10. レッドチリへの片道切符3人分(金貨3枚)
「あれ?」
「歪みが」
揺らぎができた。
『歪み』が大きくなる。
「まだ安定はしてるね」
「あんまり大きくなったら取り込まざるを得ないよ」
『無』が続ける。
『原初』が言った
「僕の力を感じる。誰かが余計な何かを生み出そうとしている」
「罪、罰、正義の誰かが残っててくれたらよかったな」
『情報』がぼやいた。
『存在』は言った。
「今居ない者の事を言っても仕方ないだろう。手を出してはいけないのだ」
「そうだね」
『歪み』が同意した。
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大変なところに潜入してしまったようだ。
ここは南極点にほど近い、銀色に輝く常夜の街。シルバーケイヴと呼ばれている。
この街の人達は隕石や地面の隆起によって空いた穴の壁や底に建物を立てて生活していた。
以前まではウェンド族と言う、巨躯を持ち全身が毛むくじゃらの白い怪物のような種族が主に住んでいた。
その特徴は男性のみに現れ、女性はと言うと一般的な人間種族とほぼ変わらないのだが、数年前にウェンド族は危険であるという説が流布された。
確かにウェンド族の男性の一部は近寄る外部の者に敵意を剥き出しにして襲い掛かる。だがそれは全員がそうと言うわけではない。
しかし噂が噂を呼び、ウェンド族を狩る為の巨大な多民族チーム絶滅団が結成し、ついには戦争が仕掛けられてしまった。
この時にウェンド族の肩を持ったのがマスター=サージェントである。
ウェンド族の女性は小さく、体毛がないため体温が低くなりやすく、体が弱い。
それを守るかのように男性は大きく、全身が白いごわごわの毛で覆われているため暖かく、体も頑強である。
美しく小柄で、成長も早い段階で止まる女性達は単体なら扱いやすく、奴隷としても高価である。
しかし男性がとても強く、忠義心に溢れ、知能も人間と何一つ変わらない。男性をスルーして女性のみを攫うのは不可能だ。もちろん両方を相手にするのはもっと無理だ。
よって市場への流通はほぼ0に等しかった。
そう、シルバーケイヴには奴隷市場もなかった上に、貧民街すらなかった。
それに価値を見出したマスター=サージェントは、一先ずコネクションを作る事にしたらしい。
タイミングが悪かったのか、最初から守るつもりだったのか、戦争を仕掛けてしまったアニヒレイターはウェンド族たちをある程度滅ぼす事に成功しつつも、最終的には全滅。
これにより奴はシルバーケイヴに居を構え、最悪の奴隷商人として名を馳せていく事になる。
マスター=サージェント。今年で21歳になるらしい。
その弱みを暴くべく私は派遣された。奴隷として。
世界平和維持部隊『聖盾の騎士団』通称イージスは、ここ数年で結成された。簡単に言うと、真面目な正義のヒーロー(気取りの)集団だ。
戦う力もお金も地位もある貴族階級の人間と、戦闘技能だけは一人前の冒険者階級の人間が一緒くたになって世界平和の為に戦っている。
私こと、ロゼッタ=プレインワールドはごく普通の田舎貴族だった。爵位はない。
プレインワールド家は代々続く剣士の家系。種族はずっと純血の人類だったが、直系の子はピンク色の髪を持って生まれてきた。
無論私もピンク色のウェーブがかった髪を持つ。この癖っ毛は母方の影響だろう。
私たちの一族は重鎧を着ずに、軽く、防御能力の低い鎧を好んで着ていた。
独自の剣技は回転が胆になるので、重い鎧を着れば着るほどキレがなくなる。
流石にビキニアーマーを着るほどの豪胆さはない。あんなものに防御力などは紙ほどもなく、見た目でしかないから。
さて、そんな私が何故こんなところに居るかと言うと、まぁ……。
簡単に言えば没落したのだ。
プレインワールド家の伝でイージスに拾ってもらうことはできたが、私には剣の腕くらいしかなかった。
上に立てぬのならば下に仕えるしかない。
マスター=サージェントの弱みを握る為のこのミッション、潜入する為には奴隷身分が必要だった。
突然奴隷に落とされ、なんとかマスターの目に叶い、どうにかこうにか今ここに居るのだ。
ここで何も為せぬなら、貴族の位すらも奪われて完全に奴隷として生きるしかなくなるだろう。
それは嫌だ。
「……ロズですか、構いません」
「君もアリスみたいにかしこまるタイプだね。俺の事はマスターと呼んでくれ」
「わかりました」
とりあえずの信用はあるようだ。まぁいきなりアジトに連れて行かれた時は驚いたが、油断大敵という言葉を知らないのだろうか。
「君イージスって知ってる?」
いきなり心臓が飛び跳ねた。油断していたのは私の方。
バレバレだったのだろうか。それか金銭術による読心とか……?
「最近奴隷になりたいって言って近寄ってくる女の子達は大体イージスの息がかかっててさ、結構裏切られるんだよね。こっちは全幅の信頼を寄せてあげてるってーのに」
「そ、そうなんですか」
言い淀んでしまったが不審がられないだろうか。
別にこちらを気にしている様子はないが……。
しかし奴隷になりたいと言われてほいほいと雇う(と言うのだろうか)のも寛大さと言うか、器量の大きさが窺い知れる。
「まぁ例え裏切られたとしても俺がやられるって事はまずねーし、もし俺らに危害を加えたら奴隷どころじゃ済まなくなるからいーんだけどさ」
ぞわっ、と嫌な予感がした。
先を促す。
「……と、言いますと」
「ロズの前に入ってきたメノってやつが居るんだけどさ、大事なところで後ろから不意打ちされてな。
あわや怪我人が複数出るかってところだったからお仕置きしてやってんだけど。
さっき話に出たカントカンドの貧民街にある俺の店に送ったから、今頃屈強な男達20人態勢でよろしくやってるぜ」
右手の人差し指と中指の間に親指を突っ込んで前後に動かすジェスチャー。
さ、最低だ。噂に聞きし最悪ぶりだ。
そんな事より……ど、どっちに付けばいい?
もうすでにイージスを裏切る事を考えているが、当たり前だ。
自分の身の方がかわいい。
……とりあえず、身の危険を感じるまでは現状維持で……行こう。
メノは私の先輩だ。1ヶ月くらい前に連絡を絶ったのだが……こんな事になっているとは。
他人事のように思ったが、すぐにぞっとした。
……未来の私だ……メノは。イージスに付いたならばかなりの高確率で『そうなる』だろう。
に……逃げる?いやダメだ。こんな極寒の監獄から1人で帰れるわけがない。
来るときは金銭術のテレポートみたいな能力で連れられて来た。二つの空間の距離を0にするドアを買うとかなんとか言う理論で。
従順なフリをして……いや、いつかバレるかもしれない。
そのまま恭順の意を表するしか……しかないのか……これには出会って一日で『なんやかや』したアリスと同様に貞操の危機がある。
これが……八方塞がりってやつなのか……。
私は心の中で頭を抱えた。
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ロズがすごく暗い顔をしている。なんでえ、ちょっとしたジョークでしょーが。
いやメノがカントカンド送りになっているのは本当だがな。あれはメノがわりい。
やーっぱイージス関連の子なんかねこいつは、そろそろ本気で潰しに行くしかねーのか。
そうすれば例えロズがイージス関連のヤツだったとしても気兼ねなくここに残れるし、俺の事好きになってくれりゃこっちのもんよ。はははは!
こんな態度でいられるのは別に『油断』してるわけじゃねえし『余裕』ってわけでもねーけど、大体なんとかなっちまうからな。
例えるなら『普通』って感じだ。
とりあえず地下2階の食堂から地下1階のホールへ出ようか。通路は真っ暗なのでランプを持って。
ケチってるわけじゃねーが、さっき話に出てきた灯火蛍は使わねえ。
消える度に銀貨6枚持っていかれるなら油を継ぎ足すだけで使えるランプの方が得だし数も用意できるからよ。
昔はよく使ったもんだよな。
アリスも俺も一人なら明かりは要らないから、暗いのはいざと言う時の為の防犯施策になっている。見えないだけで人は戦えないんだぜ。
ホールに出ると、アリスとシルキーが待っていた。お待たせ。
「ますたぁ! 行くよ!」
「行ってらっしゃいませ、マスター」
さぁ、俺も準備するか。
パチンと指を鳴らすと一枚の金貨が指先に現れる。
シルキーが『おぉ~!」と声を上げるがこれは何回も見せたことあるしただのマジックだ。驚き上手かよ。
しかし、ここからは初見だ。扇子を広げるように手を打ちふるって広げると、指の隙間に3枚の金貨が。どや。
「すごいすごい!! どぉーやったの!?」
「以前よりも腕を上げていますね」
もうメルケミーは極めちまって本当にできない事がなくなってきたんで、独学で勉強してマジックを始めた。格好つけるには丁度いいんだこれが。身の振りもスタイリッシュだしな。
因みにマジックもメルケミーでできる。お金は使うがな。
ロズは唖然としている。こっちにはマジックの文化はないみたいだから前世の記憶を必死に辿って取得した甲斐があったぜ。
「んじゃまずは、ジャゼウェル族の長んとこいくぞ。アトラタ王を現金化しよう」
金貨三枚をどう見ても自動販売機のような扉に突っ込む。澄んだ重たい音が扉の内側に響いた。ちょっとうるせえ。
コインセレクターも回収ボックスも返却口すら作ってないから当然だよなと思いつつ、キラキラ光るシルキーの視線を一身に受ける。
こいつはホントに俺の一挙手一投足に感動してくれるからやりがいあるわ。
「旅人の名の元に命ず!彼の地へ通ずその道を借り受けん!」
『レッドチリ』と書かれたボタンを押し、コイン返却レバーを模したドアノブを下げ、扉を開く。
ドアの中から、いや外からか。物凄い日差しと砂が吹き込んで……。
「ヤベぇ忘れてた!風の精霊よ!彼の地より吹き込む全ての物質を阻害せよ!」
契約済みの精霊を呼び出して適当な命令を出す。中位精霊だから文言が適当でも言う事を聞いてくれる。
シルフは妖精のような見た目ではあるが、妖精族とは違う。
緑が基調の、ともすれば野菜のようにも見える小さな精霊だ。
薄い羽をはためかせながら風を起こし入ってこようとする砂を押し返す。
「かなり日焼けするけどどうする?」
「へいき!」
「え!?え、えーと……」
「……光の精霊よ、彼の者の素肌を日焼けから守りたまえ」
もう本当に適当な命令を出す。小さな太陽に羽が生えたかのようなその精霊は困ったように飛び回っている。
「そこの女の子を守ってって事だよ。完全防御」
キュイ!と鳴き声のような音が聞こえる。この命令は消費する銀貨が多いがまぁ……お試し期間だしいいか。
さ、行くぞと言いながら扉に入る。シルキーは元気いっぱいに、ロズは恐る恐る入ってきた。
*
「暑すぎでしょ……」
景色を見渡すと、広がる砂漠に少しだけ萎えながらあとで入る水風呂だけを楽しみに、長の住処を思い出す。
「どっちだっけかな……」
「あっち!」
こういうのはシルキーの役目なんだわ。情報系技能を大体全部委託してあるしな。
俺の金銭術、『能力委託』で。
そう、過去の話だが、シルキーを信じる力が俺の能力を委託する力を生み出したのだ。
別に能力の一部を奪われてそのまま戻せないとかそういう話じゃねんだ。
できるこたー減っちゃいねえしそういうことにしといてくれ。な?
俺は太陽に向かって言い訳するようにそうつぶやき、二人がすでに足を向けていた『あっち』に向かって、俺も歩き始めた。