116. 準備
『トリアナ。ティナ。君たちは……最後まで生きてなきゃいけないよ』
「……ソロ……ラルウァ、てめぇは……どうなんだよ」
崩れかけたティナの精神体が、弱々しく呟く。
暗い世界に光る三つの魂。
一つは黒く、一つは茶色、一つは緑。
緑の少女は、少し考えるような表情を作った。
間も無くして口を開く。ギザギザの歯が覗く。
『……我は……貴様らがよいならば、それでよいのだァ!! ガハハハハ!!!!』
緑色は、ソロモンの口調でそう言った。
茶色のトリアナが辛そうに顔を伏せて、両手で目を覆った。
ソロモンの、いや、ラルウァの心情を理解しているかのように。
「……一緒には、来れないのです?」
『……一緒では、あるぞ!』
トリアナが聞く。ソロモンが返す。
豪快に牙を剥き出しながら口を開いて笑うソロモンは、見れば瞳に涙が溜まっている。
それを誤魔化すかのごとく、しかし本当に愉快そうに、唾を吐き散らしながら笑っていた。
今の緑髪の彼女を司る意識は、曖昧でいて明朗だった。
『我は……全てわかっている。完結に向けて動く世界で、終わってしまった世界で、旅人以外がどうなるのか。……しかし生きてさえいれば。最後の刻に生きてさえいれば、マスターが救ってくれるだろう』
「……ティナは」
『トリアナ……ティナを頼むぞ。我はついては往けぬが、送ることなら可能だ』
ソロモンが、ソロモンの存在が、溶けていく。解けていく。
紐と液体の間のようになったソロモンだったものは、トリアナと崩れかけの真っ黒いティナに纏わりついて一つになっていく。
『今から君らは二人で一つ。トリアナが表でティナが裏。悪いけどね』
それはソロモンの口調ではない。
もはや彼女の体は形を持たず、彼女の器の存在は希薄になっていた。
「……仕方ねぇさ。ごめんなトリアナ、まだ出会って間もないっつーのに」
「……いいえ、私達は皆同じ想いです。皆で幸せになりたいんです。椅子が一つくらいなくたって、パーティに出られない理由にはなりませんわ」
トリアナの詩的なその言葉に、ティナは胸が締め付けられるかのようだった。
自分がもし体を提供する立場だったら、平然とそんな事言えるだろうか。
「ありがとうな、トリアナ、ソロモン、……そして……」
『いいよ、私のは。もう体もないのに泣いちゃうもん』
「へへへ、ありがとう。ラルウァ」
真っ白な光が暗闇の世界に満ちる。
三人の存在は一つになっていく。
トリアナが表でティナが裏。ソロモンは、それを繋ぐ架け橋。
表と裏と言っても、コインの表裏のように容易にひっくり返ったりしない。
例えるなら、そう。
それは壺、水瓶、花瓶。
ひっくり返せば裏は見えるが、表の時に使えた機能は使えない。
そして、裏に返っているときより表の時間の方が長い。
コインよりこちらの方が表現として近いだろう。
それでもティナは了承し、トリアナは受け入れた。
仕方なかったのもあるだろう。
それでも彼女らは、心も体も存在も分け合えるくらい繋がりあっていた。
一人の男によって。
そしてここに、存在融合は完了した。
ソロモンとラルウァは消え、ティナも裏に行き、……現実に残ったのはトリアナ一人だけだ。
しかし、彼女たちは希望を繋いだのだ。
*
突然光が明ける。
俺は大量の魔法武器を使い捨てるようにして戦いながら部屋中を駆け回った。
ストリガとリザンテラ二人を相手取って、鬼気迫る動きで戦い続けていた。
シルキーがアリスの前で手を広げる。守っているようだ。
トリアナもアリスの隣で横たわっている。
そして、夢のような奔流が沸き上がる。
その光景は、俺の見た本当の景色たち。
「……おにいさま。トリアナが起きるみたい……。逆境使いの力でストリガを……抑えてもらおう……」
「いや、ソロモンが居なくなったから崩れるぞ! 逃げた方がいい!」
「……そうだね」
そう。
ずっと居たんだ。
「……ゴールドゲートへ行こう……そろそろ時期のはず……」
「時期ってなんのだ?」
「……出品の」
ずっとずっと、俺たちと旅をしていた。
いろんな助言をもらい、助け合って生きてきた。
「飛行機が買える……と思う……」
「そんなものあるのか」
「……世の中には変わり者が居る」
今やまるで別人のようだが、確かに存在していた。
シラセが事を起こす前に、戻してやらねば。
「ほら……森に一歩入ると……」
「入ると?」
「迷いました」
フェイト。
---
やべえ! 寝てないぞ俺は!
意識が途切れかけていた。今目を開けたまま寝ていたような気がする。
記憶ロックは? セーフなようだ。
夢を見るということは意識があるという判定なのかもしれない。
集まる視線に頭を振りながら、平静を示すために軽く手を挙げる。
大丈夫だ俺は。会議を続けよう。
「……パックをぶちのめして記憶とフェイトを元に戻す。トリアナとティナとソロモンを治す。シラセを止める。当面はこの三つを目標に動く事になる」
俺は皆の前に出て、目をこすりながら黒板をバンバン叩いた。
眠気を売れるっつっても根本的な解決にゃなりはしない。
もう何日寝てないかわからん。寝りゃ記憶ロックは元通り、フェイトとシラセに纏わる記憶の一部が封印されてしまう。
そりゃめんどくさい。よって場当たり的対処で済ませている。
「トリアナとティナを元に戻すことができればソロモンも取り出せるんじゃ……」
「ティナを戻したらバラバラになっちまう。器がないからな。……現状では今よりいい状態はない。……是正者頼りか」
「長年相手取って戦ってきた敵に頼るのは変な話ですね」
「戦争の歴史を繙いたらそんなもんだ。ジョザイアの受け売りだが」
ガイアがリタの体で喋る。もはや勝手知ったると言った感じで、リタ本人も受け入れているらしい。
二つの魂が同居しているという点ではトリアナとティナに似ているが、意識が完全に同居しているところが違う。
「……ところでマスターさん、ちょっとこの扱いは……」
「結局私も仲間入りみたいな……」
「……別に構わないが、屋台は無事なのか?」
今のフェイトは見ているとすごくイライラしてくるので首輪をつけて小さな檻に閉じ込めてある。こんなんかつての妹じゃないやい! なんて子供みたいなことを言うつもりはないが、実際あの頃のフェイトとは意識が違う。
メノとカシューにも首輪をやった。
カシューのは一般向けのお洒落なやつを渡した。こいつだけは奴隷じゃないし。
小指を首と首輪の隙間に入れて慣れなさそうに動かしているが、表情を見るに満更でもなさそうだ。
お前、奴隷の才能あるよカシュー。
「メノは自業自得だろ、一生許さないからな。カシューは……色々知っちまったしそのまんま帰すわけにもいかん。屋台はあの頃のまんま保存してるから心配すんな」
「それならいいんだ。めし食わせてくれるなら働く必要もないし、マスターがそう言うなら無理やり離れるつもりもない」
働くための屋台は必要だが、飯が食えりゃ構わないと……奴隷よりニートが近い気がするぞ。
……さてはて、人数も増えて収拾つけるのが大変だこりゃ。
俺が増えてもいいんだが……金は割とギリギリの予定だ。
ルードの時みたいに散財してる場合じゃない。
「カイン、ガイア、どこから手をつけるべきだと思う?」
「……俺は一人で動いてもいいが」
「とりあえずはシラセからだ」
そういうガイアは落ち着いた様子だ。
緊急じゃないのか?
「……やけに冷静じゃねえか、急いで行きゃ大丈夫って計算か?」
「マスターならば瞬間移動が可能なのだろう?」
「全員でガルアへ行けばいい」
は? 全員?
どうやって? 俺が全員運ぶの? マジ?
「なんで? 少なくともカインはリデレへ行くんじゃないのか?」
とりあえず確認を取る。
大人数の移動は可能ではあるが頭がしんどい。
位置情報とかの処理は脳でするから、人数が多ければ多いほど負担がでかい。
「ストリガ様も恐らく向かっているだろう。最大級の歪みに備えて」
……予測が立てられてるなら来るだろうな。
あそこにはフランとシラセが既に居て、概念使いも二人。
それにパックも居る。
激突すりゃ歪み放題だろう。
「じゃあ聖盾の騎士団も……」
何かと俺たちの喧嘩に顔を突っ込んできたイージスも来るかと思ったが。
「それはどうでしょう」
「能動的には動くけど受動的には動かない組織ですからね~」
ロズとメノが返答した。
まぁそうだよな、名の知れた強者の一人や二人知っててもおかしくはないのに、俺はあの組織に一目置いてるやつは一人もいない。
「……じゃあ、準備して向かうか。出発は明日でいいか?」
「今すぐ行きましょう」
「おくれたらたいへんです」
「何を悠長な」
「マ」
「ストップストップ! わかったよ冗談だよ! お前ら全員から責められたら心が折れちまう!」
ここまで総スカンを食らうとは思わなかった。
旅の準備はちょうど馬車に済ませてあるようだし、そもそも時間をやったところでする事など休息くらいしかないと言われるだろう。
ならば最早行くしかあるまい。最後の戦いの地へ。
「アリス、お前にだけは指示は出さない。思ったように動いてくれ。魔力も出し惜しみしなくていい」
「わかりました」
一人一人確認するように、声をかける。
「シルキー、ギャランクを倒すのはお前の役目だ。……運命の役割通りなら可能なハズだ。俺を信じろ」
「……いえす、まいますたぁ!」
不安げな顔、凛々しい顔。各々が決意を胸に秘めた表情をしている。
いよいよその時が来てしまったのだと。
マスターが常日頃から言っている、世界を買う時が来てしまったのだと誰もがわかった。
「トリアナ、概念使いを見れるのは、この中ではお前とティナだけだ。とにかく概念使いを攻略しろ。犠牲を出すな」
「わかりましたわ」
こんな風に、一人一人に指示出しなど普段はしない。
シルキーの共有で事足りるからだ。
わざわざこんな儀式的な事をする、というのがよりその刻の到来を強く感じさせているのだ。
「フィル、世界が壊れないように干渉してくれ」
「がんばるよ」
誰もが熱を帯びた顔をしている。
役割がある。
必要とされている。
その事実が、活力となって彼女らを突き動かすのだ。
「リタ、力を貸してくれ。ガイア、力を貸してやれ」
「任せろ!」
「いいだろう」
金色に逆立つ毛並みを揺らして、小さく唸った。
命を救われた、その程度の対価で器を弄られたリタは今や恨むなんて感情を持っていない。
影響されたのか理解したのか。
それはわからないが、少なくとも沸々と煮えたぎる熱情は不の感情ではない。
「ロズ、メノ、カシュー。お前たちは本来戦力外だ。でもついてくるというのなら、最後まで見届けろ」
「わかりました」
「ついていきますー」
「……わかった」
ロズ、メノ、フラン、リタ、カシューは、運命の指針によって選んだ仲間ではない。運命の役者としての力もそこまであるわけじゃない。
だからこそ、運命に縛られない働きを期待している。
「……フェイト。……元に戻ってくれないのか」
俺の、祈るようなつぶやきは虚しくも。
「今の私は私だから。マスターの知るフェイトじゃない」
一番届いてほしい心の奥までは届かなかった。
「そうか……じゃああとはカイン。……は別にいいわ。行くぞー」
「おー!」
「ちょっとマスターそれは最悪すぎる」
シルキーの元気な返事に、カインの不満声はかき消された。