16-4
超人の戦いだ――そう、俺は思った。体の力が抜け、立っているのも覚束ない。
あまりにも無力。
あまりにも矮小。
殺到する高原の分身たちの攻撃をかいくぐり、魅咲が空中の本体めがけて青い光を放つ。
それをひらりひらりとかわして、お返しとばかりに、本体の高原が倍する威力の白いビームを撃ち込む。
青い光線は、射線上にあった電波塔を難なく貫通し、雲を吹き払いながら虚空を焼いた。
白い光線は、隣の峰の山肌を溶融させ、海の彼方へ消えた。
余人には割って入ることなどできない、バカげた戦い。俺はその傍らで、高原の匂いのするマントにくるまって、見ていることしかできない。
どうして、何のために、俺はここにいる?
なんとなく、昔を思い出してしまう。
――魅咲がさらわれた後、俺はひたすらに稽古に打ち込んだ。
魅咲が誘拐されたあの事件の場に俺は居合わせなかった。何も知らぬまま、家でテレビでも見ていたのだと思う。
それが悔しかった。
俺が居たとしても、何もできなかったとは思う。恐怖のあまり、立つことすらできなかっただろう。
でもどうせなら俺も一緒にさらって欲しかった――そんな風に考えることも多かった。魅咲と一緒なら、過酷な修行にも耐えられたかもしれない。
だからいつか、魅咲とまた会えたら、今度こそ魅咲を守れるような強い男になろう――それだけを念じて、師匠が道場を畳むまでの半年、成長期の身体を虐め続けた。
何度心の中で叫んだだろう。
――俺を置いていかないでくれ!
その願いはしかし、叶えられなかった。五年ぶりに再会した魅咲は、すでに俺なんかとは次元の違う力を持っていた。
それに、思春期を迎えて、俺は当時の志を半ば忘れていた。遊びに喧嘩、そしておままごとのような恋愛。一応その間も体だけは鍛えてきたつもりだったが、こんな俺が、どの口で魅咲を守るなんて言える?
熾火のようにくすぶりながら残っていた想いも消え果てた。
俺は新しく出会った高原への恋心に溺れていった。
そんな俺の前で、ある日突然幕を開けた魔法という別様の世界。この世界では魅咲たちもまだ駆け出し同然。
ここでなら、俺だって魅咲たちの何らかの助けになれるかもしれない、と思った。そして実際に少しだけ力になれた。なら、今度こそ魅咲に置いていかれずに済むかもしれない。
――どうしてそう思ったのかわからないが、こうしてやけぼっくいに火がついたのである。
だが、その決断は最悪の結果を呼んだ。
その果てに、今俺はまた、置き去りにされたままでここにいる。
恋した相手と幼馴染の死闘の、ただの傍観者として。
俺の勝手な追憶を他所に、戦闘の方は決着しかけていた。
最強の魔女が、無敵の格闘娘をとうとう追い詰めつつあった。
五人の分身の攻撃をさばいてきた魅咲だが、その顔には疲労が色濃くにじみ出ていた。〈不純物〉が蓄積し、魔力が欠乏しつつあるのだ。
「うぐっ!」
目に見えて動きの鈍った魅咲が、高原の拳を胸に受け、冗談のように吹っ飛んだ。どうやら身体能力強化の魔法の効果も切れたらしい。
同じ魔法は重ねがけができない、と魅咲が言っていた。別々の魔法を同時に展開することはできる。だが、マルチタスクのように別々のことに思念を向けることはできても、ひとつのことを二重に念じることはできないのだそうだ。
魅咲は恐らく何度か隙を見てかけ直したのだろう。だが、高原が分身の魔法を使って以降、その隙ができなかった。
一方の高原は、一度もそうした素振を見せていない。高原の魔法は、その効果だけでなく持続時間の方も、魅咲のそれよりもはるかに上を行くようだ。
魅咲は苦痛をこらえて立ち上がり、残り少ない魔力でまた魔法を行使しようとしたが、五人の分身がそこに一斉に殺到した。
先ほどまでとは逆の光景。今度は高原が魅咲に魔法を使う暇を与えないつもりのようだ。魅咲は素でもバカ強いが、それでも魔法で強化された今の高原相手では勝ち目がない。取り囲んだ五人の高原から小突き回されるように連続攻撃を受け、ついに膝を突いた。
「……ったく、手こずらせてくれちゃって。この状態になるのはこれっきりにしようと思っていたのに、世界を滅ぼすためにもう一回やんなきゃいけないかもしれないじゃない」
分身たちの姿が掻き消えた。その場に一人残された、荒い呼吸に肩を上下させる魅咲の前に、高原の本体が降り立った。
その手を魅咲に向ける。それだけで、もはや魔力の残量が少ない魅咲は身動き一つ取れなくなった。
——止めを刺すつもりなのだろうか。
俺は萎えた足に活を入れて駆け寄ろうとした。
が……、
「動くな!」
鋭い一喝とともに、隣にあった杉の樹が落雷にでもあったように真っ二つに裂けた。脚の力がまた抜けて、俺はその場にへたり込んだ。何十メートルも離れているのに、高原は正確にこっちの動きを察知していた。
その顔は戦闘の興奮のためかやや上気していたが、それでも静かな微笑を浮かべていた。
「動かないで、誠介くん。わたしだって、なにも魅咲を殺そうとしてるわけじゃないの。ただ、少しの間動けなくなってもらうだけ。わたしが文明を滅ぼす間、ね」
それから、魅咲に向き直る。
「あんたはよくやったわ、魅咲。今のわたしとこれだけ戦えるのは、〈リーガ〉の最高幹部たちの中にもそうはいなかった。でも実戦のブランクもあったし、まだわたしに一日の長があったみたいね」
「ふん、勝手なことを……。さっさと殺しなさい」
魅咲に睨まれ、高原は大げさな驚きを表明してみせた。
「殺すわけないでしょ。あんたはわたしの友達じゃない。わたしとあんたと伽那、それから誠介くんと琉斗。みんなで文明崩壊後の世界を生き残ろうよ」
魅咲が小さく微笑んだ。
「あたしの家族は? お父さんとお母さん」
「もちろん生き残ってもらうわ」
「伽那の家族は? ユキさんは? 誠介の実家の人たちは?」
「誰がダメだって言ったの? まあ、誠介くんのお兄さんについては判断保留だけど」
「昔のクラスの連中は? 北山先生は? しのぶや由佳里は? 田中くんや吉田くんや大原くんは? みんな今でも『高原さんはどうしてる?』って連絡くれるんだよ?」
「うん、みんないい人たちだったし……」
「あんたのバイト先の同僚は? 馴染みの店の店員や、よく通ってる図書館の司書さんは? あたしの会社の人たちは? 伽那や琉斗の部下は? 小学や中学の同級生は? 別の学校に行ったけど、仲良かった子はいたでしょ? そしてそれから、その人たちの家族や友人は?」
「そ、それも――」
「なあんだ」魅咲の顔に浮かんだ朗らかな笑みはますます深まっていく。「詩都香ってば、世界を滅ぼす気なんて全然ないんじゃん」
高原の言葉は、俺にもそのように聞こえた。
しかし、高原の返答はトゥーキックだった。ガードのできない魅咲は顎の辺りを蹴りぬかれ、二十メートル近くも宙を舞ってから、仰向けに転がった。
「バカにすんな! 滅ぼすったら滅ぼすんだから!」
高原がきっ、と魅咲を睨み据えた。その掌に、凶悪な魔法の光が生み出されようとしていた。
しばらく呻いていた魅咲だが、距離をとったおかげで念動力の呪縛から解かれたらしい。どうにか上体を起こす。
「あてててて……。うーん、あたしって相変わらず口下手だなぁ。説得失敗。――でも、どうにかこうにか時間は稼いだわよ」
その言葉に呼応したかのように、今度は幾百条もの紅蓮の光が高原めがけて降り注いだ。
攻性魔法を捨て、すべてを防御障壁で防ぎ切った高原だったが、この不意討ちに慌てた様子で空中に逃れた。
「〈イレイザー・カノン〉!」
その高原を、極太の赤い光が襲う。
「やっぱりあんたも来たのか!」
高原はこれを障壁で防ごうとはせず、ぎりぎりのところで身をかわした。
……この魔法の名前、聞いたことあるぞ。あの頃はこんなに破壊的な威力じゃなかったけど、高原がその独特のセンスで名づけてやってものだ。
今しかないと判断し、俺は木々の間から飛び出すと、いまだ片膝を突いたままの魅咲のそばに駆け寄った。
「魅咲! 大丈夫か!?」
遠目ではわからなかったのだが、魅咲の服はあちこちが破れ、ちょっと目のやり場に困るありさまだった。
視線をそらしながら差し出した俺の手に、魅咲がそっと掌を重ねた。
「バカ。出てくるのが遅いっつーの。あんた、今度こそあたしを守るってお父さんに宣言したんじゃなかったの?」
「……あー、そんなこともあたかも」
言われて昔の気持ちを思い出し、急に気恥ずかしくなって、ついついジョークみたいな口調で返してしまった。他の弟子たちが去ってしまった道場で、俺と一対一で稽古をつけてくれる師匠相手に、そんなことを口走ったかもしれない。ていうか、師匠も本人に言うんじゃねえっつーの。
俺は魅咲を引き起こした。身を委ねた魅咲は、そのままの勢いで俺の懐にすっぽりと収まった。魅咲の背丈は高原と大して変わらなかった。どこにあんな力が秘められているのだろうか。
「大丈夫、なのか?」
しおらしい魅咲の態度が、かえって俺の不安を助長した。
「ん……」俺の胸の中で、魅咲は軽く頷いた。「でも、もうちょっとこのままでいさせて」
見上げた俺の視線の先、百メートルくらいの上空に、二つの人影が浮かんでいた。一方は高原だ。もう片方は、背から巨大な翼を広げている。
二人は互いに絡み合い、時に光線を、時に火球を、時に氷の散弾を撃ち合いながら、空中戦を繰り広げていた。
「今から言うこと、あっちの世界に戻ったら、忘れてね」
腕の中の魅咲が、ぽつりと漏らした。
「あ、ああ……」
つい頷いてしまったが、何だ、それ……?
「あたしがね、じじいにさらわれて、あの山の中での地獄のような日々に耐えられたのは、誠介のおかげなんだよ?」
「え?」
それこそまったく予想もしてなかった言葉だ。
戸惑う俺に向かって、魅咲は続けた。
「あんた、あたしから一度勝ったの覚えてる?」
「ん、そうだったかな」
曖昧にそう答えてしまったが、それは俺にとっても忘れらない、ひとつの勲章のような出来事だった。真剣試合ではなかったとはいえ、あの魅咲相手に、俺は一度だけ勝ったことがあるのだ。
「あの頃、大体みんな、あたしはレベルの違う化け物みたいな女だと思ってたでしょ? ……いいの、知ってるから。でも、あたしの方はそうじゃなかったの。道場の師範の娘っていう体面を守るために、だいぶ無理してたんだ。組手はいつも薄氷を踏む思いだった。それなのに、みんな萎縮してたから、結構楽に勝てた。女の子と本気で殴り合うのを嫌がってたみたい。でも、あんただけは違った――」
そこで魅咲が辛そうに顔を歪めたので、俺は抱きしめた腕の力を強めた。
「大丈夫。〈モナドの窓〉を閉じて、溜まった〈不純物〉を抜いてるだけ。……ちょっと、痛いってば」
俺は慌てて力を抜く。それでも魅咲の体に巡らせた腕を解きはしなかった。
「あの時はあたしもちょっと悔しくて、それで調子が悪かったとかなんとか言い訳をしてみたけど、なんのことはない、あれは純粋完璧にあたしの負け。次にまた勝負をして、今度こそあんたと白黒つける気でいた。でも、それは結局叶わなかった……」
腕の中の魅咲は上目遣いに俺の顔を窺った。一度も見たことのない表情だった。
「さらわれた先のあの山奥で、何度も死ぬかと思った。だけど、そのたびにね、あんたの顔が浮かんだの。それで元気をもらった。絶対生き延びてやるって、今度は負けてやらないんだから、って。そうやって耐え抜いた。後でお父さんからあんたの言葉を伝えられて、やっぱりあそこで死ななくてよかったと思った」
「いや、ははは。今から思うと、若気の至りかもしれないな。……でも、あの頃は本気だったんだぜ?」
「知ってる」魅咲は頷いた。「師範の娘の、女子のあたしに、本気で向き合ってくれるの、あんただけだったもん。そんなあんたに惹かれたんだ」
えっ? 魅咲さん、今何と?
魅咲は俺の目をもう一度見返した。
「言わないでおこうと思ってたんだけど、やっぱ心残りがあるのはダメだね。——あたし、誠介が好き。昔も好きだったかもしれない」
魅咲はきっぱりとした口調でそう言った。
「先に言っておくけど、高校の頃のあたしがあんたのこと好きだったのか、あの頃もわかんなかったし、今もわかんない。昔は予想外の再会を喜ぶ気持ちがそう思わせていたのかも。それにあんた、その後すぐに消えちゃうんだもん。今度はその喪失感を恋心だと勘違いしたのかもしれない。でも、今のあたしが誠介を好きだってことははっきり言える」
驚愕する俺に構わず、魅咲は重心を取り戻し、自分の足で立った。
だとしたら俺は……、高原への恋に協力を求めていた俺は、なんて間抜けなバカ野郎だったんだ。
「すまん、魅咲」
「はい? なんで謝るの? ……あたしの気持ちに気づかなかったこと? さっきも言ったけど、あたし自身にもわからなかったんだし、あんたが気づくわけ――」
「それもあるけど……」
「……ああ、あっちか。気にしないで。それはあたしが悪い。まったく、何考えてたんだろうね、あの頃のあたしって。でも重ねて強調しておくけど、あの頃のあたしはまだ自分の気持ちがわかっていないから、余計なことは……ん、もう大丈夫。放して」
魅咲の告白があまりにも衝撃的だったので、逆に俺は放せないでいた。さらには、照れ隠しついでに、驚くほど柔らかいその感触を堪能してみる。
「いや、こら、放せって……! ちょっと! どこ触ってんの! 年増の胸は触らないんでしょ!?」
魅咲が力づくで俺の拘束を振りほどいた。そうなると、俺は手も足もでない。
魅咲の顔は、ひどく赤かった。うん、いつもの魅咲だ。
「いーい? ぜーったいに、元の世界に帰ったら、さっきのこと忘れるのよ!」
ものすごい剣幕だった。何のことやら理解できぬまま、こくこくと首を縦に振るしかなかった。
そこへ、上空から間延びした声が届いた。
「ちょっとぉ、魅咲ー! いつまでいちゃいちゃしてんのよぉ!」
俺と魅咲は、同時に空を仰いだ。先ほどまで空中戦を繰り広げていた二人の内、有翼の人影が降下してきていた。
「真打登場、っと」
蝙蝠、あるいは翼竜を思わせる黒々とした巨大な翼を背に負った女性が、俺と魅咲の目の前に降り立った。
もうわかっていた。一条伽那だ。
「詩都香ってば、とうとうこうなっちゃったわけね」
そう嘆息するその顔を見ても、もはや驚かない。
「お前もやっぱり変わってなかったんだな、一条」
丸顔もあの頃のままだった。〈超変身〉しているためなのだろう、背中に翼が生えただけではなく、瞳が赤く染まり、上の犬歯が吸血鬼のように伸びているが、元々あどけない顔立ちの一条だから、凶暴さというよりも悪戯っぽさが加わっただけのように見える。小悪魔というほどにも邪心が感じられない。
「近所の奥様がたから、いつまでもお若いですね、なんて言われる。まあ、元々わたしたち〈半魔族〉は寿命が長いらしいし――って、あっれえ!?」
一条が魅咲を見て慌てた。次いで、空を仰いで高原の姿を確かめる。
ツッコんで欲しいのかと思い、俺は尋ねてみた。
「ところでそのカッコは? コスプレ? ていうかイメクラ?」
「ちっがーう! なんでえ? なんで二人とも制服じゃないの!? わたしたちの戦いっていったら、いっつもこの格好だったでしょーう!」
一条は水鏡高の制服姿だった。肩甲骨の辺りにはスリットが設えられているようで、翼はそこから伸びている。
「ったく、遅いと思ったら、そんなことで時間食ってたの?」
魅咲が額に手を当てた。
「ち、ちがうよぉ。あ、少しはそれもあったかもしれないけど……。――で、二人だけのお話は終わった?」
弁解がましい顔から一変、きひひ、といたずらっぽく笑う。
魅咲はちょっと怖い顔でそんな一条をにらんだが、すぐに表情を緩めた。
「……うん、もういい。もう思い残すことはないわ。いつ消えたってね」
二人が見据える上空には、たった一人が取り残されていた。
「って、おい、魅咲。まだやるのか?」
魅咲の言葉には引っかかりを覚えたが、まずそちらが気にかかった。
そんな俺に対して、魅咲は胸を張って〈モナドの窓〉を開いた。
「あったりまえじゃない。伽那も来てくれたし、これからが本番。言ったでしょ? 〈不純物〉を抜いてたって」
――いやいやいや、まだ十分と経っていないだろ。
しかし、俺がそう言い出す前に、一条が魅咲の後を承けた。
「わたしだってずいぶん魔法の練習してきたんだよ。腐っても〈半魔族〉だし、今ならちゃんと戦える。ここ数日集中して準備してたの。だから、会えなくてごめんね」
なるほど、一条は高原を止めるために、ひょっとしたら殺すために、ひとり籠っていたのか。そりゃあ、弟である琉斗には言えないな。
「ま、それだけじゃないんだけどね。それはサプライズということで」と、それこそ小悪魔のように口の端を吊り上げてから、一条は魅咲に向き直った。「——で、魅咲は本当にもういいのね?」
「しつこいな。いいってば。後はあれを止めてからにするから」
一条と魅咲は互いに視線を交わした。二人の態度はあの頃のチームワークを思わせた。ここに一人欠員がいるのが、残念でたまらない。
「三鷹くん。見てて、わたしたちの最後の戦いを」
そう言って、一条は空へと身を躍らせた。
「うん、まあ、そんな感じ。うまくいったら、昔のあたしたちをよろしくね」
次いで、魅咲もその後を追う。
上空で二人を待ち受ける高原は、今度は八体にも分裂していた。
またも置いていかれた俺だが、先ほどのような無力感はなぜだか覚えなかった。




