16-2
高原の髪から黒の染料が一瞬にして消失した。目を灼かんばかりの鮮烈な光が、その毛の一本一本から噴き出した。
今までみたいな不随意の発作じゃない、高原は意識的にあの〈超変身〉を遂行したのだ。
——美しく、劇しく、そして怖ろしい光景。
「う、うぁ……」
喉の奥から情けない声が漏れた。
初めて見た、今の高原の本当のフルパワー。その壮絶さは、俺を原始的な恐怖のどん底に引きずり込んでいた。
今までいっしょにいたことが信じられないほどの、次元を異にした存在。
最初の魔力の噴出が収束すると、ざわついていた周囲の空気がぴたりと静止した。耳を聾すかに思える張り詰めた静寂だった。
「誠介くん」
名前を呼ばれてハッとした。
高原がこっちを見ている。
さきほどまでよりもかなりの距離が開いていた。そこで俺は、自分がそれと知らぬ内にずいぶんと後ずさっていたことに気づいた。
声が出ない。
足も前に動かない。むしろ、なおも後退しようとしている。
高原にこれ以上近づくことを、本能が拒絶しているのだ。
俺は震える頭部をかろうじて上下に動かした。聞いているよ、と表明したつもりだが、果たして伝わったかどうかは怪しい。
俺に向けられた高原の目つき——十年前の強い光を宿した瞳ではなく、こっちに来てからいつも見慣れていたとおりの柔らかい眼差しだった。それでも人を射抜く力は別物だ。
「そんなに怖がらないでよ。傷ついちゃうじゃない。——誠介くん、ごめんね。本当はわかってた。誠介くんはきっとわたしを殺したりできないだろうって。茶番につき合わせてごめんね」
「な、なんで……」
まだ理解が追いつかない。あんなことを言っていたくせに、どうして高原はこの姿になったんだ……。
「誠介くんが殺してくれないんならしかたない。次の選択肢に移らなきゃ。——さっきも言ったとおり、これ、本当はまずいんだ。でも、これが最後の一回。この一回で、わたしにちょっかいをかけて、わたしを追い詰めて、ここまで事態を進めた馬鹿どもを一掃しなきゃ。……これで終わりにする。そして世界の片隅でひっそりと生きる」
高原は右手を上げ、人差し指を伸ばしてピストルの形を作り、腕をまっすぐ伸ばす。
俺がその標的を確かめるため目を遣ろうとした矢先に、途轍もない輝度の白い光が発射された。
「うわっ!?」
この距離でもなお熱風が吹き寄せてきた。俺は片手で顔をかばった。
指の隙間を通してどうにか目で追えた白い光線は、北西三十キロにそびえる富士山のわずかに上をかすめるようにして、蒼穹の彼方へと消えた。
——それだけで。
宝永山の辺りまで積もっていた雪が瞬時に蒸発。雪崩を起こす間も無く、膨大な水蒸気に姿を変えて山体を覆い隠し噴煙のように上空に立ち昇る。
あまりにも壮大なその情景に肝をつぶされ、ただ呆然と目を向けていると、足元がくらくらと揺れた。次いで、ごごごごご……、と山鳴りのような響きが届いてくる。
「ふふっ、馬鹿みたいな威力。……不思議。自殺を試みるくらいなら、どうしてわたし、もっと早く狂わなかったんだろ。自分の中に小さな太陽があるみたい。これを制御しようだなんて、どだい無理だったんだ」
高原はそう言って、もう一度指先を同じ方角に向けた。
「次は本体に当てる。たかだか兆トンの岩塊なんて一発よ。いきなり重しを取られた地下のマグマは……どうかな、発泡して爆発するかな?」
富士山が一発? 規模が大きすぎて意味がわからない。
「な、何をするつもりなんだ……?」
さらに数歩離れながらも、俺はどうにかそう尋ねた。
高原はピストル型を作った右手の指先を見つめた。
「うーん、まだあまりちゃんと考えてないんだけどね。そうだなあ、富士山の次は箱根。その後は九州と北海道に飛んでカルデラに片っ端からこいつを撃ち込んじゃおっか。いくつ爆発するかな。富士山なんて比べ物にならない噴火が起こるかも。そしたら次は海外ね。最後はイエローストーンでも爆発させて、人類の幕引きにするわ」
「人類の幕引き……?」
白痴のように高原の言葉を繰り返す俺。
「知ってるでしょ? わたしの特技は〈モナドの窓〉を全開にして、〈器〉の容量いっぱいまで魔力を瞬時に精錬すること。フィジカルな体力も多少必要だから限界はあるけどね。さっき撃ったのは〈器〉の容量の二割強に値する、純粋に破壊のための魔法。その威力はメガトン爆弾八万発に匹敵する。そしてわたしは――」
高原の両の掌にさっきと同種の光が生まれた。すぐにそれは球状に変化し、発生源を離れて本人の周囲を漂う。
高原は次々と同じものを生み出した。わずかの間に、四、五十個の光の玉が空中に浮かんだ。
「このひとつひとつがさっきの魔法と同じ威力。これをわたしは一日に百個くらいは作り出せる。火山に頼らなくたって、人類を滅ぼすのなんて簡単。死滅させる気はないけど、文明さえ破壊すれば、二度とわたしをどうこうしようなんて思わなくなるでしょ」
「なんで……、そんなことをするんだ……? それも、俺のせいなのか……?」
どうにかそう絞り出した俺に、高原はびっくりしたような表情を向けた。
「どうして誠介くんのせいになるの? 悪いのはわたしだよ。わたしと、わたしを狙う世界中の馬鹿ども」
「お前を狙ってる、馬鹿ども……?」
さっきもそんなことを言っていた。
「わたしの〈器〉の容量はエネルギーに換算すれば十の二十一乗ジュールクラス。瞬時にこれだけのエネルギーが作り出せれば、世界のエネルギー問題は一発解決。まあ、今のところどこの国も技術的にそのほんの一部を利用できるに留まってるみたいだけど」
まったくの予想外だった。エネルギー問題?
「知ってるでしょ? この状態のわたしは無尽蔵の魔力を精錬できる代わりに精神を蝕まれていく。要求に応えてたら、たとえ〈モナドの窓〉が無事でも、時ならずして何もわからなくなるなるわね。向こうもそれが狙いみたいなんだけど。せめて、『世界全部のため』っていうんなら許してあげたかもしれないのに、エネルギー資源輸出国はわたしを抹殺しようとしてくるし、輸入国は――出てこい、そこの二人!」
高原の眼光が強まったかと思うと、俺の左後方の樹が木端微塵に砕けた。その陰から両手を上げて出てきたのは、諸橋と八木の二人だった。
八木は俺の顔をちらっと見て、すぐに目を逸らした。
「こいつらのたくらみ、面白いんだ。わたしを生けるプラントにしたいんだって。電力各社と共同で、わたしが作る魔力を蓄えて随時電力に変換する技術も開発中。いったい何人の魔術師が人体実験の犠牲になったことやら」
普通の魔術師が精錬できる魔力は、一国のエネルギー需要に照らせば無に等しい。しかも、すぐに〈不純物〉が蓄積して使い物にならなくなる。だが、高原なら別なのだろう。何しろ、〈不純物〉まで魔力に変換することができるのだから。
ということは、高原の暗殺を企てる連中も、軍事バランス云々が理由ではなかったのか。エネルギー資源の重要性が薄まることで、自国の地位が低下するのを懸念してのことだったのだ。
信じられなかった。魅咲や俺が聞かされた話は少し胡散臭いと思ってはいたが、隅から隅までタワゴトだったのか。
「本気か……あんたらほんとに……」
愕然としたままの俺は、それしか言えなかった。
何が軍事バランスだ、何が新しいルール作りだ。本当はどこの国も、暴走する産業資本に突き上げられて高原を新しい資源としか見ていなかったのか。
「……そうは言ってもね、本人の言う通り、あの子が瞬時に作れるエネルギーは我が国の総発電量の四十年分なんですよ。黙って見過ごすには、あまりにも有益な存在なんです。今は各国とも資源ナショナリズムを強めている。この国が生き残るには、高原さんの協力を仰ぐしかないんです」
諸橋が気まずそうに言った。一方の八木は勢い込む。
「おまけに、公害とも温暖化とも無縁。原子力発電のように反感を買うこともない。まさに夢のエネルギーなんだよ、魔法は」
「今はまだ技術的な問題で、魔力のほんの一パーセントほどを蓄えておくことができるに過ぎません。でも、高原さんの協力があればきっともっと効率的な技術を……」
高原は口の端を吊り上げた。
「一パーセント……五カ月分ねぇ。どれくらいもつかな。〈リーガ〉の統制から解放され、エネルギー資源という枷を外されたこの国の産業は、わたしの作った五カ月分のエネルギーを、ちゃんと五カ月もたせられるかな?」
諸橋が反論した。
「いや、そうかもしれませんが、しかしあなたはその分のエネルギーを一瞬で作れるのでしょう? あなたの協力が得られれば、いつかきっともっと効率よく変換できるようになります。百パーセントの利用も可能になるかもしれない。そうなったら……」
——ああ、ダメだ。俺にだってわかる。それでは論点のすり替えだ。
歯止めが利かなければ、結局いつか高原をしゃぶり尽くすと言ってるも同然だ。
当然、彼女がそれに気づかないはずもない。冷笑さえも引っ込んだ。
「問答無用ね。——誠介くん、わかったでしょ? 世界中のこういう連中がわたしの心を掻き乱して、これまでにも何度もこの状態にしてくれたの。しつこいんだよ? 電話やメールはもちろん、見も知らぬ外国人がバイト先まで押しかけてくるし。ありえない金額を提示してね。そうやってわたしの精神を削って、意のままに操れるようにしたいんじゃないかと思うけど。わたしが死ねないのもこいつらのせい。自殺を企てるような強烈な負の感情を抱くとね、結局この状態になっちゃうんだ。そのときの想いは——『どうしてわたしが死ななきゃいけないんだ、だったら世界の方を滅ぼしてやる』。……お父さんの元同僚を手にかけるのは不本意だけど」
「よせ、高原! そいつらを殺したって――!」
俺の声は聞こえていたはずだが、委細構わず高原は片手を二人の方に向けた。それだけで、諸橋も八木も糸の切れた操り人形のように倒れた。
「脳以外は数日生かしておいてあげる。臓器移植でもしてせいぜい人の役に立つことね。ドナーカード持ってる?」
高原はせせら笑った。次いで、その顔がこちらに向けられた。
こいつは、この魔術師は、今いかに冷静さを保っているように見えても、やはり俺が知る高原じゃないのだと思い知らされた。
自殺から一転、世界の文明を滅ぼす? 極端から極端へと発想が移りすぎだ。十年前の高原だったら、もっとあがいたはずだ。こんな選択は間違っても……。
だが魔術師は、思いもよらぬ言葉で十年前との連続性を証明してみせた。
「ねえ、誠介くん、わたしと一緒に行こう? あのときの告白を覚えてる? 十年かかっちゃったけど、今わたしはそれに応えるよ。あなたはわたしが生き残らせてあげる。環境変化も平気だよ? 海水から綺麗な水も新鮮な空気も作ってあげられる。ううん、どうせ食料も無くなるんだから、面倒だし全部魔法で作ってあげる。それくらいの魔法、すぐに覚えられるよ。……そうだ、誠介くんにも魔法を教えてあげる。そしたらわたしも誠介くんも、何百年も年を取らずに過ごせる」
「だから」と彼女は言葉を継いだ。
「だから——わたしと未来を共にしよう? わたしも人類の命運になんて興味ないけど、二人でこの世の終わりを見届けよう?」
それを聞いた俺は、動かなくなった諸橋と八木の体のそばに膝を突いた。
「……それもいいかもな」
偽らざる本心だった。何かを考えるには、俺の精神は疲弊しきっていた。だが、ひとつだけ確かめなければならない。
「だけど、どうして今さら俺にこだわるんだ? 十年前にはあんなにアタックしてもまったく動じなかったお前が、さ」
「それは……誠介くんが、今となっては唯一残った、わたしがこの十年で捨てなかったものだから」
――あんたは今の詩都香にとってジョーカーみたいな存在なんだよ。
再会の日、魅咲は言っていた。
「あんたが死んだと思い込んだ後、詩都香は何もかも失ったと言っていいのかも。伽那を守るために始めた防衛戦だったはずのに、ほとんど日本に帰らずに世界中で戦い続けた。高校も辞めたし、友達も、将来も捨てた。祖国からも目をつけられてる。それに……詩都香の家は見た?」
「ああ、空き家みたいだったけど」
「組織の存亡の危機に陥ったリーガは、禁じ手を使ったの。……つまり、詩都香のお父さんを人質にとった。そしてお父さんは自害した」
「…………!」
「琉斗が進学した後、詩都香は思い出の多い生家を出た。そして詩都香は時間すら捨てた。琉斗も独立したし、詩都香にはもう何もすることがない。目的すらない。ただ悠久の時を、漫然と生きるしかない。たったひとつ詩都香が捨てなかったのは——」
やはり魅咲の言ったとおりだ。
俺は自力で高原にとっての特別な存在になったわけじゃなかったのだ。




