千切り捨て、水色の髪を軽く振ってギャランクを見据えた。
先ほどよりももっともっと力強く燃える炎を瞳に込めて。
「来るか」
「行く!」
情報攪乱の射程距離は、二、三歩。
脳の構造が複雑な者にしか効かず、対象も単体だ。
更に、詠唱も必要。
復帰までの時間はまちまちだが、その間にもう一発とどめの魔法が必要となる。
シルキーがこの戦いで狙って来なかった理由がそこにある。
『時間がもうないぞ』
『しぬきでいけ』
『そのつもり、です!』
シルキーのオーバードライブはあと30数える程度で切れてしまう。
それまでに決着をつけねば、ギャランクはストリガに加勢するか他のマスターの奴隷たちに攻撃を仕掛けるだろう。
それだけはふせがないと。
シルキーは叫びながら真っ直ぐ、ただ真っ直ぐギャランクへ向けて飛ぶ。
それは、鈍化した時間の中を素早く動くシルキーを、その上から更にゆっくりと見られるギャランクにとっては、大した脅威には思えなかったが。
「やああああっ!」
「破れかぶれか?」
呟くギャランクはシルキーの方を見ていない。
油断ではない。むしろ逆だ。
シルキーを最早敵ではないと認めた上で、そっぽを向いている理由は更に二つあった。
ギャランクは知っていた。
シルキーの手の内も、狙いも。
ギャランクは気づいていた。
城の屋上の影から発せられる異常なほどの殺気に。
故に、対処に困る方を優先で警戒しているのだ。
「……トワの情報に無い者か……果たして何を仕掛けてくるか」
ギャランクは視線をシルキーに戻す。
纏う炎はより暗く、黒に染まっていく。
時間切れは近いが、そろそろ危険域だ。
避けるならば本気で避けねばあっさり死んでしまう。
「地獄の悪爪!」
「猪口才な!」
左、右、左右、また左。間髪入れずに右。
矢継ぎ早に黒閃が中空を裂いていく。
大地に直撃すれば、一撃で山すら真っ二つにするほどの威力がありそうだが、それは無為に空を切る。
左、右、左右左、両方。右。また左。
シルキーの速度は加速していく。
「……」
「何か言ったか」
ギャランクには、その言葉は届かなかった。
詠唱かとも思ったが、それが何かわからない。
だが、見た目にも現象にも然したる変化はない。
「どうした、当てる気はないのか」
「……掠るだけでいいのに!」
「そう易々と食らうわけにはいかぬ!」
右左右左右左右、両方!
「それで打ち止めだ!」
「……!」
二十四を数え、シルキーの動きが止まったところでギャランクは金貨を叩きつけた。
ボキッと折れた音が響いたのは、小さな妖精の腿からだった。
「う……ぐっ……」
そして。
「これで終わりだ」
発光、白煙。
シルキーは爆発のまさに直撃を受けた。
……その上に。
「見切っているぞッ!」
伸びるのは月高架橋と桜花回廊。
振るい手は、全身血まみれの少女。
ギャランクはその二刀の為にシルキーから視線を離して回避に専念した。
複雑怪奇なその軌道は確かに避けづらくはあったが、触れても構わないという点でシルキーの攻撃より苛烈さがない。
それが油断を誘ったか。
フランカレドは、屋根の上に居た。
クロードから命からがら逃げ延びて、体力を温存して機会を待った。
自分の役割を果たす為に。
「……あとでかえせ」
「……了解」
声のする方へ視線を戻したギャランクの目は、驚愕に見開かれる。
爆発による白煙が晴れた時に目の前に居たのはずたぼろの半妖精だ。
金貨の直撃した腿には巻き付くような紋様が、燃えるような赤色で描かれていた。
「害成す者よ、全てを忘れ、乱れて惑え」
手を伸ばせば届きそうな距離。完全に射程内だ。
ギャランクの脳はほとんどフリーズしていた。
「な、なぜ」
「……技術盗みでフランから熱操作を盗んだ」
聞いていない。トワからそんな話など。
全てを知っているんじゃなかったのか。
熱操作、それで爆発の威力を逃したというのか。
五体満足には見えない。我はまだやれるというのに、終わりなのか。
そんな逡巡がギャランクの思考を駆けていく。
しかし、もう全てが遅いのだ。
何がどうであろうと。
「情報攪乱!」
ぐるりとギャランクの瞳が裏返る。
自らの死が訪れる瞬間、意識がないと言うのは救いだろうか。
ただし執行人は地獄の猛火。
慈悲はない。
「お前は誰より若いけど、みんなを苦しめた。だから容赦はしない。349京2413兆4400億年間地獄で生き死に償え」
黒炎が迸る。
天高く、太陽まで届く狼煙のように。
「魂焦がす我らが炎、受け止め焼かれて滅びゆけ」
シルキーの詠唱は終わる。
その詩を詠う声は、魂を鎮めるレクイエムのように優しかった。
「無限地獄」