117. 神名騙り
マスター=サージェント。
歪みを生む商人。
何度か命を狙い、何度も刺客を差し向けた。
それは毎度のごとく失敗に終わってきた。
否。
あの敗北たちは必要経費だ。
最後の最後で親の総取りをする為に。
神の上にたどり着いた連中を、その神の上ごと是正。
そうすれば、何物にも支配されない世界が生まれる。
一石二鳥、煩わしい歪みの子も一掃でき、忌々しい『あれ』の監視もなくなる。
真に正しい、あるべき世界の姿に是正することができるのだ。
ああなんと美しい事だろう。
誰からも支配されず、誰の影響も受けない、実力主義で努力は必ず報われる世界。
最善の世界だ。
そこでは死の支配すらない。
消えたラルウァも戻ってくるだろう。
そう、ラルウァは戻ってくる。
「待っておれ……!」
正しき世界の為。
愛しき娘の為。
汚らわしき歪みすら今は利用しよう。
空を往く是正者は思う。
最後の戦いは自らが締めくくらねばならないと。
他の者たちは細かな是正の仕事がある。
自らが根本を絶ちにいかねばならない。
「機械鳥の駆り手よ、あとどれくらいだ」
「間もなくです。降下の準備を」
「できている」
「達者で」
それだけのやり取りの後に、ストリガはすぐ何も持たずに飛び降りた。
雲の上から、山の中腹へ向けて。
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「マスター、お疲れ様です」
「……頭がガンガンするが」
もう何も考えたくない。
移動に使った座標が全部脳に残っている気がする。
流石にこの人数を短時間で全員ガルアの城まで運ぶのは自殺行為に等しい行動だったかもしれない。
因みにフェイトは首輪に手綱を繋げて逃げられないようにしている。
「ここまでしなくても別に逃げないよ……」
「パックが居たらすぐそっち行くだろ」
「そんな事は〜ない、かなぁ」
目が魚だ。
わかりやすい奴が多くて助かるな、絶対逃がさんぞ。
俺は、この場にいる全員……つまり、アリス、シルキー、トリアナ、フィル、ロズ、メノ、リタ、フェイトに声をかけた。
「注目、まずはこのくっそ古びた城に突入、フランと合流する。シラセは見つけたらとりあえず俺が行く。敵はアリスとリタに基本任せる。どうしようもなかったらシルキーとトリアナを投入。ヤバいと思ったら俺の近くで手を挙げろ。すぐ匿ってやる」
そこそこ格好がつくように胸を張って喋ったが、こいつら。
半分くらいが上の空だ。
……いや、様子がおかしい。
上の空を見ている?
「おい、ちゃんとこっち見て話を……」
「マスター、上……」
なんだよ。
見上げると、影。
何かが、落下してきている。
ぐんぐん大きくなるその姿、これまでに何度も見てきたそいつは……。
「見覚えあるこのシルエット……あの墓場の監守みたいなカーキのマントは……! お前ら全員先に行けぇ! 指示通り頼むぞ!!」
声の限り叫ぶ。
言い切る前に全員が走り出した。
フェイトの首綱はアリスが持った。
「いえすまいますたぁ!」
「みんな、行きましょう! 殿は私が、先頭はリタ!」
「あいさー!」
声を掛け合いながら走る。
俺はそれを見ながら少し安心して、上を見た。
「お前一人か。いよいよ年貢の納め時だな」
「…………ォォォ……」
雄叫びが届き始める。
ストリガは、素手だ。
だからと言って油断はできない。
触られたら消える。
命がいくつあっても、丸ごと是正されては意味がない。
しかし、もう既に何回も手合わせした事はある。手の内は読めているのだ。
「来いよ、この因縁も恨みも悲しみも、全部まとめて綺麗さっぱり決済してやる!」
「……ォォォォォォ……!」
あの速度ならあと10数えるくらいか、金をできるだけ使わずに迎撃する手段を……。
「ォォォァァァアアアアア!! 魔法神フェイの名に於いて詠ずるゥァァアア!」
「はァ!!!!??」
次の瞬間、周辺大地は城のあたりだけ残して抉れ消し飛んだ。
最大級の歪みと轟音を残して。
数えるほどの時間の後。
聞こえるのは風鳴りと土が崩れる音のみ。
人の気配も動物の気配もなく、ただただ大穴を空気が流れ、自然の土笛が鳴り響く。
こうして俺、マスター=サージェントの戦いは幕を閉じてしまった。
後に残るのは後悔のみ。ストリガは望みの実現にまた一歩近づいた……。
「……わけねえだろ! ホントにあぶねえ、頭にさっきの座標が残ってなきゃマジで死んで……たわ」
元の世界の感覚では70キロメートルほど離れたゲランサ付近の平野に降り立った俺は、先程のストリガが放った何かの爪痕を眺めて驚愕した。
ホールのチョコレートケーキをスプーンで抉ったような、大地にできたクレーター。
それが俺のすぐ後ろにまで伸びていたのだ。
覗き込めば垂直に、深淵まで伸びる大穴。底は見えない。
この威力が……俺一人殺す為だけに放たれたのか……?
「……あれは『原初への回帰』を是正と見て発動させた、ただのレクティフィケーション……か? 威力は魔法神フェイの神名騙りで補ったのか。しかしあれじゃバカでかい歪みが出るぞ」
是正者が歪みを出すのもそうだが、……なんで神名騙りが使えるんだ。
あれは……俺が受け継いだ能力の中でも、……飛びっきりの苦心と苦労と、……ループの末の能力だ。
そうだ、そうだよ、フェイトに教えてもらった、運命の指針……前の週の出来事、一つ前の俺の存在……一つ前の俺が俺に託した能力……。
それがなんで! ただのバグのストリガが持ってんだ!?
おかしいだろ、文献にも存在し得ない、俺だけの能力じゃ……。
『……神名騙りの使い手か』
リザンテラが、その存在を知っていた。
フェイトが俺に情報提供をしていたのと同じように、俺の情報を流していた存在がどこかに居るのか……?
シラセ、はありえない。この週だけの旅人だ。
むしろ情報提供される側の存在だ。
俺の情報を流して、俺に不利になるように物語を動かしたい存在……。
概念は敵でも味方でもない。
パックでもない。是正者たちでもイージスでもない。
『干渉しないって言ったけどさ、あんまり君がヘタクソだから』
……。
シラセやストリガに情報を流したのは……ひょっとして。
俺がもし概念になって、不都合を被る存在は本当に僅かしかいない。
俺があの時もらった神託はなんだったか。
『君たちにできる事をもう一度確認してみるんだ』
違う。これは、フェイトの存在を認識できなかった頃のセリフだ。
歪められて、フェイトがした助言をトワが言ったように誤認させられていただけだ。
本当はなんて言っていた?
『君たちは神の敵だが、それは物事の一側面でしかない。
君たちにできることはもうない。詰まされているんだ。
僕からの助言はそれだけだ。
もう二度と干渉しないけど、君たちは『歪ませる』からまた相見える事はあるかもね』
これを励ますために、フェイトがした助言と混ざって認識が曲がっていたんだ。
『大丈夫……一つ一つ……確認しよう。……できることはまだある』
そうだ。
あの後色々実験をして、お互いを勇気づけあって不安を打ち消したんだ。
フェイトには救われっぱなしだったんだ。
更に思い返せば、オミッサからシルキーが情報を抜こうとした時、なんでトワが邪魔したんだ?
決まっているだろう。
トワにとって不都合だからだ。
何が不都合か。
あいつは、なり損ないの向こう、まぁ概念見習いみたいな存在だった。
なり替わる存在が出るまで、概念が減っちまうまで、ただ概念の補佐をして時間を食ってるだけのかわいそうな存在だ。
目標にはなれた。ただ方法が少し違っていた。
だから、時期が来るまで待つことしかできなかったんだろう。
自らの不都合になる存在に干渉しながら。
……オミッサが持っていたのは、拒絶追放を食らったらどうなるかの情報だ。
なんでピンポイントで絞り込めるかって、オミッサ関係で他にわからねえ事がないからだ。聞いときゃよかった。
フェイトのやつ『困った時便利』なんてあっさりとした説明しやがって。
あそこにその拒絶追放を持っているアリスが居たのは、前の週までの運命操作によるものだ。
理論はわからないがフェイトが数週かけて『置いた』らしい。
アリスの拒絶追放の情報を縛って、後にフェイトの存在を置き換えて俺の記憶を封じて……俺が概念にたどり着けないようにずっとずっと動かしてきたのはやっぱり。
……はぁ。今頃ほくそ笑んでんのかなぁトワの野郎。よくよく考えて辿ってみりゃ全部手の平の上だったんじゃねーか。裏からずっと『僕関係ないですよ』みたいな顔してよ。
考え事はいい加減切り上げよう。もうあいつが干渉できることはねえはずだ。
あいつがストリガに神名騙りを教えたんだろ。
『トワ』は『全て』の概念だ。『全て』には俺も含まれる。
俺が使える神名騙りはトワにも理解できるだろ。それの使い方も、詠唱も。
……教え方も。
クソ、この力はそんな簡単に手に入れていいもんじゃねえんだぞ。
前の俺とフェイトがどれだけの犠牲を払ったと思ってんだ。
……ああ、ストリガを倒す方法と、歪みへの対応を考えなきゃ。
あの辺の生き物は竜だから、……ねーうしとらうーたつみー……兎か蛇へずれるか?
竜が歪むとどうなるか考えたことはねえけど、碌なことにならないのはわかる。
加えてストリガのあの是正ビーム。
「どれだけ撃てるか、射程は、最大威力はどれくらいか、未だに未知数だ……が…………あァ!???」
城の方向から地表を抉り飛ばすようにして、光線が伸びていくのが見える。
海から平原へ、超巨大な千年樹の丸太を転がすような是正の光が、少しずつ迫ってくる。
触れたものは動物植物大地や空気。
なんでもかんでも関係なく全てが原初へと絶ち還る。
そこには人間も混じっているだろう。
そしてその光線の発生源は、究極に歪んでいる。
「ストリガよぉ!! 我を忘れるのはどーでもいいがいい加減にしねえと世界が割れるぞ!?」
歪みを生む力はこれ以上使えない。
金も……使いたくない。
魔力なんてひとかけらも持ってねえ。
……なにもできねえのか?
そんな事ねえだろ。
仕方ないか。世界が壊れるよりマシだ。
金がここで大きく減っちまったら俺のトゥルーエンドもグッドエンドも消えちまうが……。
「背に腹は代えられねえ! 恰好がつかなきゃ男じゃねえだろ!」
俺は即座に詠唱を開始する。
同時にガルアへ戻るため視界内の安全そうな座標を買う。
飛んだ先には、俺を大地ごと消滅させようとする男の背中。
両手を掲げて光の奔流を放っている。俺の方には一瞥もくれない。
いける。
「魔法神フェイの名に於いて詠ずる!
我が異能は何よりも気高く何よりも輝く!
その力、この身に宿り増幅せしめん!
天候使いの名に応じて集え暗雲!
その紫電、買い受け解き放つ! 轟雷!」
詠唱を終えても、ストリガは俺に気づかない。
俺がぶん投げた金貨が次々に紫色の電撃に変わっていき、光線を放つ人影を襲う。
普通は黒焦げだが……。
『グググぅ……グァああうゥァァああ!!』
生前、ブレーカーを弄っている時素手で作業していた後輩が活線を切ってしまった時の事を思い出す。
あの大爆音と肉の焦げる臭いは今でも思い出せる。
あん時は電気の取り扱いには気を付けようと心に誓ったもんだ。
今、それ以上の電流がストリガに流れてるはずだが……。
こいつ体の組成どうなってんだよ。蛋白質じゃねえのか?
全然焦げやしねえ。
この攻撃でどれだけ歪みが出るか。
この戦いでどれだけ金がなくなるか。
金がなくなったことで、最期の時にどれだけ不利になるか。
少しの逡巡はあった。
だが。
……知ったこっちゃねえよ。
次の詠唱に入る。
俺がどうなったって構やしねえ!
やっぱ俺にゃ、最悪のバッドエンドが、お似合いって事だろ!
上等だ。